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竜神堕つ Ⅱ

「エティエンヌ・・・・!」


 あたしはエティエンヌの冷たい体に覆いかぶさり、ぽたぽたと涙をこぼした。


「お願い、あたしをひとりにしないで。

 あんたがいなきゃ戦えないわ」


 あたしはエティエンヌの雨に濡れそぼった白金の髪をかきあげた。

 お願い、目を覚まして。

 あんたを愛してるの。

 たとえ、あんたがジャンヌしか見ていないとしても。

 両手でエティエンヌの頬に触れたあたしは、その冷たい口唇に口づけていった。

 まるで、眠り姫を起こす、王子のように。


「んっ・・・・?」


 なんでだか頭の後ろを押されてるような気がするんですけど。 

 しかも、口唇の中に入ってくるものがあるんですけど。


(このタヌキがっ・・・・!)


 あたしはエティエンヌのほっぺたを両側からぎゅっと引っ張ると、ごつんと頭突きを食らわしてやった。


「あんた、そのセクハラ癖、なんとかならないの!?」


「まったく、キスのひとつやふたつでケチくさい人ですね」


 そう言いながら、エティエンヌは頭突きを食らったおでこをすりすりとさすっている。


「ファーストキスをケチと言われてたまるかっ!」


 はっ、そうだった。これは世に言うファーストキスじゃないか。

 あたしは腹立ちのあまり、エティエンヌの襟をぎゅうぎゅうと締め付けてやった。


「ですが、キスしてきたのは緋奈ではありませんか?」


「そ、それは、あんたが死んだと思ったからよ!」


「何故、死んだと思ってる人間にキスを?」


「あんたが生き返るんじゃないかと思ったのよ」


 声がだんだん小さくなっていく。


「ぷっ。キスで生き返るのは白雪姫だけです」


 エティエンヌがバカにするみたいに吹き出したので、あたしはますますむきになって言い返した。


「そんなことないわよ。ほら、蛙になった王子様がキスで元に戻ったりとかするじゃない?」


「まぁ、どっちにしろ、童話の中の話です。

 それにしても案外、可愛いところがありますね」


 ってか、エティエンヌ。そんなきらきらした笑顔を浮かべて、甘い雰囲気作るのやめてよ。


「そんなことより、まさか死んだふりしてたの?」


 あたしは両手を引き寄せようとしてるエティエンヌを突き飛ばした。

 

「そうですよ、あのままじゃわたしたちは共倒れでしたからね」


「あんた、あたしがどんなに・・・・」


「それは申し訳なかったと思っています。

 ですが、あれはわたしにとっても賭けだったのです。

 あなたが竜神に同情したままだったらわたしも緋奈もここにはいません」

 それは確かにそうだけど。でも・・・・。


「エティエンヌのバカ!」


 あたしはめちゃくちゃ腹が立ってエティエンヌの胸を何回も叩いてやった。


「よしよし、ひとりでよく頑張りましたね。

 もう二度とひとりにしませんから、そろそろ許してくれませんか?」


 うっ、エティエンヌってば、子供扱いしてさ。

 でも、惚れた弱みか、済まなそうにされるとそれ以上、怒れない。


「くしゅっ・・・・」


 急に大きなくしゃみが出た。

 考えてみたら、そろそろ一二月だってのに、土砂降りの中、ずっと外にいたんだよね。落ち着いたら悪寒がしてきたよ。


「エティエンヌ、許してあげるから、あたしのこと、家まで連れて帰って。

 あたし、なんだか・・・・」



「緋奈? どうした・・・・・」


 エティエンヌの心配そうな声が少しずつ遠ざかって行く。

 あたしはその場に崩れ落ちるように意識を失ってしまったのだった。



 ***


 

 うっわぁ~あたしってば、いつの間に家に?

 しかも、ちゃんとパジャマ着てるし。

 あたしはゴクンと息を飲んだ。

 落ち着け、あたし。一つ一つ整理すれば、案外なんてことない結末かもしれん。

 確か、“ゆらぎ”付き竜神を取り逃がして、そいで、死んでたはずのエティエンヌが生きてた。

 えっと、それから、悪寒がひどくなって倒れたんだ。

 とするなら、家まで連れて帰って、このパジャマを着せたのはエティエンヌってことになる。

 んぎゃ~パンツ見られた?

 んにゃパンツだけでなく全部見られた?

 あたしはパニックに襲われ、ベッドの中でじたばた暴れた。


「何を暴れているのですか?」


「だってパンツが・・・・」


 何言ってるんだ、あたし。


「はい・・・・?」


 呆れたようなエティエンヌの声。


「えっと、だから、なんで着替えてるのかなぁって思って」 


「ああ、なるほど。

 あなたを着換えさせたのは確かにわたしですが、緋奈のパンツなんか見ていませんよ」


「へっ、見ないでどうやって着替えさせたのよ?」


「それは企業秘密です。

 わたしほどになれば、あなたを着替えさせるくらいお茶の子さいさいですからね」


 いや、フランス人にお茶の子さいさいとか言われてもな。

 それより、どうやったかのほうが知りたいんですけど。


「ねぇ、エティエンヌ。この際だからちゃんとお話ししましょ? 

 導きの騎士様はどんなファクリティ(能力)をお持ちなのかしら?」


 あたしはうちの騎士様をちょいちょいと手招きした。


「だから、企業秘密と言っているではありませんか」


「でもさ、これから“ゆらぎ”と戦うのに、あんたのファクリティを知らなきゃいろいろ困るでしょ?」


「いいえ、これもルールです。

 わたしのファクリティもラピエールのファクリティも戦いの中で知っていくべきもの。

 そうは思いませんか?」


 んにゃ、なるべく楽したいのが人間ってもんすよ。

 ってか、ちょっとは楽させてくれたっていいじゃないの。

 でも、そんなことを言い返したとこで、この堅物男の考えが変わるわきゃない。

 仕方ないから、ここは大きなため息をわざとらしくついてやるくらいであきらめとこう。はぁ・・・・。


「はいはい、そうですか。

 それより今、何時? もう夜だよね?」


 レースのカーテンごしの空は見るからに真っ暗だ。


「いいえ、今は明け方の五時くらいでしょうか。

 あなたはほとんど丸一日寝ていたのですよ」


 えっ、そんなに寝てたの?

 ベッドからがばっと起き上がり、ナイトテーブルの上の携帯を手元に引き寄せる。

 確かに、ディスプレイには“5:07”の文字。


「後、三日しかないじゃん。マジやばいよ」


 あたしはあわててベッドから飛び降りた。


「緋奈! 先ほどまで高熱を出していたのですよ。きちんと休まなくては」


 エティエンヌがあたしの腕を掴んだ。


「もう大丈夫、熱も下がったしね。

 まず箭弓稲荷さんとこにお礼を言いに行かなくちゃ」


 あたしはエティエンヌの手をポンポンと叩くと、シャワーを浴びるためにバスルームに飛び込んだ。

 


 ***



 昨日の嵐が嘘のような晴天。

 いっせいに散ってしまったのか、銀杏の黄色が参道に敷き詰められている。


「はい、これ。約束の生八つ橋」


 あたしは狐さんに頼まれた京都土産を渡しに来ていた。 


「おお、ようやった、緋奈!」


 面白いほどテンションの高くなった狐さんは八つ橋の包装紙をびりびり破き、生八つ橋をどんどん口に放り込みはじめた。

 うわっ、狐さんの手が早くて見えないっ!

 ってか、千手観音か?

 あたしとエティエンヌはあっけにとられたように見ていた。


「ねぇ、エティエンヌ、あの手ってどうなってると思う?」


「さぁ、あれはもう神の領域としか・・・・」


「うん、ドラえもんの上を行くよね、あれ」


 あたしたちが下を向いてこそこそ話をしていると、お土産を食べ終わったらしい狐さんがぴょこりと耳を上げた。


「御馳走さん。甘いもんはほんまにいいのう」


 狐さんは、どうやら今流行りのスイーツ男子らしい。


「はは、今度は甘いもの限定でお供えするね。

 ところで・・・・」


 あたしは狐さんの毛づくろいが終わるのを待って続けた。


「このチビ狐さん、ありがとう。おかげで貴船の神様とお友達になれたよ」


 ぴょこんと頭を下げてからチビ狐を返そうとすると、狐さんは、


「それは緋奈が持っとけ」と、あたしの手を押し返した。


「いいの? んじゃ遠慮なく預かっておくね」


「ああ。伏見の稲荷大神から貴船のほうの顛末は聞きよったんやが。

 緋奈、わしに昨日ことを教えてんか。

 ものすんごい野分の中、竜神とやり合いにいったんやろ?」


「うん、逃げられちゃったけどね」


 そう、逃げられてしまったのだ。

 もう少しで竜神様は自分を取り戻しそうだったのに、“ゆらぎ”ごと守ヶ淵に飛び込まれてしまった。

 あたしは簡単に顛末を話した後、


「また水の中に逃げられたら、堂々巡りなんだけどね」と、大きなため息をついた。


「それはないやろ。

 あいつらも、子供たちが生きておるうちに決着をつけたいはずや」


「なんで・・・・?」


「“ゆらぎ”も今回のことで気づいたはずや。

 神を完全に同化するなんて無理やっちゅうことにな。

 それにな、十三人の子どもは竜神に捧げられた娘と同数なんや。

 だとするんなら、子供が全部のうなったら竜神はどうなる?」


「えっと、今度こそ自己崩壊してしまう?」


「ああ、たぶんな。

 “ゆらぎ”ちゅうのんは西洋の妖やさかい、この国のことに詳しゅうない。

 そのせいか、今回の計画は穴ぼこだらけや」


 あたしは少し考えて、エティエンヌに顔を向けた。


「あんたはどう思う?」


「確かに、不自然なほど、後手後手に回っています。

 竜神の件にしても行き当たりばったり感が否めませんし」


 うーん、狐さんとエティエンヌ言うことをまとめると・・・・。

 もしかしたら?


「ねっ、エティエンヌ。幽霊の集会を覚えてる?

 あれってさ、変だと思わなかった? 

 あんたの言うように“ゆらぎ”が一つの意思を持つ精神生命体だとするなら話し合いなんかする必要ないもん」


「なら緋奈は、どう思うのですか?」


「うん、本体の“ゆらぎ”が目覚めてないか、動けない状況にある、のどっちかじゃないかと思うんだけど」


「おそらく後者でしょう」


「なら、本体“ゆらぎ”が動けないから、末端“ゆらぎ”たちだけがうちの国に来てるってこと?」


 この説は以前、冴子が言っていたものだ。


「おそらく・・・・」


「でも、それじゃいつまでも経っても“ゆらぎ”を全滅させられないよ!」


 あたしは声を大にした。


「緋奈。そんな甘いもんやないで。

 いいか、本体は八百万の神が結界を張っとるさかいこっちに来れないんや。

 そんなら、末端はどないすると思う? あんさんが“ゆらぎ”やったらどないするか考えてみいや!」


「ってか、その前にさ、結界を張ってるのに、なんで末端が来れるのかがまず不思議なんだけど」


 あたしは狐さんの言葉をぶち切って訊いた。


「ああ、それはこういうことや。

 八百万が張ってる結界を目の粗い魚取りの網だとするな。

 そうするちゅうと、大物は掬い取れるが、雑魚には逃げられてまう。今、張ってる結界はそういうもんや。

 まぁ、今のわしらの力やと、その程度の結界しか張れんちゅうのがほんまのところやがな」


 狐さんはそう言って苦いものを飲み込んだような顔をした。


「うん、わかったよ。

 それでさっきの話、もしあたしが末端“ゆらぎ”だったらどうするかだったよね? 

 あたしなら・・・重要な結界を張ってる神様を取り込もうって考えると思うな」


「そやろ? そいで取り込んだ神にあんさんを襲わせれば、一石二鳥や」


 えっ、それってこれからもうちの国の神様に襲われるってこと?

 あたしは足元から地面がくずれていくような不安にくらくらした。


「大丈夫ですか?」


 隣のエティエンヌが慌てて支えてくれる。


「ありがとう、エティエンヌ。

 お稲荷さん、それって高淤さんや伏見稲荷さんも敵に回るかもしれないってこと?」


「いいや、それはないやろ。

 あそこまで神格の高い神が取り込まれるちゅうことはない。

 特に京都と東京は、四神相応の地。東西南北に強烈な守りがあるさかい簡単に手は出せんと思うで」


 そうか、よかった。

 あの二人が敵に回ったら絶対に勝てる気がしないもん。っていうか、たぶん、戦えない。


「稲荷神様、ひとついいですか?

 だとするなら今回の竜神は、神というものを取り込むための練習、あるいは小手調べだったと考えていいでしょうか?」


 あくまでも現実的にエティエンヌが訊ねる。


「ああ、おそらくな」 


「やはり、そうですか。

 ですが、なんにしろ、“ゆらぎ”を滅せられるのはラピエールのみ。

 そして、ラピエールを使えるのは緋奈だけなのですから。

 “ゆらぎ”は天敵であるあなたを絶対に放ってはおかないでしょう」


 エティエンヌがそう締めくくった時、あたしたちの間に沈黙が落ちた。


「守ることしか出来ないってつらいね」


「ああ、じゃが、エチはんが言うたように、御大が完全に目覚めたら遠からずこの国にお前を殺しにやってくるやろ」


 狐さんはその日はそんな遠くないやろ、と続けたかったのを飲みこんだ気がした。あたしへの思いやりから。

 そして、第一回“ゆらぎ”対策会議を終えたあたしとエティエンヌは、子供たちの体力を考え、今夜、“ゆらぎ”退治に出ることにしたのだった。

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