ええと、半分こ、してもいいですか?
メールでもなく電話でもなく、直接会えるというのは特別だと思う。
離れている時間もあるからこそ、相手のことを大切だと感じるのだとも思うけれど。
それでも、思い掛けなく時間が出来て、予定外に会いたいと言われることはどこかソワソワと心躍るものだ。
それが今まさにアツアツの恋人だったら、尚更だ。
言い古された実に陳腐な言い回しだけど。
そう。私は今、実にホットな感じの恋をしているのだ。
それこそ私史上、初の浮かれ具合だ。
片想いでも勝手に想いを寄せられるわけでもなく、両想いなのだ。
この熱量がずっと続くなんて思っていない。
相手の存在が日常になるにつれて、ゆっくりと燃え尽きる炭のように、この熱量は心の深くで燻る火のように変わっていくのだろう。
それでも、その存在が私の心を温め続けてくれるなら。
私はもう二度と、絶望に凍り付いて立ち尽くしたりしなくていいと思えるから。
どうかどうか。
私を、離さないでいて。
エントランスロビーは明らかにお見合いの人たちが待ち合わせをしているからという理由で、地下の入り口に飾られているツリーの前で待ち合わせをする。
今日は12月目前の平日で、だから常よりは随分とそういう微妙な距離感のカップルの姿も少ないのだけれど。
それでも、結果的にロビー併設の喫茶に入ってしまえば周り中がお見合いのカップルだらけなのは変わらない。
まぁ、それでも、お見合いの相手を探す人が原嶋さんに見惚れるという光景を避けることが出来ればそれで構わないのだ。
自分自身でも分かっていたことだけど、何となく、本人が気にしていなくても他の女性が自分の彼氏を品定めしている光景は心穏やかではいられないのだから、私もいい加減現金だとは思う。
でも、仕方ないじゃない!
嫌なものは嫌なんだから!!
「あ、柾志さん。え、早いですね。私の方が絶対先だと思ったのに」
「うん。楽しみ過ぎて早く着き過ぎちゃったんだよね。だから、気にしないで?」
ちょっとだけ苦笑を含んだ笑みを浮かべる原嶋さんの表情には嘘がなさそうで、その内容に思わず瞬きを繰り返す。
寒さとは違う理由で、頬が赤みを増す。
その言い方、ズルい。
もう、何でも許したくなる!
「予約までちょっと時間があるから、そこの本屋さんでも覗く?」
しかも、周辺の情報を把握していてピンポイントで私の好みを鷲掴んで来るとか。
本の虫に本屋デートを提案とか、どういう暴挙ですか?
そんな隙間時間で完了する訳ないでしょう!
そんな私の心の叫びをすべて把握したかのように、腕時計を見た原嶋さんの唇が弧を描く。
「俺、タイムキーパーは得意分野だから」
「それでも、ダメです。私、今は柾志さんと限定のケーキの方が大事ですから」
思わず必要以上に力が入って、首を振って力説した私に原嶋さんの片眉がヒョイッと上がる。
葛藤している私を面白そうに見る原嶋さんが、少しだけ身をかがめて私の顔を覗き込む。
「ふぅん。そう?」
たったそれだけの言葉に、翻弄される。
良い歳して自分でも困惑するぐらい、頬に熱が集まっていく。
キュン死したら責任取ってください!
ホント、勘弁してー。
「まぁ、いいや。俺としてはこうやって時間を使う方が有意義だしね」
それは、主に私を弄ぶっていう時間の使い方と解釈してもよろしいでしょうか?
少し前だったらそんな風に強気に聞き返せていた言葉が、喉に引っ掛かって出て来なくなる。
ああ、本当に困った。
どうしようもないぐらいに、私は今恋をしているらしい。
取り繕いを放棄した私の呆けた表情を目にした原嶋さんが、僅かに目を逸らして空咳をする。
「そのワンピースも、似合ってるね」
この前の反省を生かしてちょっとクラシカルな詰襟のワンピースを選んだ私の気持ちを知ってか知らずか、原嶋さんが褒める。
クリスマスカラーというには大分抑えた色味だけれど、茶と緑を基調にした大き目のチェックのワンピースは袖口と襟がベルベットでどことなく温かそうに見えるはずだ。
「ありがとうございます。柾志さんのジャケット、私のワンピースと同じような色味なんですね」
見れば原嶋さんのジャケットも同じような色味のチェックで、その上、皮の肘あてがつけられている少しばかりおしゃれな作りで、そのセンスの良さに相変わらず痺れる。
私は紳士服はおろか婦人服さえ分からないおしゃれ弱者だけど、物の良し悪しとその人が身に着けているもののセンスぐらいは分かるのだ。
「うん。偶然とはいえどちらもイングリッシュスタイルかな」
照れたように笑う原嶋さんに、心臓を撃ち抜かれる。
どうしよう、ケーキを食べる前から甘い。甘い、空気が甘すぎる。
嫌じゃないけど、ぜんっぜん嫌じゃないけど、それでも激甘です。
うちの彼氏様が尊甘劇死ぬ……。
ごめんなさい、むしろ私の理性と語彙力が瀕死です。
〇心! 救〇が必要です!!
動機と息切れと気付けが……っ。
ダメだ、混乱しすぎて何かが間違っているんだが、私の存在以外の何が間違っているのかがわからない。
「あ、そろそろ時間だね。行こう」
顔面が崩れる勢いで百面相をしているに違いない私を、笑いを含んだ声で原嶋さんが促す。
さり気なく取られた手の温もりに、自分の心臓が指先に移動してしまったような気分になる。
あああ、意識したら負けなヤツだ。
分かってる、分かってるけど。
涼しい顔で前を歩く原嶋さんの耳が、僅かに赤くなっている。
そのことに妙に嬉しくなって、雑多な視線とか関係ない誰かのことが気にならなくなってしまったのだから、原嶋さんの威力は相変わらず破壊力絶大だ。
「年末入る前に休んどけって言われて急遽休み決めたけど、予定空けてくれてありがとう」
そうなのだ。これでも12月の怒涛の忙しさが来る合間の平日。
そして、周りにはクリスマス前にお相手を確保しようと頑張り中の男女が、何とも言えない熱気を発しながらデート中だから笑える。
もちろん、一歩抜きん出ている立場の私だから彼らを涼しい顔して笑いながら見物出来るのであって、我ながらなかなかに性格が悪いと思う。
「いえいえ、ちょうど面接の予定も入ってなかったので、プー太郎としては柾志さん以上の最優先はないので大丈夫です」
照れ隠しにわざわざ鹿爪らしい口調を作り、手のひらをかざして力説する私を微笑ましそうに原嶋さんは見つめる。
「うん、彼氏特権って素晴らしいね」
クスクス笑いながら落とされた爆弾発言に、私の心の中の何かが爆竹よろしく誘爆する。
凄い破壊力だな。
私はもう、すでに死に体ですけど。
頭が回らないので、切実に糖分が欲しい。
いや、むしろリラックス効果の高いハーブティーが必要かも。
「俺はオリジナルブレンドと、このブラックフォレストケーキにしようかな。優さんは?」
「私はルイボスカモミールティーとメリーベリーピスターシュで」
私の頭の中で何かが爆発していても現実は滞りなく過ぎ去っているもので、給仕の人は顔色ひとつ変えることなく席に私たちを案内し、注文を取り、テーブルをセッティングすると流れるような仕草で去っていった。
プロって凄いなぁ。
明らかにお見合いって感じのあっちとかこっちのどことなく距離感のあるカップルにも、私みたいな挙動不審な不審人物モドキにも動揺することなく仕事を進めていくとか。
流石です。
「で、優さん。俺はダークチェリーとくるみがたっぷり入った程よくビターでお酒もしっかり効いた超濃厚なブラックフォレストケーキを注文した訳だけど、どうしたい?」
心の中でイイネを劇押ししながら給仕のお兄さんを見送った私の視線を取り戻そうと、目の前で原嶋さんが強めの圧を送って来る。
やばいやばいやばい、俺を見ろっていう圧とかご褒美ですか! ありがとう!!
心の声をひとかけらも漏らさないように必死に飲み込んだ自分を、心から賞賛したい。
だけど。
「ええと、半分こ、してもいいですか? どっちも食べてみたいので」
何を隠そう、私は下戸だがお酒のたっぷり効いたケーキが大好物なのだ。
ブランデーもウィスキーも焼酎もひと口だって飲めやしないが、それを使ったシロップがたっぷり染み込んだケーキは大好物なのだ。
そのせいで、基本ビターで濃厚なチョコレートケーキは食べないが、お酒が効いている上に好物のベリーとナッツが入っていれば食べる。
恐らく間違いなく、それはもうお代わりしそうな勢いで、食べるのだ。
自分でもこの嗜好の理由なんて知らないけれど。
思わず上目遣いであざとくお願いしてしまった自分に、震える。
間違いなく今の私は煩悩と食欲の奴隷だ。
ダメ人間でごめんなさい。
「あー。可愛いから、許す」
「ヤッタ!」
何を許されたのかは知らないが、思わず小さく拳を握ってガッツポーズした私に、原嶋さんのご機嫌がなぜか上昇する。
だけど、その瞬間、私の携帯のバイブが鳴り出す。
「あ、母からです」
「急ぎだろうから、行ってきなよ。待ってるから」
今日誰とどこで会っているか、全てを把握している母からの連絡は間違いなく、緊急のはずだ。
眉を寄せた私に、朗らかな笑顔で原嶋さんが手を振る。
「ごめんなさい。すぐ、戻りますから」
慌てて席を外した私を待っていたのは、衝撃の連絡だった。
「ごめんね、急に連絡入れて。実は、今度面接予定の事務所から急に連絡があって、代表の方から今日これから来られないかって。あちらまで行くとなると時間が必要だから、15時ぐらいならとお伝えしたんだけど」
時計を見て、私はため息を吐く。
時計の針が指している時間は11時。これからケーキを何とか詰め込んで家に帰り、着替えて出直してギリギリの時刻だ。
何という、最悪な無茶振りだ。
人のデートを邪魔するなど、馬に蹴られる案件でしょ。
「……断る選択肢はなさそうね。ありがとう、お母さん。柾志さんにはちゃんと説明して分かってもらうから」
「うん。何か私が出来ること、ある?」
「今日お父さんが帰ってきたら、もう一度先方の詳細情報聞き出したいから協力して」
感情を抑えた私の言葉に込められた怒りに、母は小さく息を吐く。
「わかった。あの、気を付けて、帰って来なさいよ。原嶋さんによろしくね」
「はーい、ありがとう。じゃあね」
声を整えて、平静を装って電話を切った私は込められるだけの怨念を込めて携帯を握り締める。
どういう奴だか知らないが、全身の毛という毛が丸ハゲになればいいと思う。
「どう考えても、嫌な予感しかしないんだよなぁ」
私は沈んでいく気持ちを抱えて、足取り重くテーブルへ戻る。
更に憂鬱な事態に、この後巻き込まれることも知らずに。




