チャプター8
「あぁ、あれは、調合の合間に時間ができたから買い物に行ってたんだよ。じっと見てなくても十分だったし」
「ふーん」
話を聞いていたエルリッヒの言葉は素っ気なかった。
「何? 何か気になった?」
「いや、フォルちゃんにしては不用心なんだなって。フォルちゃんだったら、そういうのをとても気にしそうだったから」
今までに知っているフォルクローレの性格は、一方ではがさつで大雑把であり、もう一方では、とても用心深く、そして神経質だった。この二面性で言っても、ちょっとの合間であっても、出かけるからには鍵をしっかりと掛けるはずである。その手落ちが、気になったと同時に格好の突っ込みどころだと思った。
「あー、そういう事。この街の治安の良さは、エルちゃんも知ってるでしょ?」
「それは知ってるけどさ、フォルちゃんらしくないと思って。絶対、鍵を掛けて行きそうだったから」
フォルクローレの言う通り。この街の治安はエルリッヒが経験して来た他の街に比べても高く、鍵を開けて外出しても安全であり、空き巣の類にやられる事はほとんどない。だからこそ、鍵を開けたまま外出した、というのも分からないではないのだが、この治安の良さをもってしても、やはり鍵を開けたまま外出するのは不用心であり、だからこそ、突っ込まないではいられなかった。
「そうかな」
「うん、不用心」
一言だけ、伝える。
「それほどでもないと思うんだけど」
「ううん、不用心」
一言だけ。
「いやいやだってこの街安全だし、みんないい人ばっかりだし」
「でも、不用心」
表情を作らずに答える。
「そうかなぁ」
「うん、不用心」
これは啓蒙活動だ。なんとしても、不用心である事を自覚させねば。
「そっかぁ」
「うん」
くどいほど言い続ける事によって、意識を変えさせようとする。ごく初期の催眠術のような手段で、不用心だった、という事を植え付けようとした。そして、それは先ほど怒られた事への、ささやかな仕返しでもあった。
「気をつけた方がいいよ? 仮にも貴重なものもあるんでしょ?」
「それは、まあ。じゃあ、これからは気をつけるよ」
ものすごく、ものすごくささやかだったが、それでも意識を変える事には成功したらしい。これは大きな一歩だ。前進だ。
「しっかし、まさか一番不用心そうなエルちゃんにお説教されるなんてねー。思わなかったわ」
「え、何それ。ちょっと心外なんだけど。今日だって、ちゃんとお城に呼ばれた時鍵をかけて出て行ったし。って! みんな心配してるじゃん! あー、帰ったら説明して回らないとだ。めんどくさー。いっその事回覧板でも作ろうかな」
墨とペンくらいはあっても、紙は高級品で、まして絵の具は宝石と等価値というこのご時世、回覧板はそうそう作れるものではない。しかし、そのシステム自体の有用性は、この国でも、諸外国でも、十分に認識されていた。紙の代わりに何を使うか、一色で果たして作れるのか、そこが思案のしどころでもあった。
「回覧板? だったらうちに紙があるよ? 色んな素材で作ってるんだけどさ、使えそうなのがあったら持ってっていいよ。筆記用具はある?」
「え、ほんと? 筆記用具はあるから、紙だけあればいいんだけど」
どうやら、紙としての実用性についての実験がしたいという事らしい。調合の結果作られたものでも、実際に使ってみるまでは使い勝手は分からない。それを調べたいという事のようだった。
「んじゃ、何種類か持ってくるから、待ってて。好きなのを選んでよ」
「ありがとう〜!」
実験も兼ねているからただでいい、というのも、ありがたい申し出だった。これで、上手く行けばいちいちご近所巡りをして説明をしなくても済む。
「お待たせ〜」
持って来てくれたのは、スカーフほどの大きさの、三枚の紙。色味や質感など、どれもよく似ているが、何が違うのだろう。
「一枚目がアイヒェンで作った紙。二枚目が、その辺の木で作った紙。三枚目が、高級家具に使われるようなアイゼンアイヒェンで作った紙。どれにする? 触ったり曲げたり、色々してみていいよ」
「ほんと? じゃあ、ちょっと拝借」
三枚の紙を手に、ためつすがめつしてみる。なるほどいい素材を使った紙ほど触り心地は滑らかで、丈夫そうだ。それならば、アイゼンアイヒェンで作られた紙が一番なんじゃないのだろうか。
「ねえ、これわざわざ選ぶ意味あるの?」
「んー、そこなんだよね。質感だけならアイゼンアイヒェンなんだけど、値付けは素材の値段で決まるし、皆からの書き心地を知りたくて。自分で書いてても、あんまり客観的に判断できなくてね」
なるほどそういう事か。では、素直に受け取らせてもらおう。ここは一番いい紙をもらう事にした。書き比べ、という意味であれば、三枚とも使わせてもらうのがいいのだが、なぜだかそうさせてはくれなかった。
曰く、「ちょっと目的があって」との事らしい。所詮、錬金術士は自分とは違う職業、違う商売。理解できない事もあるのだ。
「ま、実験が上手く行ったら、またその時にでもね」
「ん、分かった。ありがと。さてと、そろそろおいとましようかな。あの二人ほどじゃないけど、旅支度しなきゃだし」
よっこらしょと言わんばかりに腰を上げる。思えば、男二人に比べれば楽だとはいえ、その荷物は大量の衣類と調理器具になるのだ、重量で言えば、決して引けを取らない。自分が人間でない事が活きる、数少ない局面だろう。
「あははー、大変だねー。何持ってくの?」
「フライパンに、大小のお鍋に、器とカトラリーに、後、簡単なかまども作りたいから、薪も少しは持って行きたいかなって。現地調達も必要になるかもしれないけど。それと、忘れちゃならないのが服だよ!」
ここぞとばかりに胸を張る。これは大事な事だ。
「うんうん。女の子だもんねー」
「そうそう。いくら気心の知れたあの二人の前でも、二日と同じ服は着られないよ。幻滅されても悲しいし」
人間の女の子というのは、なんとめんどくさく、なんと素敵で楽しいんだろうと思うのが、「これ」である。おしゃれを楽しむという事は、竜の姿に戻った時には一切関係なくなる。何しろ、人間以外の生き物は衣類などは身につけないのだ。しかし、人間は衣類を身に着け、その外見にこだわり、また、裸姿を恥ずかしいと考えている。はじめは見よう見まねで真似していた所作も、長い間行う内、羞恥心というものが芽生えて来た。竜の姿をヒトに見られた事はないが、いつしか、何も着ないままの人間の姿を他の人間に見られる事を、恥ずかしいと思うようになっていた。これが、同性相手であれば、幾度かはさらした事があるものの、異性相手にはまだ一度もない。これがどれだけ貫けるか、という事も、人間として暮らすうちの課題となっていた。
「紅一点じゃ、覗き対策だって大変でしょ」
「んー、一応、紳士的に気を遣ってくれてるから、その辺は大丈夫。内心はどうか分からないけどね」
心の底でやきもきしながらも必死に紳士的な態度を貫いている姿を想像すると、ついつい笑を禁じ得ない。
「あー、おかし! そりゃそうだよね! 男が若い娘の着替えなんか見たら、即アウトだよ。でも、見たいって思うのも当然だもんね」
「そういう事。気の毒だとは思うけどさ、今回の同行は前回と違って王様の提案だし、逆らえないから」
考えられる対策としては、やきもきした思いが少しでも少なく済むように、早く悪魔を退治してしまう事だった。果たして、それが適うのか。そもそも、二人は悪魔に敵うのか。結局、全ては「やってみるまでは分からない」のである。
「ゲートムントも、教会での買い出しが上手く行ってるといいけど……」
「そうだねぇ」
二人は、窓の外を眺めた。うっすらと、夕暮れ色のピンクが差していた。
〜つづく〜




