12.スキのキス
「リョウちゃんの作品で、あたしがいちばん好きな曲がね……」
リョウちゃんの作品リストをスクロールして、ユリさんが自分のパソコンの画面を指差した。
「これ。『スキのキス』っていう曲なんだけど……」
ふんふんとみんながうなずく中、ユリさんがその曲を再生させる。聞くというよりBGMとして流すように、続きを話し始めた。
「スキのキスはスキのキス、上から読んでも下から読んでも、スキのキスはスキのキス、スキで始まりキスで終わるんだ……っていうサビのフレーズが特に大好きで、表向きはただ回文で遊んでるだけの曲っぽいけど、いつかさよならする時が来ても、最後はキスで終われるぐらいの間柄になろう、っていうメッセージが隠れてる気がして……」
その曲は電子ピアノか何かのピコピコした音が印象的な明るい曲調で、可愛らしいフレーズが散りばめられた楽しい歌詞になっている。
「あたしがこの曲を好きだってこと、リョウちゃんも知ってるから、何かヒントにならないかって思ってたの。そしたら、この新作の歌詞がタテ読みだって分かったじゃない?」
「え、まさかこの新作の歌詞に、回文でも隠されてるのっ?」
思わず、口を挟んでしまった。
「ううん、回文じゃないけど……スキで始まりキスで終わるんだ、っていうフレーズからひらめいたのが、始まりと終わりに注目するってこと。見て、この語尾のところ……」
言われるまま、カナに書き直した歌詞を覗く。
クチビルトガラセタママ
ウソツキダネトツブヤキ
ソウゾウノミライサエモ
ウタガウノシンジナイノ
ノコサレタカノウセイヲ
ツクラレタヒザシノナカ
バラノヨウニウツクシク
サカセタイダケノハナシ
デタラメニツムギダシタ
ボクダケノミチヲアルク
クイヲノコスグライナラ
ダコウシツヅケテモソノ
ケイケンヲムダニスルナ
ノロマナモノモイツシカ
アスヘタドリツクヨウニ
オソレハココロノナイフ
ゾクナヤカラノマヤカシ
ライメイハナツノオトギ
ヘイキダヨアキラメルナ
トマラズイケバカナラズ
ビクトリィヘノヒカリガ
タシカメロソノメデサア
テノヒラデカガヤイテル
「ね? これ、語尾もタテ読みなのよ」
するとナナが、おもむろに手帳を開いてメモページに何か書きこんだ。
「マキモノヲカクシタクラノナカニフシギナズガアル……すげえ、語尾もちゃんと文になってたんだな、コレ」
ナナの手帳を覗きこむと、そこには、漢字に変換された文が書かれていた。
「こーいうことだろ? たぶん」
「……うん、たぶんコレで合ってると思うよ」
あたしも納得。そこに書かれていた文は――
巻物を隠した蔵の中に不思議な図がある
そのときちょうど玄関のドアがノックされて、飲み物を買いに出ていた社長が戻ってきた。
「お待たせしました。何か分かりましたか」
まさかここまで分かったとは思っていなかったのだろう。ナナがメモを見せると、社長の目はギョロリと大きくなって、
「あの曲にこんな文章が隠れてたんですか!」
と大げさなぐらい声を上げた。
「それで、この文章はどういう意味なんですかねぇ」
社長がそう続けながら、買ってきたお茶やらジュースやらの小さなペットボトルをレジ袋から取り出して、テーブルの上に並べる。
「この文章自体がまた暗号って可能性もあるけど、まずは単純に考えてみようよ。……ユリさん、巻物を隠した蔵とか、不思議な図とかで、何か思い出さない?」
「う~ん、急に言われてもねぇ……ちょっと時間くれる?」
そんな会話をよそに、ナナが無言でメロンソーダを取った。
オレンジサイダーもたぶん、子供用のイメージで選んでくれたんだろう。そう思って、あたしはそれを「もらいっ」と取った。
紅茶はアッキーとユリさん、野田先生と社長は残りのお茶を取って、みんなそれぞれキャップをひねる。
「社長、すいません、いただきます!」
アッキーに続いて、みんなも「いただきます」と頭を下げる。
「いえいえ、協力してもらってるのは僕の方ですから……」
どこまでも腰が低い、社長。
てゆーか、アッキーはモモの担任なんだから、「社長」じゃなくて「川口さん」とか「お父さん」とか呼ぶべきなんじゃないのかな。
「そういやさ……」
不意にナナが口を開く。
「モモん家の近くって、古くてデカイ家が多かったよな」
「そうですねぇ。農家のお宅や古いお屋敷なんかがありますよ」
社長が答える。
「じゃあ、リョウちゃん家もそんな感じっすか?」
「そうだね、木田原さんのお宅はかなり古いお屋敷ですね」
「……蔵なんか、あったりするんじゃないすか?」
「ああ!」
社長が左右の手をポンと合わせて、
「あります、あります。巻物が隠されているかどうかは分かりませんが、確かに蔵はありますよ」
とコーフン気味に言った。
「ユリさん、知ってた?」
あたしからの問いに、ユリさんは視線をクルリと回して、
「ん~、蔵のことは覚えてないけど、リョウちゃんの実家にお邪魔したことならあるわ」
記憶を探るように答えた。
「なら、リョウちゃん家の蔵に不思議な図がある可能性あるね」
リョウちゃんはあくまでユリさんに何かを伝えようとしてるんだから、ユリさんが知らないことは謎解きに使ったりしないはずだもんね。
「けど……リョウちゃん家の蔵に、ユリさんが入れるかな……?」
あたしが言うと、ユリさんはすぐに、
「リョウちゃんのお母さんとは面識もあるし、頼めば入れてくれるかもしれないけど、そんな変なこと、頼みづらいわ」
と答えた。
すると社長が、飲みかけていたお茶をゴクリと飲みこんで、
「蔵の中に何かを隠したとすれば、少なくとも木田原くんは実家を訪れているはずですよねぇ。彼の居場所につながる情報を、何か親御さんが知っているかもしれない……」
と、するどい意見を出してくれた。
「なるほど、必ずしも謎を最後まで解かなくても、娘さんたちを見つけることが最優先ですしね。行ってみる価値はあるんじゃないかしら」
野田先生もその意見に乗った。アッキーもナナも、うなずいている。
あたしの脳細胞が、少しだけ考えた。
「案外、実家に潜んでる可能性も低くないかも。どっちにしても、社長には居場所を知られたくないだろうから、社長やウチらが行っても門前払いにされると思うよ」
「川口やお金が行方不明だって、ちゃんと事情を説明すれば、親御さんはこっちの味方になってくれるんじゃないか?」
アッキーらしい安直なご意見。でも、それはどうかな。
「あたしがリョウちゃんの立場なら、あらかじめ社長を悪者に仕立てて、社長や知らない人に何を言われても信じないように、親御さんに吹き込んどくわ」
「さすがポチ。悪知恵の天才だな」
「あんたに言われたくないわよ!」
ナナとの掛け合いには触れることなく、ユリさんが言った。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「安心して、ユリさん。リョウちゃんはユリさんにだけは何か伝えようとしてるの。だから、ユリさんが一人で行く分には、何か教えてくれるかもしれないわ」
その時、窓の外で、街に5時の音楽が鳴り響いた。
だいぶ日が長くなったから、外はまだ明るい。ほんの少しだけ夕方の色を帯びた風が、木々の葉を揺らしている。
「おっと、お前ら、帰らなくて大丈夫か?」
アッキーが言った。
「そだね、そろそろ……それに、ユリさんもお仕事これからでしょ?」
あたしが言うと、ユリさんはにこりと微笑んで、
「そうね。でも時間はまだ大丈夫だけど」
とケータイの時計を見た。
「社長は? 会社に戻らなくて大丈夫なんですか?」
野田先生の声に、社長は
「あ、はい。戻らないとまずいです」
と反応して、意外と素早く立ち上がる。
「あ、じゃあ社長、先に行っていいよ。ウチら、ユリさんとデータ交換したり、ナナのパソコン片づけたりしてから帰るから」
そう言うと、社長はペコペコと細かく頭を下げて、
「そうですか、ではお先に。何か分かったら、名刺のケータイ番号に連絡ください」
とアッキーに小さく手を上げた。
軽く忘れ物チェックをして、「では失礼します」と残し、ひとり部屋を出ていく。その社長にみんなでごちそうさまを言って、手を振った。
玄関の扉が閉まり、ふと静寂がよぎる。
ここは小さなアパートの2階。社長が階段を下りる足音が、かすかにフェードアウトしていく。
「で、ルルちゃん? データの交換って何?」
ユリさんが、ちょっと笑いながら言った。
「よかった。分かってくれてたんだ」
あたしも、ちょっと笑って返す。
「さっきも言ったけど、リョウちゃんはユリさんに何か伝えたいの。でも、社長には居場所を知られたくない――だから、こんな手の込んだ暗号なんか置いてったのよ。……逆に言うと、社長がユリさんに接触するのはリョウちゃんの想定内だった、ってわけね」
「ああ、だから。社長と一緒に最後まで暗号を解いちゃうと、せっかくの暗号が無駄になっちゃうってわけね?」
ユリさんは納得してくれたみたい。
「でもそれってなんだか、リョウちゃんの味方してるみたいじゃない?」
野田先生が言った。
「どっちの味方でもないよ、野田先生。このまま一緒に暗号を解いちゃったら、むしろ一方的に社長の味方になっちゃう。モモの安全を第一に考えたら、まずはどちらにも付かないで暗号を解くことが大事でしょ?」
そう説明すると、野田先生だけじゃなく、みんなが納得してくれた。
「ところでユリさん、あたしちょっと小腹がすいたんだけど、冷凍庫にロールキャベツか何か、残ってない?」
唐突にあたしが言うと、アッキーが「こら」と言って頭を小突いてきた。
「え、あるよ。ちょうどロールキャベツが……って、何で知ってるのよ!」
ユリさんのノリツッコミが、ちょっと可愛い。
「花柄の脳細胞が、見つけてくれたのよ」
あたしは立ち上がってキッチンに入り、勝手に冷凍庫の扉を開けた。




