チャプター61
ただひたすらに森を歩く。魔法陣の及ぶ限界は、木々を照らす光できっぱりと示されており、うっかり入ってしまう可能性は低かった。傾きつつある赤い日差しは、魔法陣の効果が及ぶ円範囲だけきっちりと遮られ、斜め上を見上げると、木々の隙間から星空が見えていた。
やはり、悪魔の力によって、強制的に夜になっているらしい。
「さ、もうすぐ帰り着く。悪魔の探査範囲に入る、という事だ、気をつけるようにな」
「それは、王様も同じですよね。お互い、気をつけろって事で」
森を歩きながら、二人は互いに注意し合う。事の発端であり、長らく同居していたルードヴィッヒと、二度ならずも三度までも大きなダメージを与え、明らかに恨みを買っていそうなエルリッヒ、二人は、ただ戦士として関わっているゲートムントたちとは違い、真っ先に狙われそうな理由があった。
「もしかしたら、魔法陣の効果範囲に入ったらすぐさま襲ってくるかもしれん。心しておくように」
「えー、いくらなんでも急に襲われたら対処できませんよー。それに、私剣なんて扱えませんよ?」
エルリッヒに剣の心得はない。ただ振るう事ならいくらでもできる。あのフライパンに比べれば、子供のおもちゃのように軽い。それでも、剣術は全く別なのだ。力で強引に攻めて来る相手を、いかに少ない力で捌くか、という事は剣術ならずも武道の基本である。そういう力の使い方が出来ない以上、ただ強い力で振るっただけでは、むしろ武器を痛める結果に終わってしまう事になるのだ。
「案ずるな。その時は私がこれを扱おう。私とて、王家に伝わる秘伝の剣術を修めておる。幾多の戦場を、前線に立って駆け抜けて来たのだ。あの二人ほどの戦闘能力はなくとも、多少の足しにはなるだろう」
「いや、それは立派ですけど、相手はあの悪魔ですから、油断は禁物ですよ?」
ルードヴィッヒの言葉には、王たる威厳と過去の実績から来る自信が感じられた。だが、相手は人間ではない。人間の戦士相手ならまだまともな勝負になるかもしれないが、悪魔相手では、全く勝負にならないかもしれない。
そして、ルードヴィッヒはまだ死すべき人間ではない。
「王様、自分の命を粗末にしないでくださいよ?」
「粗末になどせんよ。ただ、私には今回の事についての責任がある。果たさねばならぬ責任がある以上、それは果たさせてもらわねばならん」
ルードヴィッヒはこの時代の人間ではない。悪魔が乗り移ったおかげで、悪魔として数百年の時を過ごして来たのだ。今はこうして生きているが、いつ、その数百年が襲ってくるかもしれず、ともすると、時の流れに消滅させられてしまうかもしれない。
まだ、聞かねばならない事はいくらも残っているのだ。色々な話を聞いてはいるが、少なくとも、死ぬ前に消息を絶った姫を探すため、その特徴くらいは教えてもらわなければならない。
叶う事なら、その墓前に事の次第と決着を報告したい、と考えていた。
そのような中、とりあえず今は他の人間と同じように生きているという事は、もし突然の死や突然の消滅があったとしても、まだその時ではない、という事になる。それどころか、残りの余生をそのままこの時代で過ごせるかもしれないのだ。
しかし、悪魔と戦うという事になると、話は別である。ゲートムントたちが今まさに向き合っているその戦いは、死と直面したものである。もしルードヴィッヒが悪魔と戦う事にでもなれば、今はまだ先に霞んでもいない死の存在が、一気に目の前までやってくる。
なんとしてでも、ルードヴィッヒには戦いを避けてもらわなければならなかった。
「私は、この時代の人間ではない故な。人の死に順番があるとすれば、どう考えても私だろう」
「王様、そういう考えはやめてください。今この時間を生きている以上、もう平等なんです。王様には聞かなきゃいけない事や、教えてもらいたい事が色々あります。でも、それ以上に、生きている以上、自分から命に順番を付けるなんて真似は、しないで下さい。それに、今この瞬間にも、世界のどこかでは誰かが老いや病、飢えや事故で死んでいるかもしれないんです。それを考えたら、悲しい事ですけど、王様が一番最初に死ぬべき、なんて言えませんよね?」
悲しいような笑みを浮かべ、ルードヴィッヒを諭す。数百年を生きたエルリッヒとて、かつて母竜を亡くし、命の尊さについては十分理解しているつもりだった。人間として暮らした三百年余りを考えても、幾人もの親しい人間と別れて来て、今も別れがたい出会いをたくさんしている。ルードヴィッヒも、その相手の一人になっていた。
「そなた……」
「辛気くさい話はこれくらいにして、もうすぐ着くんですよね? じゃ、私も気合い入れなきゃですね。どうにかして、二人を助けたいし!」
だんだん、見慣れた景色が見えて来た。目を凝らしてみると、先ほどエルリッヒがなぎ倒した木々によって、樹木の間隔が少し開いていた。
どこまで行けば最も近い所まで安全に辿り着けるか、という事はルードヴィッヒがよく熟知している。だから、進行ルートに関しては任せておけば安心だった。
曰く、「子供の頃よりこの森はよき遊び相手であった故な」との事であるが、この言葉に大きな偽りはないのだろう。王族ともなれば、遊び相手は非常に限られてくる。名のある貴族の子息以外は、恐らく大人しか周囲にいないような環境で育ったのに違いない。だからこそ、森の自然はちょいどいい遊び相手であり、人生の教師となったはずだ。森に囲まれた小国という立地は、ルードヴィッヒにいい影響を与えたのだろう。
この男が悪魔を呼び出し世界征服を企んだなどとは、とても考えられなかった。
「そうだな。私も、あのような気持ちのいい若者には、この時代を全うしてほしいと思うぞ。さ、この辺りだったか。どうだ、武器は見えるか?」
「んー、さすがにここじゃ……あ、見えます! 銀の剣が見えますよ! でも、フライパンは元から黒いから見えないですね。んで、場所はいいとして、これからどうします? 何か作戦立てないと、いきなり行っても危ないと思うんだけど……」
二人の事は心配だ。出来る事ならすぐさま駆けつけてやりたい。適うなら、ドラゴンの姿や力でもって蹴散らしてやりたい。でも、それは適わない。人間の姿で戦わなければ、意味がないのだ。
「作戦か。私は、一度あやつと話をしてみたい。召喚し、乗っ取られた者として、決着をつけておきたいのだ。私には、城に住まう家臣と妃を手に掛けた罪がある。これにケリを付け、責任と贖罪を果たすためには、まずあやつと話をせねばならん」
「そうですか。でも、とても危険な事ですよ。私たちの動きは、ゲートムントたちも知らないんです。恐らく悪魔は私たちが円の外で何かをしている事は察知しているでしょうから、二人にそれは伝わってるかもしれません。でも、だからと言って何をしているかまでは、誰も分からないはずです」
いかにあの悪魔の虚を突くか。それが課題だった。悪魔ともなれば、下手をすれば千年くらい生きているかもしれない。そんな相手からすれば、エルリッヒとて名実共に小娘になってしまう。
大人の男相手に、小娘の考えがどこまで通用するか、という議論になってしまえば、とてもではないが敵わない。
「王様、その剣、あの悪魔を攻撃するのが使い道なんですよね?」
「そうだ。銀の剣であるぞ? これは、そなたらが使っていた銀の剣よりも強力な力を秘めているのでな。何か、アイディアでも浮かんだか?」
エルリッヒの脳内には、おぼろげながら作戦が浮かんでいた。それを示すかのように、表情はわずかににやけていた。
〜つづく〜




