夏はじめ、二〇三〇年。
その日の東京は晴れだった。空は青く、地面からの照り返しは、強いエネルギーそのもの。七月初旬の空気を、副島陸は肌で味わった。
こんな日には、目標もなく散歩するもよし、友人とひとときの娯楽を楽しみに繁華街へ行くもよし、敢えて涼しい部屋にこもってゲームをするもよし。
の、はずだったのだが。山手線沿い西側・高田馬場ビル街の熱気にかかわらず、陸の心は冷えていた。というより、逃げたかった。
(めんどくさい……)
あんな事があった手前、陸は貴重な休日をペーパーテストに使わざるを得ない。家に帰ったら、腹いせにソーシャルゲームのガチャでも引きまくってやろうかと、彼は思った。
※※※
「賭け?」
「そう、賭け。学校の数学なんてシケた勝負は好まねえ、もっとでかい勝負で白黒つけようぜ」
遡ること一ヶ月。東京都多摩地区にある進学校、人見高校の教室で、何気ない(そして謎に熱い)会話を、友人の一人と交わしたのがきっかけ。副島陸が数学のテストに強いことにかこつけ、その実力はいかほどという話題に飛んだのだ。
「見ろよこれ」
と言って彼が見せたのは、とあるニュースの記事。高校生が参加する、国際的な学業の祭典、数学オリンピック。その選手のその後を追う。
ふうん、と陸は身を乗り出した。
「陸、知らねえの? 各国四人の代表が、超難問を解いてスコアを競う……問題はたったの五問。それを一日かけて解くってよ」
超難問。解きごたえのある、大きな大きな壁。
「出ろよ陸、お前数学得意だろ?模試だってだいたい数学の成績高いじゃんか。それに見ろ、出れば大学の推薦だって取れる……きっと就職にも役立つんじゃないか?」
「……」
陸はその時黙っていた。
数学五輪。その名を聞いたことはある。
国を代表する高校生選手が、テストを問いてメダルを争う。その受賞者が、数学者として実績を残すこともある、歴史と権威ある大会だ。数学が少しばかり得意な彼にとって、しばしば注意を引かれないわけではない。
けれど、陸はそのとき、涼しく返した。
「興味ない」
「なんで?!」
「俺そんな勉強好きじゃねえし」
「うわー出た出た、数学偏差値八〇超えて、英語も理科もだいたいよくて、もはや簡単すぎてつまらんってか? 俺以外に言うなよ、友人なくすから」
「そうじゃなくて」
陸は切り返す。また別のニュースを、画面をいじって引っ張り出しながら。
「ほれ、もう人工知能の時代だぜ? わざわざ人間がそれ解く意味ある? まあ……大学受験は必要だからやるけどさ」
その友人は押し黙った。




