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アマガタリ  作者: ひよりの
第一章
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アサ




 霧《きり》は低《ひく》く垂《た》れこめ、村《むら》の屋根《やね》をひとつの白《しろ》い塊《かたまり》のように包《つつ》んでいる。


 茅《かや》で葺《ふ》かれた低《ひく》い屋《や》がいくつも寄《よ》り添《そ》うように並《なら》び、その間《あいだ》に踏《ふ》み固《かた》められた道《みち》が走《はし》っていた。


 湿《しめ》った土《つち》の匂《にお》いが、まだ朝《あさ》の眠《ねむ》りの残《のこ》る空気《くうき》の中《なか》に沈《しず》んでいる。



 ――どこかで、音《おと》がした。


 木《き》と土《つち》とが触《ふ》れ合《あ》う、鈍《にぶ》い響《ひび》きだった。



 少女《しょうじょ》アサは、裸足《はだし》のまま戸口《とぐち》に立《た》っていた。 


 年《とし》の頃《ころ》は十《とお》ほど。


 髪《かみ》は幾《いく》つかに分《わ》けて結《むす》ばれ、細縄《ほそなわ》で留《と》められているが、その結《むす》びは粗《あら》く、どこか子《こ》どもらしい雑《ざつ》さが残《のこ》っている。


 頬《ほお》にはまだ丸《まる》みがあり、耳元《みみもと》では小《ちい》さな骨《ほね》の飾《かざ》りが軽《かる》く揺《ゆ》れていた。


 その表情《ひょうじょう》はおとなしく、まるで声《こえ》を出《だ》すことを忘《わす》れてしまったように静《しず》かだった。



 子《こ》どもは、この村《むら》にアサひとりしかいない。


 年寄《としよ》りは畑《はたけ》へ出《で》る。


 女《おんな》たちは水《みず》を汲《く》み、男《おとこ》たちは山《やま》や野《の》へ散《ち》っていく。


 誰《だれ》も彼女《かのじょ》を呼《よ》ばず、誰《だれ》も彼女《かのじょ》を求《もと》めない。


 ただ、時間《じかん》の中《なか》に置《お》きざりにされているようだった。




 アサは、村外《むらはず》れの森《もり》へ向《む》かうのが好《す》きだった。


 木々(きぎ)の隙間《すきま》を抜《ぬ》け、落《お》ち葉《ば》を踏《ふ》みしめながら奥《おく》へ進《すす》む。


 やがて、巨大《きょだい》な岩《いわ》が現《あらわ》れる。


 その場所《ばしょ》では、鳥《とり》の声《こえ》も虫《むし》の羽音《はおと》も遠《とお》い。 


 森全体《もりぜんたい》が、息《いき》を潜《ひそ》めているようだった。


 岩肌《いわはだ》は乾《かわ》いた褐色《かっしょく》を帯《お》び、長《なが》い歳月《さいげつ》に削《けず》られたざらつきが無数《むすう》の陰影《いんえい》を生《う》んでいる。


 その荒《あ》れた地《ち》の上《うえ》に、異様《いよう》なほど整《ととの》った紋様《もんよう》が刻《きざ》まれていた。



 幾重《いくえ》にも重《かさ》なる弧状《こじょう》の線《せん》。


 渦《うず》。


 円《えん》。


 流《なが》れるような刻線《こくせん》。


 ひと言《こと》でいえば――炎《ほのお》に似《に》ていた。


 溝《みぞ》の内側《うちがわ》には、鈍《にぶ》い朱《あか》が沈《しず》んでいる。


 鉄分《てつぶん》か、あるいは塗《ぬ》り込《こ》められた顔料《がんりょう》か。


 だがアサには、時折《ときおり》それが血《ち》のように見《み》えた。


 斜《なな》めから光《ひかり》が差《さ》すと、紋様《もんよう》は一瞬《いっしゅん》だけ赤《あか》く浮《う》かび上《あ》がる。


 まるで岩《いわ》そのものが目《め》を覚《さ》ますように。


 視線《しせん》は自然《しぜん》と中心《ちゅうしん》へ導《みちび》かれ、また外《そと》へ押《お》し戻《もど》される。



 呼《よ》び込《こ》み。 


 閉《と》じ込《こ》め。


 循環《じゅんかん》させる。


 そんな意志《いし》が、紋様《もんよう》の中《なか》にはあった。



 アサは岩《いわ》に手《て》を触《ふ》れる。


 冷《つめ》たい。


 けれど、その奥《おく》で微《かす》かに脈打《みゃくう》つものがある気《き》がした。


 怖《こわ》い、とは少《すこ》し違《ちが》う。


 呼《よ》ばれている。


 そんな感覚《かんかく》だった。



 アサは退屈《たいくつ》という言葉《ことば》を知《し》らなかった。


 だが、胸《むね》の奥《おく》には、いつも薄《うす》く広《ひろ》がる空白《くうはく》があった。




 ◇




 その空白《くうはく》に、ある日《ひ》、ひとりの男《おとこ》が入《はい》ってきた。 


 男《おとこ》は投馬国《とうまこく》から来《き》た行商人《ぎょうしょうにん》で、ミナギと名乗《なの》った。


 背《せ》には編《あ》み籠《かご》。


 衣《ころも》には、この土地《とち》では見慣《みな》れぬ織《お》りの文様《もんよう》が走《はし》っている。




 投馬国《とうまこく》――



 海《うみ》にひらけ、遠《とお》い国《くに》の言葉《ことば》や品《しな》が流《なが》れ着《つ》く場所《ばしょ》だと、村人《むらびと》たちは噂《うわさ》していた。



 アサは、その男《おとこ》を見《み》た。


 年《とし》の頃《ころ》は十六《じゅうろく》、七《しち》ほど。


 浅黒《あさぐろ》い肌《はだ》。


 髪《かみ》は後《うし》ろで束《たば》ねられ、耳《みみ》には濃《こ》い青《あお》の勾玉《まがたま》が揺《ゆ》れている。


 衣《ころも》は簡素《かんそ》だった。


 だが身《み》のこなしは軽《かる》く、旅慣《たびな》れた者《もの》の空気《くうき》を纏《まと》っている。


 商人《しょうにん》らしい穏《おだ》やかな笑《え》み。


 整《ととの》った顔立《かおだ》ち。


 けれど、その目《め》だけは妙《みょう》に鋭《するど》く、澄《す》みきっていた。



 ――その時《とき》。


 ミナギの視線《しせん》が、不意《ふい》にアサを捉《とら》えた。


 群《む》れの中《なか》から、真《ま》っ直《す》ぐに抜《ぬ》けてくるように。



 アサは動《うご》けなかった。


 目《め》が合《あ》う。


 その瞬間《しゅんかん》。


 ミナギの瞳《ひとみ》に、ごく僅《わず》かな驚《おどろ》きが走《はし》ったように見《み》えた。



 ――まるで。


 探《さが》していたものを見《み》つけたかのような目《め》だった。 



 やがてミナギは何事《なにごと》もなかったように視線《しせん》を外《はず》し、再《ふたた》び村人《むらびと》たちへ向《む》き直《なお》る。


 だが、アサの胸《むね》には、まだその感触《かんしょく》が残《のこ》っていた。


 籠《かご》の中《なか》には、小《ちい》さな石《いし》や骨《ほね》、乾《かわ》いた薬草《やくそう》、磨《みが》かれた玉《たま》が入《はい》っている。


 この村《むら》では見《み》ぬ硬《かた》い青石《あおいし》や、黒《くろ》く光《ひか》る薄刃《うすは》の石《いし》も混《ま》じっていた。


 村人《むらびと》たちは彼《かれ》を囲《かこ》み、品《しな》を眺《なが》める。


 だがその視線《しせん》は、品《しな》よりも男自身《おとこじしん》へ向《む》けられていた。



「呪《まじな》い師《し》だ」



 誰《だれ》かが低《ひく》く呟《つぶや》く。


 空気《くうき》が、わずかにざわついた。


 恐《おそ》れと好奇心《こうきしん》が入《い》り混《ま》じる。


 その中《なか》で、ミナギだけが微動《びどう》だにしなかった。


 静《しず》かなのに、妙《みょう》に目《め》を離《はな》せない。



 ――やがて、年寄《としよ》りのひとりが言《い》った。



「しばらく様子《ようす》を見《み》る。役《やく》に立《た》つなら置《お》いてやろう」



 それで決《き》まりになった。




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フル字幕が教科書っぽくて好きです♡
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