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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
300マイルのカバジェロ
82/189

12 ☆

「どうやら雌雄を決する時は近いようだな、薺総理」

              なおまさ

 大阪にある魔法学園、アルゲイル魔法学園。

 東京に住む親元を諸事情で離れ、ヴィザリウス魔法学園ではなく、わざわざ大阪の魔法学園に進学した少女は、寮室でそこで出来た親友と、電子タブレットによる通話を行っていた。


「もしもーし? うん、私」


 橙色の髪をツーサイドアップで束ね、ラフな格好をして、ベッドの上に座る。置いてあった枕が跳ねる横で、少女は足の指先を触り、爪でも切ろうかなと思いながら、会話をする。


「東京行く準備できた? 当日は色んなところ見て回るから、覚悟しておいてね」


 ふと、寮室の窓の外で何かが光ったような気がし、少女は白い天を見上げた。

 直後、鳴り響いた轟音に、思わずどきりとし、悲鳴を上げる。


「きゃっ!? な……雷?」


 落雷であった。それは、電話先の友人も確認したらしく、向こうからも悲鳴が聞こえる。

 気の弱い友人でもあり、雷は人一倍弱いようだ。そんな彼女のことを何よりも大事に、また、大阪へ来て作る事の出来た()()()()()()()として、少女は彼女の身を案じる。


「大丈夫? アンタ、雷苦手そうだもんね」

『そ、そんなことないよぅ……』

「東京なんて、雷以上にもっと怖いところ沢山あるんだから、注意しなさいよね?」


 片手で汎用魔法の魔法を使い、テーブルの上に置いてあった爪切りを浮かして手元まで運び、少女は足の爪を切りながら不敵に微笑む。

 電話先の友人は、ますます怖がってしまったようだ。


『うぅ……。私、東京行くの辞めようかな……』

「本気で言ってるの? 女子高生たるもの、東京の渋谷にはおばさんになる前に行かないと、終わりよ?」

『そうなのかなぁ……? 私は別に、行かなくてもいいと思うけど……』

「残念ながら、二大魔法学園弁論なんちゃら会は、二学年生は部活を休んでも行かなくちゃいけない立派な学園行事になっています。よって、参加は不可避なり!」

『う、うん……』


 電話先で彼女の不安そうな面持ちが、鮮明に浮かんでくる。

 くすりと、少女は微笑み、足を組み替えて爪切りを続ける。


「はいはい。アンタのご両親はお堅いお医者さんだから、東京は行ったことないんでしょ? 私がちゃんと案内するから。東京生まれに任せなさい。大阪のスラム街よりは、安心よ」

『うん……。よろしくお願いね、あやちゃん……』


 理と呼ばれた少女が答えようとした時、急に電子タブレットの通信が、終了する。まさか、向こうが急に切るような人物ではないことを知っていた理は、驚いて爪切りから手を離してしまった。


「え、もしもし? ちょっとなんで?」


 電子タブレットが明らかに異常を起こしたことによる、強制的な通話終了であった。

 理はホログラムを再び起動しようとするが。


「うわっ、なにこれ……?」


 浮かび上がるホログラム画像が、不規則な画像のブレを繰り返し、正常に作動しない。まるで意思を持った生き物のように、伸縮を繰り返し、激しく点滅もしている。

 そして重なる、屋外の雷の音。ネット回線すら繋がっておらず、科学進化に伴い人々の生活に利便性をもたらすことの手伝いをしてきたと言っても過言ではない、電波回線そのものが、遮断されているようだった。


「最悪……。ウチだけ? テレビオン!」


 音声認識システムのテレビも、しんと静まり返ってしまい、反応がまるでない。


「あーもう! なんなの!?」


 外へ出て事態を確認しようにも、爪切りも途中だ。橙色の長い髪を揺らし、理は急いで、足の爪を切っていく。

   

 電子タブレットの不調に始まった、ネット回線及び、電子機器の不具合は、理だけに起きている異常事態ではなかった。

 大阪の都市を中心に、その被害は次々と起きている。

 煌びやかな電飾が目を引く都市の大通り。明かりは不規則な点滅を繰り返し、道行く人は立ち止まり、天を見上げる。

 手に持った電子タブレットがもれなく不調を引き起こし、不安の声が広がっていく。丁度ビルに映っていたウェザーニュースも、不気味なノイズを繰り返した後、映像は途切れ、ある意味新鮮でもある、真黒なスクリーンのみが残る。

 電波で制御する機器は全て狂い出し、それが大阪という日本の大都市の機能を一時的に、麻痺させていた。

 信号も不規則な点滅を繰り返し、車は各地で渋滞を引き起こす。その情報の発信源である電波が纏めて死んでいる為、大阪の異常を察知するまで、他の地域は時間がかかる。

 電気と電波を失った陸の孤島。――それこそが、今の大阪を形容するに相応しい表現かもしれない。


           ※


 そんな計り知れない経済的損失と、二次災害により人的被害を引き起こしかねない状況を作り出した張本人こそ、魔剣を扱う天瀬誠次あませせいじであった。

 あお色に光る瞳をむき出しに、信号も使えないので安全の為歩道に寄せていた車たちの間を通り抜け、また今の主と同じく蒼い光を纏うブリュンヒルデを、再びる。

 再び起き上った剣術士の後ろには、そんな彼に魔法ちからを与えた皇女が跨っている。


「セイジ……。街が……」


 日常生活に必要不可欠な多くのものが使用不可となり、混乱に包まれる街並みを見つめ、ティエラは絶句しているようだ。

 誠次もまた、つい先ほど自分が廃墟にて、包囲してきた特殊魔法治安維持組織シィスティムに向けて放った、()()()()()()が、まさかここまで甚大な影響を及ぼすことになるとは、予測が出来ていなかった。

 それでも、互いに生きるために、やむを得なかった行為だ。


「君の付加魔法(エンチャント)の威力は、思ったより強大だった。次は注意しなければ」

「私の力、分かっておられましたの?」

「ああ。何となくだが、向こうが()()()()()()


 ティエラによって巻かれた包帯により止血が施された腹と右腕からは、もう出血はしていない。しかし、失った血を補給出来たわけでも、傷が瞬時に塞がったわけではない。

 今の誠次を支えているのは、ティエラが施した付加魔法エンチャント。そこより生まれる気力によるものが大きかった。感覚の鈍い右手に、香月のものよりは濃い色合いをした、蒼い光を纏ったレヴァテイン・ウルを持ち、左手でハンドルを操作する。


「君の付加魔法エンチャントの効果は、レヴァテイン・ウルにリジルと同じく電気を纏わすと言ったもの。そしてもう一つ。雷を、能動的に降らすと言ったものだった。それは、自分の意のままに落雷を操れると言った方が良いか」

「私の中の魔素マナが、貴男のレヴァテイン・ウルに吸われていくのが、鮮明にわかりました……」

「君が扱うよりは、上手くコントロールするさ。それが、君から魔法ちからを貰った俺の責任でもある。大丈夫、君のように、力に呑まれることはない」


 そこまで言うと、誠次もまた、混乱に陥っている大阪の街並みを見つめる。

 そして、後ろに座るティエラの今の思いもまた、十二分に理解していた。


「日本の街にまた被害を出して、心苦しいと感じているのか?」

「ええ……。生き残るためとは言え、またしても多くの人に迷惑をかけてしまっています……」

「正当化するわけではないが、国を治める者とは、時に民のこのような犠牲も覚悟しなければならないのかもな」


 誠次はそう言うと、自分の左手を、自身の腹部の傷跡の上に添えられているティエラの左手に添える。


「それに、これは君一人が背負うわけではない。俺と君、二人が行ったことだ。重荷は、俺も背負おう」

「……ありがとうございますセイジ。私はやはり、まだ生きて、この身の使命を果たす所存です」

「君が俺にまた戦うための魔法ちからをくれた。ならば俺は、今は君の為に、この身と力を捧げる」


 互いに学生でありながら、姫と騎士として、誠次とティエラは300マイルの旅路の終着地へとたどり着こうとしていた。

 白い雲が覆った天には、誠次が生んだ雷の残滓が、雲を斬り裂いて漂っているようであった。


 そんな二人の一泊二日の旅の終着地――大阪を埋め立てて作られた平たい地形の滑走路。そこは西日本の空の玄関と呼ばれ、日中世界各国から様々な航空機が離着陸を繰り返す鳥たちの止り木であった。

 そこへ、一機の所属不明アンノウン機が高速で接近するとなれば、管制塔の通信士たちは緊急対応に追われる羽目となる。事故を防ぐために、地上の通信士は空を舞う航空機たちに精密な指示を送る必要があるからだ。

 もはやレーダーなど当てにならない距離まで接近を許してしまった為、通信士たちは大きなガラス窓から、高速で接近する航空機を確認する。


「誘導指示も無しに、強引に着陸するつもりなのか……!?」

「所属不明機からの通信は!?」

「遮断されています! 応答ありません!」

「離陸体勢にある航空機を全て止めさせろ! 滑走路を空けるんだ! 所属不明機には引き続き通信を送れ!」

「所属不明機! 直ちに引き返せ! 着陸許可は出していない!」


 焦燥の雰囲気で、通信士が英語の怒声を所属不明機に浴びせる。

 しかし、みるみるうちに大きくなって近付いてくる無言の所属不明機は、これ見よがしに着陸用に両翼を可変させ、円形の風の線を描き、滑走路の上に無断着陸を行おうとしていた。

 そして、管制塔にも、電波障害の影響は出始めていた。


「外部との通信、途絶!? 機器故障です!」

「こんな時にか!? 所属不明機の影響か!?」

「わ、わかりませんっ!」


 その混乱具合は、地上より航空機の写真を撮る写真家たちにも、如実に伝わる。特にここ新大阪空港は、周囲に空の景色を遮るビルもない平地と、美しく白い羽を持つカモメたちが背景となり、人気のスポットでもあった。

 昔ながらの望遠レンズを用い、空を舞う鋼鉄の鳥たちの写真を今日も撮っていた男たちが、一斉にどよめき声を上げる。

 

「なんじゃ、ありゃ……アカンやろ……」

「見たことないな……海外のか?」


 見たこともないフォルムの航空機が、徐々に高度を下げて、滑走路に着陸しようとしている。

 ぱしゃぱしゃと、航空写真家たちは、その光景をフィルムに収め始める。

 そんなカメラに集中する彼らの後ろの方。大阪市街地から空港に続く一本道路上を、一台の蒼い光を纏った白いバイクが駆け抜けていた。


          ※


 白天から舞い降りたクエレブレ帝国の軍用機を見る目は、まだまだあった。

 空港付近の道路にて立往生をしていた、特殊魔法治安維持組織シィスティム第四分隊の隊長と副隊長である。


「目視しました。クエレブレ帝国の軍用機です」


 車の外に立つ井口が、新大阪空港を見据え、呟く。

 ボンネットに腰をかけていた堂上どのうえも、使い物にならない電子タブレットをしまい、同じ方を見ていた。


「部隊との連絡は相変わらず取れず、本部との通信も不可能、か。嫌になっちゃうねー」

「どうしますか、隊長。我々二人だけでも、空港に向かいますか?」


 大阪湾から吹き寄せる潮風を浴びながら、井口が尋ねる。

 ボンネットに腰を乗せたままの堂上は、しばしの沈黙の後、徐に車の助手席に向かっていた。


「やめやめ。ここで命を張っても、意味ないっしょ。空港にはもう光安がいるみたいだし、特殊魔法治安維持組織シィスティムは撤退ってことで」

「あれほどの傷を負っておきながら、我々の追跡をかわすとは」


 隊長の指示に大人しく従い、運転席に座り、シートベルトを締めながら、井口は相変わらずの無表情で言う。


新崎しんざき局長が警戒するわけだ。ま、ご挨拶は済ませたでしょ。たこ焼きでも買って帰ろ」

「この異常事態では、たこ焼きも買えないと思いますが」

「そこはここの浪速魂に期待するとして。さ、帰ろ帰ろ。俺は残業はNGなんで」


 堂上の指示の元、井口は自動車を運転し、新大阪空港から撤退していく。

 車の中では、相変わらず堂上のチョイスの音楽が流れている。堂上は頬杖をつき、窓から外を眺める。

 ――そこから見えた蒼い閃光を、細めた目で、じっと見つめながら、口元を曲げる。


「――今度は確実に息の根を止めるさ。どんな手を使っても、ね」


          ※


「あれがクエレブレ帝国の飛行機か!?」


 新大阪空港の滑走路に侵入する、他の旅客機とは意匠がまったく違った航空機の姿を、ブリュンヒルデを駆る誠次せいじは捉えていた。

 潮風を盛大に浴び金髪をなびかせながら、後ろに座るティエラもその姿を見ていた。


「軍事演習で見覚えがあります。そしてあの尾翼の紋章。間違いありません。クエレブレ帝国のものです」


 背後に座るティエラの表情にも、明るさが混じっていた。

 こちらを追跡している追っ手も今はおらず、絶好のチャンスであった。


「このまま滑走路内に突入する!」


 当然だが、滑走路は高い鉄柵で覆われており、安易に外から滑走路内に侵入は出来ない構造となっている。しかし、例外的に主の消防車や救急車が通るためのゲートが、滑走路内に直結する道路上にあった。

 誠次は素早くそのゲートを見つけると、ブリュンヒルデを高速で走らせたまま、正面突破を試みる。


「な!? と、止まれ!」

 

 ゲート脇の警備スタッフ用の小部屋から、警備員の男が慌てふためいて飛び出すが、誠次はその真横を通過する。


「こちら緊急車両用ゲート! 滑走路に、バイクが一台侵入しました!」


 駆け抜けた風によって帽子を吹き飛ばされた警備員は、すぐに管制塔に侵入者を通報する。しかし、やはり通信装置は電波を流せずに、ノイズが奔るだけであった。


「なんなんだ全く! 電波も通じないし、デンバコもおかしいし!」


 一方、滑走路では離陸を中断された大型旅客機たちが綺麗に整列しており、改めてその巨大さに圧倒されながらも、真下を通り抜けていく。

 周囲を見渡す誠次は、滑走路の敷地のど真ん中に止まっている一機の中型ジェット機を見つける。

 そのタイミングで機体の中央のドアが開き、エアステアと呼ばれる、テレビでよく見るような外国人のお偉方が夫人と共に降りてくるような、スライド式の階段が滑走路につき、中から黒髪の女性が現れる。間違いない。現代に生まれた東洋の魔女、八ノ夜美里はちのやみさとだった。

 彼女と目を合わすと、誠次はブリュンヒルデを細かく操縦し、クエレブレ帝国軍用機に横付けする。エンジンもまだかかりっぱなしの機体の周辺は五月蠅く、大声で声をかけあう事になる。


「よくやった天瀬! その光は、ノーチェの付加魔法エンチャントか?」

「はい。そして傷を負った俺を諭し、二人で、ここまで辿り着くことが出来ました!」

「八ノ夜理事長。重ねて感謝いたします。私の為に、ここまでの事をしてくれたこと。このご恩は、クエレブレ帝国の全てでも、返す所存です!」

「礼は後でいい。さあ、()()()()()を済ませてくれ!」


 八ノ夜がエアステアから降りるのと同時に、誠次と頷き合ったティエラもまた、跨っていたブリュンヒルデから降りる。自分が乗っており、彼女が途中で降りるという事は無かったので、彼女が降りた途端にブリュンヒルデが軽く上下に揺れる感触を味わう。

 それが虚しいものと感じるのか、それとも――。


「では、セイジ……っ!」

「今まで、君を守るために戦ってきた人の事を、国に帰ってからでもいい。思い出してくれ!」


 誠次もまたブリュンヒルデから降り、エアステアの前でティエラを見つめる。

 軍用機のジェットエンジンの風を浴び、両者は巻き起こる風で髪を揺らしながら、大きな声で会話をする。


「はい。絶対に忘れませんわ……!」


 ティエラは誠次の左手を胸元まで持ち上げて、ぎゅっと繋ぐ。

 誠次もまた、アームカバーを巻いたままの左手に力を込め、ティエラの手を握り返していた。


「そして……出来れば、また君に会いたい。俺も必ず、東京の街の中でも君の事を思い出そう!」


 少しだけ恥ずかしく、ぎこちなく誠次は微笑むと、ティエラもまた、綺麗な紫色の瞳をやや潤ませて、にこりと笑ってくれた。バスで再会した直後には見せてくれなかった、彼女の笑顔は、情熱の国のそれに相応しい、眩しい笑顔であった。


「必ず、貴男の元へ舞い戻りますわ! 今度は、一国の皇女らしく、きちんとした穏やかな時にっ!」

「ありがとう。さあ、行くんだ!」


 誠次はティエラをエアステアの上へと促す。

 そこにはすでに、クエレブレ帝国の軍用機の中から、クエレブレ皇室関係者と思わしきスーツの人たちが、凄まじい風によってあおられながらも、ティエラに向けて手を差し伸ばしていた。


「お嬢様っ!」「お早くっ!」

「ただいま向かいます!」


 スペイン語でのやり取りを交わし、ティエラは階段を一二歩昇る。300マイルに渡ったシンデレラの魔法が切れる瞬間だ。

 誠次がその覇気ある後ろ姿――彼女が一国の次期当主である事を思い出させてくる、その姿を見つめていると、ティエラもまた、振り向く。

 そして、周囲で巻き起こっている、天を飛ぶための風にも負けないような大きな声で、叫ぶのであった。


「セイジ! 愛しています! ルーナよりも! 貴男の事、絶対に忘れませんからっ!」

「ありがとう! だが、だからと言って、ルーナに無茶な勝負を挑むのはもうやめてくれ!」


 ここの間のやり取りだけは、決して皇女らしくはない、年頃の少女然りとしたものか。

 誠次もまた、その思いを受け取り、大きな声で返答をする。


「ええ! さようなら! セイジ!」

「アディオス、ティエラ!」


 皇室関係者たちがティエラの背に手を添え、機体の中へとその身を隠す。


「クエレブレ帝国より、皇女の護衛、感謝します、剣術士。このご恩は、我々帝国も忘れはいたしません」


 即席の日本語らしく、片言な言葉であったが、彼らからも感謝の言葉を告げられ、誠次は頷き返す。

 エアステアが自動で格納されていき、ドアもしまっていく。

 

「――いいのか? 一緒に行っても良いんだぞ?」


 隣に立ち、誠次とは反対側、空港の施設方面を睨んでいる八ノ夜が、そのような事を言ってくる。

 冗談はよしてください、と誠次は左手に残った彼女の残り熱をぎゅっと握り締めてから、八ノ夜と同じ方へ、クエレブレの軍用機に背を向けて振り返る。


「俺の答えは知っておきながら、そんなことを言うなんて」

「そうか。それを聞けて安心したよ」

「そう言えば、初めてではありませんか? こうして肩を並べて貴女と共に()()なんて」

「ほう。お前も分かるか。なんとしても離陸を阻止しようと、この空港の中に敵がうじゃうじゃいることを」


 隣に立つ八ノ夜は空港の施設をくまなく見渡し、不敵に微笑んでいる。

 この人が隣に立っていると言うだけで、この上なく心強く、また安心感を感じるのは、長年共に住んでいたうちに生まれた信頼関係の賜物なのだろうか。

 誠次は左手でレヴァテイン・ウルを持ち上げる。

 自分とティエラが通過した緊急車両用のゲートから、何台もの車が突入してきて、こちらに向かってきている。


特殊魔法治安維持組織シィスティム……いや違う、光安か」

「なんとしても飛行機を空へ飛ばせたくないようだな」


 魔女と召使い。八ノ夜と誠次は、油断なく周囲を警戒する。


「さて、後ろの飛行機が再び出発するまで、あと数分かかるそうだ。それまで時間を稼ぐぞ、天瀬」

「了解しました、八ノ夜さん」


 魔女と剣術士が、それぞれ魔法と剣を、包囲してくる車両たちに向ける。

 ブリュンヒルデに装備させていた魔剣の鞘からもう片方の魔剣を引き抜き、誠次が連結させたレヴァテイン・ウルを掲げると、どこからともなくその銀色の刀身に、琥珀色の光が纏わり付き始める。

 なにが起きているのか、すぐに理解した誠次は、目を瞑る。全身にくまなく痛みを与えてきた傷口が、瞬く間に塞がれていく――。


           ※


 空港内の展望デッキにて、滑走路内の様子を見守る少女たちがいた。

 

「あ、暗くなってしまいました……」


 覗き込んでいた望遠鏡から目を離し、クリシュティナは急いでポケットに手を入れ、電子マネーカードを取り出し、タッチする。

 再び見えるようになったレンズを覗き込むと、そこでは琥珀色に光るレヴァテイン・ウルを構える誠次がいた。

 周囲も、飛行機が一斉に止まったのを何事かと、展望デッキに多くの人が詰めかけている事態となっていた。


「頑張って下さい、セイジ……」

「共に戦えないのは悔しいが、セイジを信じよう」


 クリシュティナの横に立ち並び、金網にそっと手を添えるルーナも、心配そうに滑走路を見つめていた。

 八ノ夜の指示の元、今日の早朝からリニア新幹線に乗り、一足先に新大阪空港に先回りしていたのだ。そして、あくまで偶然この場に居合わせたていを装い、誠次への遠距離付加魔法エンチャントを行う。

 作戦は見事に成功した。あとは飛行機が飛び立ち、誠次が無事に帰ってきてくれればいい。


「デンバコが通じなくなったのは焦ったけど、上手くいったみたいだな……」


 そして、二人の少女を後ろから見守る同級生の男子の姿もあった。

 志藤はほっと一息つき、それでも周囲の警戒は怠らず、警戒を続ける。


「にしても、大迷惑だな、こりゃあ……」


 季節は夏休み真っただ中という事もあり、空港には多くの家族連れや、旅行客がいる。そんな中でのこの大規模電波障害と、次々に点灯していく赤いランプたち。

 それは電波の途絶と共に、天への回路が遮断されていっていることが重なり、何も知らない人々の混乱は大きい。


「……」


 そんな中でも、すぐ横を歩き、窓の方へと近づいていく同い年くらいの、金髪の男子の落ち着きようとは、この場では異常であった。

 不審に思った志藤は彼の横顔をじっと見つめ、また自身も後についていくように、前へと進む。

 無造作に伸ばした金色の髪を揺らす少年は、空港の窓にそっと手を添え、目の前で繰り広げられる戦いを、じっと見つめているようだ。


()()()()……。あの日君が僕に見せた色とは、また、違っている……」


 長い髪に隠れた口元で、少年が何かを呟いたのを、志藤は確認した。

 そして、向こうもまた、こちらの存在に気が付いたようだ。こちらには視線も向けず、口角を、少しだけ上げる。


「……君も、これを見たかったのかい?」

「……いや、別に。何を言っているのかわけ分かんねえな」

「隠さなくてもいいさ。ヴィザリウス魔法学園の生徒なんだろう? ならば、天瀬誠次の事は知っているはずだ。あの光は、間違いなくそうだろう」

「……」


 志藤は得体の知れない気味悪さを感じ、髪をかきながら、少年の横に立つ。


「あんた、なにか知ってんのか?」


 志藤は横並びに立つ少年に問いかける。


「いや。ただ……」


 少年は目元を見せぬまま、どこか複雑そうな表情で、蒼い雷が奔る彼方を見据えている。


「僕も君と同じように、あの光を見て、すべてが変わったんだ」

「……悪いが、俺の身に覚えはないな」


 あの光を見て何かが変わったとすればそれは……天瀬自身なのではないだろうか。

 そんなことを言いかけ、志藤は口をつぐみ、すでに踵を返していた少年の行方を、視線で追いかける。

 少年の姿は、滑走路で瞬く光に吸い寄せられるようにして集まった人の群れに呑まれ、すぐに見えなくなっていた。


           ※


「クエレブレの飛行機を飛ばさせるな! 滑走路を潰してでも阻止しろ!」


 一斉に車から降りた光安の戦闘員たちが、ティエラの乗る飛行機へ向け攻撃魔法の魔法式を向ける。もはやなりふりも構わず、是が非でもティエラを捕らえ、処刑を行おうとしているようだ。


「天瀬。私は飛行機本体と滑走路を守る。お前は一人でも多くの敵を制圧してくれ」

「了解しました」


 八ノ夜の指示に従う誠次は、付加魔法エンチャント能力をルーナのものに切り替え、右肩の上で高く掲げたレヴァテイン・ウルを、一息で投げ飛ばす。


「潰れろ……!」


 紫色の誠次の腕から高速で放たれたレヴァテイン・ウルの紫色の光は、光安の車を貫いて突き進み、次々と爆発を起こして破壊した。それはまるで、竜が全てを喰らいつくすように、鋼鉄の残骸をまき散らし。

 

「よけろ!」


 危機を感じて伏せた光安らはすぐに立ち上がり、誠次目がけて攻撃魔法を放とうとする。

 すぐに手元に戻ってきたレヴァテイン・ウルを、誠次はその場で軽く振り払い、クリシュティナの付加魔法エンチャント能力に切り替える。

 直後、魔法によって生み出された巨大な氷の槍が、誠次の胴体を貫いた。

 顔を歪めた誠次は、すぐに横に移動し、修復されていく腹部を見せつけるように、棒立ちをする。


「なんだと!?」

「無駄だ!」


 誠次は両手で持ったレヴァテイン・ウルを突き出すように構え、腰を低く落とす。

 ティエラ――っ! 瞳を瞑り、その場で軽く息を吸い込むと、剣から放出する蒼い光と共に、それを吐き出す。


「今度はこちらから行くぞ……覚悟しろ!」


 バチバチと鳴る魔剣を、傷が修復された右手に構え、周囲に電磁波を発生させる。目に見える青白い電気の線が、誠次を中心に奔り続ける。常の人間ならばそこにいるだけで電流を味わい、電圧を受け止めきれない人間の生身の身体では、心臓を含めた全身の筋肉が異常をきたし、立っていられなくなるほどの影響を受けるのだが、誠次はそれでも平然と立つ。

 

「く、来るぞ……!」

「う、狼狽えるな! 迎撃しろ!」


 石ころ一つとしてない平面の地。滑走路を蹴った誠次は、さながら航空機のジェット噴射にも勝るとも劣らないスピードで、炎上する車の間を駆け抜ける。その跡を、雷が地面を這うようにして、意思を持っているかのように追従する。

 目についた一人目の男の腕を斬り、近場にいたもう一人の男を足で蹴り飛ばす。


「ぎゃあああああっ!」

 

 途中で置き去りにしていた男には、誠次が奔らせた電流が襲い掛かり、肉を焼く。


「安心しろ。死にはしない。ただ、麻痺はしてもらう」


 すでに雷の電量を自在にコントロールすることが出来ていた誠次は、目の前で魔法式を発動した男に、誠次は躊躇することなく、円の中心に青い刃を突き入れ、男の左肩を蒸発させるように斬り吹き飛ばす。

 肩を抑えて膝をついた男の前で誠次はレヴァテインを振り払い、「治癒魔法で治療しろ!」とだけ言い残し、すぐにバックステップを行う。

 大破炎上した車の黒煙の彼方から、放たれた攻撃魔法の接近を察知したのだ。

 誠次はレヴァテイン・ウルを素早く振り回し、向かってきた攻撃魔法を全て斬り弾く。


「甘い!」


 ルーナへの付加魔法エンチャント能力へすぐに切り替え、お返しとばかりに、黒煙の先目がけて、雷を纏ったレヴァテインを投げ飛ばす。魔剣の槍の着弾点で悲鳴が上がれば、誠次の狙いは正確であった事を物語る。


「飛行機を狙え! 皇女はあの中だ! 無理に剣術士を相手にするな!」


 誰かが絶叫するように叫び、まだ戦う意気のある光安戦闘員たちが、一斉に飛行機へ攻撃魔法を放つ。


「無駄だ」


 それらを全て防御魔法で無力化するのは、飛行機の横腹の前に立つ八ノ夜だ。

 大人数の魔法を受けても、八ノ夜の発動する防御魔法はびくともしていなかった。


「発進はまだか?」


 八ノ夜が後方の航空機に向けく。


『すまない。計器の異常によるエンジントラブルだ。修復まであと数分かかる』


 機内のパイロットから、そのような応答が聞こえれば、八ノ夜は仕方なしに肩を竦める。


「聞いたか、天瀬?」

「――了解」


 ティエラの付加魔法エンチャント能力を使い、飛来する攻撃魔法を次々と雷による壁で消し、光安の戦闘員たちの群れの中に誠次は、雷を纏って突撃する。


「降り注げ!」


 蒼い線を描き、振り上げられたレヴァテイン・ウルの先端。その先に漂う白い雲から、亜高速の雷が落ちていき、目の前に立ち塞がる光安らを纏めて撃退する。

 悲鳴の上げた男の胸を蹴り、反動をつけて後ろに跳ぶと、空中で切り替えたルーナの付加魔法エンチャント能力の魔槍で、こちらの背中を狙っていた男の足場を吹き飛ばす。

 衝撃により前方にうつ伏せで倒れた男の腹部に、背中から紫色の剣を突き刺した誠次は、まだ刃向かう敵たちを睨みつける。


「く、くそ……!」


 誠次へ魔法式を向けながら、しかしじりじりと後退る光安の戦闘員たち。


「もう諦めろ!」


 男の背中からレヴァテイン・ウルを引き抜き、誠次は蒼い光を放つレヴァテイン・ウルを敵へと向ける。


 一方で、未だ離陸への調整を行っているクエレブレ帝国政府専用機内では、ティエラが座席の窓に両手を添え、気が気でない様子ですぐ外の戦闘を見守っていた。


「離陸はまだなのですか!?」

「危ないです姫様! 窓際からお離れ下さい!」


 クエレブレ帝国政府関係者がティエラを宥めるが、皇女はその手を振り解き、再び窓枠に手を添える。

 紫色の光が炸裂したかと思えば、再び大きな爆発が。おそらく、誠次がルーナの付加魔法エンチャント能力を使った槍で、またしても光安の車を破壊したのだろう。

 ティエラの乗る航空機目がけて魔法の弾が飛来する。思わず目を瞑ったティエラであったが、その攻撃は、八ノ夜の防御魔法によって防がれる。


「こ、怖い……っ」


 すでに国王であるシエロは頭を抱えて蹲ってしまっていた。 


「準備完了しました陛下!」

「い、急いで飛ばせ! それが外で戦う者の為にもなる!」

「外部への通信手段が途絶しています……。あの雷の影響でこちらも電波が飛ばせない!」

「誰かが直接伝えないと……ここは責任をもって私が……いや、やっぱり雷怖いっ!」


 顔を僅かに上げたシエロであったが、外の爆発音を聞くなり悲鳴を上げて、再び蹲る。旅客機で離陸前に流れる緊急事態発生時の頭の守り方、そのままの姿勢である。


「私が二人に伝えます!」

 

 座席を立ったティエラが、父親の前を横切り、ドアの方まで向かう。

 それすらも顔見知りの皇室関係者に止められかけるが、ティエラは「命の恩人が戦ってくれているのです!」と言い放ち、彼らを退ける。

 隔壁閉鎖されていたドアをスイッチで開け、その身を再び大阪湾の空港に見せる。


「姿を見せた!」


 当然、それを見た光安たちは今一度魔法式を展開し、搭乗口に立つティエラへ一斉に照準を合わせる。


「誠次! 理事長様! 離陸準備完了いたしました!」


 その声に気付いた誠次は、八ノ夜の防御魔法がティエラの元へはかかっていないことにも気がつく。


「ティエラーっ!」


 集中砲火を浴びせる光安の破壊魔法を、誠次は最大限まで出力を高めたティエラの付加魔法エンチャント能力を使い、空港ごとその雷墜ちる世界の支配下に置く。天から降り注いだ雷が全ての魔法を防ぎ、食い止め、塵へと消す。

 ティエラが気がついたときには、目の前に誠次がおり、その彼の背後で次々と消滅していく、破壊魔法だったものたち。


「どうかお気をつけて。皇女」

「……誠次。本当に一緒には来ないのでしょうか……」


 ティエラは誠次に尚も亡命を勧めてくるが、誠次は首を横に振っていた。


「俺にはこの剣に力を貸してくれる人たちがいる。俺は俺の、皇女は皇女の果たすべき事を、お互いの居場所でやり遂げましょう」

「……はい」


 誠次からそっと手を離したティエラは、誠次に触れた右手を己の左手で、そっと触る。


「では、またお会いしましょう私のたった一人の騎士カバジェロ。絶対に、約束です」

「ええ。必ず!」


 誠次は一礼をして引き下がると、踵を返して再び光安たちの元へ向かう。無論、離陸途中や直後でティエラの乗る航空機が撃墜されても意味がない。航空機が墜落して大阪湾の水底に沈んでしまおうものならば、正真正銘、今までの努力が水の泡となる。

 誠次の背後では、航空機のドアが徐々に閉まるまで、ティエラがその背をずっと見守っていた。そして、すぐに離陸するために座席につく。


「もう一踏ん張りだ、天瀬!」

「分かっています!」


 出力を上げ始めたエンジンの近くで、誠次と八ノ夜は呼吸を合わせ、光安の戦闘員らを相手に立ち回る。

 対する光安の戦闘員たちも、クエレブレの飛行機を打ち上げまいと、総力を尽くす構えだった。


「ここまで来たんだ……ここで全て台無しにさせるものか!」


 連日続いた戦闘の影響により、怪我は治癒されたとしても、疲労は困憊こんぱいしている。

 空港の滑走路と言う、日射しを遮るものが一切ない特殊アスファルトの上の温度は、反射熱の影響もあって瞬く間に上昇していき、レヴァテインを握る手も汗ばんだ。

 それでも集中力は切らさずに、誠次は飛行機に迫り来る魔法の数々を斬り裂いていく。

 背後で聞こえるエンジンの音が、鼓膜を震わせるほどまでに高まったとき、クエレブレの帝国の未来、皇女を乗せた白亜の機体がゆっくりと上昇を始める。


「くそっ! 動き出した!」

「ようやく皇女を捕捉したんだ! 撃ち落としてでも食い止めろ!」

「させるか!」


 光安の戦闘員たちが発動した魔法式を、構築の段階で八ノ夜が妨害ジャミング魔法をかけて破壊する。

 粉々に砕け散った魔法式の破片が空港に漂う中、更に増援の光安の部隊が到着してくる。


「なりふり構うな! こうなれば航空機ごと大阪湾へと沈めろっ!」


 彼らは車から降りるなり、なんとその乗っていた車に物体浮遊の魔法を浴びせ、宙に浮かす。

 連中は車を直接ぶつけ、是が非でも飛行機を止めるつもりでいる。それは直撃せずとも、残骸が滑走路に散らばれば良いという考えもあるのだろう。

 琥珀色の目を剥いた誠次は、クリシュティナの付加魔法エンチャント能力をすぐに発動する。攻撃魔法をもろともせずに走り出した。

 宙に浮かんだ車の元まで一気に近づき、跳躍。空中で分解したレヴァテイン・ウルを、ルーナの付加魔法エンチャント能力へと切り替え、真下にて浮かび上がる車の車体に向けて投げ付ける。

 上空から飛来したレヴァテインは、車体を突き破りながら、串刺しにしたそれを強制的に床の上に戻し、真下にいた光安の戦闘員たちは悲鳴を上げて散開する。

 誠次は地上に無理やり戻した車の上に立ち、突き刺さった一対のレヴァテインを同時に引く。気がつけば、自身の周囲で回転しながら発動される数個の魔法式がある。それらが自分を仕留めようと光安が発動したものだと判断すれば、その場を離脱する。

 直後、誠次無き車の頭上で発生したのは、魔法同士が直撃した事による爆発であった。

 飛んできた車の破片を斬り裂き、誠次は大きくバックステップをしながら手元のレヴァテインをルーナの付加魔法エンチャント能力へ再び切り替え、舞い上がった鼠色の煙の中へと投げ付ける。

 思い通り、正確な軌道を描いた魔法の投げ槍は、光安の手と足を斬り裂いて、誠次の手元へと戻ってきた。


「行けーっ!」


 背後で叫ぶ八ノ夜の声にハッとなり、誠次も紫色の目を飛行機へと向ける。

 小さな窓からこちらを見つめる紫色の目と目が合い、誠次は力強く頷いていた。あっという間にその速度を上げていく空飛ぶ鋼鉄の機体は、誠次と八ノ夜の背後で飛翔を開始する。


「追えっ!」


 もはや誠次と八ノ夜を無視してでも、離陸体勢に入った飛行機を瀬戸際で食い止めようと、生き残っている車に乗り込んでいく光安たち。それ以外にも、更に光安の増援は駆け付けていた。


「天瀬、ここは頼む。私は滑走路上の敵を片付ける」

「任せて下さい。貴女の元へは行かせません」

 

 次々と手動運転で動き出した車を睨み、誠次は蒼く光るレヴァテイン・ウルを構える。

 それらが最高速度を出し切る前に、誠次は刃を振り下ろし、雷にて車体を両断していく。

 まるで豆腐に釘を打つかのように、魔法の雷は易々と鋼鉄の身体へ侵入していき、いとも簡単に車としての機能を殺していく。

 むせ返りそうなほど充満したものが焦げる臭いの中、誠次はふと、背後から猛スピードで接近する一台の車に気がつく。


「轢き殺してやるっ!」

 

 もはや専門である魔法では剣術士を倒すことが出来ないと判断した魔術師が、車で猛スピードで駆け、誠次の身体へ飛び込んできた。

 

「無駄だ――」


 一瞬だけ身構えた誠次は、車が自身の身体をすでに通過した事を確認し、その背後に狙いをつける。

 

「な、嘘だろ……!? 確かに轢いたはずだ……!」


 男の周囲に残る琥珀色の魔素マナの残滓が、誠次がクリシュティナの付加魔法エンチャント能力を使用した事を物語っていた。


「や、やめろ……やめろーっ!」


 そうして男がバックミラーで見たのは、誠次が紫色の剣を投げ付ける姿であった。光速で飛来した紫色の魔剣は、鏡の世界の中で見る見るうちに大きくなっていき、その実像を確かめようと振り向いた男の鼻先を掠め、車のフロント部分を破壊して突き進んだ。


「た、助かった……」


 一瞬の衝撃と共に無くなった車の前方部分。握っていたハンドルのみが手元に残り、男は悲鳴を上げて、制御装置を無くした車から飛び降りていた。

 八ノ夜が滑走路上に陣取る光安の戦闘員たちを次々と吹き飛ばして除去し、その直後、クエレブレ帝国の航空機がそこを通過する。

 上昇に必要な速度を確保できた瞬間、降りていた車輪が宙に浮き、300トンオーバーの機体が天へと羽ばたく。

 間違いなく、用いられるだけの戦力を使い切った光安の戦闘員たちは、もう届く事のない魔法を天へと舞った白亜の機体に、憎らしそうに向けていた。


「飛んだ……。止められなかったと言うのか……!?」

なずな様……。申し訳ありません……っ!」


 飛行機が太陽を背にすれば、もはや視線で追うことですら叶わなくなり、任務の失敗と敗北を悟った光安の戦闘員たちは次々と項垂れていく。

 

「飛んだか……勝った……」


 遠く離れた欧州の天へと向かって羽ばたき、小さくなっていく白い機体を見つめながら、誠次はようやく息をつく。


「これで勝ったと思うな剣術士……! 貴様は重大な犯罪を犯した!」


 そこかしこで燃えながら黒い煙を吐き出す、車だった残骸の中から、誠次に斬られた光安の面々が姿を現す。


「現行犯逮捕など生温い……! この場で処罰する!」

「……っ!」


 抗おうと、レヴァテイン・ウルを構える誠次であったが、八ノ夜はすでに打ってくれていたようだ。

 飛行機が飛び立ったのを狙っていたかのようなタイミングで、光安のものではない新たな自動車が一台、滑走路に進入してくる。

 それは滑走路の途中で停車し、開いた後部座席から大人の男が一人、姿を見せた


「――随分と激しい戦いを行ってくれたようだな」


 本城直正ほんじょうなおまさ。魔法執行省の大臣を務める、サマースーツ姿の厳格な男性だ。


「諸君! 双方とも手を引きたまえ! この場には間もなく、私が呼んだ警官隊と特殊魔法治安維持組織シィスティムが到着する。特に光安。諸君らがこの状況で特殊魔法治安維持組織シィスティムと警察と鉢合わせするのは、好ましくはないだろう?」

「くそ、余計なことを……!」


 誠次のすぐ近くにいた光安の誰かが叫ぶ。

 薺の指示の元、あくまで極秘裏に皇女を抹殺する必要があった光安にとって、他の司法との鉢合わせは絶対に避けなければならない事態であった。ましてや彼らにとっての大義であった目標も、今では手に届くこともない、天に向かった後では。

 直正は今、警察と特殊魔法治安維持組織シィスティムを出動させ、この場に現れた。


「光安。ここは手を引き給え。すでにクエレブレの姫は天へ飛んでいった。それとも、このまま無意味な争いを続ける気か?」


 そう言う直正の隣に、誠次は立ち、連結したレヴァテイン・ウルを構える。


「……っく。おのれ魔法執行省大臣……」


 横転した車や、大破し炎上した車の間には、多くの負傷した光安の魔術師たちがいる。直正と誠次、そして八ノ夜に向け、憎悪の視線を送り込む。とりわけそれは、剣術士へと向けられたものが多くを占めていた。


「引き上げだ! 負傷者を運べ!」

 

 誠次によって負傷した片腕を抑えながら、光安の魔術師が叫ぶ。新大阪空港に無数の車の残骸を残しながら、光安の魔術師らは三人の前から撤退していった。

 逃亡を開始する彼らの背を見送り、直正は隣に立つ誠次へ、軽く頭を下げていた。


「今回の君の活躍、感謝する。お陰でこの国とクエレブレ帝国、ひいてはスペインとの国際関係を維持することが出来る。皇女暗殺など、絶対に起きてはならない事態だ」


 黒塗りの車の前に立つ直正と、誠次は束の間の会話をしていた。


「どうして、薺総理はそこまでしてティエラさんの抹殺をしようと……」

「やはり、薺紗愛なずなさえの背後にある組織。――国際魔法教会が関係しているのだろうな。そうでもなければ、ただこの国の国益を失いかねない事態だ」

「そんな……」


 直正の口から出た言葉が信じられずに、誠次は思わず、一、二歩前へと進んでいた。


「無闇に人の命を奪う真似など、ヴァレエフ・アレクサンドル氏が認めるはずがない! あの人は魔法世界の平和を望んでいる! その平和のためにクエレブレの皇女を殺害するなど、あってはならないはずです!」

「しかし実際にこうして戦いは起きた。日本の国政の長たる総理大臣として考えれば、皇女の殺害など命令はしない。となればもう、黒幕は分かるはずだ誠次くん」


 直正の鋭い眼光を否定するように、誠次はなにも言えなくなった口をかたく結んだまま、首を左右に振る。


「俺をマンハッタンの国際魔法教会本部まで行かせて下さい。そこで、真相を問い質します。魔術師たちの王にもう一度謁見します!」

「残念だが天瀬。私も認めたくはないが、ヴァレエフ氏の様子は異常で――」


 八ノ夜が誠次の肩に手を添え、そっと声をかけてくる。

 しかし誠次は、殆ど反射的に、その手を振り解いていた。


「貴女はヴァレエフさんのなにを知っているんですか!? あの人は俺の両親の親代わりで、その最期の時まで愛情を注いでくれていた! そんな人が人殺しを肯定するなんて、あり得ないんです!」


 誠次は激昂して、二人の大人に刃向かう。


「……天瀬。とにかく国際魔法教会は危険だ。ティエラ皇女殺害を企て、それを薺に実行させた。お前はそれを食い止めたんだ。そうした以上、国際魔法教会はお前の事ももう同じ志の仲間であるとは思ってはくれないと思え」

「魔法世界の平和と安定……。俺も国際魔法教会も、同じ理念のはずです……。ただ、それを達成するためのその方法が違うだけで……!」


 俯きかけながらも、誠次は答える。

 まだ誠次は、ヴァレエフのことを信じていた。

 ……だって、そうじゃないか。大好きでいた親の面倒を見てくれた、恩師。この世界が魔法世界となる前は、見果てぬ天を追う夢を両親と共に果たそうとした。そして、魔法世界となった今は、人が見るべき魔法世界の平和という夢を、自分と共に追い求めようとしている。世代を越えて愛情を注いでくれたひとのことを、誰がそう簡単に信じられなくなるものか。


「天瀬……」


 その時、誠次はハッとなり、目の前に立ちつくす女性の姿を見る。

 自分にはまだ、もう一人、愛情を注いでくれた恩師がいる。否、それはきっと、ヴァレエフよりも深く長い付き合いであるはずだった。


「……っ。……申し訳ありませんでした、八ノ夜さん……」

「いいんだ天瀬。それよりも、二日間にかけて、お前はよくやってくれた。お前がやったことは、決して間違ってないさ。みんなが待っている。胸を張って東京に帰るぞ」

「……はい。無駄なんかでは、決してないですよね」


 誠次はティエラが巻いてくれた血染めの包帯を見つめ、そして持ち上げた右手を、ぎゅっと握り締める。

 皇女を護衛した二日間に渡る戦いが、ようやく幕を閉じていた。


         ※


 日本から海を越え、遠く離れた地中海の島国。情熱の国の領の一つ、クエレブレ帝国に皇女が帰還してから数日が経った。

 燦々と輝く太陽と、からっとした気候。時より潮風の匂いが漂えば、幼少期を過ごした島国の夏の思い出が、蘇ってくる。

 純白のカーテンが風に揺れ、他の家と何ら変わらない住居に住まう、金髪の乙女の髪を、優しく揺らす。

 あの夏、短い間であったが、日本にいられた日のことは、一日足りとも忘れることはないのだろう。

 右手に微かに残っている彼の感触をそっと確かめながら、隻腕の皇女は電子タブレットに文字を打ち込んでいく。


「――ティエラ。お夕食は、何にしましょう?」


 部屋の外から聞こえてくる、懐かしい母の声。

 椅子に座っていたティエラ・エカテリーナ・ノーチェは、笑顔で振り向く。

 

「久しぶりに私が、貴女に料理を振る舞うわ。トルティーヤ、どうかしら?」

「ごめんなさいお母様。少し、市場にお買い物に出掛けたいのです」


 自分のものと同じ金髪をした母親の前で、優雅に頭を下げ、ティエラは言う。

 

「せっかく帰ってきたばかりなのに……。少しは休んだらどうでしょう? お母さんは心配で心配で……」


 心配性な母親は、そわそわした様子で口に手を添えている。


「いいえお母様。私には、やることが沢山ありますから。頑張って、体力をつけませんと!」

「はあ……。何を買いにお出かけするのかしら? お母さんもついていっていい? 心配で……」

「大丈夫です! あ、あと、電子タブレットを勝手に覗かないで下さいね!? いくらお母様と言えども、許しません!」


 ティエラは日本で買って着た私服姿のまま、部屋の外へと出かけて行ってしまう。

 

「はあ。心配だわ……」


 ティエラの母親もまた、その身分にしては垢抜けすぎている様子で、最愛の娘の背をはらはらと見送っていた。

 クエレブレ帝国の起伏の激しい道を少しでも歩きやすくするために、舗装され、しかし曲がりくねった坂道を、ティエラは一人で降りていく。オレンジを転がせば、それこそ帝国の問題の一つである様々な漂流物が流れ着く、地中海特有の海流が行き交う浜辺まで、転がっていってしまいそうなほどの坂道だ。


「あ、お姫様だー!」

「お久しぶりです、皇女様」

「皆さん、御機嫌よう!」


 道行く人々に声をかけられては、ティエラは挨拶を返していく。しばらく見ない間に、成長した子や、髭が伸びた人だっている。

 そうしてティエラがやって来たのは、クエレブレ帝国の重要な産業の一つである、漁業による水産物の小売場、魚市場であった。


「ええ!? 大人ウナギ、こんなにお高いのですか!?」

「あ、ああ。最近じゃ海でも滅多に捕れなくなっちまった」


 半袖短パンから見える手足に豪快な毛を覗かせ、幼い頃からの顔見知りである漁師の男もまた、肩を竦めて答える。


「それよりも久し振りだな、皇女様。何していたんだい?」

「多くのことを学んできました。そして、今度はそれをお返しする番です。そのためにも、体力をつけませんと。お一つくださいな」

「いいけど……我ながらこのにょろにょろのぬるぬるはいつになってもなれないんだよな……」


 軍手を嵌め、大男は生きたウナギを一匹、ティエラに売る。他の人と同じ値段での、正当な売買。それは、昔からティエラが決めていた事だ。


「うえ、気持ち悪い……。それで、そのにょろにょろのぬるぬるをどうする気だい、皇女様?」


 白い袋に入ったウナギをえへんとした表情で見つめ、ティエラは自信気に言う。


「ひつまぶしにして頂きます! 家族全員でです!」

「知らねえ料理ですね。ああ、あと、注意してください皇女様。その魚の血は毒がありますんで、料理方法はしっかりと」

「ご安心を。ちゃんと動画を拝見しています」

「さすが、しっかり者の皇女様だ」


 ――地中海に浮かぶ島国の長閑な一日。それはきっと、あの日に一人きりでは、二度と味わうことが出来なくなっていたのだろう。あの美味しかったひつまぶしの味も、知ることはなかった。

 家に戻り、見慣れてはいるが、同時に懐かしいキッチンへと立つ。

 動かなくなってしまった右腕には、今も彼が手を添えてくれている気がする。そんな気がする、だけだけど。

 

「いっそのこと、ひつまぶしがクエレブレ帝国の郷土料理になってしまえば良いですのにね……」

『無茶苦茶だよ……ティエラさん……』


 可愛くデフォルメされた竜が描かれたエプロン姿で、ウナギに苦戦する隻腕の皇女の姿を、どこかハラハラしながら、日本の友人は見守っている。電子タブレットでのやり取りだ。


『ウナギって難しいって聞くけど、大丈夫?』

「やってみせますわ。そして、うなぎがいつか、クエレブレ帝国と日本の架け橋になることでしょう!」

『ぬるぬるしてそうな架け橋だね……』


 友人の苦笑を受けながら、ティエラはふと、右手を見つめる。


「今、右手に力が入った気がしましたわ!」

『ええ? 本当ですか!?』

「ええ本当です! ほら見てください、ナギ!」

『よく見えないよ……?』

「ほら、ここです!」

『それよりティエラさんうなぎがっ! うなぎがものすごく暴れていますっ!』

「きゃあ――っ!?」

 

 遠く離れていたとしても、一年に一度、再び会える日はまた来るだろう。

 諦めずに、思いを胸に秘めていれば、今は例え遠く離れていたとしても。次に会えるのは、来年の夏だろうか。いや、或いはもっと早くにでも――。

 ティエラ・エカテリーナ・ノーチェ。彼女を巡る夏の物語は、ここでひとまず、幕を閉じる。いつか再会出来る、その時にまで。


挿絵(By みてみん)

〜次回予告〜


「志藤。援護感謝する」

せいじ

         「よせって。またなんもやってねえよ、俺は」

                そうすけ

         「それよりも、気になったことが一つある」

                そうすけ

「なんだ?」

せいじ

         「お前、金髪のストーカーに見に覚えはないか?」

                そうすけ

「っは?」

せいじ

「いや全然」

せいじ

         「そっか」

               そうすけ

         「じゃあなんか、金髪の男に見に覚えは?」

               そうすけ

「じーっ」

せいじ

         「いや俺じゃねーよ!?」

               そうすけ

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