第壱話 襲来
蒼歴184年2月。
400年ほど続いた蒼漢王朝にも、その影響力にかげりが出てきた。
度重なる外征の失敗。
無能な皇帝の浪費とそれによる重税。
宦官や外戚の壟断。
それらにより人々の朝廷への不信が急増し、各地で反乱が勃発。
そのたびに各地の太守が鎮圧の軍を出し、事なきを得ていたがこの年になって最強・最大の乱が起こる。
かつては朝廷で新兵器開発部門の責任者、いわば門閥のエリートである張角という男が、彼を教祖とする新興宗教『太平道』を組織。“蒼天已死黄天當立”をスローガンに、宗教の力を借りた反乱は、燎原の火のごとく一気に燃え上がった。
とはいえ、これまで様々な反乱や異民族の侵攻を打ち平らげてきた蒼漢王朝だ。いくらかつては朝廷のエリートだったとはいえ、宗教の力を借りたとはいえ、叩き潰されるのは時間の問題だろう。
――誰もがそう思った。
「はぁ、こんな辺境の警備ったってなぁ……」
男――若者がひとりごつ。
時間は夜。すでに周囲は闇に覆われ、空にはおぼろげな月があるのみ。灯りはといえば頼りなさげに燃えるかがり火がいくつかあるだけ。
ここは蒼漢王朝の首都“洛陽”から東へ200キロほど離れた平野。エン州の片隅にある蒼漢の官軍駐屯地だ。ただ官軍といってもその身なりはみすぼらしい。鎧は胸当てのあるものだけで、背中は丸出し。武装は支給品であり、それなりの形はしているが量産品でしかなくその切れ味は並みでしかない。
彼らは急遽徴集された予備兵で、今は正規軍に組み込まれるための調練をしている段階だ。その調練の一環で警備をしているわけだが、昼間の厳しい訓練を乗り越え、飯を食ったらすぐに寝るのがいつも。だが、この若者はかがり火を前に歩哨を命じられているため、寝るわけにはいかない。交代のまであと少し。立ったまま眠りそうになるのを誤魔化すため、ぼやきを入れて覚醒を促していた。
「へっ。ぼっちゃん、暇は嫌かい?」
そう揶揄するように若者に告げる声が暗闇の中の灯りに響く。若者より倍ほど年上。痩せごけた貧相な顔の男が、若者に向かって唇を釣り上げていた。
男と若者は同じ組だ。だからこうして隣あって歩哨の仕事をしている。若者はこの男が嫌いだった。いつも何かとつっかかってくるし、何よりその喋り方がバカにされているようで若者はムッとして横を向く。
「そりゃ、嫌ですよ。せっかくこうやって戦場に出てきたのに、訓練、訓練、訓練。しかもその後はずっと立ってるだけ。せっかくお国のために戦えるってのに、やってらんないですよ」
「それはそれは。憂国の熱き魂を持つぼっちゃんには頭が下がる」
小馬鹿にした態度がなんとも神経を苛立たせる。
若者は男と視線を合わせないようにしながら、さらにまくしたてるように言う。
「あなたにはないんですか? 国のために戦おうって気が」
「ないね」
「っ!」
即答の答えに思わず息を呑み、男に振り向いてしまう。
その様子がおかしかったのか、男はくくっと小さく笑うと、
「変かい? いや、違うな。ここじゃお前さんの考え方の方が貴重だ」
「じゃ、な、なんで、軍に?」
「そりゃ簡単だ。飯が食えるからだよ」
「え……」
「ここなら食いっぱぐれることもない。田畑を荒らす害獣に悩まされることも、災害を恐れることも、収穫量を気にすることもない。野盗だって来ない。むしろ野盗や、あのくそったれの黄巾を叩きのめす側にいるんだからな」
張角率いる太平道の軍は、黄色い布を頭に巻いてトレードマークとしたため、黄巾党――官軍からは黄巾賊と呼ばれていた。
「そんなことのために……」
「そんなことが重要なんだよ、若造」
今までと打って変わって真剣な声色になった男は、真摯なまなざしを若者に向ける。
「そもそもお前。軍に入ってどうするつもりなんだ? お前も元は農民だろ? それが軍に入ると言っても、こういった新兵部隊に回されるしかない。歩兵部隊なんて一番下だぜ?」
「そ、そりゃ……最初はそうかもしれないですけど。ここで軍功をあげて、出世していくんです」
「はっは! こりゃいい! 歩兵部隊なんて所詮は盾よ。いや、盾にもならねぇな。どちらにせよ使い捨ての雑魚みたいなもんだ。それよかよっぽど技術者になった方が割がいい。生存できる確率もな」
「そ、そんなの……なれるわけないじゃないですか。まともに勉強すらできない、文字だって全然読めない。そんな自分が技術者なんて……夢のまた夢なんです。だからここでなんとか功を挙げて、騎兵隊に……」
「くっははははははは! こりゃおかしいや!」
「な、何がおかしいんですか!」
「おかしいだろ。歩兵に入って生き延びて、その先が騎兵……くくっ、まさかの騎兵隊などと」
「おかしくないでしょう。戦場を駆ける騎馬兵。それで敵をばったばったとなぎ倒して行く、戦場の主役です!」
「お前さん、こんなところで徴集にかかるんだと思ったが、とんだ田舎もんだな! いいか、今の戦場の主役は騎兵じゃねぇ。今の主役は――」
「ん、おい、なんだ?」
と、2人の口論の外。他の歩哨として警備にあたっている兵が何かに気づく。
「どうした、なにがあった?」
「いや、あそこに……」
「やべぇな」
今まで若者と言い合いしていた男が急に顔をしかめる。
「なにが――」
「悪いがここまでだ。命があったらまた会おうぜ、ぼっちゃん」
言うが早いが、男は地面を蹴ると、そのまま軍営とは逆の方向へと駆け去っていく。灯りのない暗闇。すぐにその姿もかき消えた。
「なっ!? だ、脱走!」
「て、敵だぁ!!」
若者の渾身の叫びも、別の叫びによって打ち消された。
そしてそれは若者の注意を男から一気に呼び戻した。
「敵!?」
周囲を警戒する。敵襲の報告を受けて、背後の軍営ががやがやと動き出すのを感じる。
(敵、敵はどこだ!?)
だが彼の目は何も見いだせない。月は雲に隠れてしまい、背後にあるかがり火が逆に周囲の闇を深くしているからだ。
(どこだ……来るのか!? どこから……もしかしてもう!? いやだ、死にたくない。あの男が言ってた、盾なんかで死にたくない)
初の実戦。若者の心を覆う恐怖が次第に強くなっていく。
(ん?)
と、そこで何かを感じた。左手にある木々の中。そこに光る何かを見つけた気がしたのだ。
だがおかしいと思う。敵は人間だ。黄巾を頭に巻いた農民の反逆者どもだ。それにしては位置が高い。まさか木に登ってこちらを見ているのか。
そう考えていた中。何かが森の中で光った。
瞬間。若者は風を感じた。
ドォォォン!!
爆音が背後に響き、爆炎と爆風が遅れて若者の背中を叩いた。
「うっ!」
軍営の外に弾き飛ばされた若者は、痛む体をなんとか起こし、背後を見る。
「あ……ああ……」
軍営が燃えていた。火矢を100本同時に打ち込まれたかのような熱と破壊。いや、それ以上の破壊をもって軍営を何かが破壊していた。火に包まれて苦痛にのたうち回る者。防柵の破片が体を貫き、荒い呼吸で息絶えようとする者。
それらに共通するものは死。
その光景を若者はじっと見ていた。まるでそれが数秒後の己の未来だとでもいうように。
音がした。大地を震わす音。それは若者の背後からで、軍営から視線をそちらに移した若者は、驚愕に見開かれた瞳をさらに大きくした。
そこにいたのは巨人だった。
若者の5倍以上の体躯を持つ巨人。ただ生物的ではなく、角ばった鎧を着た人間のように見える。
彼は理解した。戦場において歩兵が盾にもならず、騎馬隊が羽虫でしかない。その真理を。
だがそれを理解した時にはすべてが遅かった。
(これが戦場の主役! これが――蒼武! か、母さん!)
巨人の腕にある何かが光り――若者の意識を永遠に刈り取った。
読んでいただきありがとございます。
正史準拠ではありますが、色々改変してますのでラフにお楽しみください。
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