竜神堕つ Ⅰ
「うーん、よく寝たぁ~」
あたしは犬のように大きく伸びをした。
「ありゃ、また服のまま寝ちゃったよ」
ってことは、エティエンヌにまたベッドまで運ばれたわけで。
ああ、意識がなかったのがくやちい。もしやお姫様抱っこなんて萌えがあったかもしれんのに。
はは、そんなわけないか。
あのエティエンヌが、女の子を荷物のように持つ朴念仁のエティエンヌがそんな萌え~な行動してくれるわきゃないのだ。
それにしても、なんだろ、このごうごうとうるさい音は?
あたしは窓辺に向かうと、思いっきり遮光カーテンを開けた。
「えっ・・・?」
十一月も終わりだというのに台風?
外は、雷とゲリラ豪雨、突風が三点セットでいらっしゃったらしく、朝だというのに夕方のような暗さだった。
「おそらく竜神の仕業でしょうね」
と、またまた後ろから声がした。
ってか、あんた、人の背後を取るのが趣味なわけ?
「そうね、急に台風が発生しました、なんてことじゃない限りはね」
普通、台風は北太平洋西部の熱帯海上で発生するもの。日本の上でぱぱっと発生するわけがないのだ。
「それでどうするつもりですか?」
どことなくうれしそうなエティエンヌ。
ふふ、彼は騎士だから、こういう、誰かをぶちのめしに行くような状況が好きなんだろうな。
顔に似合わず、ケンカっぱやい性格だしね。
「こんなご丁寧な招待状を無視するわけにいかないでしょ。もちろん、ご招待を受けさせていただくわ。
ってか、最初からそのつもりなんでしょ?」
「それはもちろん。売られたケンカを買うのが男と言うもの」
いいや、あたし、女だから。
でも、あたしだって買う気満々だけどね。
「んじゃ、制服に着替えるから、少しキッチンに出てて」
やっぱこういうときは制服でしょ。
あたしはすばやく制服に着替えると、左ポケットに箭弓稲荷さんからもらったチビ狐を入れ、相棒に声をかけた。
「エティエンヌ、行くよ!」
あたしはエティエンヌが渡してくれた新・ラピエールを手にすると、嵐の中、飛び出そうとした。
「緋奈、待ってください。ラピエールをオリーブの徴の中に収めませんか?
いちいち持ち歩くのは不便ですからね」
まぁ、日本には銃刀法があるし、閉まっといたほうがいいっちゃいいよね。
「でも、どうやって?」
「オリーブの徴の中に入るように念じてください」
へっ、そんな簡単なことでいいんだ。
「Yes,sir」
あたしはおどけて返事をすると、継承者の徴をラピエールにかざした。
(入っててくれる?)
すると、ラピエールは左手のオリーブの徴の中にするすると吸い込まれていった。
うわっ、何気にグロいんですけど。
「では、守ヶ淵に場をつなぎましょう」
エティエンヌがさも当然のように言う。
はは、やっぱ、それで行くんだよね?
うーん、嵐で体力を消耗させるか、場つなぎで体力を消耗させるか、それが問題だ。
なんて悩んでいると、エティエンヌはさっさと場をつないだようで、あたしは、半ば強制的に場を渡らされた。
「おえっ・・・・」
くらくらと目が回る。
そして、胃が上に押し上げられるような気持ち悪さ。もう三度目だけどいまだに慣れない。
けれど、そんなことも言ってられない状況が目の前にある。
車軸を流すような豪雨と風速三〇メートルはあるだろう突風。
一人で立っていられなかったあたしは隣のエティエンヌにダッコちゃんよろしくしがみついた。
「それにしても、なんでこんな朝っぱらからお出ましなのかしら?
ヤツらは夜にしか現れないんじゃなかったけ?」
「そうですね、この暗さだからなのか、竜神が同化したからなのかわかりませんが、まぁ、そのどちからかでしょう」
そんな無責任な・・・・。
「ってか、ご登場みたいよ」
雨混じりの強風がすごい音を立て、守ヶ淵の水面を叩きつけていく。
そのちょうど真ん中あたりにじわじわと盛り上がってくるものがある。
あたしとエティエンヌは守ヶ淵の中心を目を凝らしながら見つめ続けた。
ちょっと、ちょっと、まさか・・・・?
「エティエンヌ、あれって?」
「まさかの龍体ですか?」
んぎゃー、あたしはウルトラマンじゃないから変身したり出来ないんだよ!
あたしとエティエンヌが目を見開いていると、空に浮きあがった竜神はその姿を龍体から人形へと変えていく。体長三十メートルほどの龍は長く白い髪を持つ男性となる。夢に見た通りの美しい青年の姿へ。
けれど、彼の水色の双眸だけが、紅に色を変えていた。
あたしはいつか本で読んだ『人を愛する目は青く、人を憎む目は赤い』というワンフレーズを思い出していた。
その本の通り、彼の瞳は憎しみに染められかのように赤かった。
「二週間ぶりだな、継承者殿。ご機嫌はいかがかな?」
聞こえてきたのはいつもの“ゆらぎ”の声だった。
「ご機嫌なんていいわけないでしょ。さっさと子供たちを返しなさいよ!」
「なぁに、ガキどもはこの男のおもちゃよ。一人では淋しいと駄々をこねるんでな」
「はい? 寝言は寝てから言ったらどう?」
あたしはオリーブの徴からラピエールを取りだしながら、バカにしたように笑ってやった。
「竜神よ。継承者もお前のおもちゃが欲しいらしいぞ、どうするのだ?」
「それは困るな。あれらは我の大事な玩具だからな」
えっ?この声は・・・・竜神様?
「そういう悪い子はお仕置きしてやらねばいかんな」
「ああ、そうするがいい。継承者の始末はお前に任せたぞ」
“ゆらぎ”は、そう言うと、竜神の体から黒煙となって消えていった。
竜神が、改めて赤い目をこちらへ向ける。
「さて、悪い子のお仕置きには獲物が必要だな」
その瞬間、凄まじい雷鳴が轟いた。間をおかず、雷光が彼の体をつんざいていく。
「ふむ、まあまあの出来かな?」
あんなすんごい雷が落ちたっていうのになんともないなんて。
しかも、竜神の右手には二メートルほどの大剣。
両刃剣を一振りした竜神は、
「雷神剣とでも名付けるかな」と言い、その剣先であたしの喉元を狙うように突きつけた。
「緋奈、来ますよ」
「了解、あんたは防御をお願い!」
何とはなしに言った言葉だった。
それなのに、エティエンヌがセルリアンブルーのマントを風に流すように大きく振ったとたん、あたしの回りに風の結界が張られていた。
えっ?なんすか、これ?
うちの騎士様は出し惜しみが多いんではなくって?
あたしはうちの騎士様の多機能に驚きながら、風の結界の中で、ラピエールを正眼に構えていた。
まずは上段から来る。
あたしはいったん受け流そうと、左半身をひねり気味にした。
やはり、竜神は大上段から雷神剣を振りおろして来る。
「えっ・・・・?」
読んでいた手を避けるのは簡単なはずだった。
けれど、その剣戟は激しい雷光を生み、風の結界の上でパチパチとはじけ飛んでいった。
これは・・・・。
もし、風の結界がなかったら、感電していた?
「緋奈、この威力では結界がそんなに長く持ちません」
エティエンヌの苦しそうな声。
「後、何回ならいけそう?」
「後、一度なら・・・・」
「了解」
先制攻撃、これしかないわね。
あたしはひたと竜神の目を見つめた。
次はおそらく中段が来る。
今度、彼の剣を受けなければ、エティエンヌの結界が持たない。
(頑張って、ラピエール)
あたしは祈るような気持ちで、竜神の弧を描くような攻撃にあわせて剣を操った。
(重い!)
軽く火花が散る。
受け流したというのに右手が痺れる。
これではそう何度も受けられない。あたしはびりびりする痛みに顔をしかめた。
「弱いな、人間よ。そんな体たらくでは、我から玩具を取り上げることなぞ到底出来んぞ!」
竜神がさげすむように笑う。
「やめて、竜神様。あなたはずっと人間を愛して来たじゃないの。
お願いだから子供たちを両親のもとへ返して!」
あたしは、祈るような気持ちで叫んだ。
「面白いことを言うな。我は一度たりとも人を愛したことなどないぞ」
「いいえ、あなたはわたしたちを長い間、竜神として見守ってくれたわ」
「愚かな娘よ。夢でも見たのではないか。
我は人などと言う下等な生き物と慣れ合ったことなぞ一度もない!」
そんな・・・・。
あなたはあの村で子供たちと楽しそうに昔話をしてたじゃないの。
まぶたの中を彼の笑顔がフラッシュバックしていく。
「緋奈、やめなさい。彼はもう“ゆらぎ”そのものなのですよ。
竜神であった時の記憶などほんの少しも残ってはいません」
「でも、エティエンヌ・・・・!」
「あきらめなさい。神も人も時とともに変わるもの。
子供たちを助けたければ、彼を、竜神を倒すほかないのです」
そんなのわかってるよ。でも・・・・。
「つくづく愚かな娘だ。下らない夢のせいで、敵に情けをかけるとは。
そんな有様では、お前は誰一人、いや、隣にいる男すら救えぬだろうよ。
だが、我もこのままでは面白くない。お前が本気にならぬなら本気になるようにしてみせようではないか」
えっ、それはどういう意味なの?
「死ねっ・・・・!」
大剣が雷光をまとい、大きく振り払われる。
今だかつてないほどの雷撃が向かった先は、なんとエティエンヌだった。
竜神が大上段から繰り出した一撃は、あたしの後ろにいるエティエンヌを直撃していった。
大きなものがどさりと倒れる音。
「エティエンヌ・・・・!」
あたしはエティエンヌに駆け寄った。
けれど、ぐったりとしたエティエンヌは堅く目を閉じていて、あたしの好きなbluest blue in blueの瞳も見れない。
「お願い、エティエンヌ、目をあけてっ・・・・!」
あたしは何度も何度もエティエンヌの体を揺さぶった。
それでもエティエンヌは目を覚まさない。
「許さない、絶対に許さない・・・・」
あたしはラピエールに縋って立ち上がると、口をゆがめて笑ってる竜神を睨みつけた。
凄まじい怒り。それが、豪雨に濡れそぼった髪を逆立てていく。
「あんただけは絶対、許さない。あんたの望み通り殺してやるわ!」
もし、目で人が殺せるならこの目の前の男を千度も万度も殺しただろう。それくらいこの男が憎かった。
「そう来なくては面白くない。惚れた男を殺された女の本気を見せてもらおうではないか」
ええ、すぐに後悔させてやるわ。
でも、問題はこの使いにくいラピエールだ。この剣はいまだあたしを主人と認めてない。
まったくイライラするったら。
あたしは左手を食い破ると、ラピエールにあたしの血を与えた。
(ラピエール、あたしの血を受け取りなさい。
あたしはジャンヌ・ダルクの生まれ変わり、紫堂緋奈、お前の主よ!)
ラピエールがあたしの血を受けて真っ赤に染まっていく。
すると、赤く染まった刀身が、どくんと脈動したような音がした。
まるで、恐ろしいほど気位の高いお姫様が頷きでもしたように。
あたしは刀を一振りする。
けれど、刀身は、赤く染まったままだ。
「行くわよ、ラピエール。あんたの力をあたしに見せてみなさい」
さっきまでと手ごたえが全然違う。
少しも重さを感じない。柄は、吸いつくように手にぴったりとしている。
あたしは両手でラピエールを握ると、大上段から振り降ろした。
「行けぇえええっ・・・・!」
神速で振りおろした剣戟が、風の刃となり竜神の右肩をかすめていく。
「かまいたちか、やるな、継承者よ。
だが、風はわが友。お前に上回る風の刃を見せてやろうではないか」
えっ、あの攻撃がきかないなんて・・・・。
あたしはまったく痛みを感じた様子のない竜神に茫然としていた。
そのせいで中段から横一文字に薙ぎ払われた剣戟をまともに受けそうになる。
間に合うの?
あたしは下段から逆手に持ち替えていた剣で風の刃をなんとか振り払った。
けれど、わずかばかり威力が足りなかったのか、十メートルほど吹き飛ばされてしまう。
「痛っ・・・・!」
受け身を取って地面をゴロゴロと転がる。
この雨と風がなければ、身の軽いあたしが風の刃を避けることなど造作もなかったのに。
ああ、そうか。前回の戦いで“ゆらぎ”は、学習したんだ。
そして、あたしの身の軽さを封じるために竜神を味方につけた。
どんなに身が軽かろうと、強風の中じゃ動きが取れないから。
でも、今はそんなことどうでもいい。
この男はあたしのエティエンヌを殺したわ。
なら、相打ちになってもこの男を殺してやる。
あたしはよろよろ起き上がると、竜神ににたりと笑ってやった。
だって、体はまだまだ動くし、ラピエールは自分を使えとばかりに輝きを増している。
それなら、コイツをぶち殺すのになんの支障もないじゃないの。
「ラピエール、行くよ!」
竜神はもう一度かまいたちを繰り出そうとしている。
なら、あたしは・・・・。
雨で湿った地面に深くラピエールを縫い付ける。
そのラピエールを引き抜きざま、バク転すると、先ほど傷つけた竜神の肩から斜めに深く切りつけていった。
「バカな・・・・」
とうとう竜神が地面に膝をつく。
「あなたが、キサナを失った気持ちを忘れなければ、エティエンヌを殺したりしなかったでしょうね。
そして、それがあたしに負ける原因になった。なんていうか、めちゃくちゃ皮肉ね」
さっきまでの、竜神に同情したままのあたしだったら、戦わずに負けていた。
けれど、人が人を愛する気持ちがどんなに強いものか忘れていた彼はちょっとした強心剤のつもりでエティエンヌを殺した。その結果がこれだ。
「キサナ・・・・?」
「まさか覚えてるの?」
「いいや、そんな名など知らぬ・・・・知らぬが・・・・」
あたしは膝をついたまま頭をかきむしっている竜神を見おろした。
「うぉおおおっ・・・・!」
ひどく頭が痛むのか、激しく頭を振り始める。
「竜神様、あなた、まさか・・・・。
それなら思い出すのよ、キサナを、あなたの愛した村を」
「思い出す、キサナを?」
「そうよ、思い出すのよ、とっても可愛がっていたじゃない、キサナを」
竜神はキサナの名前を出すたびに反応している。このまま行けば、もしかしたら・・・・。
「そこまでにしてもらおうか、継承者よ」
(えっ、“ゆらぎ”・・・・?)
「我の手駒を簡単に減らしてもらっては困るのだ。この国とはどうも相性が悪いのでな」
そう声がした途端、黒い霧のようなものが再び竜神に取りついた。
あたしはラピエールを握りなおすと、その剣先を“ゆらぎ”に突き付けた。
「なら、マジ目ざわりだからこの国から消えてくれない?」
ラピエールは、もともと“ゆらぎ”を倒すための剣。今なら“ゆらぎ”だけを殺すことができる。
あたしは両手でラピエールを持ちなおすと、“ゆらぎ”を袈裟がけに切りつけようとした。
けれど、“ゆらぎ”は蛙のように身をひるがえし、守ヶ淵に飛び込んでいってしまった。
「ちっ・・・・」
まさか、追いかけて飛び込むわけにはいかない。
あたしは“ゆらぎ”が飛び込んだ水面を睨みつけていた。