夢幻
次の日から私はお駄賃無しで店番をするようになった。
じいちゃんの思惑通りになるのは気が乗らないが、本を確実に手に入れるためにはそうするしかない。
しかし、あの日から四日経ったが来た客は五人。うち二人はじいちゃんの友人で、ほとんど遊びに来ている感覚で客と呼べるかは分からない。他の三人も立ち読みだけだったり、同じ作家の本しか買わなかったりと正直見張りいらないんじゃないか、と思い始めた。しかし店番を止めようにも、じいちゃんは件の友人二人と小旅行に行ってしまっているので私が続けるしかないのだ。まさか、これさえもじいちゃんは読んでいたんだろうか。
旅行先からじいちゃんの笑い声が聞こえたような気がして体をぶるりと震えさせた。
「いやいやいや、それこそじいちゃんの思う壺じゃない」
椅子から立ち上がり一人叫ぶ。その後、バッターンと音を立てて椅子が倒れた。慌てて立ち上がった所為だろう。
何だか虚しくなって、椅子を起こすと静かに着席した。
だが、じいちゃんに遊ばれてばかりなのも気に食わない。私だって思う存分満喫してやると、今度は椅子を倒さないようにゆっくりと立ち上がった。
目的の本棚の前まで行くと、私にとって一際輝いて見える本を手に取った。約束の品である本だ。
じいちゃんが居ない今なら少しくらい手に取ってみてもいいだろう、と思ったのだ。
相変わらず綺麗なそれに笑みを深めると、椅子に座ってじっくりと見る。
深い赤色に金色の縁が特徴の装丁に白字で書かれたタイトル――『夢現』。この店の名前と同じそのタイトルを指でなぞる様に撫でると表紙を開いた。
半分ほど読み進めた頃、ドアが開く音に顔を上げると窓から夕陽の赤い光が入ってきているのが見えた。
店に入ってきたのは私とあまり変わらない高校生くらいの少年だ。少年は急な雨にでも降られたかのように少し服が濡れていた。
今日は一日晴れだと天気予報は言っていたように思ったのだが、はずれたのだろうか。
飲食店ではないので声を掛ける事は普段はしないのだが、ドアの付近から動かない少年に不思議に思って声を掛けてみることにした。
「いらっしゃい、何かお探しですか?」
私の言葉に弾かれたかのようにハッとこちらを見た少年は、私に向かって指を差した。少年の視線が私ではなく私の持つ本に注がれていたことに嫌な予感がしつつ、手元の本を持ち上げた。
「もしかして、……これ?」
ゆっくりと頷いた少年に、内心泣き叫びながら応対する。
「お買い求めになりますか?」
「……いくらですか?」
「三万円になります」
少年の目が驚きに見開かれる。本がそんなにするとは思わなかったのだろう。
私もじいちゃんが古書店なんてしていなければ驚いていた。
高校生に三万円は痛い出費だ。出来れば考え直して欲しい。
「今手持ちがそんなにないんで、予約してもいいですか?」
「えっ、買うの?」
まさか予約してまで買うとは思わず、つい本音が出てしまった。
いけないと思って口を押さえたが、すでに少年に聞かれてしまっている。
「ダメなんですか?」
「えーっと……その、ダメじゃないんだけどね。……私としては買って欲しくないかな」
店としては売らなければならないのだろうが、私はどうしてもこの本が欲しかった。その思いが語尾に小声で本音を付け足させた。
しかし元々静かなこの場所では小声で話しても意味はなく、きっちりと少年に聞こえていたようで、少年は困った様に眉を寄せた。
「そう言われても、俺も絶対手に入れなきゃいけないんだ」
どんなに頼んでもこの少年は諦めそうにない。
まだ半分しか読んではいないが仕方ない。諦めて店員らしく振る舞おう。
「……いつ、買いに来られますか?」
「そうだな、バイト代が十二日後で入るからその日に」
どうやら、まだ神は私を見捨てていなかったようだ。
少年のその言葉に内心ガッツポーズをすると笑顔で通達する。
「残念ですが、この本は十日後までしか売らないんです」
「えっ、そんな! 売りたくないから嘘言ってんじゃ……」
「確かに売りたくはないけど、だからって嘘まで吐かないわよ」
じいちゃんとの約束の日を考えれば、たとえ予約されたとしても十日後を過ぎれば、それは無効になるはずだ。
普段じいちゃんに受けているような屁理屈を言っている自覚はあるが、本を手に入れるためなら構わない。
「……なら十日後までに買いに来ればいいんだな」
ぼそりと言った少年のその言葉に驚く。相手も中々にしぶといらしい。
「……えぇ、買いに来られればね」
やれるものならやってみろと言わんばかりに、相手が客だとか関係なしに少年を挑発する。
「なら十日後で予約してくれ」
「かしこまりました」
少年との間に火花を散らしつつ、私は予約シートとボールペンを差し出す。
「ここにお買い求めになる本のタイトルと名前、住所、電話番号をお願いします」
ボールペンを受け取った少年はシートに必要事項をスラスラと書いていく。
書き終わったシートを確認すると、私は名前の欄に視線がいった。もちろん少年の名前が書かれているのだが、私にとっては見慣れ始めた名前だった。
「この本の主人公と同じ名前なのね」
「そうなのか? ……もしかしたら俺の名前、それから取られたのかも」
先程の事などなかったかのように話しかければ、少年も特に気にした風もなく答えた。
その流れで会話を続ける。
「本から?」
「俺の両親の出会いのきっかけがその本なんだよ。けど俺が間違って捨てちまって……」
「へー、それで絶対に手に入れなきゃならないのね。親思いですこと」
「馬鹿にしてんのか」
「……してないわよ」
別に馬鹿にはしていない。ただ、想える親がいる事が羨ましいだけだ。
私の両親は、私が小さい頃に亡くなった。
それからはじいちゃんに育ててもらっていたし、特に寂しい思いをした事はなかったが、やはりそういう話を聞くと羨ましく思ってしまう。
「じゃあ、十日後に会いましょ」
「あぁ、じゃあな」
羨望の視線に気づかれないうちに、少年を店から出した。
予約シートと本を片付けると、店を閉めるためにドアに向かう。途中何かを踏んだ感触に足を退かすと手帳のようなものが落ちていた。拾い上げると、それは生徒手帳だった。
持ち主は桜木悠人。先程の少年だ。
出て行ったばかりだし追い掛ければ届けられるかも、と思って外に出たが少年の姿はなかった。
「……どんだけ早いのよ」
早々に諦めて中に入ろうとした時、ふと目に入った地面に首を傾げた。
「濡れてない?」
少年と話したのは高々十分十五分程度だ。すぐに雨が止んだとしても道が濡れていないのはおかしい。そもそも、こんなに見通しのいい道で数分もしないうちに姿が見えなくなる場所まで行く事が出来るのだろうか。もしかして夢か幻でも見ていたんじゃないかと思ったが、手に持った生徒手帳がそれを否定していた。




