幻想と在る者
不定期更新が続き、ご迷惑をおかけしています。
深夜。
ひどい寒さに俺は目を覚ました。
「……いやな感じだな」
異様に寒い。
昔、旅していた頃には氷点下十度くらいまでは経験済みのはずだけど、あの頃でも寒さで目覚めるような事はなかった。
装備が……おそらくネット購入の中華寝袋が性能不足だな。
別にどこの製造でもいいけど、品質は確認してから買え、そして野営で幸せに暮らすには寝具をケチるなってこと。
うん、本当に実感したわ。
珍しくノルンが熟睡状態のようなので、ひとりで外に出た。
当たり前だけど空気は静まっている。
昼間には聞こえていた国道の車も今は絶えて静寂の中、どこからか遠くから機械音のようなものが聞こえている。
たぶん、チョウザメ飼育のためのシステムのものだろう……誰かがエンジンかけて車中泊しているのでない事を祈ろう。
さて。
「……?」
遠く、東の方に気配がある。
ちょっと行ってみようか。
単車に視線を向けると、なんと、シートに霜……ではないな、夜露が凍結したうえに、霜柱みたいに膨張し、さらにその先についた水分が凍って結晶化しているみたいだ。
うわぁ……いったい何度まで冷えてんだよコレ。
まぁいい。
見ないようにしつつ、俺は足を進めた。
しばらく歩くと、そこは川べりだった。
まるで、そこだけ文明から切り離されたように、まったく人工物の見えない川の風景だった。
で、その川岸に、民族衣装っぽい姿の男女数名。
「こんばんわ、夜分におそれいります」
確実に気づかれているだろうから挨拶したら、ただ無言で静かに会釈された。
「うちの子が色々いただいたようで、ありがとうございます。その、僕もお相伴に預かり、おいしく頂かせてもらいました」
「それでよい、二人分のつもりだったのだから」
男女の中でも年長らしくご老人が、白いひげをさすりながら言った。
「なにぶん旅の途中の身、お返ししたくもできないのですが」
「旅の印もちに恵みをくれてやったまでのこと、お返しなどいらぬ。
……まぁしかし、それでは気がすまぬというのなら、あとでちょっと見せてもらえるかな?」
「見せる?」
「印を得てからの、君の記憶だ。
どうやら、なかなかに面白そうな経緯をたどっておるようだからな」
なんかクスクスと笑われた。
「まぁ、はい。そんなことでよければ。
ところで皆さんは、伝説のコロボックルで間違いないですか?」
「ふむ?その質問には何か理由があるのかな?」
「はい、実は妙な話をきいたことがあるんですよ……気を悪くなさるかもですが」
「……よければ聞かせてくれるかな?悪い噂のようなものであれば、それは耳にしておくべきであろうし」
「わかりました」
俺は少し頭をさげると、説明した。
コロポックルについての伝説は、いろんな名前であちこちのアイヌに伝わっている。
しかも、違うのは多少の呼び名くらいで、伝説の中身などはだいたい似通っている。
これは、いくつかの意味をもつ。
たとえば、コロポックルが実在の異民族だった説がある。
つまり蕗の葉の下の人の正体は、かつては共存していたが民族間対立の末に樺太や千島の向こうに去ってしまった異民族だったというものだ。
あと、これについては、こんな説もある。
アイヌの人たちがコロポックルを小さい小さいと言い続けたのは、実は本当に小さかったのではないというものだ。つまり、反目し合った民族をバカにして小さいと言っていたのが伝説化したというわけだ。
このあたり、彼らが狩猟民族であることも関係した可能性がある。
つまり狩猟生活が基本の民族なら、相手の体を小さいと揶揄する事は一種の悪口であった可能性がある。
となると、だ。
伝説通り、コロポックルのモデルとなる人々との間にトラブルがあり、彼らが出ていった事件が現実に起きて。
で、それを語り部たちがニュースとして、ただし多少の悪口もコミで伝えて回ったとしたらどうだろう?
ほぼ同時代に、ひとつの事件がニュースとして伝わった。
だからこそ、どこのアイヌが伝えたコロポックルの姿も、去っていった経緯なども似ているのではないか……ってわけだ。
ただ、いうまでもないけどこの説にはひとつ問題がある。
だって、この説が本当に正しいなら、コロポックルは現実の人間であり、妖怪や精霊のような存在ではないって事になるからね。
だとしたら。
今、俺が出会っているこの人たちは何者なんだ?
で。
「……という話を聞いていたので、不思議に思ったんですよ。
皆さんがこうして実在していらっしゃるということは、やはり異民族説は違うと」
「いや、それは早計だな」
ご老人に否定された。
「君は知っているんじゃないか?
ひとの強い想いから、新しき存在が生まれることを」
「あ」
頭の中に、前に新宿で遭遇した怪獣騒ぎが浮かんだ。
あれはたしか、休日に新宿にやってきた観光客が原因だったっけ?
「ふむ、心当たりがあるようだな。
人に限らないが、多くの生きとしいける者たちには感情があり、恐れが、願いがある。
それらがつもり、重なっていくと我らのようなものが生まれる。
そして、それが存在を続けるうちに、確かなものとして固定され、固有の形が生まれるわけだ。
精霊だの神々だのという存在の多くは生まれ、形を与えられてきたのだよ」
「……人に限らない?」
「もちろんだとも」
それは知らなかった。
「想いにより生まれる。
その意味では、わしらは『コロポックル』ではあると言えるわけだが」
「同時に、その伝説の元が皆さんであるとは限らないと?」
「さよう。
まぁ、今となっては真相など誰にもわからぬであろうが」
「……ちょっと残念かな」
思わずためいきをついたら、うふふ、クスクスと静かに笑われた。
そして。
「まぁ飲め」
そういって、木製の盃を差し出された。
「え、でも」
「寒かろう?
これは強い酒ではないが、寒気にはよく効く。酔いも朝までには醒めるじゃろう」
「こりゃどうも、いただきます」
酒は嫌いではない。
大量には飲まないけど、友好の場で1杯やることには全く抵抗がない。
それに、神仏や精霊にもらったお酒で連泊になったとしら、それはそれで面白い経験じゃないか?
ここはいい温泉もあるし。
俺は素直に、年長者のお相伴にあずかる事にした。
ささやかな宴は思ったより盛り上がった。
特殊な酒なのか寒さは吹き飛び、さらに体調もよくなった。
「おー、すごいですねこのお酒、全然寒くない」
「それだけではないぞ、ほれ」
「!?」
見ると、川の向こうにヒグマがいた。
さすがにビビったのだが。
「あわてるでない、この酒を飲んだ者に山の神は近づかぬ」
「え、そうなんですか?」
それはすごい。
若い娘のひとりがヒグマに何か投げてやった……どうやらヒモで結わえた鮭みたいだな。
ヒグマはそれをヒモごとくわえて去っていった。
「あれ、いいんですか?」
「そなたら人間は真似をしてはいかんぞ。
それが原因で、ひとのニオイを覚えて里に降りてきたら悲劇が起きるからのう」
「はい、わかります」
はじめて北海道に来ると、野生動物に餌をやろうとする者が昔からいるが、これは非常によくないことだ。
楽して餌が得られると学んだ動物は人里に近づき、悲劇を引き起こす。
旅先で野生動物を見られるのは特殊な事であり、決して近づきすぎず、距離を保つようにしてほしい。
おじさんとの約束だ。
やがて夜明けが近づいてきたところで、小さな宴はお開きになった。
「どうも、ごちそうさまでした!」
「うむ、縁あれば、また来るがよいぞ」
そうして俺はテントに戻った。
もう眠る時間はないと思うが、一休みくらいはできるだろ。
「──?」
目覚めると、俺はテントの中にいた。
「???」
俺、寝る前に何してたっけ……全然記憶にないぞ。
だけど、めちゃめちゃスッキリとしてて、近年ないほどに非常に体調がいいぞ。
いいんだけど。
「──まずいな」
体調がめっちゃよくなったおかげで、逆にハッキリと気づけた。
え、どういうことかって?
ほれ、両手をわきわきとさせてみるとわかる。
「……指先が腫れだしてるなぁ」
母親から引き継いだ体質なんだけど、体調が危険な前兆として、指先が腫れぼったくなるんだよね。
これはちょっとまずい。
ここは旅先、帰るまで絶対に無理はしない事にしないとな。
でないと最悪、どこかでフェリーの日まで寝て暮らす事になりかねんぞ。
ウムとうなずいていたら、ノルンが俺の方にズイと顔を近づけてきた。
な、なんだ?
『おはようございます』
「え?ああ、おはよう」
何事かと思ったら、サワナさんからの通信だった。
『今朝の調子はいかがですか?』
「あーうん、なんか寒いけど悪くないよ」
ウソはついてない。
指先のことは黙っておこう、心配させるだけだ。
『今日のご予定は?』
「古い友だちの事故現場があるんですが、そこに行きますよ。
それから、ちょっと天塩の方に頼まれた事があるんですが、それがすんだら旭川に降ります」
稚内には行かない事にした。
理由?
寝袋が寒さに耐えられそうにないのもあるけど──これ以上無理できないからね。
俺は少しサワナさんと話すと、それじゃあまたと通信を止めた。
さて、朝ごはんといきますか。
ヒグマをアイヌ語でなんと呼ぶかは地域差が大きいので難しいです。
手元の資料によると、以下のようになっています。
・キムンカムイ(山の神)→北海道全般だが、山を省略して単に神という事もある。
・だが樺太東海岸でカムイというとアザラシ、西海岸ではトドの意味になる。
・さらに獲物や獣を意味する別の言い方をする事もあり、時代や立場により非常に多くの言い方があり、どこでもキムンカムイで通じたとは限らない。
アイヌは狩猟民族であったためか、仲の良くない民族を小さい、弱いと揶揄することがあったようです。




