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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
300マイルのカバジェロ
74/189

先輩たちのエル・ベラーノ ~情熱のアモールを添えて~ (小話)☆

「ベラーノは夏、アモールは恋人と、スペイン語では言うんだ」

               はやと

 ――あります! 命を懸けても守りたいものが、俺には!

 

 業火の中、こちらに向けて叫んだ後輩の男の子の顔と言葉は、今でも鮮明に思い出す。

 あの戦いで命を懸けていたのは、どちらも同じだったはずだ。国際魔法教会の支配を危惧し、魔法が使えない人の為に戦っていたはずの自分。しかし、それはただの建前に過ぎなかったのかもしれない。

 お互い、日本で待つ人の為にも、死力を尽くして、死闘をした。ただ、愛した人の元へ、再び帰るためにも。信念を抱いた戦いの果てで、負けたのは、先輩である自分だった。それでも、あいつはおれを救おうと、獣の装甲を引き剥がした。


「外の黒いスーツの集団はなんて?」

()()、だそうです。よくわからないホロ警察手帳を見せられて、詳細は伝えられないと……」

「参ったな……。子どもたちが怖がっている」


 病院の通路を進んでいると、途中の部屋の中から、医師と看護師のそんな会話が聞こえてくる。

 どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか、そんなことはあの場ではどうでもいい。

 ただ今は、こうして生かされた命で、恩人に恩を返す。それがどれだけ多くの借りであったとしても、不自由な身体であったとしても、やれることをコツコツとやっていかなければ。

 だから、病室で外の光景を見守っていたおれは、胸元のペンダントをぎゅっと握り締め、合図を返していた。

 

        ※


 勇気の時間の延長戦は、七海凪ななみなぎにとって人生最大のピンチとも呼べた。つい最近までは、こんなこととは無縁で、大人しく他愛ない日々を過ごしているはずだった自分は、今では大人たちから全力疾走をして逃げ出しているヘルメット頭のお姫様の姿だ。


「ハアハア……!」

「待て!」


 後ろの方から、男の声が聞こえる。

 いくら走れるようになったとは言え、脚力なんて勿論、向こうの方がまだまだ上だ。すぐに追いつかれる事だろう。だから、囮として出来るだけ多くの人の注目を集めて、二人が逃げる時間を稼がないと。

 病院のフェンス沿いの歩道を疾走する七海の鼓動は、早鐘を打つ。おまけに真夏のヘルメットの頭部は、呼吸を困難なものにしていた。しかし、これを外して顔が暴かれるようなことになってはいけない。


「挟みこめ!」

 

 病院側からも、騒動に気付いた黒いスーツの光安の男たちが、まるで蜂の巣を突いたかのようにわらわらと出て来る。歩道の上で挟まれる形となった七海は、咄嗟に急停止し、病院のフェンスを形成魔法で作った足場を使って飛び越えた。病院の敷地のことは、長年通っていたのでよくわかる。

 病院の駐車場に入った七海は、横から走って迫り来る男たちから逃げるように、大きく弧を描くように走る。


「止まれ、止まらなければ魔法で撃つ!」


 光安の男らは、遠巻きに魔法式をこちらに向けてくる。

 七海はもう一度形成魔法を発動し、病院のフェンスを再び飛び越え、先程とは反対側の路地に飛び出す。


「っち、舐めやがって。追え!」

「――ま、待て!」


 逃げる七海を追おうとしていた光安らであったが、一人の男が違和感に気付く。

 

「護衛の剣術士の姿が見当たらない。罠じゃないのか!?」

「だからなんだ!?」

「一緒にいないのはおかしいだろ!? あれは囮じゃないのか!?」

「そんな馬鹿なことが……。あの格好は妖精シャナだろう!?」

「空間魔法を発動し、周囲を索敵する。戦力を分散させ、他に不審な人物がいないかくまなく探すんだ!」


 一人の男の咄嗟の機転により、七海を追う数名と、周辺を捜索する数名に別れ始める光安の面々。

 剣術士と本物のクエレブレ帝国皇女を乗せた白いバイクが音もなく出発したのは、その直後の事であった。

 道路に出た直後に右折し、病院を背に走り出す。


「――あれは!」


 めざとくそれを発見した、道路側を警戒していた別の光安の男が、端末を操作して通信機に息を吹きかけようとした直前の事だった。


「《アムネーシア》」


 脳の中に魔素マナを送り込み、記憶障害を引き起こす幻影魔法が、男の背後から伸ばされた手により、施される。多くの記憶を弄くるには長い時間と膨大な魔素マナが必要だが、直前の記憶を飛ばす程度であれば、短時間で終えられる。それでも難易度は高く、そもそも法律違反の魔法であったが、かつてアメリカの名門魔法大学、キルケー魔法大学に在籍していた車椅子姿の青年ならば、苦もなく扱えた。


「――番犬は、まだまだ身の回りのものは守れるようだ」


 青年は自分の右手を満足そうに見つめ、車椅子を操作し、病院の方へと向かっていく。


「あれ、何か、しようとしたんだが……」


 青年によって幻影魔法をかけられた光安の男は、首をきょとんと傾げ、再び周囲の警戒に戻っていくのであった。

 病院の入口方面とは反対側の歩道へ逃げた七海は、左右を確認し、真正面方向の点滅している信号の横断歩道を、走って渡る。


「逃がすか!」

「あ、こっちにも!?」


 幅広く長い横断歩道の先からも、黒いスーツの男たちが向かってきており、七海は慌てて立ち止まる。

 後ろからも迫り来る足音に恐怖を感じながらも、恐れることはなかった。

 七海は咄嗟にアスファルトを蹴り上げ、車たちが青い光を待っている列へ、その身を走らせた。


「ちょこまかとすばしっこい!」


 横断歩道の上で合流した光安の面々は、忌々しく七海の後ろ姿を睨みつけ、執拗に彼女を追う。

 車に乗る人々からの視線を痛いほど感じながら、再び歩道に戻った七海は、今度はビルとビルの間の路地裏に逃げ込む。

 見つかりづらいが、しかしここは人目に付かぬ場所だ。もし見つかってしまえば、魔法で容赦なく攻撃されることだろう。


「ハアハア、落ち着いて……私……っ」


 歩道から影になる壁に背中を預けてぴったりと張り付き、じりじりと横に移動する。入り組んだ裏路地であったが、どの出口にも光安はいるようで、まさしく袋のネズミ状態であった。

 しかし、誠次とティエラはもう出発したようだ。そうなれば、時間稼ぎは十分にできた。向こうはまだ、誠次とティエラがすでにこの病院付近にはいないことに気づいていないのだろう。ここからは、先程まで誠次とティエラがいた路地裏が見える。

 新鮮だが生臭い空気を吸い、ヘルメット姿の七海は周囲の様子を探る。


「おい! 空間魔法でここにいることは分かっている! 両手を挙げて大人しく出てこい!」


 大きな声が、壁の角の先から聞こえてくる。

 きゅうっ、と心臓が縮まり、顎先から汗を流す七海は、逃げようとこの場を離れようとするが、男は素早かった。


「《パルス》!」


 七海の足目がけて放たれた下位攻撃魔法が、後ろから七海の右足に着弾。足は一時的に痺れ、七海は悲鳴を上げて倒れてしまった。


「痛っ!」

「手間かけさせやがってこの野郎が」


 後ろから近付いてくる男から、尚も逃げようと試みる七海であったが、男は魔法式を展開しながら七海の背を追う。

 やがて男は、這いつくばる七海のヘルメットに、両手を伸ばす。


「顔を見せろ!」

「嫌だ……っ!」

 

 できる限り時間を稼ごうと、ヘルメットをガッチリと手で抑えて抵抗する七海の頭上で、今度は男の方の悲鳴が聞こえた。


「大丈夫かい?」


 ヘルメットの頭をゆっくりと持ち上げれば、雷属性の攻撃魔法を発動し終えた車椅子の魔術師が、路地裏にいた。


「あ、はい……。ありがとう、ございます……」

「――あーっ、凪お姉ちゃんがピンチだ!」

「――凪お姉ちゃんをいじめるな!」


 聞き慣れた子供たちの声にあっと思ったのもつかの間、車椅子の魔術師は、続いて幻影魔法を発動する。


「《アムネーシア》!」


 白い光が路地裏で一瞬のうちに光り、消えていく。青年によって倒された男の意識は、これで吹き飛んでいた。

 七海を助けた車椅子の青年の後ろからは、七海にとって見慣れた病院の子どもたちが、数名いた。


「み、みんな……。それに貴方は……」

「君は七海凪さん。()()()()()()、だよね?」


 青年は手慣れた様子で車椅子を操作し、七海に向かって手を差し伸ばす。

 七海は青年の手を取り、痺れがようやく引いた足で立ち上がる。


「助けてくれて、ありがとうございました……」

「まだ危険だ。病院の周りではティエラさんを捕まえようと、大勢の光安でいっぱいだ」


 車椅子を器用に扱い、青年は告げてくる。


「ヘルメット、脱げるかい? 服も病衣を用意した。これを上から羽織ってくれ」


 青年は膝の上に乗せていた女性用病衣を、七海へと手渡す。病衣の作りは男性が着る甚平のようなもので、ティエラの私服の上から袖を通すことが出来た。


「よいしょ」


 ぷはっ、と七海はようやく、暑く重たかったヘルメットを取り外す。

 顔にへばりついた色の薄い黒髪を指で払い、一気に涼しく感じる顔で息を吸う。


「このヘルメットは俺が預かっておく。君は僕の彼女が用意してくれた車に乗って、この場から逃げるんだ。この子たちと一緒に堂々と歩いて行動すれば、光安も気に留めないだろう」

「任せて凪お姉ちゃん!」「手繋ごうね!?」「食いまくりのお姉ちゃんのピンチなんでしょ!?」


 青年が連れてきた病院の子どもたちは、どこかわくわくした様子で、七海へ声をかける。


「何から何まで、ありがとうございます。貴男は……?」


 七海は年上である車椅子の魔術師へ向け、頭を下げていた。


「俺の名前は一ノ瀬隼人いちのせはやと。しがない魔術師さ。……剣を持ったとある男の子に憧れて、ちょうど人助けをしたいと思っていたところ」

「それって、天瀬あませ先輩のことじゃ……」

「さあ、急いで。俺の彼女は病院裏の駐車場にいる。あそこは比較的光安が少ない。俺は反対側に出て、光安の注意を引くよ」


 隼人はそう言いながら、車椅子備え付けのポケットから、電子タブレットを取り出した。


千枝ちえ。今からそっちに向かう。頼んだよ。――俺か? 俺は平気だよ」


 青年はそう言いながら、素早い手つきで、空中へ向けて妨害ジャミング魔法の魔法式を展開、構築していく。


「この妨害魔法は、光安の空間魔法による索敵を一時的に妨害する。今のうちに逃げるんだ」

「行こっ! 凪お姉ちゃん!」


 男の子に手を引かれ、七海は歩き出す。


「あの、本当にありがとうございましたっ!」


 七海は隼人に向けて、何度も頭を下げてから、歩き出す。


「堂々とって、どうすれば良いのかな……?」

「いつも通りの凪お姉ちゃんで良いと思うよ!? あ、でもそれじゃあ堂々としてないか!」

「う……。私もちょっとは勇気がついたつもりなんだけどな……」


 そうして子どもたちとともに歩いていく七海の背を見送った隼人は「ヘルメットにはあまりいい思い出はないんだけどな」と一息つき、車椅子のハンドリムに両手を添える。番犬の恩返しは、まだまだ途中だ。


「おい! 通信が途絶えたぞ! 一体どうした!?」


 仲間との連絡が途絶えた事を不審に思ったのか、二人の光安の魔術師が、路地裏にやって来る。

 そこにいたのは、倒れて昏睡している仲間と、ヘルメットを膝の上に乗せた車椅子の隼人だった。


「き、貴様っ! 一体何をした!?」


 光安の魔術師が攻撃魔法を発動しようとするが、それよりも早く、隼人は攻撃魔法を発動していた。


「一応、優秀な魔術師だった自覚はある!」


 詠唱を省いて隼人が放った雷属性の攻撃魔法が、光安の男を二人とも痺れさせ、地面の上に這いつくばらせる。幻影魔法で忘れずに直前の記憶を消去させ、一時的に昏睡状態に陥らせる


「あとはヘルメットと一緒にこの場から逃げれば、光安も標的が雲隠れしたとして、混乱するだろう」


 問題はどうやってこの病院を中心とした包囲網を突破するかだ。《インビジブル》が正解だろうが、生憎隼人はそれが不得意であり(そもそも得意な方が珍しい難しい魔法であるが)、当然向こうも対策を講じてきているはずだ。

 蒸し暑い真夏の陽気の中、隼人は天を見上げる。狭いビルとビルの間から、白い曇空は広がっていた。


「あいつのおかげで、またこうやってこの国に帰って来られたんだよな……」


 あの灼熱と濁流のトンネルの中で、片目を血で濡らした少年の形相は、今でもよく思い出す。


「それと比べればこれくらい、こなさなくちゃな」


 意を決した隼人は、白いヘルメットを膝の上に乗せたまま、駐車場スペースへと飛び出す。

 予想通り、そこには大勢の光安の魔術師たちが、付近を警戒したままだ。

 

「行くぞ。元ヴィザリウス魔法学園の魔法生として、後輩に格好つけないとな」

 

         ※


 正しいことを言ったつもりだし、正しい行動をとったつもりだった。

 雨粒が窓を叩きつける音がする中、互いの信念を押し通そうと、殴り合いの喧嘩をした。

 結果的には、おれはあの場から逃げたようなものだった。雨にうたれながら乗り込んだリニア車の中で、一人、雨粒が叩きつける窓を眺め、魔法学園へと帰ろうとした。

 おれたちはまだ学生であり、出すぎた行動は控えるべきのはずだった。難しいことは大人たちに任せ、今は、自分が出来ることだけを淡々とこなしていく。

 しかし、それだけではこの魔法世界では守れず、手からこぼれ落ちていくものが多かった。家族然り、友人だったり、恋人も――。

 

「――しょうちゃん?」


 バイクの後ろに座る、ヘルメット姿の相村佐代子あいむらさよこが声をかけてくる。ヘルメットから、ウィッグである金髪のロングヘアが伸びていた。

 同じくフルフェイスのヘルメットを被った長谷川翔はせがわしょうは、下げていた頭を上げる。信号は間もなく、赤から青に変わる。


「ごめん佐代子。少し考え事していた」

「事故だけは勘弁ね? 安全運転第一!」

「分かっているよ。俺たちの目的はあくまで囮。大阪に向かう誠次たちとは逆の方向に向かうんだ」

「okーっ! あ――」


 そこまで言い終えたところで、彼女である佐代子は何やら、こほこほとわざとらしい咳をする。


「どうしたんだ、佐代子?」


 自動運転オートドライブ機能もついてはいない一昔前の旧式バイクのバックミラーを見て、翔はく。


「ウチたちって、今はスペインの皇女様とそれを守る騎士なんでしょ?」

「そう言う事かもね」

「だったら、ウチはウチ、なんて言わないよね? 皇女様がギャルとかやばくない!?」

「まあ確かに……。そんな国は十中八九滅ぶだろうな。主に国民からの、反逆で」

「……それはちょっと逆にウチが傷つくんですけど……」


 ヘルメットの頭をコツンとこちらに当ててきて、背中にぴったりとくっつく佐代子は文句を垂れる。


「ごめんごめん」

「よろしい。だから、今は皇女様と言うことで、私って言うわね? 私の騎士ナイト様?」


 そう小首を傾げて言ってくる佐代子の普段とのギャップある口調と声音に、翔は内心でドキリとしていた。きっとフルフェイスヘルメットでなければ、照れたとなんだと言われて、からかわれそうだ。


「どうしました、騎士さん?」

「いや……。ただ、小学生の時の佐代子を思い出して。そう言えば、立派なお嬢様だったんだよなって」

「おほほほ」

「その笑い方は今どきの王族はしないと思うぞ……」

「あれ、そう言われれば確かに……皇女様ってチョーむずい!?」


 一転、いつも通りの佐代子の口調に戻ったりして、翔は苦笑していた。

 信号が赤から青に変わり、翔と佐代子を乗せた見てくれだけはブリュンヒルデをコピーした白いバイクは、交通規制にしっかりと従って走行を再開する。


「じゃあさ、翔くんはほら、天瀬くんの真似してよ!」

「はあ!?」


 背後からの言葉に、翔は思わずハンドルから手を離しそうになり、慌てて両手に力を込める。


「私が皇女様だったら、翔くんは騎士役でしょ? 天瀬くんの真似!」


 腹に添えた手をペシペシと、佐代子は催促してくる。


「騎士役だからって、天瀬の真似をするわけじゃなくないか……?」

「でも騎士なんて今どきいないじゃん。……ですわよ。ですので、天瀬くんの真似が一番近いのですわよ」

「佐代子……。無理するな……」

「いいからするのですわよ! ってか、やってみてですわよ!」


 もはや好奇心の段階にまで来ていると思うが、こうなったら聞くまで佐代子も落ち着かないのだろうなと翔は内心で思い、ため息混じりに口を開く。

 あいつの口調、あいつの仕草を、すべて頭の中で思い出して、


「――俺はっ! 佐代子を、守るっ!」

「……ぷっ。あはははっ!」


 この上なく恥ずかしい思いで言ったのだが、叫んだ途端に佐代子も、堪えきれずに笑い出す。


「ちょっと似てるーっ! さすが兄弟っぽい感じですわねー?」

「茶化すなって……。兄弟じゃないし……」


 これはしばらく思い出すことになりそうだ。逆に言えば、こんな気恥ずかしいようなセリフを堂々と何度も言える後輩が、ある意味凄いと思えた。

 翔はすぐに咳払いをして、意識を正面方向へと戻す。


「遊びはここまでにしよう佐代子。気を引き締めないと、俺たちの役目を果たせない」

「そうだね。天瀬くんに、梅雨の借りを返さないと。先輩として!」

「そういう事。行くぞ!」


 ブリュンヒルデに偽装したバイクの速度をやや上げて、翔と佐代子は歩行者も多い大道路へと入っていく。縦横無尽に行ったり来たりしている多くの人の中をバイクで渡るのは、別に違法なところを走っているわけではないのだが、なぜか申し訳ないような悪いことをしているような気分に陥る。

 タイル道路の途中、左右にあるのは透明なガラス張りのショーウインドウが特徴的な、服飾店の数々だ。


「そーそー。翔ちゃん。模試受けてさ、もうそろそろ結果帰ってくると思うんだよねー」

「どこ受けたんだっけ?」

「キルケー」


 そういえばそうだったと、翔は微妙な表情を浮かべる。


「あー。今絶対馬鹿にしたっしょ!?」

「何度も言うけど佐代子……。キルケーは難関だ。ちょっと勉強しただけじゃ意味もない」

「そんなことないもん! ウチ、めっちゃ勉強したよ!? 友だちの誘いも突っぱねて、部屋の中引きこもってたし!」


 一体なぜそんなことを急に言い出したか思えば、バックミラーで見た佐代子は、右の方をじっと見つめているようだった。

 翔もそちらをちらりと見れば、なるほど、ショーウインドウはウェディングドレスを展示しているところだった。

 そんなことを考えれば、どこか恥ずかしいような気がして、翔はベージュの髪をかこうとするが、そこにある感触はつるつると滑るヘルメットの頭頂部であった。


「佐代子……。俺は別に、アメリカに行っても……その……ちゃんと連絡するよ。ガールフレンドも……人付き合いは多少あるかもしれないけど、ちゃんとしっかりするつもりだし」


 翔がそのようなことを言えば、背後の佐代子はやや間を置いて、両手で翔の腹部にしがみつく腕の力を強くした。


「それは嬉しいけど、私は私で、やっぱり、翔くんに見合う女の子になりたい。無理だったら無理だったで、ウチらしく諦めるけどさ。……でも、少しでも可能性があるんだったら、諦めたくない」

「そうは言っても――」


 甘い考えだと、佐代子が言ったことをすぐさま否定しようとした翔であったが、口を噤んで思い留まる。

 ――あの日と同じだ。可能性があるのにも関わらず、最初から無理だと諦めて、また相手にも諦めさせ、()()()道を行こうとする。

 傍から見れば間違った道も、案外、同じところに繋がっているのかもしれない。それに対して俺がとやかく言うことも、無理に否定することもないのではないだろうか。

 そうと割り切ることができる今は、翔は微笑んで、佐代子に声をかける。


「……わかった。何か分からないことがあったら、出来る限りで協力するよ」

「ありがとう翔ちゃん。でも、保険を入れるところは相変わらずですな?」

「悪かったな……」


 そうして苦笑していると、人混みをかき分けるようにして、後ろの方から、黒塗りの車が近付いている事に気がつく。

 佐代子も、こちらと同じくバイク備え付きのバックミラーでそれを確認したようだ。


「翔くん」

「分かってる。佐代子は幻影魔法で足止めを頼む」

「お任せあれ!」

「よし。出来る限り時間を稼ぐぞ!」


 人通りの多い表通りを避け、細い裏路地で。器用な翔は、とある先輩に憧れて取得した取り立ての免許で、まだ数回しか乗ってはいない乗り物ではあるが、見事なハンドル捌きを見せる。


「うわっ、階段だよ!?」


 佐代子がびっくりしたように翔の腹にぎゅっとしがみついてくるが、翔は前方を睨んだままほくそ笑む。


「このまま降りる! しっかり掴まっていてくれ!」


 左手で風属性の魔法を咄嗟に発動し、それをバイクの全面に向ける。

 魔法による激しい向かい風が前方から襲いかかってきて、前輪は力を込めた両腕が押さえつける車体ごと、空に浮いていた。


「ちょっ、嘘でしょ翔!?」

「しっかり掴まれと言ったっ!」

 

 ウィリー走行の要領で、そのまま階段を飛び出した翔と佐代子の乗るバイクは、下の道路に着地する際には、ちょうど平行の向きに戻っていた。着地の衝撃を二つのタイヤで受け止め、内臓がせり上がってくる気持ち悪い感覚も味わいながら、翔が運転する偽ブリュンヒルデは、車が通れないような幅の裏路地を、駆け抜ける。


「うわーマジビビったー……。本当、翔くんってたまにこういう事あるよね……?」

「悪いな。優等生を演じ続けるのも、疲れるしな」

「もしかしてあれ? 運転中は性格変わるって言う、所謂地雷彼氏的な?」

「いや、それとは違うと思うぞ……」

「だよねぇー。翔くんは翔くんだもんっ!」


 そう言って佐代子は、翔の汗の匂いがほんのりとする背中にぴったりと抱きつく。

 

「うわっ! ちょっと、急に抱き着くなっ!」

「しっかり掴まれと言ったのは翔くんの方ですー!」


 器用とは言ったものの、やはりこういう場合はまだまだ自分の手には余る。どうしようもなくゆらゆらと揺れる車体の上、翔は今、十中八九、決して正しいとは言えない道を通っていた。

 それでも――雨はなく、夏の夕暮れ時の空の下。やはり不思議と、悪い気はしないのであった。


        ※


「ただいまー」


 夕暮れの東京。からんからんと、ドアベルの音が鳴って、喫茶店の入り口ドアが開く。

 チェック柄のシャツ姿で、南野千枝みなみのちえはバイト先の喫茶店へと帰ってきていた。

 

「――お帰り、千枝」


 店には客が一人だけおり、その人はカウンター席ではなく、テーブル席の方に座っていた。

 私服姿の一ノ瀬隼人であった。前までは一人で着替えることもままならず、誰かの手を借りなければいけない状態だったが、リハビリが功を奏し、一人でそれなりのこともできるようにまで、身体機能は回復していた。


「あ隼人! 作戦成功した感じ!?」

「うん。こっちこそ、急に車を回させてごめん。おかげで助かったよ」


 隼人は車椅子を回し、千枝に向けて微笑む。


「いいっていいって。ちゃんと七海ちゃん、ヴィザ学まで運んだよー」


 千枝は誇らしげに、ぽんと自分の胸を叩く。


「ありがとう。彼女が傷つけば、あいつが悲しむ」


 隼人は店の外に広がる茜空を眺めて言う。


「あいつって?」

「俺の命の恩人さ。アメリカのトンネルの中で交通事故に遭った時、挟まれたバイクから、助けてくれた」

「あーっ! その人のこと、早く教えてよ!? 彼女として、私もちゃんとお礼言わないといけないんだからっ!」

「じきにわかるよ。有名人だからね」

「アメリカで有名人って……」


 千枝は唇に人差し指を添えて、うーんと唸りながら上を見る。


「もしかして、ハリウッドスターとか!? 正義の味方に変身して、悪を倒してみんなを救う役の人とか!?」

「……そうだね。そんなような人さ」


 隼人は苦笑して、頷いていた。


「うっそーっ! それじゃあ中々会えなくて当然だわ……」

「いいや。案外、そんな人は近くにいたりするかも」


 そう言った隼人の視線の隅で、カウンターの方からやってくる茶髪のロングテールヘア少女がいた。


「ましてや、そんな人の為に力になる人だって、傍にいるのかもね」

「あ、クリシュティナちゃんお留守番ありがとねーっ!」

「いえ」


 そうした会話を後ろに聞きながら、隼人は自分の足をじっと見つめ、そこに手を添える。

 血は、確かにそこに流れている。触られている、と言う感触も、そこにはある。

 額に汗を滲ませ、隼人は試しに両足に力を込めてみる。生まれたての雛のような不自由な足に、微かに力が入り、ぷるぷると震えながら、前へと進みだす。


「……ああ、諦めないよ。いつか俺はまた自分の足で立って、君と同じく、命を懸けても守りたい人たちを守って見せるさ……っ!」


 これは、病院での、返答だ。

 今度は見誤らない。すぐ傍で支えてくれる大切な人の為にも、それに気づかせてくれた人の為にも、隼人は懸命に、再び立ち上がる時を迎えようとしていた。


挿絵(By みてみん)

昔戦った敵が仲間になる展開、スキィ……。

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