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チャプター25

「そなた、名前に”フォン”が入っておるが、貴族の出なのか?」

 まさか、最初にそこを追求されるとは思わなかった。が、これも想定の範囲内。用意していた回答を頭の中から引き出す。

「いえ、私は国外から来たので、貴族ではありません。先祖が、面白がって付けたのを、国で認められたとかで。もう、何百年も昔の話ですが」

 相手が貴族ではないと知って安心したのか、指揮官の表情が少しばかり緩んだ。恐らく、彼は貴族であり、貴族同士であれば、それだけ気負う物や、責任が生じるのだろう。

 竜の王族は、所詮は人間社会の外の家格なのである。

「そうか。しかし、それならば尚、ここから先は危ない故同行は認められぬが?」

「でも、私は、彼らの仲間です。それに、自分の身くらいは、自分で守れます。今から、それを証明してみせます。よっと」

 おもむろに、手にしたフライパンを足下に置く。ただ、それだけ。そして、にっこりと微笑みながら、護衛の二人に話しかけた。

「お二方のどっちでも構いません。これを拾って、自由に振ってみてください」

「ん? 何の目的だ? まあよい。二人とも、言う通りにしてやれ。フライパン一つ振るうくらい、騎士団精鋭部隊には容易いわ。ハッハッハ」

 豪快に笑う指揮官に、二人の護衛兵も「仕方ないな」というような穏やかな表情になった。前線は命のやり取りをしているというのに、この表情が出来る余裕は、感心に値した。

「んじゃま、俺から」

 右に立っていた護衛兵が、腰に提げた剣を置いてフライパンの前に立つ。楽勝だと分かっているので何をやらせようと言うのか。エルリッヒの意図が分からないまま、フライパンの柄に手をかける。

 そして、持ち上げようと声を出し、

「よっこら……ん? な、なんだこれ! せい! とりゃ! ふんっ! はぁ……はぁ……ど、どうなってるんだ」

 そこで終わってしまった。いくら気合いを入れても、びくともしなかった。

「お、おい、これはどういう仕組みなんだ!」

「いくら動かせなかったからって、それは見苦しいぞ? どれ、俺が……ふんっ!」

 もう一人も、やはり床から動かせないでいる。いくら重いと言っても、そこまで重いつもりはなかったのだが、これはつまり、多少持ち上げる事くらいはできた、ゲートムントとツァイネの力が勝っていただけ、という事なのだろうか。

「どうでしょう、お分かりいただけましたか? このフライパンの重さが」

「う、うむ。だが……」

 指揮官が言葉を続ける前に、エルリッヒはそれをひょいと持ち上げ、こともなげにぶんぶんと振るって見せた。

 当然、その重さを直に知る者たちはおののき距離を開ける。

「お、おい、危ないじゃないか」

「そ、そうだぞ? もし手からすっぽ抜けでもしたらどうするんだ」

「あれ? たかがフライパンじゃありませんでしたか? とまあ、こんな感じで、料理人というのは、皆さんが思っている以上に、体力や力の要る仕事なんですよ。それに、私はこの国に来る前は、色んな国を渡って、色んな経験をしてきました。乗ってる乗り合い馬車が盗賊に襲われた事もあるし、逗留してい町に魔物が侵入して来た事もあります。だから、多少の経験では、動じません。それじゃあ、だめですか?」

「だがしかし、さすがに悪魔は見た事なかろう」

 指揮官の言葉は、まさに墓穴を掘るのと同じ行為だった。エルリッヒは満面の笑みを浮かべて答えた。

「はい。私は悪魔なんて見た事はありません。でも、それはここにいる二人も同じです。みなさんも、ここに着任するまでは、見た事も聞いた事もない、おとぎ話の住人としか思っていなかったんじゃありませんか?」

「ぬ、ぬう、それは確かに……」

 これに明確な反論が出来る者は、恐らくいないだろう。実力の事を言われるのならまだしも、悪魔と会った事があるか、などと訊かれ、「はい」と答えられる者がいたら、それこそ怪しい。うかつな質問をしたものだと、思わず舌打ちする。

「そういう意味では、私はみんなと平等です。相手が魔物なら、これまでの経験が活きますし、相手が悪魔なら、みんなと同じ、会った事がない、という事になります。何か問題でも?」

「い、いや、だがしかしだな。君が戦士でないのは明白。いかにそのとてつもなく重いフライパンを扱えたとて、所詮は町娘のそれ、我らには及ばぬであろう」

 自分の身を案じてくれている事には感謝の気持ちが湧いてくるが、何が何でもここから先に同行せねばならない。彼らに「ハインヒュッテのドラゴンを討伐」という栄誉を与えたのは、他ならぬ自分なのだから。もしもの危険に保険が掛けられるとしたら、それはまさにあの時振るったのと同じ、竜の力だ。どこまで通用するかは別にしても、彼らの力が通用しなかった場合、唯一通用する力というのは、過信でも何でもない、紛れもない事実だ。だからこそ、同行し、叶うならそばでその勝利を祝いたいし、出来る事なら起こらないでほしいが、最悪自分が悪魔を退治しなければならない。

「なら、どなたかと一戦交えてみますか? 長い旅の途中で鍛えた目と、日々の料理で鍛えた力と、この特注のフライパン、伊達じゃないですよ?」

「鎧も着ておらぬ娘に、そのような事ができるか。せめて、王都にいる女戦士たちのように、鎧を仕立ててからでなければ」

 至極尤もな話である。が、しかし、ドラゴン退治の旅の時も、エルリッヒはこの一言で押し通した。

「でも、この格好の方が、動きやすいですから」

「はっ、抜かしよる。我らとて、一通りの修行を繰り返しておる身、こうして鎧を身に纏ったとて、その動き、微塵も妨げられぬわ。よろしい、ならばそなたとの手合わせ、認めよう。勝つ事が出来れば、この討伐隊への同行を許可しようではないか。もし負ける事があれば、この砦か、町へ戻って凱旋を待つ事だ」

 理解があるのか無茶なのか、指揮官は腕試しを認めてくれた。あまりいい動きをしては怪しまれるため、立ち回りは非常に難しいが、これはまたとない機会である。スカートを翻し戦い、そして勝ってしまえば、大手を振って同行できる。そして、自分より強いと一言言うだけで、ゲートムントたちの実力を強くアピールする事も出来る。まさに一石二鳥ではないか。

「ありがとうございます。それで、相手は誰が務めるんですか? いくらなんでも、一階にいた怪我してる人たちって言うのは申し訳ないんですけど」

「案ずるでない。カール、そなたが相手を務めよ」

「は、私が、ですか?」

 カールと呼ばれたのは右に立っていた護衛兵。突然の事に驚きを隠せない。いきなりこのような場所での試合というのも驚きだが、何より、鎧も着ていない娘を相手に戦わなければならないというのは、前代未聞であった。

「そうだ、そなただ。なんならグスタフでもよいが、特に理由はない。早くせんか。早いところ、この者たちを現地に案内してやりたいのだ。さてエルリッヒとやらよ、生憎とここは前線基地であるが故、練習用の模擬剣などは置いておらん。腰の物を使う事になるが、文句はないか?」

「ありません。そうでなければ腕試しの意味がありませんから。では、私はこのフライパンで戦わせて頂きます。いいですか? カールさん」

 このフライパンで、と言いながら、軽々と片手で持ち上げた姿に、カールは一瞬逃げ出したいような思いがよぎった。相対するエルリッヒは穏やかな表情をしていたが、その目は真剣そのものだった。まるで燃え盛る炎のような強い瞳で、じっとこちらを見ていた。心が射抜かれないよう、気をつけていなければならないほど。

「あ、ああ。重いのは知ってるけど、当たらなきゃ、どうってことはないしね。じゃあ、こっちは鞘のままで戦おう。そうすれば、お互い鈍器って事で、平等だろう?」

「なるほど、それはいいですね。万一、女の子の体に切り傷でも付いちゃ、大変ですもんね。配慮、ありがとうございます」

「それでは、よいか? 試合を始めるぞ?」

 二人は、赤絨毯を挟んだ距離で指揮官の前に立った。指揮官は審判のため、玉座に座ったまま、そしてゲートムントとツァイネ、それにグスタフは、邪魔にならないように脇に移動して、試合を見守る事となった。

「それでは、始め!」

 指揮官が叫ぶのと同時に、おもむろにエルリッヒが話し始めた。

「さっき、フライパンが重いと言いましたけど、実は、私自身は、速いんです!」

 そうして、先手を取るべくものすごい速度で踏み込んだ。




〜つづく〜

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