冷たい雨と栃木県
「うわ、もう雨がきたか」
東北に入るまでは降らないと思ってたんだけど、ちょっと甘かったようだ。
気温もヒトケタだっていうのに、それにくわえて雨まで襲ってきた。
……まぁ、すでにカッパは着ているし荷物も防水対策ずみだけどな。
「おいノルン、おまえは」
おまえは平気かと言おうとして、その無意味さに気づいた。
「ん?」
「いや、なんでもない。楽しいか?」
「うん」
「ならよし」
単車本体と俺と荷物あわせたら300kg以上の重さがあるだろうに、それを揺さぶるほどの風が吹いているのだ。
なのに、手のひらに乗っても重さを感じないほどのノルンが全く普通にハンドルのところでお茶してるのは色々とおかしい、というか普通に湯気が立ち上ってるだろそれ!物理法則どこいった!?
……いやま、物理法則関係ない存在なのはわかってるけどさ。
ははは、やれやれ。
さて。
都内や埼玉にいる間は、なぜか追い越し途中でこっちをガン見する車がたまにいたんだが、さすがに栃木県いりしてからはそんなこともなくなった。人がいないというより薄暗くなってきたのが原因だと思う。
東北道は東名などに比べると外灯などが非常に少ない、というかほとんどないんだよね。インターチェンジ等の施設まわりは明るいけど、それ以外のところは事実上の真っ暗……ヘッドライトに反応する反射板なんかはあるけどね。
別にノルン自体は光ってるわけでもなんでもないから、当然暗ければ見えないわけで、もちろん気づかれないわけだ。
「……星くらい見えてほしいんだがなぁ」
星どころか、冷たい雨。
さらにグリップヒーターをつけているというのに、あからさまな冷たい風。
視界はイマイチ。
多少なりとも道が変化しているからいいけど、これで平坦だと本当、何も見えないぞ。
「……」
視覚にはいる情報が少ないと、次第に眠気を催すのが人間というもの。
そういや胸ポケットにフリスクがあったなぁ。でも止まらないと口に入れられないなぁ、さてどうしよう……って、
「お」
ノルンが俺の胸にとりつくと、胸のフリスクをとりだした。
小さな身体でえっちらとこじ開けて一粒とりだすと、差し出してきた。
「お、おお」
メットのシールドをあけると口に押し込んでくれた。
たちまちに刺激のある味が口内に広がる。
「お──ありがとよ」
「ウス」
ピッと敬礼すると、ノルンはスマホホルダーの横に戻っていった。
……いや、マジで有能アシスタントだわ。
そんなこんなで走っていたら、ピクッとノルンが反応した。
「マコ、この先で事故あった。通行止めだって」
「なに?」
ついさっきも事故渋滞を抜けたばかりなのに……多いな!
しかしまいった、どうしたもんかな?
そんなことを考えていたら、聞き覚えのある声が響き渡った。
『お困りかえ、少年?』
「え、た、玉藻前様!?」
『なんじゃ、少年もその名で呼ぶのかえ?』
「あー、すみません他の名を知らないんで。もしよかったらご指定いただければ」
『ふふふ、ならば藻、あるいは玉藻で良しとしよう』
「では玉藻様で。あと、俺は諸田誠です」
『よかろう。
そなたはマコでよいのか「そこはマコトで!」……あいわかった、マコトよ』
そう。
ノルンの口を借りて、先日のお狐さま──那須野原の玉藻前様の声が聞こえてきたんだ。
「話戻しますけど、高速が事故で通行止めになりそうでって、その前に高速わかります?」
『ふむ?もちろんわかるぞえ』
わかるんだ。
『ふむ、驚くことかえ?
たしかに昔はかのようなものはなかったが、馬による往来はあり、駅などの整備もされておったが?
まして、こうも往来の激しい時代となれば、鉄の馬や鉄の車のみ通す道を作るという発想に至るのも当然であろうしの……まこと、せわしない世の中とは思うが』
「へぇ……すごいですね」
俺は心底そう思った。
ちなみに玉藻様の言う『駅』は駅家とも書く。もちろん鉄道の駅じゃなくて、今で言う道の駅に近いものなんだけど、実に奈良後期とか平安初期とか、そんな大昔に決められたものだ。
道を整え、定期的に休める場所や宿などを置く。
仕組み自体は時代とともに形骸化したが、考え方は変わらないって事だな。
『すごい?いったい、何に対して凄いと申したのじゃ?』
「そりゃもちろん、鳥羽の上皇様の時代の女性が高速道路を理解できる点ですが?」
『……まったく、歯に衣着せぬ男子じゃなぁ』
「すみません」
『まぁよい。それより、道が通れなくなりそうなのじゃな?』
「はい」
『ならば話は簡単ではないか。その区間だけ裏を通ればよい』
「へ?裏?」
どういうことだ?
『マコトは何度か入っておるのではないか?』
「……もしかして、あの、人のいない世界の東北道を通れと?」
『うむ、いかにも』
「いやいや無理ですよ!」
『なぜじゃ?何度か運転もしておるのであろ?』
「そうじゃなくて、出入りできないって事です。
あれは基本的に誰かの力で引き込んでもらったとか、巻き込まれたとか、そんなんばかりなんで」
俺は変な印をつけられちゃいるが、ただの一般人だ。
別の世界を出入りなんてできない。
でも、そしたらノルンの向こうの玉藻様がクスクスと笑いだした。
『その程度の能力なら妖精が持っておるわ、誰かに助けてもらうまでもない』
「え、そうなんですか?」
そうこう言っているうちに、視界の向こうに赤いテールランプの行列が見え始めた。
「うわやば、渋滞きたっ!
玉藻様、それってやり方はどうするんです?」
『ふふふ、まぁ急くな。
能力は持っておるが、そやつは異界の位置を知らぬ、一度だけわらわが導いてやろうぞ。
……聞いたな、マコトの妖精よ。
わらわの導きに従い、マコトを乗り物ごとこちらに移すのだ、よいな?
……今じゃ!』
その瞬間、世界が変わった。
いや、東北道を走っているのは間違いない。
冷たい雨も視界のない空までも、全部一緒だった。
だけど渋滞の行列はどこにもなく、高速道路は無人のまま普通に開通していた。
「お」
俺は単車を走らせながら、俺は周囲の風景を見た。
「──天気は連動してるんだ」
『なんじゃ、知らなんだのかえ?』
「!?」
ふと見ると、ノルンの隣に、二頭身キャラみたいになったコミカルな玉藻様がいた。
「え、な、なんで?」
『なんで、ではない。なぜに分身一体だけなのじゃ?
さすがに一体のみで転移なぞできぬぞ、何をしておるのじゃまったく』
「あー……そういうことですか」
どうやら、ノルン一体じゃ足りなくて手伝ってくれたらしい。
「すんません、実は故あって二体は預けてきたので」
『そのようじゃな……ちょっと待て、祝福を強化してやろうぞ』
「え、でも」
『でも、ではない。
もし要らぬというのなら、戻ってから巫女に弱めてもらえばよいし、わらわが元に戻してやってもよい。だが今は受け取っておけ。
……必ず役に立つのでな』
「あ、はい。わかりました」
『うむ』
そういうと、小さな玉藻様はノルンの強化をすませた。
『これでよい。
あと、危険な目にあった場合など、妖精が自己判断で転移を発動する可能性がある。
そういうときにはあわてず、距離をとってから元に戻せ。よいな?』
「わかりました……ありがとうございます」
『なに、かまわぬ……おおそうじゃ』
最後にしたずらっぽく玉藻様は笑うと、なぜか近づいてきて、
──むちゅう。
「!?」
『おや、ただの口吸いではあるが何を驚く?』
「ちょ、なんで」
『なんでも何も、この分身体は妖精と同じであるから、その半透明の窓も兜も透過して当たり前であろ?』
「……バレたらどうすんですか」
『フフ、下野国で、狐にたぶらかされたと正直に言うのじゃな。
ではなマコト?道中気をつけて行くがよい』
そういうと、幻のようにチビ玉藻様は消えてしまった。
そして次の瞬間。
「あ」
まるで狙ったかのように『福島県』を示す道路標識を通過した。
『口吸い』
古語でキスのこと。
キスは明治以降のものと言われるが、キスそのものは日本にも古くからあった。
(もちろん、挨拶のキスではないが)
ハッキリした時代はわからないようで、残された文献などからの推測になる……ただし口吸いという表現は平安期には既に見出されている。
『下野国』
現在の栃木県付近にあたる。




