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<全50ep> 鳳凰寺凛の生霊事件簿 ~視えるのは、世界で無職(おれ)一人~  作者: 第三ひよこ丸
第5部 【強制連行と生涯契約】

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最終話 檻の中の王と愛を綴る女神

 鳳凰寺グループ本社ビル。その最上階に近い一角に、俺が代表を務めるIT企業のオフィスはある。

 二年前、あの”婚姻届”という名の逃げ場のない契約書に震える手で署名したあの日。俺の人生は、しがないシステムエンジニアから、鳳凰寺という巨大な運命の歯車の一部へと変貌を遂げた。

 

 現在、俺は三十路を目前に控えた二十九歳。そして、俺の隣で微笑む妻、凛は二十一歳となった。

 まだ子供はいない。だが、俺たちの生活に静穏が訪れたことなど、あの日以来一度としてなかった。


「……よし、このモジュールの結合テストは俺が直接見る。深夜までかかるやろけど、バグの芽は今のうちに摘んどかんとな」


 社長室の豪奢なデスクではなく、あえて一般の開発フロアに設けた特等席。俺は今でも、開発の海に飛び込むことをやめていない。初めての社長業ではあったが、これが意外なほどに俺の性に合っていた。

 

 以前の職場で嫌というほど経験したシステムマネジメントの泥臭い現場。あの理不尽なまでの工程管理、そして複雑に絡み合う人間関係の調整能力が、経営という名の荒波において、これ以上ない強力な武器となったのだ。

 

 鳳凰寺グループ傘下となったこの会社は、俺が現場で陣頭指揮を執ることで、わずか二年で業界が驚愕するほどの急成長を遂げた。いまやグループ内でも上位に食い込む売り上げを叩き出し、一目置かれる存在となっている。

 

 当初は『凛を支えるための適当な席』程度に考えていたらしい義両親も、この数字には驚きを隠せなかったようだ。今では顔を合わせるたびに「君を婿に迎えたのは、鳳凰寺にとって最大の投資成功だった」と、惜しみない賞賛の言葉と共に、手放しで褒めてくれる。


 そんな俺の姿を見て、社員たちの反応も以前とは劇的に変わっていた。

 

「社長、また自分らでデバッグですか?  勘弁してくださいよ、俺らの仕事なくなってまうわ」

 

 そう言いながらも、彼らの顔には隠しきれない敬意と、どこか嬉しそうな色が浮かんでいる。

 社長自らが深夜まで残業し、誰よりも深くシステム構築の深淵にまで手を伸ばす。そんな光景は、この業界では極めて珍しい。上辺だけの指示ではなく、同じ言語で、同じ熱量で語り合い、共に汗を流すリーダーの存在。それが、バラバラだった開発チームを一つの強固な軍団へと変え、彼らのモチベーションを極限まで引き上げているのだ。


 

 月に一度、鳳凰寺グループ全体で開催される定例会議。そこには不動産、流通、金融といった、日本経済の屋台骨を支える巨大企業のトップ連中が顔を揃える。

 

 最初のうちこそ、俺は末席で黙って座っているだけで、発言などほとんどしていなかった。周囲の重鎮たちも『鳳凰寺の令嬢を射止めただけの運のいい男』と、俺を冷ややかな、あるいは侮蔑を含んだ目で見ていた。

 

 だが、今は違う。

 

「田村社長、例の物流システムの効率化案だが、君の意見を聞かせてもらいたい」

 

 会議の場において、俺はそれなりの発言権を持つようになった。それは単に鳳凰寺家に婿入りしたからではない。傘下企業として叩き出した圧倒的な数字、そして現場を知り尽くした者だけが持つ論理的な指摘。実績という裏付けが、百戦錬磨の経営者たちの口を封じ、俺の言葉に重みを持たせたのだ。


 だが、仕事が順調であればあるほど、別の問題が浮上する。

 俺が現場で若手エンジニア……特に、意欲に燃える女性秘書や女性社員と少しでも長く話し込もうものなら、オフィスに異様な「圧」が満ち始めるのだ。


「――タクミ。その、しすてむ? の確認、わたくしが代わりに行いますわ」


 背後から響く、鈴を転がすような背筋を凍らせる冷ややかな声。

 振り返れば、そこには鳳凰寺の令嬢としての気品を纏った凛が、優雅な足取りで立っていた。彼女は今や、他のグループ企業の重役として多忙を極めているはずなのだが、なぜか一日に一度は、何らかの用事を携えて俺のオフィスに現れる。

 

 俺に近づこうとしていた女性秘書が、凛の視線に射抜かれ、言葉を失って後退りした。凛の瞳は、まるで獲物を前にした猛獣が、喉の奥で「ガルルル……」と唸り声を上げているかのような、剥き出しの独占欲を湛えている。


「凛、お前にシステムの仕事が分かるわけないやろ。昔から機械には疎いんやから。ほら、その資料も上下が逆やぞ。そもそもこれはサーバーの構成図や」

 

「うるさいですわねっ! 形式上の確認ですわ。わたくしがここへ来るのは、あくまでグループの統括としての重要な業務連絡ですの。貴方が鼻の下を伸ばして、ふしだらな雌猫たちと馴れ合うのを監視するためではありませんことよっ!」


 高飛車な物言いは相変わらずだ。キーボードの叩き方すら怪しく、コピー機の操作ですらメイドを呼ぼうとするくせに、彼女は俺のデスクの横に陣取り、全く理解できていないであろうソースコードを、親の仇のごとき鋭い目付きで睨みつける。


 家に帰ればいつでも会えると言うのに、彼女の独占欲はとどまることを知らない。仕事の合間のわずかな時間さえ、彼女は俺という存在を自分の視界から外したくないらしい。


(……このお嬢様、俺が他の女と一言でも余計な口利こうもんなら、本気でその相手を地方の支社に飛ばしかねん勢いやからな)


 やがて、長い業務が終わり、二人きりの帰宅の途。

 重厚なリムジンの後部座席で、外の世界から完全に遮断されたその瞬間。

 凛の「仮面」は、音を立てて崩れ去る。


「……タクミ。遅いですわ。遅すぎますわ。わたくし、今日一日、貴方の顔を三時間も見ていなかったのですわよ? 死んでしまうかと思いましたわ」


 砂糖菓子に大量の蜂蜜をぶっかけたような、脳が溶けそうなほど甘く、とろけるような声。

 凛は俺の腕にこれでもかと縋り付き、その柔らかい頭を俺の肩に預けてくる。オフィスでのあの鋭い猛獣のような目つきはどこへやら、今の彼女は、ただ愛を乞う一人の少女に過ぎない。


「仕事やったんやからしゃあないやろ。ほら、そんなに密着したら運転手に……」

 

「良いのですわ。仕切りは閉じてありますもの。ねえ、タクミ。わたくしのこと、もっと見て。わたくしだけを、貴方の網膜に焼き付けて。あんな冷たい電子の羅列より、わたくしの愛の方が、ずっと難解で、ずっと価値がありますわよ?」


 彼女の指先が、熱を帯びたまま俺の掌に絡みつく。その力強さは、二度と俺を離さないという誓いのようでもあった。

 

 生霊となって俺の部屋に転がり込んできたあの不思議な少女。あの奇妙で、しかし愛おしい共同生活を経て、俺たちはこうして一つの運命を共有している。

 俺を縛り付ける鳳凰寺という名の巨大な檻。その中心にいるのは、あまりに愛らしく、さらにあまりに重すぎる愛を捧げてくれる、この女神だ。


 自由はない。一分一秒を監視され、心の内まで支配されようとしている。

 だが、この熱に浮かされたような毎日を、俺は決して悪くないと思っている。


「……ああ、分かってるって。俺の目には、お前しか映ってへん」


 俺は、俺の腕の中で幸せそうに目を細める愛妻の髪を、慈しむように撫でた。夜の街へと消えていく車の心地よい揺れに身を任せながら。

 

 鳳凰寺の婿養子として、さらにこの愛の囚人として。

 俺の物語は、これからもこの甘い檻の中で、永遠に書き換えられていくのだ。


 ――完――

最後まで、お読みいただきありがとございました。


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