10.仕返し
さやかは、夜が明けかけた町を走っていた。
再編成されたさとしは、本人の希望通り女の子として生まれ変わった。でも、また0歳からのスタートである。いくらさとしの心を、その再編成によって生まれ変わったばかりのさやかに移したとしても、知能はやはり、赤ん坊のそれであった。
5歳になった頃、施設は、さやかに仕事を始めさせた。幼稚園での友達の役割だったり、独居老人の孫としての役だった。孫といっても、それは施設がお客のために派遣するのだから、わがままは一切言わず、思いやりだけがある、都合のよい孫としてであった。
その中の一つに、北向夫婦の娘としての派遣があった。施設がそれとなく、案内のメールを、北向家に送っていたのであった。
紹介を見た淑子は、さえこによく似たさやかを見て、きっとさえこの生まれ変わりだろうと思い、1も2もなく依頼した。それから淑子は、事あるごとにさやかを指名した。
そうやって一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、淑子は、さやかはもしかして、さえこではなく、さとしの生まれ変わりだということに、感ずいたのかもしれない。
さやかは、最寄の鉄道駅へやってきた。
朝の5時ちょっと過ぎ、ようやく駅の窓口が開く。さやかは大急ぎで駅員に詰め寄り、
「○△駅まで」
それは、咲子と一緒に行った、遊園地のあるあの町だった。
北向夫婦から、さやかがいなくなった、という連絡を受け、美羽は飛び起きた。髪のセットもそこそこに、管理棟へ向かい、自分のデスク上のパソコンを立ち上げる。
さやかのメガネには、さやかにも知らせていない隠しカメラが仕込まれていて、さやかの瞳に映っている光景をリアルタイム生中継で確認することができた。しかし、美羽のパソコンの画面は、ある部屋においてある、一つの写真立てを映した状態で、固定されていた。
それは北向一家4人、大造と淑子、男子だった頃のさやか、つまりさとしと、さえこが4人で、北海道旅行に行ったときの写真だった。通りすがりの観光客にでも撮ってもらったのだろう。どこかの岬のようなところで、4人そろって笑顔だった。
それを見た美羽は、さやかが、完全に記憶を取り戻したことを確信した。
さやかの頭はつい最近の事件で、清掃されたばかりなので、通常の刺激で記憶がよみがえるとは考えられなかった。おそらく、北向さんが、さやかに全て話してしまったのだろう。それしかありえない。あれだけ注意しておいたのに、と美羽は唇をかんだ。
さやかの心は、さとしのものである。さとしは、自分でも気づいていなかったが、いじめられた事、先生も、誰も助けてくれなかったことを、強烈に恨んでいた。
新しく作ったさやかの体に心を移行するとき、もちろん、その心の傷ともいうべき部分については、しっかりと抹消しておいた。しかし、人間の心を完全に制御できるものではなく、傷は残ってしまっていたのだろう。
それ以上強力に記憶の抹消をかけると、関連する別の部位の記憶が損なわれ、知能に障害が出たり、自立神経を制御する領域をやられてしまい、生命の維持が困難になるので、できなかった。それくらい強力に消し去ろうと施設も努力していた。
さやかが記憶を取り戻し、なおかつメガネを外して行方をくらまし、施設にも戻ってこないという事は、やはり、中学生のとき、いじめてきた相手と、それを傍観していた先生とクラスメートに仕返しをしようとしていると考えて間違いない。
さやかの担当になって長い美羽は、さやかの心を制御できる自信があった。
ともかく、一刻も早くさやかを止めに行かなければならない。
非常停止装置の使用も考えたが、さやかの状況がわからない現状での使用は危険が伴う。急に活動を停止したのが、横断歩道や踏み切りの上だったりしたら、危ないからだ。
それに記憶を取り戻した今、美羽の制御を受け付けるとも思えなかった。
─行くしかない
美羽は、朝早く、誰も出勤していない管理室で決心したように立ち上がった。窓のブラインドの隙間から、朝日が差し込んでいた。
さやかはリニア新幹線を降り、在来線に乗り換えた。ほんの1週間前、咲子と一緒に来たばかりのところだった。
電車は朝の7時で、通勤、通学客で混み始めていた。付近の中学生とはあきらかに違う制服のさやかを、ちらちら見る人もいた。
やがて電車は、さやかが、さとしとして生きていた時の町へ到着した。
さやかは立ち上がると、改札を出て、記憶をたどりながら、まっすぐにさとしが通っていた中学校へ走っていった。
美羽は、さやかが乗っていった後のリニア新幹線に乗り込んだ。さやか関連の資料で、さやかが向かっている中学校は予測がついている。何といっても、スカウトしたのは自分なのだから。問題は、さやかが行動を起こす前に、さやかを止められるかである。
リニア中央新幹線は、時速600kmで飛んでいく。それでも、美羽は、もどかしく感じていた。
懐かしくない中学校へ到着したさやかは、野球部の朝練が始まっているグランドを避けて、職員用玄関からの侵入を試みた。
玄関は開いており、さやかは難なく侵入に成功した。記憶の中にあるのと、すこし間取りが違っていて、とまどった。やっと発見した家庭科室はドアが閉まっていた。
職員室へカギを取りに行ってしまうと、バレてしまう。さやかは考えて、職員室の隣にあった給湯室のキッチンの下のドアを開けてみた。さやかの狙い通りであった。さやかは、包丁を手に取ると、そっと、制服の胸元へ忍ばせた。
さやかは包丁を胸元に忍ばせて、自分のいた教室、1年1組へ向かった。いじめた相手を殺したあと、自分も死のうと思った。廊下から、そっと教室を覗き込んだ。朝の会の最中であった。さやかは自分をいじめていた人間を探したが見当たらない。
─おかしい、いちばん後ろの席の窓際で、ふんぞり返って、自分をどなりちらしていたはずなのに…
そこにはさやかのターゲットとは正反対の、おとなしそうな小柄な少女がすわっていた。
教室の雰囲気も、自分の記憶にあるものとどことなく違う。
そして、前方奥にある教師用の机にすわっている先生も、さとしを見捨てた、下平という担任とは似ても似つかない、40がらみの女性の先生が教室を眺めるようにして座っていた。
校舎に入るとき、校門で中学校の名前を確認した。さとしの通っていた中学校と同じ名称であったはずだ。さやかは目立ってはまずいと、ひとまずその場をはなれ、女子トイレに身をひそめた。
ドアを閉め、さやかは落ち着いて考えた。
そしてハッと気がついた。
─そうか、さとしが死んだ日から、14年たっているんだ。
さとしが再編成されて、0歳から生まれ変わったさやかが、中学1年生になるまで、14年の歳月が経過していたのである。だから、淑子も大造も、さとしの記憶にある姿から年をとっていたし、中学生の頃、さとしをいじめていた人たちはとっくに成人して、今は30近い年齢になっているはずである。さやかが、まださとしだった頃には、はるか先の完成予定だったリニア中央新幹線が、すでに営業を開始している時点で、気がつくべきだったと、さやかはがっくりした。
─とりあえず、帰ろう。
さやかは誰もいないのを確認して、そっとトイレから飛び出した。階段を下りて行って、給湯室へ向かう。包丁を元に戻しておこうと思ったのだ。すると、階段の上から、
「何にしてるんだ、もう授業は始まって…」
ぶっきらぼうで、えらそうで、その実、どうでもよさそうな声、さやかは忘れていなかった。
「下平!」
振り向きざま、さやかは反射的に包丁を突き出して、下平にとびかかった。14年の月日が経過し、年をとっていたが、さやかの記憶は薄れてはいなかった。いじめっ子たちと一緒になって、教師という職責を忘れ、さとしに暴行傷害を与えた、下平であった。
その冷たい瞳と言葉は、いくら清掃しても、さやかの心から、離れることはなかった。
「お前も責任も取って死ね」
咲子と一緒にいるときのさやかとは、まったく違う金切り声を上げて、とびかかった。
下平は、突然のことにびっくりして動けなかった。
包丁を握っているさやかの右手が、ぬるっとして、温かい感触につつまれた。
「あっ…、美羽さん…」
「うん、間に合ったかな」
さやかの包丁が下平に届く直前、美羽が間に割って入っていた。さやかが握っている包丁は、美羽のわき腹に、半分ほどめり込んでいた。
「あ、ああ…」
さやかは、美羽の血で真っ赤になた両手を見つめて、呆然となった。
美羽は、わき腹の包丁を押さえて、痛みに耐えながら、なんとか事を収めようと、思考をめぐらせていた。しかし、痛みと出血のせいで、気を抜くと、倒れそうであった。
美羽は正気を取り戻しかけている下平へ歩み寄った。
「警察を呼んでくる!」
下平は、腰を抜かしていたが、やっとの思いで立ち上がり、走り出そうとした。そんな下平に美羽は、落ち着いた様子で、
「何で警察を呼ぶ必要があるの?」
「あんた自分が刺されてんのに! それに俺は、そいつに殺されかけたんだぞ!」
と、呆然としてへたりこんでいるさやかを指差した。
「刺されたのは私。そして、これは、この女の子と私のおふざけなの」
「おふざけって…、あんたはそれでいいかもしれないが、俺はどうなるんだ!」
下平は、自分が被害者であると主張した。
「それとも、自首するんですか? 14年前、北向さとし君を、他の加害生徒と伴って自殺に追い込んだことを…」
それを聞いて、さやかは顔を上げた。
「さやかさん、あなたには黙っていたけど、14年前の、あたしと出会った夜、あなたはこの学校の屋上から、飛び降りて一度死んでるのよ」
「でも、あたしは、家出して、若いときの美羽さんに誘われて、自分で承諾して施設に入ったはず」
「あなたが飛び降りて、死亡が確認されたとき、脳細胞が死滅する前に直ちに、北向さとしの心を取り出した。そして、死体は、秘密裏に施設に運ばれたの。それからのことは、私と電車に乗ってから、施設で契約するまでのことは、心だけになっていた、さとしさんの心に、直接、語りかけたことなの。だって、自分で自分を殺したっていう記憶は相当ショックなことだから、と思って」
「自殺する前に、助けることは、してくれなかったの…?」
「あなた自身か、あなたの両親からの依頼がない限り、施設が人の人生に介入することはできなかったんだ…、ごめんね」
美羽は済まなさそうに言う。
「もし、あの時、さとしが、この仕事を断っていたら? だって、あの時点ですでに、さとしの体はもう死んでたんでしょう。断っても、戻る体がないよ!」
「…そのときは、本人の心がもう生きたくない意志を示したのだから、心を抹消する。そして、あなたは存在を終えることになる」
下平は、思い当たるところがあったのか、通報しようと職員室へ向かっていた足を止めた。その表情は、青ざめていた。
「警察を呼んで、自首するんですね。14年前の人殺しを」
美羽が詰め寄ると、
「何を言ってるんだ。そんなのは、勝手に死んだんだ! 俺は関係ない! 俺のせいじゃない!」
真っ赤になって否定するのは、やましい気持ちがあるからだろう。そんな下平を、美羽は、蔑んだ表情で見ていた。
「さやかさん、見なさい、これがあなたが仕返ししようとしていた下平の本性よ。腐りきった教師。復讐する時間がもったいないよね」
そして、下平に向き直ると、
「取引しましょう。今、目の前に起こったことを、一切口外しないのなら、私も、14年前の自殺のことは、公表しない。教育委員会にも、マスコミにも言わない。さやかさんにも、二度とこんなことをさせません」
「何っ…、この人殺し女を見逃せと」
「私も、あなたみたいな人殺しを見逃したくないわ」
「その人殺し女をしっかりと管理しろよ!」
下平は、捨て台詞を残して、その場を去った。
美羽は一息ついたが、おかげで張り詰めていた緊張の糸が切れ、今度は意識が遠くなってきた。血で汚れてしまったこの場所の清掃、そして自分の治療を施設に依頼しなければならない。
─そして、さやかさんをどこかへ逃がしてあげなければ…。
なんとかうやむやにしたとは言え、さやかが問題を起こすのはこれで2回目である。前回の件でも、会議で相当ひどく糾弾された。もう2度目はあり得ない。間違いなく、処分にまわされる。
美羽はよろめきながら、さうやかに歩み寄ると、さやかは、立ち上がり、美羽を支えるようにして抱きついた。
「ごめんね、ごめんね」
胸元で髪を振り乱して泣きじゃくるさやかの頭を、美羽はそっとなでてやった。
さやかは美羽に肩を貸しながら、学校を出る。
ほどなくして、パトカーでなく、救急車がやってきた。美羽は一目でそれが、施設に所属している救急車であることがわかった。
車からはカモフラージュのために、その町の救急隊員の姿をした施設の医療班が降りてきて、半ば連行するように、美羽を救急車両へ押し込んだ。そして、黒の背広姿の施設の職員が職員通用口から、校舎へ入っていくのが見えた。
おそらく、今回の件のもみ消しを校長と交渉するのだろう。
救急車の音を聞きつけ、教室の窓からは、たくさんの生徒が顔を出していた。さやかは、その様子を見上げて、あの子たちは自分よりも、14歳年下だと思うと、妙な気分になった。自分は、もしさとしとして生きていられたら、28歳なんだ、と。
「さやかさんも、乗ってください」
施設の救急隊員に促され、さやかも救急車へ歩み寄ったが、美羽はベッドから体を起こして、乗り込もうとしていたさやかに、
「だめよ、今日も仕事でしょ、咲子さんとの契約、まだ終わってないんだから」
と、美羽は止めようとしたが、
「一緒に行くよ、今日は学校休む…」
「さやかさん、だめ、逃げて、あなたはもう、処分される!」
美羽が叫ぶのを、隊員は無理やり制止して、
「危険な状態だ。錯乱して、訳のわからないことを言っている」
と、人工呼吸用のマスクを無理やりベッドの美羽に装着し、さらに大量出血で、精神が錯乱状態にあるとして、麻酔薬を大量に投与して、眠らせてしまった。
「処分?」
さやかは気になったが、美羽はもう安らかな表情で眠りについている。
救急車は、美羽とさやかを乗せて、施設が管理している付近の病院へ走って行った。
運転席で、隊員二人が、目配せしているのを、さやかは気が付かなかった。




