旧笹子へ[1]
天下茶屋からそのまま坂を下り、新道に出、新トンネルで再び御坂を越える。
サーナは大きな新トンネルも見ていたが、このクラスは千葉に行く時もよく見ているようで、それほど興味はもたなかったようだ。
多少なりとも交通量のある道をおっかなびっくり走ると、たちまちに国道20号、甲州街道に出た。
東京方面に進む。
途中、立ち寄ったコンビニでサーナをトイレに行かせた。
そこで。
「ひとりでいけるもん!」
「そうかぁ?」
「いける!」
「そっか、わかった。がんばれ」
「うん!」
トイレ借りますと店員に伝えて、サーナを入らせる。
だがもちろん、最悪には備えなくてはならない。
ここに至って、エブリイに水瀬さんが積んでくれた着替えセットの意味を知った。
そうだよ、相手はちびっこだ。たとえ日帰りでも着替えセットくらいは持つべきだ。
ありがとうございます、水瀬さん。
待ちながら、予備の電子マネーカードを取り出す。
スマホで残高確認、OK。
さらにスマホはナビアプリを起動し、行き先をセットしておく。
そうこうしていたら、水音がして、少ししてサーナが出てきた。
「おかえり、ひとりでできたのか?」
「できた!」
すばやく目線を走らせるが、たしかに問題なさそうだ。
シャツが半端にひっかかっていたので、出して整えてやった。
「よしよし、ではコレを貸してやろう、使い方わかるか?」
「シャリーンするやつ!」
「うむ、そのとおり。
飲みたいジュースを『シャリーン』して買え。できるか?」
「できる!」
「よしいってこい!」
電子マネーカードを持ったサーナが、にこにこと走って行く。
たぶん俺より上の世代なら、お小遣い持って駄菓子屋行く風景を想像するんだろうな。
今どきの子供は電子マネーを持たされ、コンビニで電子決済するのだよ……たとえ彼女が人間じゃないとしても、電子マネーは電子マネーだからな。
まったくの余談だが、サワナもサーナも指紋認証はうまく動かないらしい……難儀な話だが。
さて。
視線が外れたのを確認した俺はもう一度、一瞬だけ女性用トイレを開き、ちゃんと粗相してないか、流しているかをザッと確認する。
うむ、問題ないだろう。
扉をしめ、俺も男性用で急いで用をすませた。
サーナの後を追いかけようとすると『シャリーン』という特徴的な決済音が響き渡った。
お、無事に買ったかな?
俺も何か買おうかなと近寄ってみると、サーナはまだレジの前にいた。
ん?なんだ?
「もしかして俺のも買ってくれたのか?よくわかったな?」
俺がいつも買う冷たいお茶が、しっかり並んでいた。
「のるん!」
「なるほど」
俺がいつも買ってるやつをノルンに聞いたのか。
サーナは人間じゃないわけだが、母であるサワナ同様、ノルンと遠隔通信というスゴい能力をもっていたりする……まぁ、東京から北海道のノルンに接続してのけるサワナには当然かなわないが。
「よしよしサーナ、ありがとうな」
「えへへ」
やれやれ、甘え上手なとこも母親そっくりか。
よし、ちょっと遊んでやろう。
「よしサーナ!」
「あい!」
わざと軍隊風にビシッとやってみる。
ちょっと恥ずいけど、これやると何故か乗ってくるんだよ。
「自分のジュースをもち車にもどれ、俺のは俺がもつ!」
「らじゃー!」
俺の真似してビシッと敬礼し、自分のジュースをもちエブリイに戻っていくサーナ。よしよし。
またせちゃったコンビニのおばさんに、どうもと会釈しようとして。
「ありがとうございましたー」
「……どうも」
生暖かくも微笑ましいものを見る、おばちゃん連中のアレな目線が複数。
やばい。
俺ひとりなら、まず経験することのない、なんともいえない居心地の悪さがそこにあった。
うう……。
とっても気恥ずかしくなった俺は、あわてて店を出てエブリイに戻った。
戻ったんだけど、こっちはこっちで何やら予想外の状況が起きていた。
「わう、ふーん」
「おつかい?おなかすいたの?」
「くうーん」
なんか、サーナが犬と話してた。
いや、それはいい。
そこらにいる手頃な雑種犬くらいのサイズのそいつは、妙に毛並みがよかった。おそらく飼い犬なんだろう。少なくとも野良じゃない。遊びに来たのか?
だがそれより。
「……なんで頭がふたつあるんだ?」
なんと双頭、ふたつも頭がある化け物犬だった。
しかも妙に精悍というか、これ本当に犬か?いや、双頭の時点で違うのはわかるけどさ。
さすがに絶句していたら、ノルンが近づいてきた。
「おい、こいつ」
「オルトロス」
「いぃ!?オルトロスて……まじか」
「まじ」
「な、なんでオルトロスが日本にいるんだ?」
よく知らないけど、ギリシャ神話か何かに出てくるやつだろ?つまり西洋の存在のはずだ。
そんなん日本にいたらおかしいだろ?
「主人についてきたって」
おいおい。
「よくわからんが、会話できるのか?」
「ノルンが通訳できる」
「ほほう、そりゃすごい。頼めるかな?」
「わかった」
よくわからんが、とりあえず、いつまでもコンビニの駐車場にいるのもなんだろう。
どうやら周囲の人には普通の犬に見えてるみたいだしな。
え、なんでわかるのかって?
そりゃおまえ、双頭の犬がいきなりコンビニの駐車場にいたら普通驚くだろ。
でもみんな、驚きもしてないみたいなんだよな。
「やぁ、いいかな」
ノルン経由で話しかけてみると、オルトロスは反応した。
『ほほう、そなた人間なのに我が犬に見えないのか?』
「まぁ色々あってね。
ところでさ、コンビニ駐車場にずっといるのもなんだし、ちょっと近くまで移動しないか?」
『それはかまわないが……我にも行き先があるのだ』
「そうか。方角はどっちだい?」
『東だ』
「そういうことか……あっちに少し移動するけど、どうだろう?」
国道20号の東京方面を指差す。
『ふーむ……少しの時間ならいいだろう』
「わかった」
どうやらOKらしい。
とりあえず移動する事にした。
エブリイの後ろに乗ってもらう。
サーナも後ろに行ってしまった……本当はダメなんだがなぁ。
仕方ない、安全運転に徹するとするか。
うん、もちろんみんなは真似しちゃダメだぞ?
「サーナ立つな、あぶないぞ」
「きゃっ!」
走り出してすぐ、揺れた車内でサーナが転倒しかけた。
言わんこっちゃない!
なんか、オルトロスがボフッと受け止めてくれたようだが。
「すまん、悪いけど見てやってくれるか?」
『かまわぬ、幼子は宝だ』
お、おう。渋いなオイ。
あぶないあぶない、安全運転と。
東京側の分岐から入るつもりだったが、こうなっちゃ仕方ない。
こんな事で捕まるのもイヤだし、さっさと現国道から外れよう。
それでも違反は違反だけど、旧道にネズミ取りはいないだろうからね。
国道から外れると道は一気に狭くなる。
当然だ、なんたって新道が通ってから何十年もたってる昔の道だからな。
誰もいないのをいいことに速度も徐行ペースに落とし、のんびりペースにする。
これで、万が一にも急ブレーキで後ろに影響が出ないように。
よし。
ところで。
『古いトンネルを見に行くのか。それは興味深い』
「え、知ってるのか?」
なんと、こっちの話にオルトロスが食いついてきた。
『実は少々困っていたのだ。
あるじに頼まれて東に旅をしているのだが、教わった道も、町も、まるで異なっているのだ。
旧道とやらは過去の道なのだろ?何かわかるかもしれぬ』
あらら。
「あー……もしかして情報が古いのか?あんたの主さんとやらは、どの道を通れと?」
『甲州街道を通れと聞いているが……何やら知らない道ばかりでな』
「そういう意味で言えば、さっきの道は甲州街道のバイパスだから正解だよ。
だけど、あの後には新笹子トンネルって長いトンネルが待ってるけどな」
言うと、首のひとつが不満そうな声をもらした。
「トンネルは苦手かい?」
『後ろから追いまくられるし、脇に追いやられる。おまけに排気ガスというやつでな』
「あー、普通のヤツにとっちゃ、ただの迷い犬に見えるだろうからなぁ」
不便なもんだ。
「今まではどうしてたんだ?」
『短いトンネルが多かったからな、それらは無理やり通り抜けてきた。
しかし、長大トンネルと判断したら迂回路を探して利用した。
だが、ここで困っていた。そろそろ長いのがありそうだったからな』
「その判断は大当たりだが……ああでも、だったらちょうどいいんじゃないか?」
『ん?どういうことだ?』
「俺たちは今、昔の笹子トンネルに向かっているわけだろ?
抜けたらそのまま反対側に降りて、新トンネルの向こう側で新道に再び合流するんだよ。
あんたにとっちゃ、長いトンネルをこの車でカットできるわけだ。どうだい?」
『……』
「なんなら目的地に連れて行ってもいいけど、たぶんそれは違うんだろ?」
『そうだが、人間のお前がなんで知って……!』
オルトロスは俺の方を見て、そして何かに気づいたような顔をした。
「ん、なんだ?」
『そうか、貴様は……』
「?」
『いや、助かる。では新道に戻るところまで頼めるか?』
「いいぜ、了解した」
シャリーン:
楽天Edyの決済音。
ちなみに誠はEdyユーザーではない。
予備と言い切っているが、サーナに「ひとりでできるもん」をやらせるためにわざわざ用意したもの。
なんでも、犬の鳴き声がするWAONとで迷ったらしい。
アホなのか子煩悩なのか。