宮廷図書館①
「ここがお城?」
「そ」
ダームスドルフの城は、広場を抜けた先にそびえ建っていた。
これまで通ってきた建物も大きかったが、さらに大きい。まるで自分が小人になってしまったかの様に、縮尺が変に感じられた。
入り口からして、ドラゴンでもくぐれそうなほどにぽっかりと大きく、一体どうしてこんなに大きくしたのかがさっぱりわからない。
「行くわよ」
「うん」
フィカの後をついて、エセルも城の中に突入する。
中は都市以上に広々していて、都市以上に破壊されていた。めちゃくちゃに倒された彫刻も、バラバラに飛び散っているガラス片も、壁に開けられている穴の数も、これまで通ってきた場所の比ではなかった。
思わずエセルは顔をしかめる。
「なんでこんなに壊されてるんだろ」
「あ、半分くらいはアタシがやったわ。霊の数がひどくてね。おまけに手強かったから、ついつい本気を出しちゃったの。だからこの中に出る霊は、他よりむしろ少ないから安心して」
「えぇ、フィカのせい?」
「そうとも言えるわね」
オホホホホ、と高い声で笑うフィカ。いつもと全く変わりがない様に見える。
「フィカは、あの霊たちを見てどう思うの?」
ピタリとフィカの高笑いが止んだ。
「怖かったり苦しかったしないの?」
「そうねえ」
ふと真剣な顔をしたフィカは、端的に言う。
「うっとおしい、かしら」
「う、うっとおしい?」
「そうよ、うっとおしいわ。死んでるんだから、大人しくしておけばいいのに。忌々しい。さ、行きましょ。もうすぐよ」
フィカはさっさと足を進めて、城の中へと入っていった。
荒れ果てた城の中は、それでもかつての威光を今でも伝え続けている。虹色に輝くステンドグラスはひび割れていても繊細さに見惚れてしまうし、広間の中央にある噴水は縁にルーン文字とともに細かな装飾が施されていた。
フィカが言う通り、霊と出会うこともなく順調に進む。
「図書館は城の奥にまるごと一つの建物を与えられているの。ここがそうよ」
回廊を渡った先、一つの建物があった。円筒状の建物で、魔法図書館よりも大きい。
両開きの扉の上にまたもルーン文字が刻まれていて、エセルは無意識のうちにそれを読んでいた。
「【全ての書物には執筆者の想いが込められている その想いは何物にも勝る魔法の力を宿している】……あれ、これって、魔法図書館にある言葉と一緒?」
「そうよ。元々は宮廷図書館に刻まれていた言葉なの。色々あって図書館を森に移す時に、アタシの師匠が塔に刻んだのよね。これは、大事な言葉だからって」
「大事な言葉」
「魔法司書として働く上で、忘れちゃいけないものなんですって」
フィカは赤い唇を持ち上げてふふっと笑った。
扉はすでに扉としての機能を持っておらず、ただぽかりと口を開けているだけだ。
内部はどこよりも焼け焦げていた。床も壁も煤けて真っ黒だったし、本棚と思しき木材の破片がぼろぼろになって打ち捨てられている。エセルは壁際に駆け寄り、床にしゃがみ込んだ。
「本、跡形もない……」
灰の塊が小山を築いているだけだった。
「城の中はどこもかしこもひどい有様だけど、中でも図書館は徹底的に焼き払われたからね」
「魔法が怖いから、外に伝わらないように?」
思わずエセルがそう言うと、フィカは訝しむ様に眉を吊り上げた。慌てて言い繕う。
「こんなに壊されるなんて、きっと誰かに攻め込まれたんでしょ? それで、攻めた人たちは、魔法の力が怖かったのかなって。人間さんは普通、魔法を使えないってフィカさんが前に言っていたし」
あくまでもフィカから事前に聞いていたことと、都市の崩壊した有様を見て、自分で考えた意見という体裁を取る。フィカは不審がらなかった。
「エセルちゃんは賢いわね。……そうよ。ダームスドルフは魔法の力を恐れた人間族によって攻め滅ぼされた。魔法の痕跡を残さない様、宮廷図書館は特に念入りに破壊されたってわけ。ひどいでしょ?」
フィカの言い方は軽い。声も表情もいつもと何にも変わらない様に見える。
けれど、エセルは気がついていた。
エセルを心配させないよう、フィカはわざと気軽に言っているということに。
だからエセルも調子を合わせ、こくりと頷いてから「うん、ひどいね」と言うだけにとどめた。
宮廷図書館はメイホウの森と同じく、縦に長い。そしてやっぱり上階に行くための階段などは存在していない。
「利用者はみんな浮遊魔法を使えるから、階段なんて必要ないのよ。だから侵略者は上の方の本は燃やし尽くせなくて、まだ残ってる本があるってわけ」
「なるほど……!」
ここでエセルはハッとした。
「大変、フィカさん。わたし、箒置いてきちゃったよ」
フィカと違ってエセルの飛行魔法はまだ未熟なので、箒がないと空を飛ぶことができない。
そう訴えるエセルに、フィカは人差し指を振った。
「ノンノン。エセルちゃん、ここで必要なのは飛行魔法じゃなくて浮遊魔法よ。この違いは大きいわ。いい? 体の力を抜いて、ふわっと浮かせるだけ。呪文は【ルーンの力を示せ。身体浮上】よ」
フィカが優雅に両手を広げて呪文を唱えれば、そのまま上空に体が浮かんだ。
魔法図書館でも見たことのある魔法だった。
「よぉし、わたしも……【ルーンの力を示せ。身体浮上】!」
体が垂直に持ち上がり、そしてぐらぐらした。足が重力に反して浮き上がる一方、上半身のバランスが取れずにエセルは腰から上をくねくねさせ、両手をばたつかせる。そんなことをしていたら、余計に体がぐらぐらした。
「わわっ!」
「エセルちゃん、リラックスよ。余計な力を抜くのが浮遊魔法のコツなの」
「そんなこと言われても、どうすればいいのぉっ?」
「目を閉じて、体をだらっとさせなさい。それから深呼吸よ。はい、吸ってー」
フィカに言われた通り、一度体に入っていた力を抜いてみる。
それから胸いっぱいに息を吸い込み、フィカの「吐いてー」の声かけと共に息を吐き出した。
幾度が繰り返すうちにだんだんと気持ちが落ち着いてくる。
「ほら、もうできてるじゃない」
「え? 本当だ!」
目を開けると、エセルはフィカと同じ場所、建物二階分の高さまで浮いている。
「わぁ、すごい。飛行魔法とはまた違う感じだね」
「そうよ。浮遊魔法は垂直に浮き上がる魔法だけれど、このまま移動もできるから便利なのよ」
すいー、すいー、と左右に移動するフィカを真似てみる。
エセルはフィカのように少し体重をかけただけで行きたい方向に進むなんてことはできないので、空中で平泳ぎのように腕を動かした。ちょっと不恰好だけど、これでも進める。
すい、すい、すい。
「空を泳いでるみたい!」
箒を使う飛行魔法もいいけど、浮遊魔法も楽しい。
にこりと微笑んだフィカは、ついと顎を上に向けた。
「さあ、目指すは延焼を免れた五階部分よ」
「うん!」




