第27話 俺すげー……んだよ。
「じゃあ、最後の科目は英語ね」
俺が持ってきた3冊目の教科書は、英語だったらしい。
白衣の袖を軽く直しながら、先生はその教科書を俺の前に差し出し、少しだけ視線を宙に泳がせた。
何をどう進めるか、頭の中で段取りを組んでいるのかな。
「付箋の間がテスト範囲だけど、英語や算数は基礎が大事だからね。積み重ねがないとすぐに点数には跳ね返らないかも?」
確かになと思いながらも、俺は正直に答えた。
「知らない単語とかいっぱいありそうですもんね。でも、赤点回避はしたいです」
松本先生は口元を押さえるようにして、くすりと笑った。
「赤嶺君って、記憶力は凄いみたいだから、一年生の分からやれば完璧でしょうけど」
「そこまではちょっと」
俺が困惑を隠さず肩をすくめると、先生は軽く相槌を打つ。
「そうね。じゃあ、付箋の範囲に目を通しておいて。私、役立ちそうな教材を取ってくるから」
そう言い残して、先生は保健室を出ていった。
足音が廊下に遠ざかるのを聞きながら、俺は渡された教科書を読み始める。
ページをめくる音だけが、静かな保健室に響く。
ほどなくして、ドアが開く音がして、松本先生が帰ってきた。
両腕に抱えられていたのは、一年生から三年生までの教科書ガイドだった。
「はい、これ」
俺に手渡された教科書ガイドには、本文の和訳や、覚えるべき単語やイディオム、文法などが解説されていた。
「出来たら、一通り読んどいて」
俺はすでに付箋の範囲は読み終えていたので、渡された教科書ガイドを一年生の分から読み始めた。
読むのも早くなってるからね。
一冊十五分ほどで読み終え、中身は記憶できた。
暗記する気があるわけじゃあないけれど、読めば覚えられちゃうんだよね。
準備は十分……これなら、テスト問題にチャレンジしてもいいだろう。
俺は教科書ガイドから目を離し、先生を見る。
「そろそろ、テストしてもらっていいですか?」
「はやいわねー。もう三冊読み終わったの? じゃあ、去年の問題やってみて」
松本先生から渡されたテストに取り組む。
十分ほどで見直しまで終え、答案を差し出すと、先生は椅子に腰掛けて採点を始めた。
赤ペンが走る音。
そして――
「すごいわ……満点よ。本当に今、ガイドを一回読んで覚えただけじゃない。完璧にできちゃうなんて……どういう頭をしているの?」
顔を上げた松本先生は、心底驚いたように目を丸くしている。
「明日になったら、きっと忘れてると思いますよ」
「それにしてもよ。あなた、本当に今まで勉強してこなかったのね! していたら、成績上位にいたはずよ」
「へへ。してこなかったのはその通りです。でも、きっと松本先生の教え方が良かったんですよ」
「本を読んだだけじゃない。私は何も教えてないわよ」
「今まで、教科書を読んだことがなかったからかな? 田淵の話を聞いてただけじゃあ、何にも身についてなかったってことでしょ」
「うーん。そういうことなのかしら?」
そこ、頷くんだー。
田淵、可哀そうだな。
「今日はもう帰ってもいい時間ですよね」
壁にかかった時計を見ると、授業も終わる時間帯だ。
思った以上に、勉強が進んだ気がする。
三教科終わったぜ。
「そうね。今日はよくできました。明日も頑張りましょう」
「明日は国語と数学でいいですかね?」
「そうなるわね」
やったぜ……国語と数学なら、午前中に終わして、午後はダンジョン探索に行けそうだな。
「それじゃあ、今日はこれで失礼します。ありがとうございました」
「それじゃあね。赤嶺君」
俺は、松本先生に深々と会釈をし、保健室を後にして自宅に向かった。
外の空気がすがすがしい。
保健室は、消毒臭いからな。
俺は昨日の晩、家に帰っていない。
かーちゃんが心配しているかもしれない――いや……ないか。
そういえば昨日の朝、かーちゃんは家にいなかった。
会うのは二日ぶりだな。
今晩は、男は家に来るのだろうか?
少なくともこの時間には、まだ来ていないはずだ。
家で握り飯くらいは、作って食べる時間があると思う。
とーちゃんは、しばらく刑務所から出てこなさそうだし、何なら離婚して、今の男と結婚したっていいんじゃないか?
かーちゃんが幸せなら、それでいい。
だって、とーちゃんは刑務所から出てきても、どうせすぐまた入っちまうんだもんなあ。
かーちゃんも、今度の男とはそこそこ続いてるし、たぶんうまくやれてるんだろう。
そんなことを考えていたら、家についた。
「ただいまー」
返事はない。
ドアを開けて、靴を脱いで中に入る。
かーちゃんいないや。
どこかでパートの仕事でもみつけたのかな?
それとも水系の仕事かな?
俺は、電子ジャーのふたを開け、ご飯をよそっておにぎりを握った。
……あれ? 飯がいつもより硬いな。
端に付いた飯粒は、カチカチとは言わないまでもそれに近い。
これ、一昨日のままかな?
かーちゃん、飯炊いてないのかな?
もう一つ握り飯を作ると……飯がなくなるね。
かーちゃんの分、残しておくべき?
それとも握り飯は作って、新しく飯を炊いておくべき?
やっぱり硬い飯より、炊き立ての飯のほうが美味いよね。
俺は握り飯を食った後、かーちゃん用に米を研いで炊飯器にセットした。
炊き上がりの時間を見て、晩飯に間に合うな……と安心する。
テレビをつけて畳に寝ころぶ。
普段あまり見ないから、連続ドラマは話がよく分からないところもある。
それでも、なんとなく流れはつかめるし、面白かった。
情報番組では、ニュースや芸能の話題が次々に流れていく。
キャスターや芸人たちの軽い掛け合いが、静かな部屋を埋めてくれた。
野球が始まると、自然とそれに見入った。
……かーちゃん遅いな。
こりゃ、水系の仕事だな。
朝帰りかもしれない。
今日のこと、かーちゃんに……自慢したかったのにな。
俺は、久しぶりに自分の布団を敷く。
テレビと電気を消して布団に潜り込む。
台所の照明は小さな方をつけっ放し。
帰ってきたとき、真っ暗だと嫌だよね……かーちゃん。
俺は明日のこと――国語と数学、そしてダンジョンのことを少しだけ考えながら、ゆっくり眠りについた。




