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5.

バレンタインデー明けの土曜日 午後一時頃


 少女は歩いていた。

 今日は、美帆の家にお邪魔する約束なのだ。

 まさか自分が、他人の家へ遊びに行くとは。自分でも驚きだ。少し前までは、考えられなかっただろう。

 彼女の言葉には、どこか暖かくて、優しい思いが詰められている。どれだけ心をシャットアウトしていても、スッと隣に来られてしまうのだ。彼女は不思議な力を持っている。あの日以来、少女は日々の生活が、少しだけ楽になっている気がしていた。

「ねぇ、こっちであってると思う?」

 ふと、右隣を歩く彼女の声が聞こえた。

「そんなの知らないわよ。大体、なんであなたと向かわなくちゃいけないの?」

「そう言われてもさぁ…。なっち冷たいなぁ」

「な、なっち…?」

「そう!心奈だから、なっち!そう呼んでもいいよね?なんか可愛いじゃん」

「…もう、好きにして」

 少女は深いため息を吐いた。

 前日―――。

「ごめん心奈。明日なんだけどね。午前中に用事ができちゃって、駅まで迎えに行けそうにないんだぁ。午後には帰ってこられるから、先に家に入っててもらえるとありがたいんだけど」

「あら、そう?それじゃあえっと、家の場所を教えてもらっていいかしら?」

「うん、ちょっと待ってね…。あ、そうそう。それから明日、ちょっとだけだけど、香苗も来ることになったんだ」

「香苗…?それって、あのカフェの子?」

「うん。香苗は一度ウチに来たことがあるし、憶えてると思うから、香苗と一緒に来てくれるかな?」

「そう…分かったわ」

 そうして今、香苗と共に美帆の家を探しているのだが、どうにも迷子になってしまっていた。

 もう歩いて数十分になるが、全くとして到着する気配はない。

「っていうか、あなた一度行った事あるのよね?道くらい覚えておきなさいよ」

 少女は言った。

「んなこと言われてもさぁ。この辺の路地どこも道似てるでしょ?どこの道に入ればいいか分かんないって」

 香苗が困った表情で言う。

 美帆に教えてもらったのは、「黄色い看板が立ってるお店の、隣の路地裏を抜けると線路があって、そこを渡って角を右にわたると、大きい屋根の家があるから、すぐに分かるよ」とのことだったのだが…。

「ねぇ、あの黄色い看板、違うかしら?」

「えぇ!?あっちにも黄色い看板あるよ?」

「あれは色褪せてるだけで、オレンジでしょう?」

「うわーん!もうどこぉ!?」

 香苗が周りをキョロキョロ見回しながら叫んだ。

 こんな時に彼女と連絡が取れるならいいのだが、まだ数日の仲であるせいで、連絡先を交換していなかった。時既に遅し。今更ながら後悔する。

 ―連絡先…?

「そうだ、ねぇあなた。彼女に連絡すればいいんじゃない?」

 今にも泣きそうな顔の香苗に、少女は言った。

「あ、それだぁ!」

 ポンと手を叩くと、すぐさま腰のポケットからスマートフォンを取り出した香苗であったが、瞬く間に彼女の顔が濁った。

「どうかした?」

「えーっと…充電、し忘れてた。つかないや」

 えへへ、と笑う香苗。少女も流石に絶句である。

「はぁ、どうするのよ。とりあえず、一旦あなたのカフェに戻る?」

「いやぁそれが…ここ、どこだか分かんなくて」

「…冗談よね?」

「笑えたら幸せですよ」

「はぁ…」

 頼りない香苗に、少女は思わず落胆した。

「とりあえず、ここら辺なのは確かなのよね?歩いていれば、きっとあるはずよ」

「そうだね。そうしよう」

 二人は適当な路地裏の中に入ると、ひたすらに歩き続けた。

「ねぇ、なっちも美帆に声をかけられたの?」

 香苗が少女に問うた。

「そうね。最初はお節介に聞き流していたけれど、最近は、なんだかんだいい人なんだなって、思っているわ」

「ふーん、そっかぁ」

「…それが、どうかしたの?」

「うん?いや、美帆も相変わらずなんだなぁって思って。私もね、昔カフェの手伝いが上手くいかなくて、パティシエを目指すのやめようかなぁってへこんでた時があってさ。学校の窓際で、一人でボーっとしてる私に、美帆が話しかけてくれたの」

 香苗が、ニコリと笑いながら話し続ける。

「それが中学二年生の時なんだけどね。二年間同じクラスだったんだけど、それまでほとんど話したことがなかったくせに、『困ったら頼っていいんだよ』って言ってきて。普通に見たら、ただの変人だよね」

「ふふ、昔からなのね。あの子」

「でも、不思議と悪く思えないんだよね。美帆って」

「…そうね。なんだか、いつの間にか隣にいる感じで、昔から友達だったみたいに、スッと本音を言えちゃうのよね」

 みんなの母のような存在。彼女に言われると、何故かなんでもできるように思えてしまうのだ。例えるなら、みんなを引っ張るアニメの主人公的存在である。

「それで、その時からずっと今も?」

「うん。いつの間にか仲よくなっちゃって、今では親友かな」

「親友、か。羨ましいわね」

 親友。少女はふと、昔仲がよかった彼女の顔を思い浮かべた。

 彼女は今、どこで何で何をしているだろう?思い出して、つい一人でほほ笑んだ。

「そう?私は美帆となっち、結構いいコンビだと思うよ?」

「そうかしら?」

「うん!」

 香苗が笑顔を見せた。

 ―いいコンビ、か。

 …親友。

 少女は香苗に、軽い笑みを浮かべた。

 それからまた数十分。二人は路地裏を歩いていたのだが、一向に線路を見つけられなかった。

 それどころか、最初の駅の方向すら全く分からなくなってしまったのだ。

「あー、もう疲れたぁ。少し休もう?」

 香苗が腰の位置にある塀にぐったりと座った。

「情けないわね…。分かったわ。私が誰かに駅の場所聞いてくる。ここで待っててちょうだい」

「ごめんねぇ、気を付けてね」

 少女はそう香苗に言うと、どこかに場所を聞ける人物がいないか、周りを歩き始めた。

 一人、路地を歩く。

 人通りが無く、静かな道だった。偶に遠くから、電車が通る音が聞こえる。それがなんだか心地よかった。

 落ち着いた雰囲気は嫌いじゃない。だが、静かな場所にいると、自然と嫌なことが気持ちに浮かびあがってくる。だからといって、うるさい場所が好きなわけでもない。彼女が芯から心安らぐ場所はどこにもなかった。

「・・ん…った、今から・・ね…」

 ふと、目の前の左の路地から女性の声が聞こえた。ちょうどいい、彼女に聞くとしよう。

 少女は左の路地へ曲がろうとした。

「中田君は、もう陽子と?」

「えっ?」

 言葉が漏れた。

「…ん?」

 目の前の彼女と対峙した。

 それは見覚えのある顔であった。

 数年前より少し大人び、より可愛らしさが増していたその顔が、自分と目が合った。

「…心…奈?」

 彼女のスピーカーから、「玲奈?」という男性の声が聞こえてきた。その声によって、少女は確信した。

 刹那のこう着…。

「っ!」

 少女は後方に走った。幸い今日はスニーカーを履いてきたから走りやすい。ズボンもハーフパンツでよかった。今日は幸いだらけだ。

 背中から彼女の声がする。嫌だ、聞きたくない。自分を呼ぶな、呼ばないでくれ。

 急いで右の路地に曲がる。まだ彼女の声がした。仕方ない、どこかに隠れよう。

 少女はアパートの塀を急いで飛び越えると、静かに身を隠した。

 息を潜める。酸素を欲している体を、必死に抑える。

 近くで足音がした。

「あれ…?どこ行っちゃったのかな?今の、心奈だよね…?」

 彼女の足音は目の前を通り過ぎ、やがて聞こえなくなった。

 安堵の息を漏らすと、少女はゆっくりと周囲を見回しながら立ち上がった。

 ―なんで、ここに彼女が?

 真っ先に浮かんだ疑問だった。

 この辺りは、彼女たちの地区外のはず。しかもこんな路地裏だ。出会うことなんて…。

 だがそう思ったのも僅かである。そうだ、彼女たちだって高校生なのだ。行動範囲が昔より広がっていてもおかしくない。

 これまで誰とも出会わなかったことが偶然なだけだったのだ。最悪、彼と出くわす可能性だってあるのだから。

 少女は、改めて気を引き締めなおすと、一旦戻るために香苗が待っている場所へと歩きだした。


「嘘!美帆ってお嬢様だったの?」

「あれ、聞いてなかったの?美帆は世界的に有名な宝木グループの娘さんなんだよ?ここも、まだまだ小さいほうで、美帆が生活するために作られた家なんだよ」

 宝木グループの名前は、もちろん少女も知っている。少女達の地元から少し離れた町に本社があり、様々な分野への産業を行っている世界的グループだ。そこの娘だというのだから、相当なお金持ちなのだろう。

「そうなの。意外すぎて驚きね」

「まぁ、確かに美帆はお嬢様って雰囲気ないもんねぇ。結構がさつでおっちょこちょいだし」

「ふふ、そうね。この間、あなたのカフェに行った時のあの子の食べっぷりは特に凄かったわ」

「ね!美帆ったら、女の子のくせに凄く食欲旺盛だしさぁ…」

 江戸時代にありそうな、瓦屋根の塀でできた入り口に、行書体で「宝木」と書かれた大きな名札がお出迎えしてくれた。

 二人がようやく彼女の家に着いたのは、それから三十分ほど後だった。

 見えてきたのは、大きすぎる瓦屋根の和風な家だった。

 庭も広く、大体サッカーグラウンドが作れる広さで、池には鯉も泳いでいた。

 竹々に迎えられて敷地の中に入ると、ちょうど駐車場に停められていた車の中から、普段と違い、メイクをしている美帆が降りてきた。

「あ、ちょうど来たんだ。いらっしゃい」

 彼女は歓迎の表情で微笑んだ。

「いよっ!美帆!お仕事?」

「うん。雑誌の写真撮影」

「ざ、雑誌?」

 少女はポカンと口を開いた。

「そっか、心奈にはまだなーんにも話してなかったね」

 そう言うと、美帆はトートバッグから、一冊の雑誌を取り出した。

「実は私、モデルをやってるんだ。まだまだひよっこだけどね」

「も、モデル?嘘、そんなことしてたのね…」

 手渡された雑誌の一番後ろのページに、ページ半分くらいの大きさの写真に、メイクをした美帆が写っていた。確かに、載っている場所や大きさからして、まだまだこれからと言うべきなのだろう。

「従妹のご両親が、ハリウッド俳優でね。そのツテで、モデルの仕事をやってみないかって言われて、半年前からやってるんだぁ」

「へぇ…って、ハリウッド俳優!?」

 少女は大きく驚きの声を上げた。

「まぁ、プライバシーだから誰とは言えないけど。最近は、私も仕事が増えてきて大変なんだよね」

「そうなの…。もう、そんな大事なことは先に教えてくれてもいいじゃない」

「あはは、ごめんね。でもまぁ、心奈風に言うなら…聞かれなかった、かな」

 美帆が言うと、香苗と美帆がクスクスと笑い合った。

「何よそれ」

「ふふ、まぁそれはよしとして。中に入ろっか」

「だね!入ろ入ろ!」

 そう言い合うと、美帆と香苗が歩きだした。その笑顔は、とても幸せそうだった。

 ―…友達、か。私もここからまた、イチからスタートすればいいのかな?

 二人の背中を見て、少女は思った。

 ふと、さっき逃げてきた彼女の顔が脳裏に浮かんだが、少女はそれをかき消した。

「ん?心奈ー、行くよー」

 美帆が振り返り、少女の名を呼んだ。

「はいはい、今行きますよ」

 面倒くさそうに返事をする少女は、自然と笑顔を見せていた。

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