チャプター70
『ーー末代、誰かがあの悪魔を倒し、お父様を解放したその日のために、これからこの城を出る私は、その子孫にこの日記と青を継承しよう。その時代の人たちが、私の事を見つけられるように』
その一文に、三人は言葉を失った。
「これは、どういう事だ。娘がこの文章を残したと言うのなら、この日記はなぜここにある。つまり、城を出る前に死んでしまったと言う事なのか?」
「王様、落ち着いてください。まだ、そうと決まったわけじゃありません」
力なく膝立ちになってしまうルードヴィッヒを、ツァイネが優しく抱きとめる。
「この日記のこの保存状態を考えてみてください。野ざらしに近い状態でこれだけの年月、これだけの保存状態と言うのは、ちょっと考えられないと思いませんか? 多分、ゲートムントが時を超えて王様の事を託されたように、この日記も、俺たちに見つけてもらうために、読んでもらうために、こうして時を超え、場所を超え、今ここにあるんじゃないでしょうか」
「そうか、そう考えるのがよいな。まだ、娘の行く先について心配するのは早いな」
「お、いいね。前向きじゃん? 時を超えるとか場所を超えるとか、信じられないような話だけど、俺も実際お姫様に会ってるからなぁ。否定できねーわな」
この中で一番不思議な体験をしているのはゲートムントである。普段なら笑い飛ばしてしまう日記に対する考察も、全く笑い飛ばせず、ばかに出来ないでいた。
「色々考えると、これが一番の手がかりかもしれないね。この日記と、青。青って言うのが何を意味してるかは分からないけど、この日記も重要な手がかりだよ。同じ物が二個になるのか、これが消えてしまうのか、分からないけど」
この手がかりを元に、姫を捜そう。きっと見つかる。根拠のない自信が、場の空気を支配していた。
いや、多少なりとも楽観視しないと、前に進めない。そういう空気でもあった。漠然とした不安は、楽観的な発想で打ち消せばいい。
せめて、髪の色や瞳の色が残っていてくれれば。
「後は、どこで探すか、だな」
「そなたらの住んでおる街からでよいぞ? あまり負担はかけたくないのでな」
「んー、その気遣いはありがたいけど、それだけじゃなくても、その方がいいかもしれないなぁ。王様は知らないと思うけど、俺たちの住んでる街はかなり大きな街なんだ。そこで探すのが、この国で一番確実だと思うからな」
王都なら知り合いも多く、人も多い。探すには他にないほどの街だ。捜索本番は、王都に戻ってから。
「あいわかった。では、後はそなたたちの働きに期待させてもらうとしよう」
「はい。あんまり期待されると、ちょっと背中がかゆいですけどね」
「だな。でも、出来るだけがんばるからな!」
三人は見つめ合い、力強く頷いた。
「それにしても、私はいつまでこうしていられるのだろうな。悪魔の力で数百年の時を超えたとは言え、元々生身の人間だ、数十年がせいぜいの命、一体いつまでこの時代にとどまっていられるのか」
「そうですね。改めて言われると。悪魔を倒した時点で消えても良さそうな所が、とりあえずはまだ無事のようですし」
「案外、このまま普通に残りの余生を過ごしたりしてな!」
気楽に笑うゲートムントの様子が、意外と的外れではないような気がして、急におかしくなった。
「それはよい! だが、私はこの後何をして暮らせばよいのだ? 王であるが故に、政治と戦以外は何も出来ぬぞ? 生憎とここはもう、後の時代、そなたらの国が支配しておるし、戦もしばらく起こっておらぬのであろう? 私に務まる仕事があればよいがな」
「そっか! 王様王様以外の仕事できないかもじゃん! こりゃ参ったな! お姫様探しの旅ったって、金がねーと無理だもんなぁ!」
「ゲートムント、笑う所じゃないよ。それに、王様なら戦の指揮や政治ができるんだから、お城に紹介したらいくらでも働き口はあるよ。それよりも、大事なのはプライドでしょ? 一国の王だった人が、人の下でなんか働けないよ」
二人は時に真剣に、時に真面目に議論している。二人の言っている事は、どちらも尤もで、ルードヴィッヒは自分の事なのに口を挟むタイミングを逃していた。
「そっか。そりゃそうだよなぁ。今こうして話してても、失礼に当たらないかとか、起こってないかとか、ほんとは気にしなきゃだしなぁ」
「そうだよ。なんでそんな失礼な。さっきのグリーグさんとの時もそうだったけど」
「あぁいや、私の事は気にしなくてもよい。事情が事情、という事もあるが、不思議と気にならぬでな。あの頃が嘘のようだが」
「はいはい、話し中悪いけどご飯できたよー。四人とも、外まで出てくれるー?」
話の腰を折るように、エルリッヒがテントに入って来た。夕食が出来たという事のようだが、いきなりのタイミングでの闖入に、思わず笑みがこぼれる。
「なんか、あれこれ考えるのは無駄みたいですよ?」
「そのようだな。今はただ、夕げに参ろうではないか」
「だな。あー、腹減った」
和やかな雰囲気でテントを後にする三人の後を、御者は穏やかに見つめながらついて行った。
「はい、じゃあ日々の食事にありつける事への感謝と、食材の命に感謝して、お祈り!」
テントの外、キャンプ用に作られたような簡素な椅子とテーブルで、五人用の食卓が出来ていた。
そこに並べられた料理は、とてもいい匂いと温かそうな湯気を立ち上らせていた。周囲の騎士たちの羨望を余所に、五人はエルリッヒ主導の元、食前の祈りを捧げていた。
「それじゃ、頂きます!」
威勢のいい声が響く。そして、ゲートムントたちが豪快にむさぼるのを横目に見つつ、ルードヴィッヒが口に運ぶのを、じっと見ていた。
「ん、どうしたのだ? 私の事は構わぬからそなたも食すがよい。本日の功労者ではないか」
「いえ、王様の口に合うか心配なので、味を見て頂くまでは気になって喉を通りません」
「ははっ、エルちゃんは思ったより心配性なんだね。大丈夫、おじさんが味を保証するよ? 王様の口にも、合うとと思いますよ」
御者のフォローに小さく感謝しつつ、それでもやはり自分は最後で、と思っていた。
「では、それほどまでに気になると言うのなら、頂こう」
ゆっくりと、褐色のスープをスプーンですくい、口に運ぶ。
「ドキドキ……」
こんな、穴の空くような瞳で見つめられては、正直食べづらい。だが、ふいに昔の事を思い出した。
そういえば、新しいコックを雇った時や、新しいメニューが出て来た時、決まって同じような顔でその評価を待っていたものだ。
王城での懐かしい出来事を思い出し、不意に表情が緩む。
「ん、美味い! 美味いぞ! 安心するがよい、嘘偽りは言うておらぬ」
「本当ですか? よかったぁ〜! 王様は舌が肥えてるだろうから、心配だったんだ〜。これで私も食事が喉を通るよ〜」
美味しそうに食べている他の三人を見れば、自分が自信を持って作った料理が口に合わないはずはない、という自負心は湧いてくるのだが、いかんせん相手は一国の王だった男。口にしている物が違うはずだ。きっと、豪華なフルコースを食べていたに違いない、そんな事を思うと、大衆的な、庶民の料理では口に合わないのではないかと言う不安が、自然と湧いて出て来てしまう。
「ははっ、いらぬ心配をさせてしまったな。確かに普段口にしていた料理とは違うが、私には、その方がよい。気分転換にもなるし、新鮮だしな。それに、このような簡易的な場所では、あまり凝った物もつくれまい。食材の問題もあろうからな。よくぞここまでの品々を作った物だと、城におったら報賞を与えていたところだ」
「そんな大げさな。でも、ありがとうございます。これを励みにこれからも頑張ります。っと、そんな事より、冷めないうちにどうぞ。そこの二人みたいに下品に、とは言いませんが、どうぞどうぞ」
すっかり穏やかな空気に戻り、優しい空気の中で夕食は進んで行った。
〜つづく〜




