6 ☆
「ま、まあ。週末の朝テレビでやってた、バイクに乗って変身する正義のヒーローに憧れていた節は、ある……」
せいじ
翔と相村が乗ったダミーバイクが来た道の反対側、東京方面へと向かい、誠次とティエラは再び大阪を目指す。
時刻は午後四時過ぎ。青い空には薄らと朱色が滲み始めているが、さすがは夏の日の太陽と言ったところか、まだまだ明るく、蒸し暑い気候はそのままだ。
現在は神奈川県から入った高速道路に乗り、無事に静岡県に入り、ひたすらブリュンヒルデを走らせている。
「あ、もし汗が滲んでいたら、すまない」
新たに桃華の付加魔法を受け取り、緑色に光る瞳をゴーグルで隠す誠次は背後のティエラへ断りを入れる。ここまででも大量に汗はかいており、それが背中に滲んでいるのは分かった。
「構いません、誠次。それに私こそ、汗はかいていますわ」
そんな誠次の背後に、密着するように腕を回して抱きついているティエラもまた、日本の夏の暑さにどうにか耐えているようだった。来日初日に熱中症を発症してしまったと言っていたあたり、やはりこの国の湿った暑さは堪えるのだろう。
ブリュンヒルデで走行中に浴びる風の量自体は多いとは言え、それらはどれも温い風だ。バイクシールド下部に張り付けたシアお手製の地図が、風を浴びてひらひらと舞っている。
「予定通り行けることが出来れば、今日はこのまま名古屋に到着する。そこで今夜は休もう」
「名古屋?」
「東京、大阪に次いで、日本の大都会と呼べるところだ。東海地方随一の都市だな」
ホログラムマップに目的地を設定した誠次の説明に、ティエラはやや困惑しているようだった。
「都会に泊まるなんて、すぐに見つかってしまいそうですけれど?」
「いいや、その逆だ」
夕陽を浴びながら、誠次は首を横に振る。
「光安と言う組織の性質上、表立った目立った捜査や大規模な捜索は行えない。悠平の話でも、テレビのニュースも君のことは一切語られていなかったそうだ。やはり、光安は君のことを極秘で抹殺するつもりでいた。となれば、人も多く宿泊施設もそれなりに多い都会の街で休息する案が一番だろう」
「大勢の人の中に紛れるという事ですね」
「そういう事」
しばし東海の潮風を浴びながら、誠次はシアが教えてくれた通り、待ち伏せの少ないルートを辿る。
しかし、光安も甘くはない。どのルートを辿ろうにも、神奈川県と隣接する静岡県の道路上には、光安の待ち伏せがある事を、シアの描いた地図は知らせてくれていた。
よって誠次は、ブリュンヒルデを道路の上で一時停車させる。
「どういたしました誠次? 高速道路の上ですわよ?」
「ああ。だが、この先に待ち伏せがあるそうだ」
シアの使い魔の蝶々が描いた青い鱗粉の箇所を照らし合わせ、誠次は進行方向上の彼方を睨んで言う。
目を凝らせば、高速道路が描く直線上の道路の先で、車が横並びになって道を細めている。夕方となり交通量も減った道路の上で、光安が作った検問所のようなものだろう。なだらかな上へと向かう坂道となっており、向こうの様子は小さくだが見ることが出来た。
「私にも見えましたわ。検問所、ですわね……」
ティエラも誠次の右肩の上から顔を出し、確認したようだ。
「どういたしましょう?」
「いずれにせよ、突破しなければならないだろう。他に道もないし、夜までに名古屋にはたどり着きたい」
夜になってしまえば屋外で活動している者は紛れもなく自分とティエラのみになってしまうので、そうなってしまえばこちらの動きは簡単に捕捉され、闇夜に動く光安と夜通しのカーチェイスを繰り広げなくてはならなくなる。
誠次はブリュンヒルデから降りると、高速道路の上に立った。
「あ、危ないですわよ誠次! 高速道路で降りるなんて!」
「後ろから車が来ないかだけ、見張っておいてくれ。まあ、この時間になればまず通らないだろうけど」
「何をする気です?」
「光安と夜通しのドライブデートは避けたい。どちらにせよ高速道路に乗った以上、道は戻るか進むかの二択だ。ならば……進むさ」
まさか向こうもこちらが高速道路を堂々と突破するとは思っていないのだろう。市街地の道路を目立たぬように走行すると読み、そちらに戦力を割き、高速道路の検問にそこまで多くの人員を配備していないのは、有難かった。
道路の上に降り立った誠次はゴーグルを持ち上げて緑色の目を露わにすると、まず背中からレヴァテイン・弐を抜刀し、それを彼方で待ち受ける光安に向け、自分の中で魔剣の刃を振りぬく位置を調整する。
「角度高度……よし……」
ティエラが見守る中、誠次は腰からもレヴァテイン・弐を引き抜き、それをすでに右手で握っていたレヴァテイン・弐と連結させる。
右腕は伸ばしたまま、両腕で握ったレヴァテイン・弐を、身体の軸を固定したまま頭上まで掲げる。
誠次の頭上で高々と掲げられた緑色の光を放つレヴァテイン・弐。その先端からさらに伸びる魔法の刃が、誠次の意思を受けて、また桃華の思いと力を受けて、天空へ向けて徐々に伸びていく。
「え……」
周囲の空気がびりびりと振動しているのを受けてか、ティエラが驚いた様子で、緑の光のただ中にいる誠次の背を見る。
目に見える濃度の魔法元素が、誠次が両手で頭上に掲げたレヴァテイン・弐に、集束していっている。
「上手く躱せよ……光安――っ!」
まるで蛍の光のように緑色の魔法元素が周囲で渦巻く中、誠次はそう呟くと、設定した到達点へ向け、レヴァテイン・弐を一息で振りぬいた。
※
遠く彼方からでも、その異常な光景は確認できた。
灰色の道路の上。まるで花火の火柱のように、天空へ向けて緑色の光がしきりに弾けているのが見えた。
上に指示された通り、神奈川県で姿を消した剣術士と妖精を待ち構えていた光安の魔術師たちは、その光を茫然としたまま、見てしまっていた。
「なんだ、あれは……?」
「まさか――」
一閃。彼方にて、天空へ向かって伸びていた緑色の光が閃光のように、網膜を刺激するほどの勢いで輝いた。普段高速道路で聞くような、高速で車が通過する際の風の音が――しかし、それとはなにか違った、身体の芯を揺さぶるほどの音が、迫って、来ている……?
「た、た……っ!」
彼方で見えた緑色の閃光が、徐々に大きくなっている。いや、大きくなっているのではない。元より、大きかったのだ。それが、高速でこちらに飛来してきた為、本来の大きさと脅威を確認できたわけであり、
「退避ーっ!」
遠距離から剣術士が放った全てを斬り裂く緑色の魔法の刃が、自分らの元にまで接近している。
待ち構えていた光安の面々は、迫り来るそれが防御魔法で防ぐことが出来ないことも、そもそも発動が間に合うわけもないことを直感し、咄嗟に横へ広がるようにして回避する。置き去りにされた道路上の車は、もれなく緑色の閃光に呑まれ、屠られていった。
超巨大な魔法の刃が道路を穿ちながら過ぎ行くとともに、激しい風が光安らの身に襲い掛かる。それはもはや立っていられない程のものであり、光安の魔術師たちは自分の身を守ることで精一杯であった。
※
桃華の付加魔法能力による狙撃は上手くいった。
その必殺必中の一撃を放った直後に、誠次は再びブリュンヒルデを駆り、前進を再開する。
自らが放った緑の刃の後を追い、無理やりにでもこじ開けた道を辿る。光安による検問所がかつてあったところは、誠次が放った魔法の刃の一撃により、その体をすでになさなくなっていた。
両サイドに散り散りになった光安を置き、ブリュンヒルデは高速で駆け抜ける。
――だがしかし、全てが上手く行っているわけではなかった。
「っぐ……!」
香月の付加魔法能力を使用しているときは周囲の次元を歪めていた為に、ブリュンヒルデの最高速度で感じる自身への肉体への衝撃を相殺出来ていたが、今はそれもなくなり、誠次の全身には果てしない痛みを伴う爆風が襲い掛かってきてもいた。生身の身体では、最高速度を維持したまま長距離を走ると身体が先に限界を迎えてしまうことだろう。
背後に座るティエラの容態も気遣い、誠次は機体速度をやや落とし、高速道路を疾走する。
「誠次! 後ろから追いかけて来ていますわ! 二台です!」
ティエラの声を受け、ゴーグルを目に掛ける誠次は、バックミラーシステムで後ろを確認する。
まだ生きていた車に乗り込み、果敢にもこちらを追撃してくる車両は二台。
「了解した!」
誠次は再びレヴァテイン・弐を背中の鞘から伸ばした右腕で抜刀すると、それを右側に掲げながら、障害物の少ない高速道路上を走る。
直後に進行方向上にあったのは、キロメートル単位に及ぶ長さの道路トンネルであった。
「行くぞ、ブリュンヒルデ!」
そっと白亜の乗機に声を掛け、誠次は逃げ場のないトンネルの中へと突入する。
光安の二台の車両も、すぐに後を追い、トンネル内へと侵入する。
トンネル内を照らす光が一定の間隔で通過する中、鼓膜を震わす激しい音を耳に受けながら、誠次と光安はカーチェイスを繰り広げる。
ティエラは再び、誠次の背に顔を埋めているようだった。その命はすでに、誠次が握っていると言っても過言ではない。
「よほど学生生活を棒に振りたい気だな、剣術士っ!」
車の窓が開き、ぴったりと後ろを追従する光安の車内から、そのような怒鳴り声が、風の音に紛れて聞こえてくる。
安い挑発だ、と誠次は心の中で処理し、右手に握った緑色に光るレヴァテイン・弐を後ろへ向けて、手首の力だけで振るう。そこから放たれた緑色の魔法の刃は、今度は小さいものであったが、その切れ味は変わらない。
一瞬のうちに光安の運転する車の側面に到達した魔法の刃が、車両のサイドミラーを切り裂き、後ろの方へ流れていく。
動揺したのか、トンネルの光をしきりに浴びる黒塗りの車体は、左右へ若干の揺らぎを見せていた。
「今のは威嚇だ! 追いかけてくれば次は本体を斬る!」
後ろへ向けてそう叫び、誠次は逆手でレヴァテイン・弐の柄を握ると、そのままグリップハンドルに右手を添えて走行する。
後方を猛追する光安からの返答は、こちらに向けられる攻撃魔法の魔法式の発動だった。
展開された魔法式は車両の側面に固定されるが、それを追いかける魔法文字はスピードについてこられておらず、まるで端から見れば目に見えるファンシーな音符が車から流れているようだった。
まもなく、後方から攻撃魔法が何発も飛来する。それらは全て正確な軌道で、ブリュンヒルデの後輪タイヤに命中するコースで迫り来る。
向こうはブリュンヒルデを壊し、こちらの足を削ぐ作戦に出たようだ。
誠次は左腕に力を込め、ブリュンヒルデを操縦してトンネル内を左右に大きく動き回り、対抗車線を使用してまで後方から飛来する攻撃魔法の数々を躱す。
バックミラーシステムで後方を確認すると、誠次は狙いを定めてから、後方にいるティエラに向け声をかける。
「ティエラ! 今から車体を傾ける! 俺の動きに合わせて、振り落とされないように一緒に身体を傾けてくれ!」
「え、ええ!」
震えているティエラの声音だった。
それに気が付いた誠次は、薄っすらと笑いかける。
「大丈夫だ! 君のことは、俺が必ず守る!」
「預けます、私の命を、貴男にっ!」
誠次は「やるぞ!」と合図を送り、ティエラと共に身体を左へ徐々に傾けていく。ティエラもまた、誠次の背中にぴったりと張り付いたまま、バイクに跨る上半身を傾けていく。
ブリュンヒルデは高速で走行しながらドリフトを開始し、傾いた歪な視界の中で、誠次はクラッチレバーを思い切り引く。パワースライドと呼ばれるドリフトで車体を時計回りで回転させ、振り返り様に誠次は、
「喰らえっ!」
緑色の魔法の刃を放った。
誠次が右腕で振りぬいた緑の一撃は、向かって来ていた光安の車のほぼ中央、フロントガラスを斬り破り、運転席と助手席の間を通過する。摩擦という概念がそこにあるのかすら窺わしいほどの切れ味で、車は縦に二枚切りにされていた。真っ二つに両断された車体の片方はトンネル内の壁へ激突し、もう片方は火花を上げながら、徐々に失速していく。
それを見届けた誠次はブリュンヒルデのアクセルを思い切り開き、再び前方を向いて、車体を発進させる。
車はまだ一台、執拗に追いかけて来ている。そこからは何度も攻撃魔法が飛来してきており、誠次は息つく間もなく、ブリュンヒルデを操縦して攻撃を躱し続ける。
このままでは埒が明かないと判断したのか、光安の車はブリュンヒルデの真横につき、徐々に近づいてくる動きを見せる。車窓が開き、中から光安の男が拳銃を向けて来た。
「実弾かっ!?」
「時代遅れの剣士め……! 魔法は効かずとも、実弾ならば!」
「クエレブレ皇女の身柄はどうなってもいいのか!?」
「もとより妖精は抹殺対象だ! この死は不運な事故と処理し、貴様もろとも潰す!」
「やらせるか!」
誠次は右手に握ったレヴァテイン・弐を振るい、光安の運転手が放つ弾丸を全て斬り弾く。
「化け物めっ!」
マガジンに入った全ての弾丸を撃ち尽くした光安は、続いて眷属魔法の魔法式を発動。魔法式から飛び出したチーターのような魔法動物が、四足歩行をしながら奔り、ブリュンヒルデを挟んで左側につく。
「挟み込め!」
「ガルルルッ!」
男の指示の元使い魔は、誠次の駆るブリュンヒルデの速度に追いつくほどの脚力を見せ、車の動きと連係して誠次とティエラを挟み込んでいく。
「当たれ!」
また、右側の光安の車両の後部座席からは、新手の男が窓から身を乗り出し、こちらへ向けて攻撃魔法を発動する。
「ちっ!」
両サイドから迫り来る脅威を視認した誠次は、ブリュンヒルデに命令を下す。
「ブリュンヒルデ! 自動運転開始!」
「不能。自動運転を開始するには、必ず両手を添えていてください」
バイクという乗り物にも備え付けられている自動運転技術であったが、四輪車とは違い自動運転中もどうしても操縦者の手は必要だった。やはり、四輪車ほど安定しないので、手を添える必要があるのは安全の為にという定められた発動条件だ。
焦りにより、一瞬だけそのことを忘れてしまっていた誠次は、冷静なナビゲーターの声により我に返る。
右側の光安の攻撃魔法を斬り弾き、レヴァテイン・弐を左手に持ち替え、左側から迫りくる光安の使い魔の魔物の攻撃をいなしながら、後方にいる守るべき女性に、誠次は声を掛けた。
「ティエラ!」
途端、びくん、と身体を震わせたティエラは、どうしたのかと誠次の背を見上げる。
左右から迫り来る脅威を感じながらも、誠次は空いた右手を彼女の腹部の前に回された右腕にまで持っていき、彼女の動かなくなったその手の甲に、自身のアームカバーが嵌められた手を添える。
「せ、誠次!?」
「君の右手を借りたい。触っても平気か?」
「いいですけれど……。私の右手は、もう……」
「そんなことはない! 君の手、あてにさせてもらう!」
誠次は背中に回した自身の右手でティエラの右手を取ると、手を引き、ブリュンヒルデの右ハンドルグリップにまで持っていく。
ティエラの左手も左ハンドルグリップの元まで持っていき、誠次はティエラに自身が騎乗する白亜の機体を託す。
「これでどうだブリュンヒルデ! 自動運転開始!」
「――自動運転を開始します」
隻腕の皇女の右手の感触を、グリップを握っていると判断したブリュンヒルデが応答し、車体を自動で走行させる。
晴れて両手の自由を獲得した誠次は、右手で右腰の鞘からレヴァテイン・弐を抜刀し、柄を回転させて改めて握り直し、ブリュンヒルデ上で二刀流となった。
ほぼ同時のタイミングで接近した車両と使い魔。それはまるで、縦長のブリュンヒルデを圧し潰すかのように。
「無駄だ!」
誠次は左右で構えたレヴァテイン・弐を振るい、両者の接近を拒み、斬り弾く。そして、左側を走る使い魔へ向け、誠次はレヴァテイン・弐の魔法の刃を放つ。
使い魔の胴体に直撃するコースを読んだ誠次の一撃は、使い魔の胴を両断し、その存在を保てなくなった生き物は消滅する。
そうしてすぐさま右手を睨めば、光安は諦めずに誠次とブリュンヒルデをもろとも潰そうと、向かって進行方向上の道路へ向けて、破壊魔法を発動しようとしているところであった。
「《メオス》!」
完成した魔法式から放たれた白い魔法の弾が、道路へと向かう。バイク本体を破壊することを諦め、道路を破壊する算段に出たようだ。
その軌道ですら読んだ誠次は、右腕に握ったレヴァテイン・弐を振り抜き、放った魔法の刃で破壊魔法を相殺する。
「前方から一台! やって来ています!」
背後から伸ばした両手でブリュンヒルデのグリップを握るティエラが、前を見据えて叫ぶ。
「増援か」
誠次もそれを確認する。トンネル内にて、新手の光安の車がわざと緩やかな速度で車を走らせており、自動走行をするブリュンヒルデの左隣につく。再び、ブリュンヒルデは両者からの敵に挟まれる事となった。
「挟み込め! 挟撃する!」
「《ライトニング》!」
「《フレア》!」
雷属性と炎属性の攻撃魔法が、風でうねりを起こしながら、ブリュンヒルデに迫り来る。
目に見える電流と火花が視界の左右で散り、しかしそれすらも圧倒的な緑の魔力の前に塵と消えていく。
「《トリスタン》!」
左側の車から迫り来る、白刃の大剣。
誠次は桃華の付加魔法能力の出力を上げ、具現化させた魔法の刃を振るい、左側の車と鍔迫り合う。
右を見れば、またしても後部座席の男が、破壊魔法を構築しているところであった。
「甘い!」
誠次は右のレヴァテイン・弐を後方へ向け、そこで一気に付加魔法出力を上げる。緑色の刃が伸び、一瞬の閃きのもと、車窓から伸ばされていた男の右手を吹き飛ばした。きらきらと輝く緑の光に、鮮血の赤が混じり、飛沫を上げる。
「ぎゃあああっ!?」
「治癒魔法で治療しろ!」
「自分の身の心配をしたらどうだ、剣術士!?」
左側の車が急加速を行い、自動運転の速度のこちらの前に飛び出し、前方へとつく。
何をする気かと思えば、なんと向こうは自身の乗る車のドアを外し、こちらへとぶつけてくる気でいた。
「伏せろティエラ!」
「ええ!」
一枚目のドアをティエラと同時に伏せて回避し、続く二枚のドアを誠次は突き出したレヴァテイン・弐で斬り裂き、左右に分断する。切断された二枚の頑丈なドアは、ブリュンヒルデの左右に分かれて過ぎていった。
「っち! おい! 車体を安定させろ!」
それを見た光安の男は、運転席の男にそう怒鳴ると、自身はドアを切った後部座席から身を乗り出し、車両の上に立ち上った。
「死ね! 剣術士!」
車の上に立った光安の男は、腰から抜いた拳銃をこちらへ向けてくる。
「いいだろう! 受けて立つ!」
誠次はブリュンヒルデのフットペダルから足を離すと、前方の車へ向け、跳んだ。
「誠次!?」
驚くティエラの声を背に浴びながら、前方の車に飛び乗った誠次は、光安との零距離での一騎打ちを行う。
光安が右手に握った拳銃を放つと、誠次は身を翻してそれを躱し、反撃にレヴァテイン・弐を突き出す。
敵も素早い身のこなしで魔法の刃を躱すと、今度は空いている左手で魔法を発動し、誠次の足元を狙う。
誠次は軸足を引いて一旦車の上から飛び立つと、先ほど右腕を斬った男が後部座席に乗る一台目の車の上に、跳び移った。
それを見た銃を構える光安が、マガジン内の弾を全て打ち尽くすほどの勢いで拳銃を連射するが、誠次はそれらを全て、右手と左手で握ったレヴァテイン・弐で斬り弾いていく。
「おい!? 上で何やってる!?」
「いいから車を寄せろ! 奴はここで俺が仕留めてやる!」
ブリュンヒルデの前方についた車が、今度は向こうから徐々に接近してくる。
「ふ――っ!」
誠次は素早くレヴァテイン・弐を連結させ、一つになった柄を両手で握り締め、迫りくる車の上に乗る男へ向けて刃を振るった。
身の丈以上の大きさまで伸びた緑色の刃を、高速で走行する車の上と言う不安定な位置ながらも、男はひらりひらりと躱し、反撃に数発の弾丸を誠次に向け放った。
誠次も目に見えない速度で迫る弾丸を寸でのところで躱し、二人は横並びの車の上で踊りでも踊るかのように、至近距離での戦闘を繰り広げる。互いの足と足が交差するほどの間合いに迫ったかと思えば、端へ引き、追いかけ、斬り合い、撃ち合う。
「誠次! 看板が来ています!」
ティエラの声に気が付き、緑色の閃光の狭間で見えた視線の先には、トンネルの終着を告げる天井からぶら下がった看板があった。
「うおおおおっ!」
誠次は車の上で跳び、宙返りをする。反転する視界の中で見えた看板へ向けて、桃華の付加魔法能力を発動し、緑の魔法の刃を命中させた。
支えを失った看板がパージされ、垂直に落ちてくる。その落下点にちょうど入った車のボンネットに、重さある看板が直撃し、車体が浮き上がって大破する。駆け付けた増援の車が走行不能に陥った。
空中を舞って宙返りを行った誠次は、やって来たブリュンヒルデの座席に丁度落ち、再び運転席に座る。
「貴様っ!」
未だ走行中の車の上で誠次と至近距離の戦闘を繰り広げた男は、弾切れとなった拳銃を腰に戻し、魔法を発動しようとするが。
誠次はすでにレヴァテイン・弐を背中と腰に戻し、ゴーグルを持ち上げて目元を隠していた。そして、ほくそ笑み、゛下を見ろ゛と、ハンドサインをしてみせる。
「なに!?」
光安の男が驚いて下を見ようとした途端、がくんと、車体そのものが大きな振動を起こす。
一騎打ちの最中、まるで板に張り付いたかまぼこを斬ったかのように、車が底を残して綺麗に五等分に輪切りにされていたのだ。こうなれば車は徐々に走力を失い、ブリュンヒルデはそれを追い越し、計三台の車両と追撃の人員が、トンネル内で見事に置き去りにされていた。車の中にいた人員は、全員魔法の刃の直撃は受けず、無事だったのだが。
「クソ突破された! 負傷者の治療をしつつ、位置情報を味方に送れ! 態勢を立て直し、すぐに追撃する!」
車から脱出した光安の男が勇んで言うが、直後に車は爆発し、遠くからはパトカーのサイレンが聞こえて来ていた。
※
光安の検問所を無事に突破し、誠次とティエラは西へと続く高速道路をひた走る。夕日は太平洋の彼方へと沈みかけており、間もなく夜が訪れることだろう。
そして、誠次とティエラは本日の目的地である日本列島の腹部、愛知県は名古屋に入った。茜色の夕日は、ゴーグル越しで見ると美しく輝いて見る事ができた。
最大出力で魔素を一気に放出したためか、残量も少なくなった桃華の付加魔法能力を、誠次は任意で切っていた。ここから先はどうしても目立つ為、やむなしの判断ではあったが、検問所突破に大いに役立ってくれた。
「このまま名古屋の繁華街に行く。予定通りだな」
「……」
――そして、ティエラの口数も、心なしか少なくなっていた。
「ティエラ? 大丈夫か?」
誠次は背後のティエラに声をかける。
ティエラは力強く、誠次の腹部に左手を回したまま、返答した。
「だ、大丈夫です。それよりも、先ほどの戦いで貴男が、あまりにも無謀な戦い方をするものですから……心配致しました」
「それか。連中の狙いは途中から君よりも、どちらかと言えば俺を仕留めることになっていると感じた。だから突撃した。君を守るために」
「ですが誠次……っ。……私は貴男がいなければ、今頃光安によって捕まり、処刑されています。貴男がいなくなってしまうと……私は……」
左手でぎゅっと腹部を掴んでくるティエラの声音は震えており、こちらの身を心の底から心配してくれてるようだった。
「……心配かけてすまなかった。上手い策だと思ったのだが……」
「いいえ……。ですけれど、今だけはどうか、私の傍を離れないでください……。お願いします……っ」
そうして信号待ちの途中、ティエラはまたしても、左手の小指を、こちらに向けてくる。
指切り。日本とクエレブレの間で同じ意味合いを持つ、約束の契り。夕日を浴びてきらりと輝いても見えたそれに、誠次はそっと、自分の左手の小指を絡ませていた。
「安心してくれ。君は必ず、クエレブレ帝国へと帰してみせる。それまでは傍にいるさ」
「……っ」
先ほどと同じ通り、ティエラを安心させるために言った誠次であったが、ティエラの表情はどこか浮かないままであった。
名古屋市街地へと入れば、高層ビルが建ち並ぶ、東京や大阪にも決して引けを取らない巨大都市の様子が目に入ってくる。中京工業地帯の中心とあり、やはり車産業は盛んであり、カーディーラが目立つところに多くある。
「ここから先は明日の夜まで隠密に徹することになる。ある意味では、こうすることが本来の逃亡者らしいだろうけどな」
隠密の為誠次はブリュンヒルデを街中の大型レンタル車庫に預け、レヴァテインもそこへ隠した。シャッター付きの密閉空間なので、外部からの発見はされないだろう。
(今日はありがとうな。明日も頼むぞ、二人とも……)
「この二つの武器にも助けられました。明日まで、お休みなさいですわ……」
閉じ行くシャッターの先で、影が覆い隠さって見えなくなっていく二つの兵器の姿を見届け、誠次はティエラと共に振り向いた。
「さあ行こうティエラ。俺たちの今の格好は敵に知られてしまっている。八ノ夜さんが、無人カジュアルショップを見つけてくれている。そこで別の服に着替えるんだ」
「かしこまりましたわ。――あ、あら……?」
歩き出そうとしたティエラが一歩目でゆらりとよろめき、誠次が慌てて身体を支えてやる。
「大丈夫か、ティエラ?」
「は、はい……。長く座っていた為、足に力が……」
閉店間際のカジュアル衣料品店に入り、取り敢えず目についた上から下までの衣服と下着を買い揃えることにした。大きな店であったが、夕方という事もあり店員はすでにおらず、会計や採寸は全てセルフで行う事になっている、こちらからすれば都合の良い店であった。
「先ほどのコンビニでもそうでしたけれど、凄いですわね。無人の店なんて、帝国にはありませんでしたわ」
「まあ日本は治安が良いと言われているしな。国家を相手どった今の俺が言えることではないかもしれないけど」
小部屋となって仕切られているフィッティングルームに、セルフレジで買った変装用の服を持って入り、それぞれカーテンを潜る。誠次の一つ隣の小部屋に、ティエラは入ったようだ。
新品の服の良い匂いが漂う中、誠次は着ていた汗だらけの私服を脱いでいく。汗ばんだ身体をコンビニで買っておいた冷却シートで冷やして拭いていると、
「――誠次、隣におりまして?」
すぐ右隣りからティエラの声が聞こえ、誠次ははっとなって返事をする。
「ああ。ちゃんといるぞ」
「ありがとうございます……」
ティエラの安心するかのような声。それに加え、つい先程まで身体が密着状態であったためか、ここへ来て背中全体で感じていた彼女の温かい体温と女性らしい感触を思い出し、誠次は思わず赤面する。かさかさと、衣が擦れる音がすぐ隣でするのも、彼女の着替えの様子を妄想するようなそう言った感情を沸き立たせるのを助長させていた。
「あの、誠次?」
「なんだ?」
「もし私が国に帰ったら、その後の貴男はどうなるのです?」
「八ノ夜さんは気にするなと言っていた。前に光安と戦った後も、日常生活に支障はきたさなかったし、今回もあの人の言うことを信じるよ」
ズボンのベルトを締め、上半身に新たな服を纏いながら、誠次は答えていた。
誠次はティエラより先にカーテンで仕切られた個室から出る。ティエラの靴はまだ隣の個室前にあり、締められた灰色のカーテンが、中にいるティエラの動きを受けて微弱に揺れている。
誠次はそのままティエラのいる試着室の前に立ち、背中を預けて周囲を見守る。
「着替えにはまだ時間掛かりそうか?」
「……っ」
背後の方、カーテンの先のティエラからの返答は、やや間があり、
「片手で着替えるの、難しいですわ……」
「右腕が使えなくなってからは、誰かに手伝ってもらっていたのか?」
「え、ええ。ナギのお母さまや、病院の看護師さんに……」
ティエラは苦戦しているようで、「く、この……っ」などと言った、何かと格闘するような声がしきりに背後から聞こえてくる。
堪らず誠次が振り向けば、ティエラの入る個室のカーテンが大きな揺れを繰り返している。……頑張っているのだろう。
やがて、その動きがピタリと収まる。着替えられたのかと一瞬だけ思ったが、すぐに出てこないという事はつまり。
「……駄目ですわ。どうしても……」
「参ったな……」
誠次は後ろ髪をかき、向こうからの次の言葉を待つが、カーテンの動きはぴたりと止まったまま、動かない。
「よければ――!」
「あの――!」
互いの気まずさが頂点に達した時、口を開けたのは、同時のタイミングであった。
かあっ、と顔を真っ赤にし、恐らく向こうも同じような思いで、俯いてしまう。
「よければ……俺が着替えを手伝う……けど?」
どうしても高鳴る胸を無理やりに押さえつけながら、誠次は背後のティエラへ問いかける。
返答は、思いのほか早かった気がする。
「……お願いしますわ」
とは言われたものの、咄嗟には動けない誠次の目の前で、向こうの方からカーテンが軽く開いた。
「早く……いらっしゃって……?」
まるでカーテンを衣服にするように肩まで寄せ、顔を赤くしたティエラが、視線を逸らしながら立っていた。
頭の中が今までに感じたこともないほどの熱にうなされかけながらも、誠次はティエラが待つ試着室に上がる。
着替えの途中と言っても、ティエラは下着姿であり、ガーターベルトも履いたままだ。
「ち、ちょっと待ってくれ! そこからだったのか!?」
上着を羽織るなど、そこらの段階からだと誤解していた誠次は、慌てて身を引こうとしてしまう。
ティエラは脱ぎかけの下着姿であり、辛うじて左腕だけでランジェリーを外しかけている状態だ。
どくんどくんと鳴る心臓音は、まるで左胸にあった器官が頭の中に瞬間移動したと思わせるほど、大きな音で響いているようだった。それほどまでに、目の前に立つティエラの背中の肌は綺麗でメリハリもよく、美しいスタイルであったからだ。
「お願いいたします、誠次……」
動かせる左手で胸を隠したまま、ティエラはやや前屈みとなり、誠次の介抱を待つ。
「身体の前で着けて、それを後ろに回すというやり方もあったんじゃないのか……?」
誠次はティエラの両脇の下に垂れたブラホックをそれぞれとり、優美な曲線を描く背骨の下で合わせる。汗ばんで肌がやや湿っているのが、余計に扇情的になってしまっている。
「片手でも利き腕じゃないと、難しいのですわ……」
「そう言うものなのか……」
「それよりもなぜ、女性用下着の効率的な付け方をご存知なのでして……?」
「それは……。その、前言った魔女が、とんでもなくずぼらな人で、よく洗面所にこういうのが落ちていたし……」
「ルーナではなくて……?」
「同年代の女性の着替えを手伝うなんて、初めてだ。そもそも、何故、ルーナを引き合いに出すんだ……?」
「い、いえ……別に……。初めて、でしたのね……」
ぽつりと呟くティエラの後ろで、決して手馴れてなどいないたどたどしい手つきで、誠次はティエラの着替えを手伝ってやっていた。
下着を付け替えれば、後は服を着るだけであり、二人とも幾分か落ち着いていた。王族たるもの、すべてとは言わないが、おめかしは召使いが手伝うものでもあるだろう。それでも、クエレブレ帝国では召使いを雇った事がないと言っていたティエラにとって、ましてや異性による手伝いは初めてだったようだ。
「皮肉ですわね……。こうして右腕を失った今になって、そのような経験を味わうなんて……」
誠次が正面から右腕に袖を通してやっていると、ぼそりと、立ち尽くすティエラがそのようなことを言ってくる。
「やはり、メイドや執事自体には憧れてはいたのか?」
「ええ……」
ティエラは真正面に立つ誠次をじっと見上げて、肯定していた。
こうしてティエラも着替え終わり、誠次とティエラは急いで店を後にする。先程まで着ていた服は、レヴァテイン・弐とブリュンヒルデを預けた倉庫に預けた。
「あ、ありがとうございましたわ、誠次……。ご迷惑とご不便、お掛けいたしましたわ……」
「い、いや……。片手が使えない着替えは、確かに不便そうだったし……」
だいぶ気温も下がる夕方だというのに、二人して体温は高いまま、紫色の空の下、名古屋市街地を歩く。
「それにしても腹減ったな。どこかで夜ご飯食べよう。名古屋と言ったらひつまぶしだな」
「ひまつぶし……? ……遊ぶのですの?」
ティエラがジト目を向けてきて、誠次は笑う。
「ひつまぶし、だ。武士でもないぞ。食べ物の名前だよ。日本食らしくて、ティエラの舌に合えばいいけれど」
「どんなものでも、きっと美味しいですわ。私の初めての騎士である貴男と一緒であれば……きっと、どんなことも……」
微笑むティエラはそう言って、誠次の左手に自身の左手を添える。
どきりとした誠次もまた、アームグローブを外してひやひやと風を受ける素手の左手で、ティエラの手をぎゅっと握り返していた。
~本当は怖い、指切りげんまん~
「ティエラ。非常に言いづらいことがあるのだが……」
せいじ
「どうしました、誠次?」
てぃえら
「日本の指切りには、続きがあるんだ」
せいじ
「嘘をついたら、針を千本飲ますという、恐ろしいものだ……」
せいじ
「そ、そんな恐ろしい続きが!?」
てぃえら
「まるでグリム童話のような恐ろしい展開ですわ!」
てぃえら
「よって俺は君を守れなかった場合」
せいじ
「針千本を飲まなければならなくなった」
せいじ
「ぜ、絶対にそんなことさせませんわ!」
てぃえら
「指切りはやっぱなしにしましょう!?」
てぃえら
「なしにするのか……?」
せいじ
「あ……」
てぃえら
「でもそれだと、誠次がいなくなってしまいますから」
てぃえら
「やはり日本式でお願いいたします!」
てぃえら
「どなたか日本式の指切りげんまんのあの鬼畜なルール改善を求む!」
せいじ




