チャプター19
ーゲルプの町 宿屋「ホテル ディー・プリンツェン」ー
有意義な時間を過ごしたエルリッヒは、宿に戻って今しばらくの時間をのんびりと過ごしていた。どうやら、思ったほどには時間を使っていなかったらしい。
「思わぬ収穫だったなぁ。ここにご先祖様が来てたなんて。いや、おじいさまかもしれないのか。そんなに遠い存在じゃない、か」
今夜一晩分の荷解きをしながら、ヨハンからの話を思い出していた。あの時触らせてもらった竜の爪は、まぎれもなく自分の一族のものだった。
伝承は、本当だった可能性が高い。ドラゴンにとって、戦闘中に爪が折れる事はよくある事であり、放っておいても人間の爪のようにすぐ生えてくるため、たとえそれが戦場に残っても気にしない。
だが、人間にとっては一級のコレクターズアイテムになる。瞳や舌、尻尾や鱗など、大型の、もしくは希少な素材に比べれば、牙や爪は売値としては安いが、それでも好事家には十分な値打ちを持っていた。
「拾って記念に持ってる人がいるのは知ってたし、フォルちゃんみたいに色んな材料を使って調合する事もあるってのは知ったけど……まさかねー」
事の経緯がますます気になったものの、もはや追求はできない。家出同然に出て来てしまった事情もあるし、所詮過去の話だ、という事もある。
ただ、「悪魔」というキーワードは引っかかっていたし、「ドラゴンが退治した」という言い伝えはわくわくするものだった。それが身内の行った偉業かもしれないと思うと、尚更である。
こうなれば、是が非でも史実であってもらわなければ。保証がないので何とも言えないものの、そういう気持ちになっていた。
いや、次なる悪魔退治の伝説を自分たちで作ってしまえばいいのだ。その時に、今回の故事を持ち出して「このドラゴンのようになれたらと思って働いた」とでも言えばいいのだ。そのために、あの二人に今回の話を吹聴すればいいのだ。そうする事で、あの伝承により厚みが増すのだ。
「とは言え、リュージュブルクとこの町じゃ、ちょっと離れてるか。持ち出し先として苦しいのは困るなあ」
うんうんとひねっていたら、ドアがノックされた。
コンコン
この気配、そしてこの優しいノックの仕方、ツァイネだろうか。
「ん、ツァイネ〜?」
『えー、なんで分かったの?』
やはり、ドア越しの主はツァイネだった。気配で推し量る、というのはあまりにも簡単だったが、ツァイネには驚かれた。
「だって、ゲートムントはそんなに優しくノックしないし」
「そっか、そういう事か」
返事を入室許可と捉え、ツァイネが中に入って来る。決してそんなつもりはなかったのだが、身支度も片付けもあらかた終わっていたので、意に介さない事にした。ここで怒っては、ツァイネがかわいそうだ。
それに、説明に納得してくれたのだ、文句を言えた義理でもない。気配の話はしても信じてもらえまい。少なくとも、戦士である二人ならまだしも、エルリッヒは一般人という事になっているのだから。
もちろん、ノックの強さで判断、というのも事実ではあるのだが。
「それで、用は? もしかして、もう晩ご飯に行く時間だった?」
「うん。でも、まだ少し時間あるし、エルちゃんがよければ、何か話でもする?」
部屋には半ば勝手に入って来たものの、そこから先は遠慮があるのか、椅子やベッドに座ろうとはしない。この奥ゆかしさが、なんともかわいい。
「まあまあ、突っ立ってないでそこに座りなよ」
「え、いいの? じゃ、お言葉に甘えて」
と、椅子に座らせると、今度はそれはそれで落ち着かないのか、話が出てこなかった。せっかくだから二人で話がしたいと切り出すまではよかったが、その先が繋がらなかった。そういうところも、かわいいのだ。
「で、何話す? 何か話題はないの?」
「えっと……えっと……」
水を向けても、話題は出てこない。あまりに咄嗟に切り出してしまったのだろう。そうなると、今度はこちらから話題を出してあげなければ。となると、それは一つしかない。
あの伝承だ。
「じゃあさ、さっき町で聞いて来た話、聞かない?」
「え、何々?」
話の内容がどうという事以前に、エルリッヒが出してくれた話題というだけでありがたいのだろう。興味津々といった様子で乗って来てくれた。
「うん、この町に伝わる昔話で、お年寄りしか覚えてないような話らしいんだけど……」
そうして、ヨハンから聞いた話を伝えると共に、砂時計の話も交えて行く。その間、ツァイネは予想以上に食いついて来てくれた。恐らく、ドラゴンを倒した経験から、そしてこれから悪魔を退治しに行くという旅程から、他人事ではないのだろう。
「なるほど、それは興味深いよ。この土地に悪魔がいて、それをドラゴンが倒したっていうんだから」
「でしょ? しかも、なんとドラゴンはドラゴンでも、竜の王様だったんだって」
ただドラゴンと言うだけでも関心を持ってくれたのだが、ましてそれが竜の王などという存在とあっては、一段と深い興味を示してくれた。
「竜の王様……さぞ強いんだろうね」
「そうだと思うよ? 私もその爪を見せてもらって、触らせてもらったけど、私が触っただけでもすごい力を感じたんだから。千年も経ってるっていうのに」
真実を、想像を交えて話す「体裁」で話すのはとても心苦しいが、伝承以上の真実は明かせないので、仕方ない。が、一瞬話がぎこちなくなっていないか、それを見抜かれていないか、心配になる。人間社会に混じってからでも三百年、どう考えてもこの地上に生きるどの人間よりも長く生きているのだが、それでもまだ、人間としての立ち居振る舞いに至らない点があるのではないか、と不安になる。
「俺たち、あの時のあのドラゴンにすら勝てなかったんだから……今のままでそんなのと戦ったら、絶対勝てないだろうな……」
「あははー、それはないと思うよ? 勝てないのは仕方ないと思うけど、実際に戦う事なんて、どんな機会? て感じじゃん」
まさか自分が彼らと戦う事なんて、この先間違ってもないだろう。だが、家族と戦う事は、ないとも限らない。しかし、そんな一抹の不安よりも、可能性の低い事と明るく笑い飛ばした方が建設的で、現実的だ。
「でもさ、王族っていうくらいだから、やっぱもっと強いだろうし……」
「うーん、それはそうだけど……今からくよくよするくらいなら、修行に励め! て感じはするなあ。それよりは、悪魔の方が心配だよ。その竜の王様が十日間も戦って、ようやく勝てた相手だよ? 今度倒しに行く悪魔も、それくらい強かったらって考えたら、そっちの方が心配じゃない?」
話を逸らすとともに、より切実な方向へ話題を誘導する。みんな、どこかで楽観視していた。騎士団の精鋭部隊が手こずっているという相手なのに、である。
もちろん、その精鋭部隊よりも実力が上のはずの親衛隊出身のツァイネと、それに匹敵する実力のゲートムントが二人で行くから、というそれなりの根拠はあるのだが、実際誰も悪魔と戦った者はいないのだ。それどころか、姿を見た者すらいない。つまり、当て推量による楽観視なのだ。もし、竜の王と十日間の死闘を繰り広げたというのが事実で、同等の実力の悪魔が現れたのだとしたら、果たして二人で勝てるのだろうか。
「私からは、油断せずに戦おう、という事しか言えないけどね」
「それだけでも、百人力だよ。俺たちにとっちゃ」
気楽にへらへらと笑うエルリッヒに向けられた、優しく悟ったような微笑み。ツァイネは、いつの間にこんな表情を覚えたのだろうか。
一瞬、心臓が撥ねた。
「っ! さ、そろそろご飯行かないと。ゲートムントもおじさんも、待ちくたびれちゃう」
「おっと、そうだったね。とりあえず、今の話は部屋に戻ったらゲートムントにもしておくよ」
エルリッヒの様子には気付かないまま、ツァイネは立ち上がる。それを幸いと、素知らぬ風でやり過ごし、二人で部屋を出て行く。
さあ、お楽しみの夕食タイムだ。
〜つづく〜