第3話 トカゲの目
斜面を滑り落ちていると、下の方に生い茂る木々が見えてきた。
そう思った直後、豪快に響く破砕音と、葉っぱの舞い散る音が聞こえて、全身が森の天井を突き破ってしまったのだと理解する。
痛みとはまた違うにせよ、全身の削れる感覚はリコにとって異様に不快で、もしかすると、自分の命はここまでかもしれないと覚悟してしまうほどだった。
『……生きてる?』
だがしかし、ドスンと鈍い衝撃音と、瓦礫の崩れ落ちる音が響いても、リコの意識は変わらず連続し続けていた。
軽く「腕」を動かそうとしてみれば、瓦礫の束がリコの眼前に現れた。心なしか破片が細かくなっているような気もするし、全く変わっていないようにも思える。
「ろ……ろぼちゃ……」
『あ』
その声でリコはようやくマイのことを思い出し、自分の『視界』を動かして、彼女の姿を探し始めた。
先ほど、斜面から滑落している最中に気が付いたのだが、どうやらこの体は案外自由に『見る方向』を動かせるらしい。
人間の目と違って、ある程度までなら遮蔽物があってもお構いなしらしく、例えば自分の腕越しに、その先の風景を見ることも可能のようだ。
カメラがそのまま、遮蔽物を突き抜けて移動しているような感覚とでも言おうか。
もちろん、数メートル先にある木々の向こう側を突き抜けて見る、なんてことはできないのだが……それはさておき。
「おしりが……おしりが痛いよ……」
結局声の主はリコの頭上から、地面に放り出されていたらしい。
目の前には、制服の至る所に木々の葉っぱを引っ掛けて、畳んだスカートを抑えながら、横向きに倒れてうめくマイの姿があった。
『ほ、ホントにごめんなさい……』
それは、率直に言って非常に哀れで、人嫌いのリコからも最大源の同情も誘えるような姿だった。
心なしか、自分の視点が低くなっている気がするのは、先ほどの滑落で脚が削れてしまったからだろうか。
なんにせよ、マイをそのままにしておくわけにはいかないと、リコは身を起こしてみる。視点の高さは、3メートルくらいだろうか。やはり滑落する前に比べると、身長が低くなっているような気がした。
視界の調節ができるなら、自分の全身を眺めることもできるかもしれないが、そもそも元の姿を把握していないので、比較するのは難しそうだ。
『大丈夫……?』
「だ、だいじょ……ぎえっ!?」
そうしてリコが近づいた瞬間、マイがカエルのような悲鳴を挙げる。
(ひょっとして、打撲が思ったより酷かったのかしら)なんて呑気に考えていたら、マイがこちらを凝視していることに気が付いた。
「私の顔に何か付いてる?」
「うん……あ、いやそういうわけじゃ……」
一度は肯定しかけたあと、誤魔化すように漏れ出た否定の言葉。
まるで何かを隠しているような口ぶりに、リコは心の眉をひそめる。
「ひょっとして、何か隠してる?」
リコがそうやって問い詰めると、マイは観念したように俯いて、申し訳なさそうに口を開いた。
◆◆◆
地面の上にスカートを畳んで、ぺたんと座り込む女子高生。その両腕は天に向けて真っ直ぐと伸び、学習ノートの見開きを掲げている。
表紙に『自由帳』とある緑色のノートには横罫線が入っていたが、中には一つのアナログイラストが描かれていた。
人型から頭と腰を抜いて、胴体から直接手足を生やしたようにずんぐりとした体型。HBの鉛筆で描かれた二頭身の中心には、一つの目玉が付いている。
まるで猫かトカゲのそれのように、瞳孔が縦に割れた目玉には、やけにリアルな虹彩が描かれており、無機質なフォルムと合わさって異様な不気味さを醸し出している。
「これが……今の私なの?」
「う、うん」
心底申し訳なさそうに顔を背けながら、マイはリコの発言を肯定する。
先述のイラストは、つい先ほどマイがこの場で描いたものだ。スケッチと言っても良い。
つまり、先ほどの異様で不気味なイラストは今のリコを模写したものであるわけだ。
「それと……多分だけどその瞳孔、今向いてる方向に合わせて回転してるかも……」
それはつまり、今リコが後ろを見たら、マイに対して白眼をむいてしまうということだろうか。
このイラストに着色は無いから、もしかすると黄色目かもしれないが、そんなことはどうでもいい。
「ホントに聞きたくなかったソレ……」
「ご……ごめん……」
二人の間に訪れる再びの沈黙。またしても気まずい空気のまま、向かい合う時間を過ごしそうに思えた――直後のことだった。
『|―【話題の転換】―【目的地の確認】《――――明らかに日本語ではないが、》|―【疑念】―【苛立ち】―《意味だけは理解できる声――――》』
脳裏に直接届いた声は、視界の先、森の奥からやってきたらしい。少しずつ何かが近づいてくるような音も、現在進行形で響いている。
どうやらマイにも聞こえていたようで、座り込んだまま振り向く彼女の顔には、困惑と少しの怯えが見えた。
『飯間さん、私の裏に隠れてて』
崖の上で確かめた、射程距離を利用する。一定以上離れれば聞こえないはずの声を使って、平地に身を晒している飯間マイに指示を出す。
「で、でも、もしかしたら助けてくれる人かも……」
マイの言い分はもっともだが、リコには一つ気がかりなことがあった。
『それを確かめるのは、隠れてからでもいいはずよ』
リコは直感的に、先ほどの言葉に混ぜられた、細かいニュアンスを感じ取っていたのだ。
それは、少しだけ下劣な言い回し。もし仮に、先ほどの声をリコなりに日本語訳するのなら……このようになるはずだった。
「――というか、狩り場はこっちで合ってるんだろうな?」
まるでこれから、獲物を狩るハイエナのようなイメージを呼び起こさせる声の主は、リコが屈んで、ただの瓦礫のフリをすると同時に、姿を表そうとしているらしい。
「ひっ」
マイがリコの影に隠れると同時に、茂みの奥から現れたのは、全長にして5メートル、高さだけでも3メートルのシルエット。
前面にブルドーザーを思わせる巨大なツメが付いており、それが――やけに黒々していて生物的な――二本のアームで「車体」に繋がれている。
これで、移動方法が車輪ならまだよかったのだが、現実は違った。
『まさに異形ね……』
その「車体」には「脚」があった。側面から――甲殻類を思わせるような――デコボコとしていて鋭利な脚が六本伸びて、地面を捕らえていた。
『……ッ』
そしてなにより不気味なことに、その異形には「目」があった。
いつか見た、縦割れの瞳孔とやけにリアルな虹彩を持つ一つ目が、低木越しにこちらを見ていた。




