…11 稽古
紫野は体を治し、その祝いの席で正式に俺を相棒として指名した。
あれから幾つもの春と冬が過ぎた。
俺は気合いと才能で(根性なんて言葉はいらねえ)舞手としての振る舞いを覚え、今では紫野をリードする立場となった。もちろん、俺は男手。紫野は女手に移った。(逆のままだったら恐いよな)
でも元々男手だった紫野は女手の動きを熟知しているので、この変更は実にスムーズであり、大正解だった。……特に俺にとっては。
祭での〝遊び〟とはいえ、紫野みたいな美女を手に抱けるっていうのは男としてもう最高つーか、やばいつーか。……いや、実は結構緊張した。これでも俺はまだ初な小学生だったもので。
「今年も咲かんか」
名倉の爺さんは桜の枝に手をかけた。今年はようやく蕾をつけたというのに、咲かないまましぼみ始めている。
千久楽は風によって守られた。しかし、地球規模の寒冷化は避けられない。
俺は爺さんの教える道場で稽古していた。普通の稽古が終わった後の特別稽古——俺と紫野の一対一。
俺の背はだいぶ伸びた。小6で168。紫野に追いついた。不利はない。だが紫野は見事な体さばきで俺の打突を次々とかわす。それでいて全く隙がない。更に上段に構え、牽制する。まさに威風堂々。
ーーやっぱこいつ強え。
女とか男とか関係なしに紫野は強い。とは言っても俺もそれなりに上達していた。手こずったが、やっとのことで小手を取った。小手が精一杯だ。
「那由他、強くなったな。ただ、まだ右に力が入ってる」
「あ? ホントか?」
「うむ。那由他、お主が上達したのは、こうして常に熟練した相手がおるからじゃ」
爺さんの笑顔に紫野はかすかに俯いた。
「いえ、先生の指導が的確だから……私はわずかな時間、刀を交えるにすぎません」
「ほっほ。まあ恥ずかしがらずとも。紫野や、お主は那由他のことをよく見ておる。それはちゃんと伝わるもの。この子がこれほどに熱心なのは儂でなく、お主を前に見据えるからじゃて」
俺は座って水を補給していた。飲みながら、紫野の頬に花びらが散るのをぼうっと眺めていた。
その時。後ろからトタトタと足音がした。
「なー……」
「……ん?」
「なーにー!」
いきなり背中に突進してきたのは、見覚えのある3才児だ。
「聡、お前……あれ? 一人か?」
道場の扉から普段着の宮司が顔を出した。
「こら、聡。勝手に上がり込んじゃだめだよ。……すみません、名倉先生。天気がいいので息子をおぶって来たのですが、下ろした途端……ほら聡、なーにぃから離れなさい!」
「いーよ宮司。ほぅら聡、お前コレ好きだろ?」
小さな聡を抱き上げてから両手で高く持ち上げる。案の定、聡は足をばたつかせて喜んだ。
生まれた時はキューピーそっくりだったけど、髪も増えてふさふさと緩くウェーブしてる。大きくなったよな。コイツも。
「那由他いつも済まない。うちの子の相手を」
「いいって。コイツの頭にさわるの好きだし」
宮司がたちまち相好を崩した。
「ハハ。母親に似たんだ」
「で、宮司。何かご用か?」
名倉の爺さんの手前、宮司は慌てて背中の荷物を降ろした。そいや昔、宮司も爺さんに習ってたらしい。
「そうそう、修復した刀を……さっき届いたものですから、早速と思いまして。もう祭まで日がないですし」
「おおそうか、それはわざわざ……」
「なんだー、言ってくれればオレ取りに行くのに」
「那由他にはいつも頼んでしまってるからね。いやすっかりお邪魔してしまって……どうぞ続けて下さい」
お辞儀をすると、では、と言って宮司親子は帰っていった。
「すごいな那由他は」
「あ?」
「面倒見がいい。」
「……そうか?」
頷くと紫野は手ぬぐいを取って汗をぬぐう。
「私にも年の離れた妹達がいる。とても可愛い。だけど……いざ目の前にするとどうしていいか分からなくなる。子供、苦手なんだ」
開けた扉から風が舞込んだ。まだゆるみのない風だ。
「今はそうでも、紫野だって将来嫁に行って子供産めばそれなりになるんじゃね?」
「……私に産めるか分からない」
「紫野?」
風が紫野の髪をかき乱す。キレイな横顔を隠すように。小さい頃は近寄り難かったけど、こうして打ち解けるとそうでもない。舞で組んでもう長いからな。
でも、紫野はもうすぐ18になる。舞手を降りなければならない。
俺はどうしてその時気づかなかったんだろう。紫野が舞手を満年齢で降りることに。そのことが意味することを。




