百四十四話 ヒツギヤの正体
「…………懐かしい顔、だあ? 確かに、よく見りゃ知らねえ顔がいるな。あんたの知り合いかよ? ローザ・アルハティア」
「数年前からギルドに籍を置き始めた私は兎も角、一応は重鎮だというのにどうして貴様が知らないんだ髭だるま」
「重鎮っつっても末端も末端だっつーの。つーか前々から言ってやりたかったが、誰が髭だるまだ、誰が! どうみてもおしゃれだろうが!?」
隣でヒツギヤが「ひ、髭だるま……ぷ、ぷくくっ」などと口元をおさえて笑っていた事もあってか、余計にレヴィエルが怒るも、ローザにはどこ吹く風。
レヴィエルに構う暇などないと言わんばかりに聞き流しながら、先の言葉についての続きをローザは口にする。
本来であればレヴィエルは分かって当然であった人物。ギルドが管理する冒険者。その重要人物だった存在。
歴史から抹消される以前までは、知らぬものなしとされた最高傑作を謳われたSランクパーティー〝明日への光〟。
そのリーダーを務めた正真正銘の規格外。
付けられた二つ名は────。
「尤も、百年前とまるで変わらない容姿で出会う事になるとは思いもしなかったがな、〝盤上不敗〟」
「……やめてくれないかな。その大層な二つ名は、昔から好きじゃないんだ。そもそも、もう不敗でも何でもないしね、〝天旋〟」
意趣返しをするようにノベレットもまた、ローザ自身が嫌っていた二つ名を呼ぶ。
馬鹿げた実力を持つちんまい幼女。
その見た目もあって、ノベレットもすぐに答えに辿り着いたのだろう。
「…………〝盤上不敗〟、っすか」
そんな二人のやり取りを目にして、ローザの発言に間違いはないと確信し、緩んでいた表情を引き締めて反芻するようにヒツギヤは口にした。
ローザ・アルハティアに〝天旋〟と呼ばれる二つ名があるように、ある種の偉業を成した────言うなれば化物認定をされた人間には総じて二つ名がつけられている。
大半の記録が人為的に削除されはしたものの、そのあまりに出鱈目染みた実績による二つ名だけは未だ御伽話のように一部の人間の記憶に残っていた。
それ故に、レヴィエルもローザの言う懐かしい顔と告げられた男の正体に辿り着く。
「……噂は本当だったってわけかよ。ってことは、あんたがその亡霊ってわけだ。ノベレット・アンデイズ」
露骨に警戒心をあらわにしながらレヴィエルは言う。値踏みをするように、正体を確かめるように粘着質さと疑惑を含んだ視線をこれでもかと言わんばかりに彼は向ける。
しかし、ノベレットはそうされる事が当然と踏んでいたからか。僅かな表情の変化もみせず、全てを受け入れていた。
「亡霊とは言い得て妙だね。確かに、ワタシは亡霊だ。これまでも。そしてこれからも、きっと過去に囚われ続けてるだろうから。ところで〝天旋〟」
「……なんだ」
嫌っている呼び名ではあるものの、言い出しっぺは己でかつ、実力で黙らせる事が不可能な相手と割り切っているからなのか。
眉根を寄せるだけでローザがノベレットを注意する事はなかった。
「そろそろ、退いてあげてくれないかな。キミが下敷きにしてるオーネストは、ワタシの大事な弟子でもあるんだ。流石に目の前で死なれるのは忍びない」
「…………ぅん?」
オーネストをマーカーとしてやって来た後、立ち上がったところまでは良かった。
しかしワザとなのか、はたまた偶然なのか。
立ち上がったローザの足が、砂煙で視界が悪くなっていたせいでちょうど起きあがろうとしていたオーネストの頭を踏んづけるような形で着地。
普段ならば騒がしいはずのオーネストが地面に顔を押し付けられる事で呼吸困難に陥っていたがゆえに喋るに喋れない状況が完成していた。
「ぁあ、悪い悪い。ちょうど良い足場があったものでな。こんなに生徒想いの先生からの有難い忠告を真っ向から無視する奴にはこのくらいの仕置きは必要かと思っていただけだ。なに、あと数分程度で解放してやるつもりだったとも。忘れたわけではなかったとも」
つまり、ワザとであったと白状される。
考えてもみればそうだった。
ローザの体重は見た目通り、とても軽い。
本来であればオーネストの力があれば無理矢理起き上がる事は可能であった。それこそ、意図的に負荷を掛けられていない限り。
やがて、ひょいと足を退かすや否や、ぜぇ、はぁーっ。と必死にオーネストが空気を肺に取り込んだのち、血管が額に浮かび上がるほどに怒りを滲ませながら言葉を紡いだ。
「……よくもやってくれたな? ローザちゃん。ちんまい幼女の見た目の癖に、まさかそんなに体重が重かっただなんて思いもし「くたばれ」へぶっ!?」
怒り心頭のオーネストに、冷静に物事を考えるという段階は存在しなかったのだろう。
単純に、ローザの体重が重くて起き上がれなかったと仮定した事で、鼻先にトーキックをお見舞いされ、仰け反る形で蹴り飛ばされる事となった。
「よし。適度に静かになったところで単刀直入に聞こうか、ノベレット・アンデイズ」
「何かな。これでもあまり時間はなくてね。悠長に話をしている時間はなくて、」
「案ずるな。たった一言。この質問に答えさえしてくれればお前は勝手にすればいい」
あえて呼び方を名前に戻しながら、表情に僅かな小波すら立たせずローザは問う。
「ギルドの責任者────リヴェット・アウバはどこにいる」
今のノベレットの尋常ならざる様子についてでなく。これから何をするつもりなのかですらなく。
ただ一言、リヴェットの現在を尋ねるその質問に、誰もが瞠目した。
とてもじゃないが、今この状況に適したものではないと誰もが判断したからだ。
「お前の性格については、ある程度は知っているつもりだ。そこに、百年と少し前にリヴェットと接点があった人間なら、彼女が最後にどこへ向かったのか。その答えを得ている。ならば聞く事は一つだけだろうが。それとも質問を変えてやろうか。ここで、リヴェットは今、一体何をしている?」
「…………」
言い逃れは土台不可能だと悟ったのだろう。
「……彼女は、【匣】の深部で今も尚、この元凶を抑え込んでいるはずだ。百年前から、ずっとね」
「なるほど。粗方理解した。そこの問題児共が【匣】に乗り込んだのも、それ絡みというわけだ」
善意だとか、放って置けないだとか。
そういう感情抜きに、明確な目的があったが為にこうして今、ここにいる。と指摘を受けて、思わずヨルハが声を上げた。
「ローザちゃんって、もしかして人の頭の中とか見えたりしてる……?」
「見えるものか阿呆。特別お前ら問題児共の行動が分かりやすいだけだ」
────よりにもよって、タソガレなぞに借りまで作ってからに。
忌々しげに吐き捨てられた言葉を受けて、メイヤードでの一件についてある程度の情報共有がローザにまで行われている事を理解した。
送り飛ばされたヴァネサらのうちの誰かが、こうしてローザを呼ぶにあたって説明をしたのだろう。
「だが、本当にそうであるならば思い上がりも甚だしいな? リヴェット・アウバがどうにか抑えているものを、お前ら如きでどうにか出来るとでも思ったか?」
そんな事で良化するくらいならば、この百年の間のとうの昔にリヴェットが解決をしていたはず。
出来なかったのなら、つまりはそういう事と告げられる。
圧倒的な実力に寄せるローザの信頼は確かなものだ。途中、百年前って事は…………ローザちゃんって一体、何歳なのかしら。などと深淵に一歩踏み出し掛けていたクラシアをそっちのけに、ノベレットはローザの言葉を受けて当然のように反論をする。
「────出来る可能性はあるだろうさ。なにせ彼女には、致命的な欠点があるからね」
実力はあっても、明確な弱点がある。
だから一纏めに、彼女が出来ないならこちらではどうしようもない。その考えに結び付ける事は早計であるとノベレットは告げた。
「彼女は、誰一人の犠牲も受け入れない。どこまでも高潔に、愚直に、己以外の犠牲を受け入れはしない」
その先にどれだけ素敵な末路があろうと、実利があろうと、たった一人でも自分を除く犠牲が生まれるならリヴェットは受け入れない。
なぜならそれが、〝聖拝者〟としての意地で信念だけらだ。
そして不幸にも、彼女はそれを言えるだけの圧倒的な実力があった。理想を語って然るべき才があった。
それが恐らく、一番の不幸で、ノベレットが口にする明確な弱点。
「だから少なくとも、最低限の資格がある人間であればどうにか出来る可能性はある」
「……資格?」
「簡単な話だよ。〝大陸十強〟と同じ力を使われても戦える人間────ここでは、ワタシと、アレク君と、そしてローザ・アルハティア。キミなら可能性があると言ってるんだ」
胡散臭そうに資格について問うたレヴィエルの疑問に対する言葉は、目を剥いて然るべきものだった。
しかし、その動揺は程なく収まってゆく。
よくよく考えれば、ある意味当然であるからだ。
〝神力〟と呼ばれるあの力を行使するところこそ見ていないものの、一向に変わらない容姿。
まるで遥か前から生きていたかのような口振り。
それら全てに説明をつけるなら、〝大陸十強〟と限りなく同類であったというものが一番納得がいく。
「……お前の言う可能性があるからこそ。その力について分かっているからこそ、その可能性とやらがか細い糸だと一番理解しているとは思わないのか」
指摘を受けて、ローザは嘆息しながら告げる。
真っ当に過ぎる言葉に、ノベレットは表情を一切変えない。恐らくはそう言われると分かっていたのだろう。
「思うよ。だけど、選択肢がそれしかないなら仕方がないじゃないか。それ以外に彼女を助ける余地がないのなら、その可能性に縋る事にワタシは何の躊躇いもないよ。それに、仮にキミがワタシと同じ立場だったとしても、全く同じ言葉を口にしていたと思ったんだけど……違ったかな、ローザ・アルハティア」
図星であったのだろう。
目を細め、複雑な感情を瞳の奥に湛えながらローザは答えあぐねているようであった。
「……髭だる────レヴィエル。こいつらを頼む。私はやることが一つ出来た」
頼み事をするからか、髭だるま呼びをやめて彼女は俺達を一瞥する。
要するに、【匣】の外に連れて行け。ということなのだろう。
「悪いけどローザちゃん。俺達にも、ここにいる理由があるんだ。タソガレからの頼み事の件もあるけど、それ以上に何も無しじゃ帰れない。少なくとも、エルダス達の居場所の手掛かりを聞くまでは」
「どうしてそこで問題児第一号が出てくる…………ぃや、そうか。そういう事なのか」
メイヤードでの一件を詳細までは聞いていなかったのだろう。エルダスが絡んでいると聞いて、露骨にローザの顔が歪む。
彼が絡んでいるなら、俺に譲歩という妥協はあり得ないと分かっていたからだ。
そしてその要求を満たせる人間が恐らく、もうリヴェットしかいないであろう事を理解して、ローザは息を吐き出す。
ついで、話し合いによる説得は無理と判断を下して声を掛ける人間を変える。
「……ヒツギヤ」
「残念っすけど、その頼みは聞けねえっすねえ。いや、聞けねえというより聞けない。が正しいか。敬虔な信徒としては、口約束だろうと真摯でありたくて」
ねえ? とヒツギヤはレヴィエルに同意を求める。
ローザの要求が俺達を逃がせというものだと断じる思考は言葉なくとも共有されたようで、レヴィエルもヒツギヤの言葉に唸りながらも同調した。
「ガルダナで、とある物を借り受けるにあたっておれらは約束をさせられたもんでして」
「約束?」
「なぁに、単純な話っす。おれらに、彼らの邪魔だけはしないようにと釘を刺されたってだけっす」
最大限力を貸してやれと。
それが、〝アレ〟を貸すにあたっての条件だ。
そう締め括られたやり取りを思い返しながら、レヴィエルもまた気まずそうに目を逸らした。
その約束を守ろうとすれば、自ずと俺達を【匣】から引き剥がす事は無理と理解してか、責から逃れるようにレヴィエルは言葉を重ねる。
「……そ、それに、リヴェットが絡んでるならギルド所属のオレらも無視は出来ねえし、そもそも【匣】から出る事自体も骨が折れるしよ。何より、勝算だって十分にある筈だ」
────犠牲は払ったが、とっておきをガルダナから借りてきたからな。
付け加えられたその一言を受けて、レヴィエルらも使えないと判断したのだろう。
この状況で無理矢理、俺達を【匣】の外に引き剥がすにしても、障害が多過ぎる。
故に、ローザは呆れたようにノベレットに尋ねる。
「これからどうするつもりだ、ノベレット。まずはそれを聞かせろ。話はそれからだ」
「リヴェットが抑えている【匣】の元凶。それを、〝神力〟に対抗する手段がある人間で抑え込む。その間にリヴェットを避難させた後、元凶を倒せるなら倒す。無理な時は────この【匣】ごと消滅させる。この百年の間に、その準備は抜かりなく行った」
本来であれば、そこに〝スカー〟の異名を持つルナディアが加わっている筈であったが、説得に失敗した為にこうするしかなかった。
「元よりこれは、ワタシ一人でも行えるように準備してきた事だ。だから、たとえ今のキミが〝神力〟を扱えないとしても、アレク君が殆どその力を振るえないとしても、殆ど変わりないんだよローザ・アルハティア」
主として戦うのは元より己のみ。
そこに補助をしてくれるだけでも御の字。
故に、関係ないのだと告げるノベレットに、驚いたのはローザだ。
まさかそこまで見抜かれているとは思ってもいなかったのだろう。
「これから先の未来で、リヴェットは必ず必要になる。だから彼女がどれだけ拒もうと、彼女だけは助けなければならない。それは、キミが一番分かってるだろ。ローザ・アルハティア────いや。〝なり損ない〟」
言葉はない。
しかし、ノベレットの言葉を受けて、明確な怒りがローザの顔に浮かんでいた。
「私の怒りを煽る目的だったなら、それは半分達成したぞ。ただし、半分は失敗しているがな」
ノベレットを除く誰もの頭の中に、〝なり損ない〟という言葉に対する疑問符が浮かんでいる。
だが、聞いてはいけないものだと誰もが認識したが故に黙り込む。
踏み込んでいい部分と、そうでないものがある。
これは後者であった。
「あまり好きではないが、その〝なり損ない〟という言葉にはある程度の理解がある。そもそも私は、ずっと昔の記憶が丸ごと欠けている。自分がどうしてこんな体質になったのか。その理由を私は全く知らない。その記憶を取り戻す為にもリヴェットは必要だ。だからこそ、これまで散々彼女の意思を汲んでいたのだから」
もしかすると、魔法学院にローザがいた事ですら、その意思によるものだったのかもしれない。
そんな考えが浮かぶも、遮るように彼女は滔々と語る。
「だが解せないな」
「何が、かな」
「間違ってもリヴェットは、その話を誰かにするような人間ではない。なのに何故、お前はそれを知っている?」
一体、どうやって知り得た。
事と次第によっては────。
「確かにリヴェットから聞き得た事じゃない。でも、ここだと人が多いだろう? キミも手を貸してくれるなら、全てが終わった後に話すよ」
「お前が死ぬ可能性は極めて高いだろうが?」
「たとえ死んだとしても、その約束は違えないと誓うよ。それではだめかな」
「…………ふん」
〝盤上不敗〟。
そんな大層な名前が付けられて然るべき人間と受け入れていたからか、あまりに呆気なく彼女は納得。次いでローザはノベレットからつまらなさそうに顔を逸らした。
「この問題児共を引き剥がしたいところだが、帰る気がない以上、碌でもない未来になる気しかせん。だから、今は手出しはしない。お前のやり方に従っておいてやるノベレット」
ローザに、レヴィエル。
監視役として己らがいる状況の方がまだましだと判断をしたのだろう。
「だが、【匣】の元凶。それを叩く人間とリヴェットの救出をする人間については私に決めさせろ。恐らく、この場において私だけが全員の能力を把握している」
「……まだ、そこまでは随分と距離があるよ。別に今すぐそれを決める必要は、」
「あるだろう。少なくとも、こいつがいるなら距離などあってないようなものだ。そうだろ、ヒツギヤ」
まさか名前を呼ばれると思わなかったのか。
どこか驚いたような様子でヒツギヤは目を見開く。次いで、戯けたように小さく笑った。
「確かに、おれの魔法は便利ではあるんすけど、この影を使う魔法にも色々と制限が────」
「そういう設定は今はいい」
だらだらと言い訳を重ねるヒツギヤを、ローザが一刀両断。
「たとえリヴェットが〝神力〟を用いて張った結界であっても、お前だけは関係がない。そうだろう?」
決定的な根拠のもと、確信を持って告げている。
その様子から言い逃れが出来ないと理解しながらも同意する事だけは出来なかったのか。
何のことやらととぼけるも、そのやり取りが無駄と捉えたローザは痺れを切らしたように告げる。
「そもそもお前は、私達よりも人間であるすら怪しい側なのだから」
彼女の言葉に真っ先に顔を顰めたのはレヴィエルだった。そしてノベレットもまた、ローザの言葉の意味が理解出来なくて眉根を寄せる。
「【匣】の一件を除いてたった一度の読み間違えすら起こさなかった〝盤上不敗〟のお前であっても、こいつの正体は見抜けないだろうよ。こいつの棺の中こそが本体で、単なる人間にしか見えない外見が嘘っぱちであるなどな」
「……そこまで言い当てられると言い訳は厳しいっすねえ? ちなみにそれは、誰から聞きました? 一応これ、レヴィエルか、うちのパーティーのルオルグしか知らない事なんすけど」
「昔取った杵柄だ。これでも悪霊の類には詳しくてな。だが安心しろ。〝大陸十強〟の中にはいるやもしれんが、少なくとも人間の枠組みに収まっている人間で、お前の正体を見破れるやつはそういない」
ヒツギヤは嘆息。
少なくともローザに言いふらす意思はないと理解して、仕方がなさそうにこめかみを少し掻く。
「…………半径20キロ。その距離なら〝神力〟すら潜り抜けて移動は出来るっすよ」
それでもまだ、距離が遠いか?
とばかりにローザがノベレットに視線をやり、問題がないと確認。
「決まりだな。私の一存でいいなら、元凶を叩くのは私と、ノベレットと……アレクとヒツギヤの四人だ」
「オイ、待てよ! なんでオレさまがそこに入ってねえンだよ!?」
「相性の問題だ、馬鹿オーネスト。それに、幾らそこの髭だるまがガルダナからアレを持ち出していたとしても、お前までこっちにいると戦力が偏り過ぎだ」
「……だとしても、この髭がいるなら大丈夫だろ! 幾ら髭とはいえ、ギルドマスターだろうが」
「髭だるま一人じゃ、大丈夫と思えないから言ってるんだ」
「…………て、てめえらさっきから黙って聞いてりゃ、髭髭髭髭うるっせえんだよ!? なにか!? そんなにオレの髭に恨みでもあんのかよ!?」
半べそをかきながらレヴィエルが叫び散らす。
最早扱いが人ですらなく、髭と化していたせいでいじけているようであった。
そんな時だった。
ざあ、と一際大きな風が吹き荒れたと思った直後、筆舌に尽くし難い悪寒が襲う。
次いで空の色が不穏めいたものに変色を始め、地鳴りのような音と共に大地が揺れた。
空を割くように伸びる一条の光を前に、ノベレットはその正体を見破った。
「これ、は……〝強欲の果てに〟。ルナディアさんか……ッ」
テオドールから〝強欲〟の呪術刻印を与えられた人間の名前を口にしながらノベレットは焦燥をあらわにする。
「あの重傷では流石にリヴェットの下に向かう訳がないと思っていたのに……っ」
ルナディアの意志の強さを軽んじた訳ではない。
歩く事すらままならなかった人間が、まさかその足で【匣】に向かうなど、誰も思うわけがなかった。
「ヒツギヤ、さんだったね」
「ヒツギヤでいいっすよ」
「ならヒツギヤ。ワタシ達を、リヴェットの下に送ってくれ」
「それは構わねえっすけど、おれは場所を知らない。座標を言ってくれねえと、」
「ここからなら、直線で10キロ。そこから左に2キロ。さらに左ナナメ前に300メートル。出来るなら、その座標に空中で放り出して欲しい」
「一瞬で答えるって、あんたも相応にバケモンか。だが、そうでもなければ〝盤上不敗〟なんて呼ばれる訳もねえっすねえ?」
────その距離なら、おれの能力圏内だ。
そう告げながら、ヒツギヤが背負う棺が不穏めいた音を立てながらほんの少し開いてゆく。
いやに冷えた空気を漏らしながら、直後、棺の中から黒い影が溢れ出たと認識すると同時に一瞬で視認出来る眼前一帯の足場を、昏い影が埋め尽くした。
「──────〝深影回廊〟──────」
そして泥沼のように影が足を絡め取り、
「は、っ────!?」
棺の中から響く「きひひ」と甲高い笑い声を耳にしながら俺達は影の中に呑み込まれる。
次の瞬間、吐き出されるようにまるで違う景色の中に放り出された。
そこには、〝刈り取る者〟らしき魔物と、それに対峙する人影が一つ。
「────アッ、シュ!? どうしてお前がここにッ」
そして少し離れた場所で、見覚えのある包帯女、ルナディアともう一つの人影があった。
しかし、動揺する俺達をよそに泰然とした様子で炯々とした瞳で敵を射抜きながら恐ろしく感情を感じられない声音で小さくノベレットは紡いだ。
「随分と時間が短縮されたから、ここからは戦いながらキミが理解してくれ。ただ、その前にワタシの代名詞のような魔法について教えようか」
俺の記憶の中にはない言葉。
〝固有魔法〟かもしくは禁術の類。
「ワタシの魔法は、基本的に能力を〝ひっくり返す〟事で場況を整えるもの。ある意味でそれは取替えると言ってもいい頭が物を言う能力。故に、〝盤上不敗〟なんて二つ名が出来上がった」
ノベレットは何の躊躇いもなく、紡ぎ上げた。
「ひっくり返れ────〝リバースエントロピー〟────!!」









