資料運び 2
この聞く者をイラッとさせる甘ったるい声と正にぶりっこといった感じの間延びした口調――間違いなくクソ女だ。いや、左側に微かに見える階段から台所で稀に見るゴキ○リよろしく颯爽と飛び出てきた姿はハッキリ見てはいるんだが。見えてても認めたくない時ってあるよね。
「何か御用ですか桃園姫花さん。貴女には確か監視役の方達が数人ついていたはずですが、その方達はどちらに? まさか撒いてきたなんて仰いませんよね? もしも、そうなら、また風紀違反と見なされますが?」
一歩前に出て早口で言い切るとクソ女は目を丸くした。どうやら、攻略キャラしか目に入ってなかったらしい。廊下から出て一瞬で攻略キャラを見定めた動体視力だけは褒めてやるが、ぶっちゃけ相手をする時間が勿体ない。
早口で言い切った理由はそのためだ。攻略キャラ達に口を開けさせなかったのも彼らの言葉だとクソ女の中でおかしな方向に脳内変換をされると分かりきっているので、時間短縮のために私が口火をきった。クソ女の様子を見る限り、どうやら正解だったらしい。全く嬉しくないが。
「えっえっとぉ。姫はぁ……」
「はい。なんでしょう?」
涙目になって私の後ろにいる攻略キャラ達をキョロキョロと救いを求めるように見ているが当然ながら助け舟を出す人間は居ない。この中では一番のお人好しである龍崎ですら、当たり前だが、だんまりである。
「あのぉ、皆とぉはぐれちゃってぇ」
「はぐれる? それは、おかしいですね。彼女達は任務に忠実ですし。……ただ、貴女がそう仰るなら風紀委員長にお伝えして監視役の方達に此処まで来ていただきましょうか? 貴女も無実の罪で風紀違反と見なされるのはお嫌でしょうし……」
「い、いいのぉ。ひ、姫がぁ自分でぇ探すからぁ。心配ぃしないでぇ」
「心配はしていないので安心して下さい。それに、貴女は監視が必要と見なされる程の風紀違反者です。監視役が来るまでは勝手な行動をさせるわけにはいきません」
「ひ、ひどぉい。姫はぁ何にもぉしてないのにぃ」
顔を覆って泣き真似をはじめたクソ女に思わず溜息をつく。この様子だと私を見ていた理由はゲームとは関係なく先日の事件ではじめて私がどんな人間か知って危険視しはじめたとかか? なんせクソ女は私の目の前で凪ちゃんに喧嘩売ったしな。
「何もしてなくはないですよ。なんでしたら、今、此処で、貴女がした、違反行為を、一つずつ、教えましょうか?」
わざとらしく区切りながら話すとクソ女が引きつった顔をあげた。やっぱり涙は出ていない。大根役者にもほどがあるな。
「雪城さん。今から回収に来るらしいよ」
「そうですか」
いつの間にか、水瀬が風紀の人間に連絡を入れていたらしい。水瀬が持っていた資料は龍崎が追加で持たされているようだった。体格のいい下っ端は辛いなと些か同情しつつクソ女に向き直ると顔が真っ青になっている。
なにやら後ろでガサゴソ動いているような音が気にならなくもないが、どうやら「はぐれた」というのは予想通り嘘だったらしい。クソ女が話した虚言や失言を録音出来なかったのが非常に残念だ。この手の中の資料さえなければ、ボイスレコーダーのスイッチが押せたのに。本当に勿体ないことをした。
「今の水瀬君の言葉は聞こえましたね? 今から「はぐれた」監視役の方達が迎えに来て下さるそうです。よかったですね」
「なっ、何がぁよかったのよぉ! 皆と会うためにぃ、せっかくぅ撒いて来たのにぃ、台無しじゃなぁい!」
「あら? 先程は「はぐれた」と仰っていませんでしたか?」
ねぇ? と相槌を求めるように後ろを振り返ると水瀬達が仲良く首を縦に振った。依然としてスマートフォンしか握っていない水瀬の手元を見てみると、どうやらクソ女の発言を録音しているらしい。後でその音源を寄越せ。
ついでに後輩2人にも視線を向ける。龍崎の資料が少し減り橘の資料が少し増えているのを見るに、水瀬に渡された資料を2人で分けたんだろうな。何かガサゴソしていた音はこれだったのか。全く仲がいいことだな。
「あっ、回収班は、あと、2、3分でこちらに着くみたいだよ」
「あれ? 意外と早いんですね。もう少しかかるかと思っていました」
「数班に別れて彼女のことを探し回ってたみたいだからね」
「そうですか。風紀委員も大変ですね」
「えー。ってことは、その回収班のどれかが着くまで僕達此処から動けないってことー? うわ。最悪」
「お、おい。萌黄。そんなこと言ったら、水瀬先輩や雪城先輩が困るだろ」
おどおどしながら私と水瀬を見比べる龍崎に反して発言をした橘は平然としている。龍崎は苦労するなぁと苦笑を返してやると少しだけ安心したような顔をした。本当に苦労性な後輩である。
「別に颯先輩達を責める気はないよー? ただ、そこの電波先輩に迷惑かけられるのが癪にさわるだけー」
「も、萌黄君?」
童顔で明るい雰囲気の橘には似つかわしくない冷めた瞳と冷めた声にクソ女は酷く動揺しているようだった。のんびりとした口調が更に恐怖を煽ったのだろう。流石に今回は正しくイヤミが通じたらしい。橘のヤツなかなかやるな。
「その萌黄君ってのやめてよねー。僕、電波先輩と会ったの今日がはじめてだし、親しくもないのに名前呼びとか不愉快なんだよ。僕だけじゃなくて浅葱も他の生徒会役員も迷惑してるしさ」
「えっ、あっ」
「ていうか「何もしてない」とか、この期に及んで言うってアンタどういう神経してるわけー? 僕達生徒会役員だけじゃなくて、アンタのせいで全学年が多大な迷惑被ってるの理解してないのー? もし、そうなら本当に自分の世界だけで生きてる電波なんだねー。人語を解してくれない電波女とかマジウザいだけなんだけど」
「お、おい。萌黄。そのくらいに……」
正直に言って橘がここで爆発するとは意外だった。そこまで鬱憤がたまっていたんだろうか? いや、たまってたんだろうな多分。朽葉達には私のせいで纏わりつかれ、どこから来るか分からないクソ女を警戒しなきゃいけなかったんだろうし。
しかし、龍崎は親友の変わり様に戸惑っているわけではなさそうだし、水瀬もそんなに驚いてないってことは、この状態の橘を2人とも見たことがあるってことか。もしかして、橘ってキレキャラ枠だったり? 一応ゲームの設定では子犬系後輩だったような気がするんだけど。
クソ女は橘のギャップに呆然としているようだ。口が半開きになり、唯一の長所である顔が随分のマヌケなことになっているが、本人は気づいてないっていうかソレどころじゃないんだろうな。まぁ。クソ女からしてみたら“橘萌黄”はキツい事なんて言わない可愛い後輩キャラみたいな認識だったんだろうから無理もないけど。
「橘君の気持ちは分かりますが、仕方ありませんよ。諦めは心の養生って、よく言うじゃないですか」
「いや。その言葉はあんまり使わないと思うよ。というか僕は今はじめて言っている人を見た気がするよ」
「そうなんですか? “ワタシ”の座右の銘みたいなモノだったんですが……」
「あの、どういう意味っすか?」
「諦めは心の養生とは、失敗や不運だったことをくよくよと考えるより、きっぱりと諦めたほうが精神の健康にはよいという意味ですよ。まぁ。今の状況とは少しばかりズレていますが、どうにもならないことは諦めた方がいいという点に関しては同じですよね」
「へぇ。そんな言葉あったんだー。コレで一つ賢くなったよ。ね? 浅葱?」
「そうだな」
何かキラキラした瞳で見つめられると恥ずかしくなるな。何故か橘の機嫌がよくなったようだからよしとしようか。しかし、諦めは心の養生なんて言うが、“ワタシ”はコレを全く実践できなかったんだよな。それは今の私にも言えることだけど。意外と難しいものだ。
よっぽど思い切りがいいか強い心を持っていないと人間はなかなか諦めることが出来ない生き物だと思う。どうしようもないと分かっていても心のどこかで一縷の望みに、微かに見える希望に縋ってしまうのだ。そんなことをしても無意味だと分かっているのに。何か嫌なことを思い出しそうになってる。それもこれも全部クソ女のせいだ。




