百四十五話 絶対デレた
* * * *
「……〝リバースエントロピー〟。やっぱり、そうなっちゃったか」
伽藍としたひらけた空間。
つい数十分前に慌てた様子でリヴェットが駆け出した事で一人きりとなった外套の少女は【匣】に展開された魔法の気配を感じ取り、小さく呟いた。
その知覚能力は異常という他なかったが、ある意味でそれは当然とも言える帰結であった。
何故ならば、リヴェットを同類とすら呼んだ彼女の身体はこの【匣】に同化しつつあったからだ。
【匣】の悪化及び、リヴェットの暴走を呪いを肩代わりすることで防いだ事で大半を引き受けた結果が、半身の結晶化であり、【匣】の呪いを多く引き受け過ぎた事で彼女自身もまた、殆ど【匣】の一部と化してしまっていた。
故に、彼女は誰よりも早く知覚できた。
それらを全て理解した上で、自身の身体────結晶化した右半身を撫でながら、物憂げな様子でため息を漏らす。
ここまでどうしようもないのに。
ここまで手遅れなのに、まだ助けられる道はあると信じてやまないあの聖拝者は、ルナディアを止め、ノベレットすらも止め、全員を救える道を未だ探し続けるのだろう。
その愚直さは、最早どれだけ言葉を尽くして説得をした事でどうにもならない事など少女はとうの昔に思い知らされていた。
「だけど、うん。そうするしかない。リヴェットさんだけでも救うにはそうするしか道はない」
ボクを助ける事など、土台無理な話だ。
特別悲観する訳でもなく、それが最善であると信じて疑わず少女は目を閉じ儚げに笑う。
そして脳裏に浮かぶ百年前の記憶。
呪いを許容範囲以上に抱え込んだ結果、血を吐いて死んだ〝大陸十強〟ルシア・ユグレットと全く同じ末路を辿ろうとしていたリヴェットを少女が助けた日が昨日のことのように思い起こされる。
────〝神力〟を使えば使うほど呪いの症状が他の〝大陸十強〟の数十倍もの早さで進行する。
多くの人間に、人よりも多くの呪いを抱えた事が呪いであると誤認されているが、これがリヴェット・アウバに掛けられた本当の呪い。
テオドールのように記憶を奪われ。
カルラ・アンナベルのように大地の呪いを掛けられ、二度と地に足がつけられなくなる呪いなどと比べると些か優しいもののように思えるだろう。
しかし、ある意味でこれは一番凄惨な呪いだった。
〝大陸十強〟に掛けられる呪いは基本的にその者にとって一番苦痛に思える呪いとなっている。
他の者からすれば〝神力〟さえ使わなければこれまでと何ら変わりない生活を送れるリヴェットの呪いはあまりにも当たりの部類だ。
だが、リヴェットだけはその呪いに心底苦しんだ。
────救える力があるのに、それが使えない。
故にリヴェットは苦しんだ。
彼女の性格を考えれば一番凄惨だった。
呪いが進行すれば、良くてルシアのように血を吐いて筆舌に尽くしがたい苦痛に悶え苦しみながら死ぬだけ。だが彼女は〝大陸十強〟という規格外の括りの中でも更に規格外だった人間だ。意図して自分にだけ被害が及ぶように調整したのだろう。
ルシアのように終われる可能性は、限りなく低いとリヴェットは踏んでいた。
最悪の場合、己が抱え込んでいる呪いが漏れ出し、とんでもない事態に発展しかねない。故に、リヴェットは救える力がありながら【匣】攻略チームが壊滅し、辛うじて生き残っていた人間を助ける為、蔓延する〝瘴気〟から街を守る為に動いたあの日までたった一度として使う事はなかった。
否、使えなかった。
使ったが最後、自分自身がどうなるかを本人ですら分からなかったから本当の最後の手段としてしか使えなかったのだ。
それが、かれこれ百年前の話。
「リヴェットさんの言う最善を求めていたら、いつまで経っても終わらない。じり貧だ。間違いなく先に限界がやってきて、共倒れするしかなくなる」
だから覚悟を決めてもう強引に攻略するしかない。
たとえそれで、【匣】との同化が進行した事によってボスを打倒し【匣】を攻略した瞬間に、少女も落命すると決まり切っているとしても。
それでも少女はノベレットの行動が正しいと信じて疑わない。そうすべきだという立場を変えない。
元より己は人間ですらなく、誰かの意思によって造られただけのクローンでしかないと分かっているから。犠牲になるならば己であると、とうの昔に覚悟しているから。
「だから、どうか責めないで欲しい」
どこか、祈るように。願うように。
そんな事は無理だと分かっていながら、それでも、リヴェット・アウバに生きていて欲しいと。
彼女は生きるべき人間だと心の底から思った少女は自分の身を犠牲にする選択肢を掴み取る。
そこに陰鬱な感情はなかった。
まるでそうなる事を望んでいるとすら受け取れる表情だった。
「たとえボクが命を落とす事になったとしても、それは貴女のせいなんかじゃない」
病的に己以外の誰かの失命を恐れ、全てを救おうと足掻くこの場にいない聖拝者に向けて少女は言う。
これは間違ってもリヴェットの力不足によるせいなどではなく、仮に誰であったとしても誰もを救うなど、どうにもならない問題であっただろうから。
「誰も悪くない。悪くあっていいわけがない。それでもあえて言うなら、貴女の願いを知りながら、それでも背を向けてこうして命を捨てようとしているボクが一番悪い。だから────」
鉛のように重くなった身体を少女はどうにか動かし、歩き出す。
「ボクはボクの為に、貴方との約束を果たすよ、ノベレット」
蒼白の相貌で、どうにか笑みを浮かべながらかつて交わした約束を思い返す。
全ては、少女がノベレットに話を持ちかけたところから始まった。
何もかもを打ちあけ、このままではリヴェット諸共死ぬしかないと伝え、彼女を救いたいならば、これしか可能性は残っていないと半ば脅すようにノベレットの協力を取り付けた。
尤もそれは最終手段であり、彼自身は半ば脅されながらも出来得る限りリヴェットの意を汲もうとしていた。けれど、そうもいってられなくなったのだろう。
もしくはこれしかないと諦めがついてしまったか。
とはいえ、少女からすればどちらでも構わなかった。脅しこそしたが、全員が救われる道があるならそれが一番だという認識も彼女の中にあったから。
次いで、少女はすぅ、と小さく息を吸い込み、ノベレットが口にした言葉と殆ど同じ言葉を紡ぐ。
【匣】の中で〝迷宮病〟の力を使った上での〝リバースエントロピー〟を行使した時こそが、かつての約束を果たす時であり、始動の合図と示し合わせていたから。
「ひっくり返せ────〝リバースエントロピー〟」
〝神力〟に侵された人間に、単なる魔法は通じない。だから、〝神力〟を帯びた攻撃でなければ僅かな痛痒すら与えられない。
故にノベレットはリスクを承知で目を覆う布を剥ぎ取り、〝迷宮病〟の悪化を受け入れた。
そうする事で、〝リバースエントロピー〟の対象者に半結晶の少女までも含まれ、虫の息でしかなかった彼女までもが戦いの土俵に立つ事が可能になるから。
そのまま少女は天井を見上げる。
まるで僻眼のようにここではないどこかを見つめる。言葉が向かう先は、リヴェットだった。
「きっと貴女は、それでも謝るんだろうね。ボクがボクの意思で命を捨てたとしても、それでも貴女は救えなかったってきっと────」
申し訳なさそうに泣き笑いながら、謝り続けるリヴェットの姿を脳裏に浮かべながら、少女は仕方がなさそうに小さく息をもらす。
後髪を引かれそうにはなったものの、それを振り切って彼女は言葉を続ける。
「ボクは兎も角、貴女だけは生きなきゃいけない。少なくとも、『聖堂院』の上層部が〝大陸十強〟の呪いの元となったナニカを造り上げた存在と関係がある以上、貴女はどうあっても必要になる」
────きっとそれもあって、ボクに貴女の監視をさせていたのだろうから。
リヴェットにこの百年、ひたすらに隠し続けた秘密をひとりごちながら彼女は〝リバースエントロピー〟を行使。引き起こされるは、能力の遡行。
ノベレットはそれをひっくり返す事であり、取り替える事と呼んだが、それはある意味で正しく、ある意味で間違っているものである。
〝リバースエントロピー〟とは、限定的な代償付きの過去の自分の能力の遡行であり、投影。
窮地を〝ひっくり返す〟為の元に戻す能力。
まともな使い方をすれば、成長途中の自分に戻すだけゆえに使い道などあるはずもないが、その効果は決して自分にだけ適応されるわけでもない。
何よりこの能力の真価は────戦えなくなった人間を戦えるようにする部分にある。
故にノベレットは畏れられた。
故にノベレットは〝盤上不敗〟と呼ばれた。
使い所さえ誤らなければ、その能力はある種、最強の手札となり得るのだから。
「たとえボクが恨まれる事になろうと、貴女だけは生かす。それがボクの復讐で、ボクに出来る最大の罪滅ぼしだから」
きっと、ノベレットとリヴェットでは最後の最後まで非情になり切れない。
そう知った上での少女の言葉は。覚悟は、誰の耳に届くことも無く薄れて消えた。
* * * *
ノベレットが魔法を行使すると同時、一際目を引く一風変わった黄金色の魔法陣が展開される。
俺の知る魔法陣とは異なる奇妙なソレは、方眼にとてもよく似ていた。
足下に一瞬にして広がる網目のそれを魔法陣と認識出来たのは奇跡に近いだろう。
だが、それに気を取られたのは一瞬だけだった。
俺の意思に関係なく、塗り潰される。
「──────」
目にも止まらぬ目の前を飛来し通り抜ける何か。
遅れて聞こえてくる凄絶な衝突音。
それが、アッシュが吹き飛ばされたことで生まれたものであると気付けたのは目の前に映る〝刈り取る者〟に対峙する存在が消え失せていたからだ。
襤褸の外套に身を包む巨大な骸骨。
覗く瞳は右目だけが妖しく光り輝いており、俺達が突如として現れた事実にほんの少し驚いているようであった。だが直後、きひと口角が僅かに曲がった。
「『惑、エ。惑エ────」
「こと、ば……ッ。ったく、何でもアリだなオイッ」
当たり前のように魔物が人間の言葉を使う。
その事実に乾いた笑いを漏らしながらオーネストは槍を構え大地を蹴り上げて肉薄を始めた刹那、一際大きな異質な違和感が俺達を覆うと共に告げられる。
数十メートルはあったであろう距離を一瞬でゼロへ。爆発的な移動能力によって槍が敵の頭蓋を貫くその瞬間、脅威的な身体能力で身体をのけぞらせ、すんでのところで回避しながら頭上を通り抜けるオーネストを心底侮蔑し、嘲笑しながらそれは言い終わる。
「────〝幻現遊戯〟ァア────!! ひ、ヒヒ、くヒヒヒヒヒヒヒヒヒ』」
響く声はあまりに奇妙で、不気味だった。
まるで、複数の人間の声を強引に混ぜ合わせ、組み合わせたかのような。
一音ごとに声の質が明らかに異なっていた。
それが余計に気味の悪さを助長していて、しかしそれに気を取られる事もなく、ぴたりと動きが止まったオーネストの異常の原因を見破って眉間に皺を寄せながら叫ぶ人間が、二人。
示し合わせていたかのように言葉が被る。
「「────ぜん、いんっ!! 息を吸うなッッ!!!」」
直後、衣服で口元をおさえ、顔を歪めながら発言主であるクラシアと俺は顔を見合わせながら飛び退いた。
「……息を、吸うなだあ!? よく分からんが、ヒツギヤぁ!! 先にあのバカ回収してこい!!」
「へいへい。世話が焼けるっすねえ? オーネストくんは」
蠢く影がオーネストの頭上に展開。
そのまま手にしていた大鎌でオーネストの息を止めようと試みる敵の一撃をすんでのところで影に呑み込ませようとした刹那、オーネストの身体が旋回。
続け様、目にも止まらぬ速さで行われる常軌を逸した槍の突きによる前後運動。
雨霰と降り注がせるそれは空振りに終わるも、そのまま接地すると同時にオーネストは場を離脱。
たった一当てで相当に消耗しながらも、小さく一言もらす。
「いらねえよ、ンなもんッ! こち、とら、毒で何度かダンジョン内で痛い目みてンだよ。空気が変わりゃ息も止める。常識だろ。だが、少し吸っちまったせいで視界がおかしい。が、まだどうにかなる範囲だ」
「……そこまでいくと獣か何かね」
「そうなると、俺と同じタイミングで気付いたてめえも獣だなあ? クラシア」
「…………ふん」
「いっ、てえ!?」
げしっ、と容赦なくオーネストの脛にクラシアが蹴りを叩き込んでいた。
そしてその様子を前に驚く人間が一人だけいた。
「〝神力〟に触れた人間であるアレクは兎も角、オーネストやクラシアがすぐにその違和感に気付けた事がそんなにも驚く事か? いち早く察して禁術の準備を整えて敵の行動に制限を掛けたヨルハの実力がそんなにも驚くほどの事か?」
「……ありゃ。バレないようにしたのに、ローザちゃんはやっぱり気付くんだ?」
「私は貴様らの癖を知り尽くしているからな。それは兎も角、過去を美化し過ぎるなよ、ノベレット。貴様と共にここで戦った面子は最高だったのだろうがな、だとしてもこいつらがそれに劣っているとは限らないだろうが」
弟子たるオーネストを危険に晒したくなかったからか。はたまた、彼の中の記憶が幼かった頃のオーネストと、その友で止まっていたからなのか。
当たり前のように、かつての仲間がダメだったのだから、駄目なのだと決めつけるのは違うとローザから指摘をされていた。
ノベレットは瞠目し、息をのむ。
そして一度、長い瞬きをした。
「……全く〝神力〟と関わりのない人間が、そこまで早く異常の原因を見抜くとは思ってもみなかったけど、それでもワタシは謝らないよ」
【猜疑】の発を知っていた。
そう聞いてこちらを嵌めようとしていたのか。
そんな疑問が浮かぶも、そうするなら他にもっと確実な手段はあったはずだと冷静になる。
「【猜疑】の原因はあのボスによるもので間違いはないが、そのキッカケはランダムで五感に働き掛けるもの。視覚。聴覚。触覚。嗅覚。そして、味覚」
腰に下げられたポーションを一瞥しながら彼は言う。
「言っても仕方がない事だから言わなかった。だって、無理だろう? 息を吸わず、視覚を使わず、耳すら殺して、何も触らず、ポーションすら使うな。だなんて」
それをしてしまえば、待ち受けるのは何も出来ない木偶の坊でしかない。
だから、そもそも戦う人間を分けてしまったのだろう。
「それよりも、下手に教えてしまって戦えると誤認される方が厄介で、だったらもういっそ【猜疑】にかかってしまえばいい。どうせ、自分の〝リバースエントロピー〟とヒツギヤの移動手段があればどうにでもなる────そんなところかぁ?」
「ギルド所属の、」
「レヴィエルでいいぜ。どうにもあんたも一応、ギルド所属だったらしいしな。あと、魔法の種明かしはまだ終わってないのにって質問はやめろよ? 魔法の効果なんて、大体見りゃ分かる。そこに当人からちっと説明がありゃ、それこそ殆ど分かるだろ」
当然じゃねえか。とギルドマスターにまで上り詰めた人間らしい感想を告げる。
「……頭の回転が早い人間は好きだよ。それが味方なら、尚更ね」
「そこにいるちんまい元教師ほどじゃねえけどな」
したり顔で散々「髭」呼ばわりをされていたやり返しを行うレヴィエルであったが、それが悪手であると俺達は知っている。
故に、次に起こる出来事と悲鳴は容易に想像する事ができた。
「小さくて悪かったな」
「ぐあっ!?」
幼女らしからぬジャンプ力で頭突きをお見舞いしながら、ローザはダメージを与えていた。
「私は勿論だが、そこの「髭」も、秘密満載ヒツギヤも。オーネストも、ヨルハも、クラシアも、アレクも。誰一人として足手纏いはいない。いたらそもそも、ヒツギヤの魔法で既に外に返してる」
「…………もしかして、ローザちゃんデレた?」
「デレたな」
「明日は地震か?」
「うわ、めずらし」
「前言撤回だ。こいつら全員足手纏いだ!!!! 帰れ!!!!」
とても敵を前にしているとは思えないやり取りを見せつけられて、ノベレットはすっかり毒気を抜かれていた。
しかしそれも刹那、我に返りリヴェットの安否を心配すると同時に背後から瓦礫が退かされる音と共に声が聞こえてくる。すっかり蚊帳の外となっていたアッシュの声だった。それに気付くや否や、瓦礫の山となっていた場所に埋もれているであろう存在の名を呼びながら俺は駆け出した。
「そう、だ。アッシュ!!!」
「アレク! 勝手な真似をす────ち。ヨルハの魔法から敵が抜け出した。迎え撃つぞノベレット。その魔法は飾りじゃないだろう?」
「……誰に物を言ってるのかな。これでも一応、一時期は最高傑作って言われてたパーティーのリーダーだったんだけど」
〝リバースエントロピー〟────巻き戻れ。
対象者は、己自身。
〝神力〟という不純物が入り込む以前の、魔法師としての己へと己自身の身体を強引に巻き戻す。
「〝神力〟以外の攻撃が通らないだけで、それは全く通じない訳じゃない。時間稼ぎまでもが出来ない訳じゃない。〝神力〟に冒されながら時間稼ぎをやり切ったワタシを、忘れた訳じゃあるまい」
展開する魔法陣は、十数をゆうに超える。
その速度も練度も、恐らくは威力も、俺を超えるものだった。歳月を感じさせるそれを前に、あの時、瀕死の重体だったルナディアの前で見せた魔法が、本当に小手先だったのだと理解させられた。
ほんの一瞬、目を奪われながらも瓦礫に埋まるアッシュを助けるべく岩を退け、手を伸ばす。
数秒ほどかかりながらも、フルプレートの甲冑の一部が視界に映り込み、引っ張り上げた。
「……こんなところで、何してるんだよアッシュ」
瞳の様子で相手の内心を探る事も、アッシュ相手では無理であると分かっているのに、引き上げられた事で呆け、沈黙する彼の様子は貴方こそなんでここにと言っているようでもあった。
「アレク?」
「ああ、そうだ。俺だ。アレクだ」
「……やっぱりもう一度【匣】に来ちゃったんですね。でも、貴方には貴方なりの譲れない事があったんでしょう。ですが、助かりました。僕一人では、記憶よりもずっと弱体化しているアレですら、抑え込み続けることは土台無理な話でしたから」
そうは言っても、俺達がここにくるまではある程度戦えていた。
恐らくそれは、彼が〝迷宮病〟の罹患者として〝神力〟に触れる機会があったからなのだろう。
【猜疑】の種は分かったものの、きっと物理的に五感を封じる以外に〝神力〟持ちだけが講じられる何かがあって、アッシュもそれに該当していたからどうにかなった。そう考えるのが適当だろう。
恐らくは、〝神力〟持ちの人間には【猜疑】のきっかけとなるものに対する耐性が強くある、とかだろうか。
「あのノベレット・アンデイズと、君と。他の、仲間がいれば恐らく〝刈り取る者〟を抑え込む事は出来るでしょう。ただ、それじゃあ足りない」
「足りない?」
「それじゃあ、時間切れの方が先に来る」
そう告げるアッシュの様子は、こちらを見ていながら、その実、別のどこかを見ているようであった。だから、その時間切れが何を指しているのか。
俺はあまり時間を要する事なく気付くことが出来た。
「リヴェットさんの限界が、間違いなく先にくる」
〝大陸十強〟という前提が、当たり前のように視野を狭めていた。【匣】という規格外の【アルカナダンジョン】の残骸を、百年もの間抑え込めていたのはリヴェットだからだ。
そして必ず、リヴェットも人である以上どこかで逃れられない限界がやってくる。
それが今、訪れかけている。
これはただ、それだけのこと。
「……なら、ルナディアをどうにかして」
「ちがう。ちがいます。そうじゃない、アレク。問題は、そこじゃないんです」
対峙するルナディアによって強いられる負担が根本的な問題ではないとアッシュは言う。
「彼女の限界は……もうとうの昔に訪れています。今の彼女は、どうにか振り絞った気力で理性を保っているだけに過ぎません」
本当は、ルナディアの相手をしている場合でないのは当然のことで、その上で既に限界を迎えている人間をどうにかしなければならないと彼は俯きながら告げる。
きっと彼は、何かを見たのだろう。
何かを聞いたのだろう。
何かを、知ったのだろう。
「僕は、彼女を助けたい。だけど、そうするにはあまりに手段が無さすぎる。何より彼女自身が、助かりたいとすら思っていない」
ルナディアに抗う理由は、犠牲を一つでも減らす為なのだろう。己の命可愛さにではなく、本当に心の底から犠牲を減らしたいと願うが故。
仮に自分の命一つで全てが救われるのなら、間違いなく躊躇いなく己の心の臓に刃を突き立てるのだろう。きっとリヴェット・アウバとはそういう人種だ。
そんな人間を救おうだなんて、土台無理な話だ。
その上、身体の限界もすぐそこにあるなら尚更に。
でも。
「だったら、縛ってでも助けるしかないな?」
死にたくても、死ねないように。
どこか冗談を言うように小さく笑いながらそう言うと、驚いたようにアッシュは顔を上げた。
「もしかすれば、ノベレットなら。ローザちゃんなら。あそこにいる誰かなら、どうにかなるかもしれない」
タソガレからの頼まれごともある。
ノベレットも、リヴェットの死は望んでいないだろう。ギルド所属であるレヴィエルも、ヒツギヤも。
何より、誰かの為に身を削り続けた善人を、俺も死なせたくはなかった。
だから。
「だから、俺も手を貸すよアッシュ。リヴェットを助けよう。安心しろ。これは、無謀なんかじゃない」
そうなると必然、リヴェットの下にある程度の人間を向かわせる必要がある。
俺一人でどうにかなる範囲は決まりきっているが、それでも虚勢を張らなければどうにもならないだろう。
少なくとも、ローザか、ノベレットはリヴェットの下に向かわせなければ話が始まらないのだから。
どれだけ虚仮威しでもいい。
今は少しでも、強くみせろ。
頭の中で強くそう願うと同時、魔法を展開する。
現れるは視界を焼き焦がさんばかりの白々とした雷光。その千影。一瞬で場を席巻するそれは、雷に彩られた雷槍だ。その矛先は、狙い過たず〝刈り取る者〟に向けられている。
彼方此方で弾ける雷光の音を耳にしながら、俺は静かに告げた。
避けられるものなら避けてみろ。
「───────〝雷槍千影〟──────」









