…10 手当
本当に宮司が言った通りになった。世界が放射能汚染で悲惨な状況にある中、千久楽は以前と何一つ変わらない。平和そのものだった。
それは静かな滅びだった、と思う。次々と流れ込んでくる暗いニュース。何万人死んだとか、シェルターに入るための紛争が起きてるとか。家畜が倒れ、農作物も放射能を含んでいる。たちまちに食料危機に陥った。
守られた、っていうのを初めて実感した出来事だった。風という目には見えない絶大な力によって。
だから大人達は祭をする。子供を飾り、囃し立てては風を慰め、その力にすがろうとする。
千久楽にいる限り子供は籠の鳥。その運命から逃げられずに。
ひねくれてるか? けど守られるにはそれなりの代償がいる。今回その代償になったのはーー紫野だった。
糸を紡いで一週間、紫野は床に伏せていた。千久楽では、安泰を手放しで喜ぶやつもいる中、集会所の奥の間で一人苦しんでいる。見舞いを断ったのはあいつ自身。けど……俺はこっそり侵入した。じっとしてるなんて出来る訳なかった。
紫野は布団を被っていた。でも体の後ろ側は布団が掛かっていない。紫野らしからぬ間抜けな光景だ。
そして、襟足から見える紫野の背中には、あの流紋が浮かび上がって見えた。
やっぱり引き返そうかと思った。俺が来て何が出来る? って。でも次の瞬間、足は前に踏み出し、紫野を静かに見下ろしていた。
「誰……?」
布団の内から小さな声が聞こえる。
「暑いのか?」
俺の声が分かったらしく、紫野は素直に首を振る。
「寒気がする。でも背中は熱い」
「……」
正直、どうしてあげたらいいのか分からなくて、俺は……気付くと意外と華奢なその背をさすっていた。紫野の体がびくっと震えた。
「…由他……?」
「知ってるか? 手から不思議な波動が出てるんだぜ。だから手当てって言うんだ」
最初は頑なだった紫野も力が抜けてきたみたいだった。
「不思議……楽になってきた」
痛みがなくなるまで、とりあえずさすろうと思った。いつまでかかっても構わない。側にいようと思った。こいつが心細くならないように。
俺はさすりながら、今起きてることを報告した。
世界中で放射能汚染がひどいこと。千久楽は汚染を免れていること。千久楽の住人は最初混乱したものの、ひとまず安堵して今まで通りの生活を続けていること。
「そうか……」
布団から覗く紫野の表情が和らいでいる。さっきより背中の熱は退いてきてる気がする。
「紫野が千久楽を守ったんだ。すげぇよ。みんな紫野が元気になるの待ってるんだぜ。良くなったらさっそく酒飲まされるぞ」
紫野は首を振る。
「キミが風を読んだから回避出来た。あの日私も心がざわついて…でもそれが何か…分からずに居られなくて…外に……そして……キミを」
「たんま! 返さなくていーって。そんなに話したら苦しいだろ」
「平気……それで、今、結界はどうなってる? 糸、解けて……ないか?」
「ノープロブレム! 宮司の話だと誰かが見回ってるみたいだぜ。確か色々測定しながら……放射線とか風圧とか人の出入りとかも……」
「そんなにーー」
「そう、とにかくアフターケアはバッチシ」
ガッツポーズを作る俺の横で、紫野の表情がすぐれない。
「……オイ、どうした? 苦しいのか?」
紫野は首を振った。
「私はこれで済むけれど、あの人はずっと守っていかなければならない。ずっと……分かってた…なのに私はーー」
「どうしたんだよ、紫野。何がどうしたって?」
「…ごめん…なさい……」
頬に伝う涙を見て俺はただ動けなかった。何がどうなってるか、さっぱり分からない。紫野が何に後悔しているのか。誰に対して詫びてるのかを。
背中をさすりながら、紫野が少し落ち着くのを待っていた。どれくらいそうしていたんだろう。またポツポツと話し始める。
「そーいやさ、俺が話したこと。あれ違ってた。俺が見たようにはならなかったよ。爆発ったって人が住んでるとこで火はそんな出なかったみたいだし」
「太陽が……落ちたって、言ってた」
「…げ、そんなこと言ったっけ? ハズ……」
紫野のまぶたが落ちてくる。体をゆっくり仰向けにしてやる。長い睫毛……目元が少し赤い。もう眠りそうだ。
「考えてみたらそんなのあり得ないよな。何だったんだろ、あの映像。灼熱地獄みたいな」
紫野はうっすらまぶたを開くと、静かに言った。
「風は時を越えて吹いてくると聞いたことがある。キミはそれにシンクロしたんだと思う。キミが見たのは……きっともっと遠い国。もっと……誰もたどり着けない、過去の——」
ことりと紫野の手が落ちた。




