チャプター71
ーサウゼン街道 リュージュブルクの街から北に一時間ー
馬車に揺られながら、ルードヴィッヒは外の景色を見ていた。その表情は穏やかで、どこか楽しそうだった。
「王様、どうしたんですか?」
「いや、戦以外でこの国を離れたのは初めてかもしれぬと思ってな」
王たる者、玉座に座って全ての政治や指揮をするのが本来の姿かもしれないが、ルードヴィッヒの場合は現場主義だったために、国土のあちこちへ赴き、その場の環境に合わせた政治や、大きな戦での前線指揮などをしていた。だが、国外へは戦い以外の目的で出た記憶はない。
当時は王族が隣国へ留学するような事は珍しく、また、グランリュージュの国は小さくともしっかりと他国とのバランスを保っていたため、幼少期の人質留学という経験もなかった。
「戦では出た事あるんですね?」
「褒められた事ではないがな。戦と言う事は、つまり人殺しをしに行くという事なのだから」
「でも、それって時代背景を考えたら当たり前の事ですよね? その気持ちがあるだけでも十分なんじゃないですか?」
隣に座るエルリッヒと、向かいに座るツァイネが気にしない、という様子で答えた。元々城勤めの騎士であり、今も戦いを生業にしているツァイネとしては、全く糾弾できず、ドラゴンとしての価値観で考えれば人を殺す事は、足下の虫を踏みつぶす事と変わらない。人間同士の戦いなど、まるで興味が湧かないのである。
「そのように言ってくれるのだな。ありがたい事だ」
穏やかな表情で瞳を伏せたルードヴィッヒは、少し透けて見えた。
「ーーというわけで、この者たちが悪魔討伐の功労者である! 一同、盛大な拍手を贈るように! というわけで、これを以て前線キャンプの解散式とする!」
という現場の隊長であるグリーグの豪快な挨拶によって、前線キャンプでの全員に対する解決報告は終わった。
姿を見せるわけにはいかないルードヴィッヒは、エルリッヒと御者に守られるように、集団の隅で隠れるように壇上のゲートムントたちを見ていた。
「ーーという事で、今当人から挨拶があったように、王都から遣わされた独立部隊であるこの三人が、悪魔を討伐してくれた。皆、惜しみない拍手を贈るとともに、散って行った騎士たちへの哀悼を示そうではないか」
ナーエリュージュの砦では、ツァイネの挨拶の後指揮官フェリペのこのような言葉があって、前線部隊の引き上げ式となった。
ここでも、ルードヴィッヒは御者とともに、ギリギリ部外者ではない者の顔をして、隅に隠れて参加していた。
一方、ここでは最初に挨拶をした事もあり、エルリッヒも前に立つ事になったが、一同の前に立っているだけで騎士たちの人気を博した事は言うまでもない。
エルリッヒたち一行は他の面々と歩調を合わせる必要もなく、手早くテントを片付けるといち早くキャンプ地を後にし、ナーエリュージュの砦も、挨拶を終えると手短に出て来てしまった。
彼らはキャンプ地にいた面々の帰還を待ち、それから旅団単位で一斉に帰るだろう。そのような混雑と雑踏に巻き込まれる事は避けなければと考えた。
メンバーにルードヴィッヒが加わったが、元々四人乗りの馬車、これは問題にはならなかった。
「王様、王都に着いたら、まず何をします?」
「そうだな。そなたらと共に城へ上がり、そなたらの王に会わねばなるまい。今回の事態を引き起こした事への謝罪と、王としての挨拶とを兼ねてな」
「なるほど、それがベストかもしれませんね。俺たちと一緒なら、怪しまれる事もないでしょうし。って、一応、ゲートムントも怪しまれない一人になっちゃったんだよなぁ……」
ルードヴィッヒと向かい合う形で座っているゲートムントは、豪快な寝息を立て眠っている。こうしている間も、どこに盗賊が潜んでいるか分からないと言うのに、気楽なものである。
尤も、この気楽さがゲートムントの魅力だと言ってしまえば、それまでなのだが。
「まあ、よいではないか。彼はとてもいい戦士だった。それは、悪魔の身として戦っていたときから思うておった」
「ありがとうございます。実際、こう見えても王都でも腕利きですからね。喜ぶと思いますよ」
「ねー、戦闘能力だけは高いもんねぇ。ところで王様、その体……」
気付いてしまった以上、口にしないわけにはいかなかった。ルードヴィッヒの体が、また少し透けているのだ。
「何、私の体、だと? あぁ、本当だ、透けているな。という事は、未来の旅もこれまでか。あれこれ考えなくてよいと思えば気楽だが、あれこれ考えた事が出来なくなると言うのも、寂しいものだな」
「王様、なんでそんなにのん気なんですか! 消えちゃうって事は、死んじゃうって事ですよね。もう少し慌てても……」
意外なほどに落ち着き払った様子からは、自分が「悪魔に乗っ取られたお陰で時を超えて生き続けている」という事をよく意識し、「いつかは突然いなくなるかもしれない」という事をしっかりと受け止めていた、という事が伝わってくる。
「いやはや、どういう形でこの世界と別れるのかと思っていたが、よもやこのような形でいなくなろうとはな。恐らく、国土中を巡っていた悪魔の魔力が、国外へ出た事で消えたのであろう。それによって、つなぎ止められていた私の存在や命が、本来の時間に従うように消えて行くのだろうな」
「じゃ、じゃあ、引き返せば!」
「そうですよ! 戻りましょう! あの森の中なら生きられるんですよね! 俺たちは、まだ王様を失いたくありません!」
二人の言葉は必死だった。親しい者との別れがどれほどの喪失かをよく知っているから、そして、ルードヴィッヒには、姫の消息が分かったと言う報告をしたかったから。
しかし、引き返そうと言う提案を遮って、話を続けた。
「いや、いいのだ。元々、私をこの世につなぎ止めていた魔力は、悪魔が死んでしまった事で少しずつ薄れておったのだ。もしかしたらとも思ったが、やはり国土を離れてしまうと、影響は急に来るようだな。戻った所で、長くはないのだよ」
「そんな……」
「じゃあ、せめて、せめて遺品を二つ下さい」
がっくりとうなだれるツァイネに比べて、エルリッヒはまだ落ち着いているように見えた。
もちろん、遺品を「二つ」要求した事の真意は分からなかったが。
「何故、二つなのだ? もちろん、所望すればいくらでも渡すが……」
「一つは、王様のお墓を作るためです。もう一つは、お姫様の子孫が見つかった時、渡すためです」
その声は、涙混じりになっていた。残った思いを、託された想いを消してしまわぬよう、目に見える形で残すために、せめて遺品だけでも、そう考えた。考えていたら、なんだか悲しくなっていた。
「そうか、そういう事なら、さて何を託そうか。早くしないとならぬな」
しばらくあれこれと考えていたが、指輪と首飾りを外し、渡した。確かに、大きさも品質も、遺品としては適切だが、果たしてなぜこれを選んだのか。
「……これは?」
「これは、私が妃と贈り合った指輪と、王族に代々伝わる首飾りだ。この指輪で墓を、そして、子孫が見つかったら、この首飾りを渡してほしい。その者がグランリュージュ王家の末裔だ」
優しく笑った姿は、王のそれではなく、一人の男としてのそれだった。受け取った二つの「遺品」は、エルリッヒの手に渡るとその瞬間再びはっきりとした実体を取り戻した。そして、それはまだ温かかった。
「確かに、受け取りました。しっかり、伝えます」
「ああ、天国、いや、私が行くのは地獄かな。地獄で楽しみに待っているよ……」
音もなく消えて行ったルードヴィッヒ。見送るエルリッヒの頬には、一筋の涙が流れていた。
「エルちゃん……悲しいだろうけど、これからが大変かもしれない。頑張ろう」
「ん、そうだね。でも、悲しいけど、悲しくないよ。年の順、時代の順だから。だから、しっかり、今の時代の子孫を捜そう!」
「ん、お前ら、何叫んでるんだ? ちゅーか、今どこ? て、あれ? 王様は? 外か?」
起きだしたゲートムントの間の抜けた声が、馬車の中に響いた。
〜つづく〜




