引っ越し
大家さんにはじめて会い、そして戻ってから俺の引っ越しは始まった。
もっとも、腹をくくってしまった俺のやる事は多くなかったが。
「え?これ全部処分するんですか?」
「アパートの部屋に入りませんからね」
手伝いにきてくれたサワナさんが、俺の部屋の荷物を見て驚いたように言った。
「いい機会ですから、着替えや書類、パソコンとバイク用品以外のものは業者にひきとってもらいます」
本来、東京都23区内では粗大ごみの処分は有料だ。
たとえば新宿区などは、ネットから申し込んで近所のコンビニで料金を払い、支払い証明のシールを貼り付けて指定の日に指定の場所に出す。
しかし、けっこう日数待たされる上に個別の対応が必要になる。
当然、時間もなく量も多い場合は対処しきれないわけで、有料でひきとって分別処分してくれる業者がいたりする。
「そうですか……これを全部」
「あ、まだ全部じゃないですよ?
これと、これと、これは持っていきます」
「これは?」
「単車のかばんに入れといてください……ってちょっと待ったぁっ!」
ふと目をやると、サワナは雑多な荷物の中から、見覚えのある赤くて手頃なサイズのものを掴みだしていた。
「誠さん、これは何ですか?」
う。
ごまかそうかと思ったけど、正直に告げた。
「それは、テ○ガです」
「?」
「あー……えっとですね」
近くにサーナがいないのを確認してから、ぼそっと告げた。
「それはね……(ごにょごにょ)……なんだけど」
「!」
どうやら理解してくれたらしい。
その細い手に赤いテ○ガをもち、まじまじと見つめるサワナの姿は……なまじ本人が細身にグラマラスな美人さんだけあって、ちょっと刺激が強い。
あのですねサワナさん。
あなたは俺にとって「はじめてのひと」なんですよ?
しかも、まだそんな関係になって日が浅いんですよ?
え、何が言いたいかって?
だから……もうやばいっての!
そんな無防備に、テ○ガ手にとってボーっと見ないでくださいよ。
盛りのついたガキみたいで恥ずかしいんだけど、ムラムラして仕方ないっての!
あーもう!
「あの、サワナ?」
「あ、はい?」
「それは捨ててください」
「え、でもこれ未使用品ですよね?」
そうだけどさ。
「それ、若い女性がまじまじと見るようなもんじゃないですよ?わかってます?」
「あ」
でも、そう言うとサワナさんは、そんな俺を下から目を細め、挑発するみたいに見た。
そしてクスッと笑った。
「それじゃ誠さん。じゃあ今夜、これで遊んでみますか?」
「え?」
「あら、遊ばないんですか?」
「遊びますよ?でも、それは使わないです」
「え?」
「だって、もっといいもの、素晴らしいものが眼の前にあるじゃないですか」
「え?」
首をかしげるサワナに、まぁいいかと別のものに目をやる。
ごそごそやっていたら、
「え……あの」
ああ、気づいたか。
「っ!!」
「サワナ、驚きすぎ」
「……あ、はい」
あんた死別とはいえバツイチでしょうが、どうしてこんな免疫ないのさ。
……まぁ、そういうところが可愛いのだが。
ちなみに後で知ったのだけど、これは俺の方が悪かったらしい。
つまり。
サワナたちの種族には、そういう道具類の文化が未発達だったらしい。
だから日本の薬局でテ○ガを見かけても、人間社会によくある、わかる人しかわからない謎の道具と認識していたそうな。
知らないし興味もないなら、そりゃピンとこないわけだ。
しかし、あー……そういう道具にまったく免疫なかったのか。
旦那さんも同族だったようだし、そりゃ免疫ないよな。
うん、それは俺が悪かった。
からかってごめんよ。
落ち着いてから、荷物を寄せつつ話を再開した。
「ところで、お仕事の方はどうですか?」
「もう引き継ぎは終わって、あとは有給消化だよ」
俺が受け持っていた仕事は、東京支社にできる人がいない。
一部の仕事は本社送りになった。
東京でやってた作業は、いくつかは終了、いくつかはクラウドに移動させた。
もともと全て仮想ノードってやつでクラウド上でも試行していたから、それを本格稼働に切り替えただけだ。
で、保守管理者のいなくなるローカルサーバは停止して、それで俺の引き継ぎは終了と。
「よくわからないけど、それって、いつでもすぐ切り替えられたって事ですか?」
「そうだよ。
今までそれをしてこなかったのは、本社指定のクラウドだと課金がすごくなる計算だったからね。
こちらから推薦したレンタルサーバは、本社のインフラ担当に却下されたしね」
「そうですか……よくわからないけど、お値段の問題は解決したんですか?」
「ああ、解決したと思うよ。
だって、俺に給料払うよりはずっと安いだろうからね」
「……そうですか」
実際、いくら割高といっても所詮はサーバ数個だ。
人間ひとりに支払う給料ほどもお金がかかるわけではないし、かりにかかったとしても、それはもう俺の仕事じゃない。
引き継いだ誰かがよろしくやるか、東京支部がなくなって本社に併合されるかの二択だろう。
「割り切ってるんですね」
「今、俺がやるべきは、いつまでも前の職場に義理をたてることでも、彼らに怒ることでもないからね。
円満にきちんと業務を引き継げたんだから、それ以上言うことはないね」
「……」
「それより、新しい仕事について、はやく慣れたいよ。
そんで、みんなで楽しくごはん食べたい」
「ふふ、そうですよね。
誠さん、うちの晩ごはん、とっても楽しそうですもんね」
「おうよ!」
いやだって、そりゃそうでしょ。
サワナさんたちの、というか、今は俺のアパートでもあるあそこは、ひとでない住人や来訪者がたくさんいる。まるで昔読んだラノベの、妖怪の住んでる下宿屋みたいに。
けど、俺があそこが大好きなのは、そういう理由だからじゃないんだよ。
あそこの食事風景は、とにかく人がいる。賑やかだ。
ぼっち生活の長かった俺には、その騒々しさはワクワクするほど楽しいんだ。
「あら、誰かきましたね」
ぴんぽーんと呼び鈴が鳴った。
「はいよー……あら?」
出てみると、目の前にはアメカジ男がいた。
いや違う。
このアメカジは。
「うお、町田のカッパじゃないか!どうしたんだい、こんな東京のど真ん中に?」
なんと、いつぞやの、アメカジヒッチハイカーなカッパ野郎だった。
「それはオレのセリフだよ。
長田荘でアンタがここにいるってきいてさ、手伝いにきたぜ?」
ちなみに長田荘とは、問題の俺達たちのアパートの通称のひとつらしい。
「それはまた。助かるけど、どういうつながりで?」
「ああ、知らないのか。俺大学時代に長田荘にいたんだよ。
それで、水瀬のばっちゃんにきいたんだけどさ、関東の拠点まわる仕事するんだって?」
「ああそうだけど?」
てか、水瀬さんって、カッパにも婆さん呼ばわりされてんのかよ。
ナニモンだよあのひと。
「そうか、けどせっかく来てくれたのに悪いけど、ほとんど業者にもってってもらうつもりなんだ」
「お、そうなのかい?だったらそっちでお役に立つぜ?」
「ん?それって?」
「オレんとこ、引っ越し業だけど不要物回収もしてんだ。安くしとくぜお客さん?」
おっと。
それは話が早いな。
カッパ氏も中に入り、サワナと顔をあわせた。
「あら奥野くんじゃないですか。お久しぶりですね」
「おいおい若嫁ってサフワの姉御かよ!」
「あら、なに?」
「いやだって、若嫁……若い嫁ぇ?」
「……何を言いたいのかしら?」
「だって姉ちゃん、あんた何十年その顔やってんだよ。それで若いって言えるか?」
「なんですってぇっ!」
おいおい、いきなりケンカか?
もしかして、入れたのまずかったか?
「ああ、すみませんね誠さん。彼は奥野くんといって、女の子もいるアパートの共同水場で夜中にパンツ洗ってた変態なんですよ」
あらら。
「ふざけんな、あのほとんど下宿、プライベートゼロのアパートで首輪つけてたド変態が何いってんだ!」
「アレはわたしの趣味じゃないって言ったでしょ!」
「おいおい、兄ちゃんが幻滅してるぜ?おしとやかにしたほうがいいんじゃね?」
「誰のせいよっ!このフ○チン野郎!」
「なんだとっ!」
「ああわかった、わかりました、仲良しなのはよくわかったからふたりとも落ち着いて」
「「なかよしじゃない!!」」
おっと、お約束ありがとうございます。
とりあえずお茶をいれて話をきくと、どうやら彼はアパート時代、若気の至りを色々やったらしい。
まぁサワナも色々やってるみたいだし、どっちもどっちだと俺は思うが。
「しかし、あんたが長田荘に入居するばかりか姉御と結婚するとはね。世の中狭いや。
おっと、改めて名乗るけど、奥野たけしと名乗ってます。あんたは何て呼べばいい?」
「諸田誠だ、呼び方は好きにしてくれ。
君のことは、奥野くんでいいかな?」
とりあえず、サワナの呼び方にあわせてみた。
「いいですよ。よろしくマコさん」
「……なんでマコトでなくマコ?」
「いや、なんか、そんな感じじゃないかなって。
まずかったスか?」
「……いや、まぁ別にかまわないよ。
前は女の子みたいでイヤだったんだけど、なんか皆、マコマコ言ってくるからね」
「ああ、だろうね。マコって感じだもの」
「……それってどういうこと?」
「説明は難しいっスけど」
なんだかなぁ。
「しかし、今でもアパートに出入りがあるってことは、奥野くんも関係者ってことか」
「マコさんにわかりやすく言えば、橋本の方に長田荘みたいな場所のひとつがあるんスよ。
水瀬のばっちゃんは大先輩なんで」
「……あのひと、ほんとに人間か?」
「あー、それはマコさんも他人事じゃないですよ?」
「え?」
「だって姉御と結婚ってことは、完全にこっち側じゃん」
「あー……寿命も伸びるんだっけ」
「うん、たぶんね。
まぁ今度、一緒に飲みましょうよ!」
「お、いいね!」
そういうと、カッパの奥野くんはニヤリと笑った。
何はともあれ、俺は転居することができた。
人の縁で拠点や仕事が決まるってのは別に珍しくもないだろうけど、俺にしてみれば、あの日、交差点で狐の巫女さんに声をかけられてから続く、不思議な縁の流れなわけで……色々と不思議で、そして有意義な引っ越しになったとも言える。
まぁ、前の職について思うところもないではないが……とりあえず円満に手が切れたから、よしとしようと思う。
そんな感じで、日々は過ぎていった……。
テ○ガ:
いやまぁ、TEN○A……そう、皆さんご存知のプラスチックの筒状になってる有名なアレです。