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Memory.25

二千×四年 七月十三日


 清々しい朝だった。いよいよ夏も本番なのかもしれない。

 来週から夏休みだ。周りの人々はみな、夏休みの予定について話している者ばかりだ。友人と遊んだり、泊まったり、家族と旅行をしたり…。今目の前とある休みを、それぞれ楽しみに待っていた。

 ―家族、か。

 彼女には、家族での過ごし方は分からなかった。幼い頃に母を亡くし、父に裏切られ、弟が身代わりになった。それが、彼女の中の家族だった。

 唯一、今でも昔と変わらずに愛情を注いでくれている祖母はいる。だが、それだけだ。彼女の中身は、多少の愛と英語の知識しか入っていなかった。

 そんな折だったのだ。あの時、彼に出会い、彼女は少しづつ変わっていった。注がれない愛情があるのなら、自分から注げていけばいい。昔の彼に与えたように。いや、それ以上に。

 そうすることで、少しでも家族を知ろうとした。愛情をより深く知ろうとした。人を好きになるという感情を知った。そうすることで、自分にぽっかりと空いた愛情を埋めることができた。

 だが、それでも彼女は恐れていた。彼がこの愛情を嫌っていたら?また、裏切られてしまったら?この愛情は、ただの自己満足なだけなのではないか?それが怖くて、怖くて仕方がなかった。彼の本心は知らない。だからこそ余計に。

 普段は優しくても、それが本心とは限らない。経験がある彼女は知っていた。人には、誰しも裏の感情がある。表には出さない彼らがいる。その存在は恐ろしく、冷酷で、非道だ。それは彼とて同じこと。

 彼へ愛情を注げなくなったら、自分には何が残るのだろう?悩める彼女は、今日、十三日の金曜日を迎えた。

 そんな彼女を現実へと引き戻したきっかけは、一人の少年の姿を見つけたからだった。

「あっ。おーい、ヒロー!」

 心奈は笑顔を無理やり作って、彼へと近づいた。

「おはよう…って、ちょっと!どうしたの、その左腕!?」

 彼の返事を聞かぬまま、心奈は包帯が巻かれた彼の左腕を見つけて思わず驚愕した。その包帯は、少し赤黒く濁っていた。

「心奈…ま、まぁ。ちょっと色々あってさ」

 彼は困り果てた表情を浮かべて、目線を逸らした。

「色々って何よ!?怒らないから言ってみてよ?」

「いや、その…」

 もごもごと口を詰まらせる。説明が難しいのか、はたまた言いたくないだけなのか。彼は答えてはくれなかった。

「心配するでしょ!ねぇ、教えてくれてもいいじゃない?」

「し、心配だなんて。別に気にすんなよ、大した傷じゃないし」

「嘘つかないで!なら、どうしてそんなに大きな処置してあるの?大したことなかったら、絆創膏とかで充分でしょ?」

「本当に大丈夫だから!心奈には関係ないから、心配すんなって!」

「え…ちょ、ちょっと!ヒロ!!」

 彼は心奈の愛情を無視すると、関係ないと言い除けて走って逃げてしまった。

 その後ろ姿を心奈は追いかけることもなく、ただただ茫然と見ていた。

 ―何よ、関係ないって。関係ない訳、ないじゃない…。

 ジリジリとセミが鳴いて言っている。本格的な夏は、これからだ、と。


 既に教室には、自分の居場所はなかった。目線を合わせることのない周りの人々。偽りの情報を信じ、悪人と思い込む者たち。はたまた、傷つけることでしか人と話せない悲しい者と見る人もいる。

 全て間違いでもあり、真実でもある。言い換えれば、事実は無いが否定はできない。と言ったところだ。

 自分の存在は、人を傷つける。生きているだけで、誰かを不幸にしてしまう。これまで幾度となく、人々を不幸にしてきた。今回のこの状況も、例外ではない。

 もはや、誰の目にもとどまらない彼女は一人、帰りの支度をしていた。今日は偶々部活が休みだ。彼でも誘って、一緒に帰ろう。そして、改めて左腕について聞かないと、自分の気が済まない。

 ホームルームを終えて一人で教室を出ると、心奈は昇降口の下駄箱の戸を開けた。

「あっ…」

 途端、ひらひらと紙が一枚、静かに地面に向けて落ちていった。それを、しゃがんで手に取る。二つ折りされた、ノートの切れ端だった。この時点で既に、これが何かを察した。恐る恐る中身を広げる。

 中には一言『告白の地にて、儀式を行う』と書かれていた。

 ―告白の地…?

 過去を思い返す。告白と言えば先日、彼にあの場所でしたばかりだ。この紙は、あの裏山の事を言っているのか?

 だとしたら、急がねばならない。もちろん行きたくなどはない。だが、逆らえば何をされるか分からない。ここは、正直に従ったほうが無難だろう。儀式を行う、と書かれているのだから、いよいよ黒幕と会えるのかもしれない。そしたら、色々文句を言ってやろう。

 ブルブルと震える足を、一歩一歩ゆっくりと踏み出しながら、心奈は裏山へと向かった。


 以前、彼と一緒に登った山道を一人で歩く。やはり彼が一緒にいないと、なんとなくこの場所は心細い。

 頂上が近づくにつれて、胸の鼓動が激しさを増す。相当、自身は恐れているらしい。当然だ。平気で人を弄ぶような存在だ。恐怖の何物でもない。

 それでも、進まなくてはいけない。これからやってくる夏休みを。日々を守るために、あの紙の人物にズバッと言ってやるんだ。

 ようやく頂上が見え始めた。すると、一人の制服を着た男らしき人物が背を向けて立っているのが見えた。

 ーあれが、あの紙の…?

 段々と全身が見え始める。身長は高く、すらっとしたスポーツマン体型の男だった。その背中は、どことなく見覚えがあった。

「えっ…?」

 驚愕の声を上げた。目の前の現実を、全て否定したかった。だが現実は、男の左腕のそれがそうだと、事実を物語っていた。

「なんで?なんで…?」

 嫌だ、信じたくない。声を震わせながら、心奈は一歩一歩、彼へと近づいた。

「来たか」

 それは小さく呟くと、こちらを振り向いた。

 紛れもなく、心奈の知る真田裕人そのものだった。

「来たか…じゃないよ。どうして、ここにヒロがいるの?」

 心奈は問うた。

「何言ってんだ。呼んだからに決まってるだろ」

「呼んだって…。私は、あの紙にここに来いって言われたから来ただけで…」

「…まだ、分からないか?」

 ―分かってるよ!でも、やっぱり嫌だ…。

 心の中で叫ぶ。とうとう来てしまったのだ。また、裏切られるのだ。彼に。男に。愛する人に。

「嘘だよね?冗談だよね?またいつもみたいに、笑ってくれるんでしょ?こんな冗談、いくらヒロでも流石に笑えないよ?」

 言葉でいくら否定しても、目の前の現実は変わることはない。そんなこと分かっている。分かっていても、否定したかった。

「冗談なんかじゃないさ」

 彼は無表情にそう言うと、懐から何かを取り出した。

 ゆっくりとそれは姿を見せる。紛れもない、尖った刃を持つナイフだった。これも、あの時と同じだ。

「お前さぁ。七夕の日、返事待ってるから。って、言ったよな?これがその返事だ」

 彼が刃の先端を心奈に向ける。再びあの景色が脳内にフラッシュバックした。恐怖で足が思わず退く。

「な、なんで…?どうしちゃったの、ヒロ?」

「別にどうも。ただ、ちょっと気が変わっただけだ」

 ゆっくりと狙いを定めながら、刃は自分を狙って追いかけてくる。すぐにこの場から逃げたくても、足がすくんで一歩ずつが精いっぱいだ。

「お前、去年から嫌がらせ受けてたろ?あれ、全部俺が仕向けてたんだわ」

「っ!嘘…嘘だ!」

「嘘じゃないさ。一昨日のクラスメイトの子の教科書も、その前の日の体操服も。それ以前のやつだって、全部俺が命令してたんだよ!」

 彼が声を荒げる。目の前の現実が、きっとそういうことなのなら、それもまた嘘ではないのかもしれない。

「じゃ、じゃあなんでそんなことしたの!?私が嫌だったら、直接言えばよかったじゃない!」

「バカだな。そうやって信じ込ませてから裏切るのが、楽しみだからに決まってるだろ」

 ふと、足のかかとが何かに当たる。振り向くと既に、木の幹に背中がくっついていた。

「ひっ!?」

 目の前を銀色の何かが横切り止まる。それは、木の幹に突き刺さり、自分の頬と僅か数センチしか誤差がなかった。

「ウザかったんだよ。昔はいつも、一人じゃウジウジして何もできなかった野郎が、ちょっとこっちがヘマしただけでなんだよ?姉貴ぶりやがってよ」

 そうだった。そもそも彼との距離が縮まったのは、小学校の修学旅行の時、彼と共に崖から転げ落ちた時に、思わず彼と重ねて見てしまったことがきっかけだった。守りたいという思いが沸き上がり、彼を彼と

 同じように重ね見て接してしまった。

「そしたら今度は、いつも俺の事をバカにしやがって。人を散々コケにしてヘラヘラ笑ってよ。その度にこっちはイライラしてたんだ」

 楽しくて笑いあったり、時には怒って喧嘩したり。それが愛情なのだと思っていた。だけど、彼は違ったのかもしれない。

「そ、そんな…まさかヒロが、そう思ってるなんて思わなかったから…嫌だったなら、謝るよ…?」

「謝罪なんていらねぇよ。…今度は刺す」

「ひぃっ!?」

 彼がナイフを勢いよく抜いた。思わず恐怖で仰け反る。

 あれに切られたら、一体どれだけ痛いのだろう。一体どれほどの血が流れ出るのだろう。怖くて、怖くて。あの時と同じくただ、必死に切られないように、すくむ足で逃げた。

「もう…もうやめてよ!いつものヒロに戻ってよ!ねぇ、ヒロ!!」

 彼に向かって叫ぶ。すると同時に、目から大粒の涙があふれ出てきた。そろそろ、本当にマズい。

「何がいつもの、だよ。これが本当の俺だ。お前とは、ただ遊んでいただけだ」

「嘘だっ!ヒロ、言ったよね?俺に任せろって。必ずなんとかするって、言ってくれたよね!?」

 彼が何度も、何度もナイフを突いてくる。幸い、左腕が痛むのか、それほど勢いはなくて、足がすくんでいる心奈でも避けられた。

「そうだ。お前朝、この左腕、心配してたよなぁ?」

「えっ?あ、当たり前でしょ!?」

 そうだ。元々、その左腕が心配で、彼と話そうと思っていたのだ。

「これなぁ。昨日、隣町の野郎とケンカしてやられちまってよ。ついうっかりしちまったんだ。おかげで全然動けやしねぇ」

 ここまでくると、何が本当で何が嘘なのかが分からない。もしかしたら、この話も本当なのかもしれない。

「で、でも!やっぱりヒロがケンカなんてするわけない!ねぇ、本当のこと言ってよ!」

 悲鳴に近い声で叫んだ。

 すると彼は、諦めたようにふぅっと息を吐いた。

「…お前は、生きていて幸せか?」

「へ…?」

「やはり、お前が死ぬべきだったんじゃなかったのか?」

 冷たい目で彼が言った。

「っ…!?なんで、そのこと…」

 ―どうして今までずっと隠してきたのに、そのことを知ってるの?

 驚きを隠せない心奈に、続けて彼は言った。

「優秀だった弟を見殺しにして、自分だけ生き残って。それで楽しいか?そのくせ人見知りで、他人が怖くて、友達も作れなくていつも一人だ。孤独だ。そして今、信じてると思っていた奴に傷つけられようとしている。やはり、お前は惨めだな」

「違う…違うっ!!」

 言葉では否定した。だが、それも現実から逃れたかったからに過ぎない。結局、彼の言葉の通りなのだ。自分など、生きていても何の価値などない。

「お前がそんなんだから!父親に裏切られて、弟が身代わりになったんだよ!!」

「っ!!」

 息が詰まった。地震で揺れるかのように、思わず足元が揺らぐ。

 彼はその隙を見逃さなかった。その瞬間、思い切り彼は銀色のナイフを横に振りかぶった。

 同時に、左腕に違和感を感じる。感じたことのない痛み。燃えるような激痛が、左腕を襲った。

 見たこともない量の鉄臭いそれが、白い制服を染めていった。

「痛い…痛いよ、ヒロ…」

 やられてしまった。とうとう心奈は、その場にへたり込んでしまった。もう、どうにだってなればいい。自分なんて、そんな存在なのだから。

 彼は最後に近づくと、刃の先を頬に当てて言った。

「お前は、結局誰にも望まれていない。哀れな奴だったってことだ」

 左頬にも微かな痛みが走る。すると彼は、ナイフをその場に投げ捨て、去っていってしまった。最後に見た彼の背中は、涙でよく見られなかった。

 ―また一人に…なっちゃったな。

 惨めすぎる自分に思わず笑う。いっそのこと、ここから飛び降りようか?そんな気持ちも浮かんだ時だった。

「あははっ!超ダサい。惨めな顔が最高ね!」

 ふと、後ろの草むらから声がした。

 今度は誰だろう。恐る恐る振り向くと、そこにはまたもや見慣れた顔が立っていた。

「ごきげんよう、明月心奈。私が大嫌いな、ひとりぼっちの捨て猫ちゃん」

「来実…ちゃん」

「ちょっと、その涙でぐちゃぐちゃの気持ち悪い顔で喋らないでくれる?私の目が腐っちゃうわ」

 彼女はそう言うと、彼が捨て去ったナイフを手に取った。

「彼はね、ずっとあなたを憎んでいたの。あなたがどうしても嫌いだって言うから、今回ちょっとだけ手伝ってあげたのよ」

「あなたも…そっちだったの?」

「あら、気が付かなかった?まぁ当然よね。人の良し悪しも気づけない、ひとりぼっちの優しい猫ちゃんだものね。バカみたいに人の事を信じちゃって」

 彼女は心奈に近づき、顔を近づけて顎をクイッと持ち上げた。

「いい?心奈ちゃん。この世にはね。幸せになるべき人と、なるべきではない人がいるの。確かに私は前、あなたに恋愛について教えたわ。でも、それとはまた別よ。幸せになるべきではない人は、なるべき人にとってはただの邪魔者なのよ」

「っ、そんなこと…」

「あら、まだそんなこと言えるのかしら?彼に傷つけられて、あそこまで言われてまだ分からない?」

 彼女は立ち上がると、くるりと背を向けて言った。

「あなたはただ、自分の空いた穴を彼で自分勝手に埋めていただけ。彼の気持ちなんて考えずに、自分の都合がいいようにコントロールしていただけなのよ。勝手に告白して、自分が知りたいから強引にでも左腕の事情を聞こうとして。あなたの恋は、ただの自己満足だったのよ」

「それは…・・」

「弟だって同じでしょう?本当は、あなたが生き延びたかったから逃げた。違うかしら?」

「っ!?違う!」

「違わないわ。弟を犠牲にして生き延びて、さぞ清々したでしょうね。あなたはもう少し、自分を見つめ直したほうがいいわよ。まぁ、どうせそれでもあなたの場合、また裏切られる運命なんでしょうけど」

「あはははは!」と、不気味に彼女は笑いながら去っていった。

 すっかり陽は落ちて、周囲は暗闇に包まれた。ミシミシと森の中では、虫たちが鳴いている。今は、それにすら苛立ちを覚えた。

 未だに流れ出る左腕の血を抑えながら、心奈は一歩も歩くことができずに、ただひたすらに泣き喚いた。

 もう見ることのできない、彼の笑顔を思い返しながら。

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