旧笹子へ[2]
山の中の古い国道なんて、子供には退屈なだけだろうと。
……そう思っていた時代が俺にもありました。
しかし。
「おおー、なにあれ、なにあれ?」
御坂の時はチャイルドシートに縛られていた。
今はチャイルドシートどころかオルトロスに守られつつ後部座席でコロコロしているわけで。
自由なのをいいことに窓ガラスに張り付いて、外の風景を大騒ぎしながら見ていた。
え、何を見ているかって?
荒れた舗装と、蔓草が絡み放題の壊れかけたガードレール。
古い隧道見物が趣味の俺には、特に珍しくもない風景なんだけどね。
『草の絡みついたガードレールではないか、そんなに珍しいか?』
「あー……」
そういうことか。
「サーナは生粋の都会っ子なんだよ。こんな廃道じみた道が珍しいんだろう」
『なるほど、そういう事か』
「たぶんな」
そうなのだ。
サーナは両親こそ違うが、当人は生まれも育ちも東京の中心部である新宿区。
たしかに、たまに千葉県のさらに突端に近い田舎に遊びにも行くけど、いくら田舎でも普通に交通量のある現道であれば、さすがにここまで豪快には荒れない。
御坂峠の方も多少荒れていたけど、あっちは有名な富士見ポイントだから観光バスだって来る。
ましてや、こんなガチの旧道になって半世紀以上の道なんて、そりゃ荒れて当然なわけで。
なるほど。
こりゃ確かに、珍しい体験かもしれないな。
『おまえたちは面白いな』
「おもしろい?」
『この幼子とおまえは血がつながってないようだ。人の世界によくある、連れ子というやつだろ?』
「ああそうだよ」
『だが仲が良いし、こうして母親そっちのけで遊びにも来ている。
我にはそれが不思議に思えるのだよ』
ああ、そうか。
「俺は先にサーナと仲良くなったからなぁ」
『そうなのか?』
「ああ、むしろ母親の方が後でついてきたというべきか」
『なるほどなぁ、それでこうも懐かれてるわけか』
「たぶんな。おいサーナ」
「なに?マコ?」
「この先はそろそろ危ない、外を見るのはいいけどシートベルトを……」
「?」
ああ、さすがにそりゃ無理だ。
イケネ、あまりに理解が早いからつい普通に話してたわ。
「ちょっとまて」
一度エブリイを停めると荷室にまわり、畳んだままの後部座席を起こした。
「すまない、ちょっと狭くなるが……うお!?」
ふと気づくと、オルトロスはグッと小さいサイズになり、起こした後部座席にちゃっかり移動してきた。
「おま、大きさ変えられるのかよ!」
なんて器用な。
『幼子をシートに固定したいのだろう?
我が後ろにおると、幼子が素直に移らぬかもしれぬ』
そういうことか。
迷わず礼を言った。
「なるほど、お気遣い感謝するよ」
『気にするな』
チャイルドシートを後部座席に固定し、渋るサーナを座らせた。
ベルトで固定してやると、何を思ったのか突然、ウッフンとかアハーンとか色気のかけらもない奇声を発する。なんなんだ。
「さーなのマネ」
「……どういうマネだ?」
「さーながいないとき、マコとやってる」
「……なんですと?」
ちなみに「さわな」をサーナはうまく発音できないので、母親も自分も「さーな」になってしまう。微妙に発音違うから、慣れれば聞き分けられるけどな。
今の発言は「わたしがいない時、ふたりでやってるでしょ」と言っているわけだが。
ちょっとまて、なんでサーナが知ってるんだ?
あれは教育上悪いから、あれ以降は二人っきりの時限定にしてるはず……あ。
「おいノルン」
「ノルンは無実」
いつのまにかダッシュボードでスマホをいじっていたノルンが、それだけつぶやいた。
「おまえのしわざだろ。サーナに中継してたな?」
「隠し事はよくない」
「教育上悪いと言ってるんだ」
ためいきをついていたら、サーナがさらに続けてきた。
「おっぱい、もまないの?」
「……おいノルン」
見たら、助手席で狸寝入りしてやがった。
「あのなサーナ」
「ん?」
「揉むのは母さんだけ、サワナだけ!」
「ずるい」
「ずるくないって……あー、サーナも大人になればわかるぞ、な?」
頼むから、これで今は理解してくれよぅ。
そしたら、サーナは俺の顔を見て、ウーンと何か考え込んだ。
「……大人になったら、サーナも揉む?」
こらまて、どういう解釈だよ。
「そうじゃないって。
あのなサーナ、揉んでほしいと思う相手ってのは決まってるんだ。
俺の相手はサワナなんだが……。
サーナも大人になったら、そういう相手ができるだろう」
「ない!」
「……あーうん、今はそう思うだろうな」
「うー」
ダメだこれ、ごまかしてると思われてるな……大当たりだが。
「よしわかった、じゃあこうしよう。
サーナが大人になって、その時にどうしてもって言うのなら考えような?」
「ほんと!?」
「ほんとほんと、考えるぞ。約束しよう」
考えるだけだけどな。
許せサーナ、大人はずるいのだ。
『大変だな、母娘の両方に愛されてンのか。色々楽しめて結構じゃないか』
「いや、あんたはちょっと黙っててくれ」
このオルトロス、結構下世話な性格してんな。
なんなんだ、もう。
しかし。
『いいのかね?』
「何がだい?」
『海の種族は情が重いって知ってるか?』
「あー、これの母ちゃんで少し」
『だったら気をつけな、ガキの約束とナメてたら痛い目見るゼ?
たしかにガキの頃の約束なんて、成長したら過去の事になるのが普通だろ。
けどな、たま〜にだが、ホントにガチで忘れないばかりか、成長してから約束の履行を求めてくるのがいるんだ』
「……」
『その手のメスはマジで怖ぇぞ?』
「……」
『メスのガキってのはな、どんなチビすけでも本性はやっぱりメスなんだ。これ絶対忘れンなよ若いの?』
「……お、おう。肝に銘じるよ」
まさか、オルトロスに男女間のお説教されるとは思わなかったわ。
冗談抜きで注意することにしよう……いやホント。
再びエブリイを走らせる。
AGS、オートギアシフト特有の小さな変速ショックを交えつつ、古い街道をえっちら登っていくのだが。
「マコー、まど!」
『サーナよ、開けるのはやめたほうがいい。あれを見ろ』
「……虫?」
『そのとおり、ハチだ。あれに刺されると痛いぞ?』
「……あけない」
『うむ、賢明だ』
騒いでいるサーナを、オルトロスが上手にいなしているようだ。
もしかしてこいつ、子供慣れしてないか?どこかで面倒でも見てんのか?
しばらくして、いよいよ旧笹子隧道が目の前に見えたが。
「マコー!」
「ちょっとまて、抜けた向こうに広いとこがあるからな、そこで止める」
「あい!」
宣言通り、抜けた向こうには広い路肩があり、そこに停車した。
下はひび割れた舗装と砂利、その上に大量の枯葉。
まだ秋には早いと思うので、純粋に落ちた老廃物が風で吹き寄せられているのかもしれない。
車から出て、サーナもチャイルドシートから開放した。
「あまり遠くへいくなよ?山なんだから危ねえぞ?」
「わかった!」
隧道に近寄っていったサーナは、補修業者がつけたと思われる印をヘー、ホーと珍しそうに見たと思えば、壁をぺんぺんと叩いて唸ってみたり、まるでいっぱしの隧道マニアみたいだ。
フワフワとノルンが近寄っていって、サーナはアレは何、それは何と質問をはじめた。
「のるん、これなに?」
「それは案内。いつこのトンネル作ったかとか、そういうの書いてる」
「へー」
「読める?」
「うー……」
もはや普通に幼女だけど、さすがに隧道の解説や銘板を読むのは無理だな。完全に大人向けの文だし、古いものだと古文の知識も必要だし。
ここにあるのは読みやすくした観光むけの看板だけど、それで子供が読む文体じゃないだろ。
「何を書いてるのか知りたいのか?」
「うん」
「よし、いいぞ」
スマホでも撮影してから、少し要約して教えることにした。
「まず、ここは昔、東京と山梨を結ぶ道だった。これはわかるか?」
「んー……とうきょう……おうち」
「うん、そうだな」
「やまなし……ぶどうがり」
おっと、そうきたか。
ああ、そういえば三人で行ったっけ。
「そうそう、ぶどう狩りで行ったよな。山梨」
「うん!」
「途中おぼえてるか?高速で山ばっかりのとこを越えたろ?」
「うん、はつかり」
「そうだ初狩PAだ。よく覚えてるな」
「アイス!」
「ああ食べたな」
「うん!」
うんうん、子供だしな。
「ここは、あの初狩の近くなんだ。
昭和13年、まぁぶっちゃけ大昔に、この道とトンネルが作られたんだ」
「……」
理解できてるかな?
ま、なんとなくわかっていればいいか。
「20年の間、この道とトンネルは使われてたらしい。
それで20年後、さっき俺たちが通ってた下の道が完成した。
こっちは昔の道になった。
で、今となっては、あの草だらけのガードレールってわけだ」
「ぼーぼー!」
「ああそうだな、まさに草ボーボーだ。そんで車もいないだろ?」
「……なんでいないの?」
「そりゃ道がクネクネのグルグルだからさ。
みんな、こんなクネクネ道より、まっすぐで広い道をばんばん飛ばしたいんだよ」
「……ふうん」
俺とサーナが会話していると、オルトロスが口を開いた。
『なるほど、あるじが持っていた情報はこちらの街道のようだな』
「おや、情報一致したかい?」
『間違いないようだ。
しかし、旧道になってもう半世紀以上が過ぎていたのか。なるほど情報と違うわけだ』
「問題は解決かい?」
『うむ、おかげさまでな。
もとより、道が正しいかどうかの確信がほしかったのだ。
間違いないと確定したのなら、もはや迷うことはない。
礼を言うぞ、印持ちの若き人族よ』
「そりゃどうも。俺こそ、ちびっこの相手してくれてありがとうな」
旧笹子隧道は優雅な古きトンネルで一見の価値はあるけど、まわりには見事になにもない。
俺も久しぶりに見物していたが、お姫様の動きが鈍くなってきたようなので撤退することにした。
チャイルドシートに固定してやると、サーナはたちまち眠り始めた。
「まるで電池切れだな……子供ってのはなんでも劇的だなぁ」
『うむ、元気で結構なことだ』
下まで送り届けると、オルトロスはここでいいと言った。
サーナを起こそうと思ったが、寝かせてやれと言われた。
『ここから再開する。世話になったな』
「こちらこそ。気をつけて」
『おう!』
そういうと、オルトロスは車の走る国道20号に戻っていった。
さて。
「ここからだと……ああ、初狩から都留に出られたか」
都留にはたしか、大きくてまったりできる道の駅があるはず。
その頃にはサーナも目をさますだろう。
よし。