59:比々乃 ソラの殺意論
《11:05/校舎前》
「比々乃君君の言う哲学って、それは何かな?」
「だから、殺意についてだよ」
「……殺意」
僕は言葉を詰まらせる、意味は知っているのにどうしても、それを体現するのは難しいとわかっていた。
「知ったところでどうなるっていうの?」
僕は遠巻きにこの話題を忌避する言葉を選ぶ。
「え〜、だって佐藤くんのそれって『殺意』が絡んでいるんでしょ? でもキミはそれを発揮できないでいる。これはね、ソラくんの勘だけど」
「勘ねぇ。比々乃君には申し訳ないけど、僕にはその気持ちを持ち合わせていないんだ」「持ち合わせていない。それはどういうことかな?」
「そうだね。僕は『殺意』の意味を理解できないんだ。あぁこれは、言葉の意味ではなくて、それがどういう気持ちなのかってね」
僕の言葉に比々乃君は腕を組んで「う~ん」と言いながらあぐねる。それにしても相変わらず季節外れのコートだなと思ってしまった。
「ふぅん、なるほどね。その答えを出しているということは、キミなりに々と考えていたのかな?」
「ご明察の通り。少なくとも分かったのは怒りとは違うのかなってことだね」
比々乃君はややあってから話す。
「大事だよ、そういう視点。これはあくまでソラくんなりの考え方と思って聞いてほしいな。少なくとも殺意は喜怒哀楽という大きなカテゴリの外にある特異的なものだと思うんだ」
特異的なもの。僕はその言葉に驚き、オウム返しするが彼は続ける。
「殺意のある人って、つまりは誰かを殺したいって明確な矢印があるでしょ。まあ『誰でもいいから殺したい』なんて言葉もあるけれどさ、それにしたって、基本的にそのベクトルがコロコにとすげ変わるわけではないよね」
「それはまぁ……確かに」
僕の頭では一般論と過去に蓄積した創作物の情報を合致させている。不思議とこの中に「自分」と照らし合わせることが難しいと思ったからだ。
そして先ほどからじわりじわりと頭が痛くなっている。まるで何か強いもので締め付けられているようなそんな心地だ。「それ以上、そのことを考えるな」と言わんばかりに僕の頭はひたすら「◆◆」という言葉を拒絶しているように感じた。
比々乃君は話を続ける。
「そしてその矢印に向けて行う行動は突発性ないし計画性、どちらにも転がってしまう。そしてその感情を発散すると、それは消えるものだ」
「消える?……あぁ、そっか。殺したいという気持ちは、殺してしまえばもうどうってこともない感情になってしまうのだね。余韻がないというべきなのかな」
「余韻がない。いい言葉だね、その通りだよ。こっからはソラくんの仮説ね。キミの持つナイフはそんな感情を流し込めば刃が伸びるものだと思うんだ。そうだね、佐藤君が電力源でナイフは……家電、なんでもいい」
「それはつまり…僕の感情をエネルギーにして動くということだね?」
「そのとーり!ごめんね、説明下手で」
「ううん。十分伝わる。でも、そうだとして、このナイフに何も起きないのは僕からそのエネルギ一源が出ていないということに変わりないじゃないか?」
「誠に残念ながらね……」
「ハハッ」
僕は思わず苦笑いを浮かべる。そんな詰みな状況で何ができようかと。
「ここまで話して、じゃあ僕はこのナイフを使えないに等しいじゃないか」
「う~ん、どうだろう。それはキミのナイフが答えてくれるんじゃないかな?」
「それはどういう……いや、ごめん。今はそこまで考えたくないな、僕は帰るよ」
頭痛が悪化している。比々乃君の前で何とかとりつくろえているか疑問だが、会話を続けるに限界を感じてしまった。僕は目の前の寮を目指した。それはもう逃げるようなものだった。
今は考えれば考えるほど、頭が痛む、疼く。あらゆることを拒みたくなるほどだった。
「そのナイフが使える日が来るといいね」
比々乃君はそう言う。これに関しては異論がなかった。それもそうだ。だって今日だけでも十分に与えられている人たちの力を目の当たりにしたのだから、僕にもそれを使える日が来てもおかしくないのだから。持ち腐れというディスアドバンテージが早く解消すればどれほど楽かと思いもする。
「本当にね」
そんな思いをたった数文字置いて去った。今は部屋に戻って横になろう。頭痛薬…無いか、諦めて睡眠療法で誤魔化そう。
*****
「そうですかそうですか……」
そういいながらソラはカバンからリンコを一つ取り出し、そのまま齧る。シャリ、シャキ、新鮮さのある音がグランド内に鳴る。
「わっかりやすく苦しんでいる。てことはやっぱり完全には解けていないということかな? 解けたらあのナイフもちゃんと使えるのだろうなあ〜」
その頬張りはいつになく勢いがあった。
そんなソラを遠くから眺めているのは―――松本 アスカだった。
校舎2階の玄関側は都合よく校門までの道を眺めることができる。ただし、そこで二人がどのような会話をていたのかを聞き取ることはできなかった。
(佐藤君と比々乃君……引き合ってはいけない気がすると推測するが、どうだ?)
それは心の内で、自問自答。答えるものはいないため沈黙に終わるものだった。
(佐藤君があそこまで苦しそうにしているのは初めて見たな。今朝からは普通だったのに今の会話で急に……説明できないことも多く、にわかにじがたいこともあるが、やはり私の仮説は捨てきれないということね)
アスカは静かに校舎の窓から消えていった。




