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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
300マイルのカバジェロ
73/189

5

「なに、スペインとは何かと縁がある。当然のことさ!」

              のあ

 陽炎が揺らめき立つ真夏の都会の道路を疾走するバイクと、それを狙う天空の蜂。

 ブリュンヒルデをカタログスペック以上の最大走力で走らせる誠次せいじに、光安の無人ヘリコプターは追いついていた。こちらは道路上を走るしかなく、いくらビルが並んでいるとは言え、空を自由に飛行出来るヘリコプター相手では不利であった。


「――ちっ!」


 目の前の信号が赤に変わり、誠次は堪らず、香月の付加魔法エンチャント能力を発動する。

 横断歩道を渡り始めた人々の足を強制的に遅らせ、誠次は間を駆け抜けた。

 今のところ後方にいるヘリコプターが何かをする、と言った動きは見せていない。誠次とティエラの乗るブリュンヒルデの後ろをぴったりとつけ、追いかけ続けている。さしずめ、仲間に連絡を送っているのだろう。何とかしてヘリコプターを撒かねば、明日の朝まで永遠に追われ続ける事となる。

 誠次はもはや道路ではない歩道を、香月の付加魔法エンチャントを使って通る。ビルとビルの間の裏路地を駆け抜けるが、ヘリコプターは小刻みな旋回を繰り返し、誠次とティエラの後を離れずに追う。

 このままでは埒が明かないと焦る誠次だが、そこへ更なる事態が重なる。


「あの車両、私たちを追ってきていますわ!」


 ティエラが後方を見つめて叫んでいる。

 援軍として駆け付けた光安の車両が二台ほど、誠次とティエラの乗るブリュンヒルデのすぐ後ろに着く。少しでも速度を落としてブリュンヒルデを止めようとしようものならば、もろともこうとする勢いだった。


(もうすぐ……香月の付加魔法エンチャントが切れる……っ!)


 焦燥感を押し殺し、覚悟を決めた誠次は、ブリュンヒルデのグリップを傾ける。

 進行方向上では、隣接する大型デパートの為に建てられた、これまた大型の立体駐車場が、そびえ立っていた。

 空きを知らせる緑色のホログラムランプが灯る入り口から、誠次は立体駐車場に猛スピードで侵入する。規制の為に出力されていたホログラムバーを突っ切れば、画像にノイズが走り、一直線の棒がゆらゆらと揺れた。

 当然、光安の車両は後を追い、ヘリコプターもまた、立体駐車場の付近を旋回するように飛行を続ける。


「立体駐車場!? 上に向かっても追い詰められるだけでは!?」

「ああ。しかしこのまま逃げても追い詰められる! ならば、ティエラ――っ!」


 過行く照明が誠次とティエラの顔を白く染めては消えるを繰り返す中、誠次は一瞬だけ振り向くと、戸惑うティエラの顔を見る。


「また空を飛ぶ覚悟はあるか!?」


 誠次の質問を受け、ティエラは一瞬こそ迷いはしたものの、やがて口を結んで頷く。


「私は、クエレブレ帝国の皇女です! 覚悟は、ありますっ!」


 返事と共に、ぎゅっと、左手に力を込めてくる。


「いい返事だっ!」


 もはやこれから自分の行うことを想定した脳が、アドレナリンのようなものを全身にくまなく注ぎ、滾る熱が発する衝動をそのままに、誠次はほくそ笑んだ。

 螺旋の坂道を駆け上がり続け、徐々に階層を上げていくブリュンヒルデと、それを後ろから追う光安の車。閃光にも似た青のひかりが、柱の先から途切れ途切れに見えるヘリコプターを睨んでいた。


「合図と共に()()()()。振り落とされるなよ!?」

「え、ええ!」


 ティエラはこちらに全てを委ねるように、その身体を背中へ押しつけてきた。


「頼むぞレヴァテイン……!」


 螺旋の移動を繰り返した頂上への道は、もうすぐ終わる。誠次自身も一か八かの作戦を前に、深く息を吸い込む。

 香月の付加魔法エンチャント能力を駆使し、ブリュンヒルデの速度を少しも緩めはしないまま、立体駐車場の最上階まで、とうとう誠次たちはやって来る。最上階ともなれば車は少なく、横に見えるのは空を舞うヘリコプターと、空を挟んで向かいに見える、こちらよりも高度のある階層を誇るデパートであった。

 ヘリコプターは今まさに、屋上まで到達したブリュンヒルデを追いかけて、その羽をちらつかせ始めていたところだ。

 

「はは……! 丁度いい角度と高度だ!」


 青い瞳を光らせた誠次は、豪快に笑う。

 運転すると人が変わると言う人もいるというのだが、今の誠次はそれとは少し違っていた。

 自分が今から行う事への無謀さをおおよそ理解出来ていない馬鹿真面目な思考が、考えることをやめている状態のようなものだ。あとは本能の赴くままに、肉体を動かすだけ。

 理性と言う名の一瞬の迷いもそこには介在しない異様な状態の中、どくんどくんと音を立てて刻む心臓の鼓動の指示の元、激しい熱を帯びた血流が身体中を駆け巡り、それをブリュンヒルデにも共有させるかの如く、誠次はアクセルペダルを思い切り踏み込み、フルスロットルの状態で突進する。

 後方から追いついてきた光安の車がまるでギャラリーのように見守る中、爆速で奔るブリュンヒルデは、立体駐車場の壁ともいえる頑丈な柵の元まで一直線で向かう。


「――っ!?」


 言葉にならないティエラの絶叫がすぐ背後で聞こえ、身体を密着させてくる。こちらの背中に顔を埋め、もう前も見られないようだ。


「うおおおおーっ!」


 直前で香月の付加魔法エンチャントを発動し、車体を軽く浮かせて反動をつける。転落防止用の柵を跳び越え、ブリュンヒルデはヘリコプターにぶつかるように、立体駐車場から飛び出した。

 飛行物体が接近している危険を察知したのか、無人ヘリコプターはアラートを鳴らしながら、飛んできたブリュンヒルデから逃れようと、機体を急発進させる。

 しかし、間に合うまい。


「沈めっ!」


 天空で青い光を最大限にまで拡散させた誠次は、右腕に握っていたレヴァテイン・ウルを、ヘリコプターの横を通り抜きざまに振るう。

 発振させた青い魔法の刃は、ヘリコプターのメインローターを二つとも、斬り裂く。

 そのまま空中でブリュンヒルデの車体を制御していると、誠次の目の前に飛び込んできたのは、大型デパートの大きなガラス窓だった。

 タイヤがそこに接触するより前に、誠次はレヴァテインを突き出し、隣にあったデパートの窓を突き破る。

 吹き飛んだガラスの破片が舞う光景が一粒一粒見える中、ホログラムで浮かぶマネキンの映像を乱し、ブリュンヒルデはそのままカジュアルショップに突入。そこにいたお客さんらの悲鳴を耳にしながらも、誠次はブリュンヒルデを室内で走らせ、階段から下の階へと降りていく。

 空中間を移動されては、さすがの光安の車も追いつけず、隣の立体駐車場の屋上で車を停車し、三人の男がそこから呆気にとられた様子で出て来ては、茫然と立ち尽くしていた。

 そして、誠次に羽を斬られたヘリコプターは、赤いランプとアラームを点灯させ、空中で黒い煙を出していた。ガクガクと揺れている機体では、今まで通りの追跡など到底不可能だろう。


「や、やりましたの……?」


 デパートの幅広な階段をブリュンヒルデで駆け下りる最中、ティエラが驚き溢れる表情でいてくる。顔もようやく、上げられたようだ。


「ああ。連中もこれで、迂闊に目立つ兵器の使用は控えてくれるはずだ」


 買い物客で賑わうデパートの中から、誠次は香月の付加魔法エンチャントを使い、人を避けて一階から外へと再び出る。

 立体駐車場を見上げれば、そこから黒い煙が上っており、おそらくヘリコプターはそこに不時着したのだろう。本当に墜落でもすれば無論、二次災害が起きてもおかしくはないほどの都会だ。しかしそれでも、誠次は迷いなくレヴァテインをヘリコプターへ振るっていた。


「……」


 デパートの中で無邪気にはしゃぎ回っていた子供たちや、買い物中の家族を見たときに少しだけ湧き上がった罪悪感を心の中で押し殺し、今は背後のティエラの身体の熱を感じ、誠次は再びブリュンヒルデを道路で走らせた。


付加魔法エンチャントが、終わった……」


 やがて、香月が見せてくれていた青い世界が終わりを迎え、誠次の目から青色も消えていく。

 途端に感じる激しい疲労感と倦怠感により、そこに加わる真夏の陽気が、額に汗を滲ませていた。ありとあらゆる敵に対して持っていた絶対的な優位性も、失くなってしまった。


「これで、先ほどまでのような戦いはもう出来なくなってしまったのですね?」


 後ろに座るティエラが、どちらかと言えばこちらの容態を心配してくれているような声音で、訊いてくる。


「ああ。予定よりは早く消費しすぎた。ここからは厳しい戦いになるだろう」


 誠次はタッチパネルを操作し、ブリュンヒルデが見せる遠く離れた西の目的地を睨みながら、答える。


「あ、誠次。右腕から血が……」


 ティエラの指摘を受け、タッチパネルを片手で操作していた誠次は自分の半そでの先の右腕を見る。デパートに()()()した際のガラスが、肌を傷つけたのだろう。思えば、身体の至る所がひりひりしている気がする。


「気にするな。ガラスで擦りむいただけだ」

「バイクを止めていただければ、左手でも治癒魔法は使えるはずですわ」

「俺に治癒魔法は効かない。空間魔法や、幻影魔法の類の無属性の魔法は効かないんだ」

「そう言えば、そうでしたわよね……」


 そうして頷いて引き下がったものの、そのままティエラが俯いてしまうのを、誠次は映像でじっと見つめていた。

 

「負い目など、感じなくてもいい。クリシュティナの付加魔法エンチャントを受け取れば、即時回復は出来る。それにこの程度の傷など、作戦に支障はきたさない」


 怪我を付加魔法エンチャントで治せる。そこまで言った誠次はふと、彼女の右腕の容態を思い出し、思わずタッチパネルを操作していた右手を止めていた。


「……すまない。君に言う話ではなかった」


 後ろに座るティエラは慌てた様子で、首を左右に振っていた。


「い、いえっ。何よりも私は、自業自得ですから……。こうして綺麗なままで右腕が残っているのも誠次、貴男のお陰ですわ……」


 そうしてティエラは、心なしか左手に力を込め、こちらに身体をぎゅっと寄せてくる。その声音には覇気がなく、いささか震えているようにも聞こえた。


「……上手い言葉は見つからないが、君の右腕はきっと良くなると思う」

「良くしてみせますとも。そうでなければ貴男やナギ、ルーナにも示しがつきません……」

「そうしたらあの日言った通り、ゲームでも教えるさ」

「ありがとうございます、誠次。楽しみですわ……」


 ティエラはくすりと微笑み、誠次の背に添えるように、頬を当てていた。


         ※


 昔ながらの緑色の渦巻き型の蚊取り線香から、白い煙が上がっては和式の部屋の背景に消えていく。ちりんちりんと鳴る風鈴の音は、中庭に流れる水のせせらぎと合わせて聴けられれば、小さな身体に感じる夏の暑さを幾分か和らげることが出来た。

 手元の湯呑みを両手で持ち上げ、自分で煎じたお茶を口に含み、じっくりと味わう。鋼鉄の街のど真ん中にいることを忘れられるほど、彼女にとって長閑で至福の時間が広がっていた。


「――総理。ご報告が……」


 耳障りな男の切羽詰まったような声が、ふすまの先である縁側から聞こえる。見える影は膝をついて頭を下げており、すぐに良き知らせではないことが判断できた。


「……申すがよい」


 この屋敷の住人でもあるなずなは、やや苛立った声音で返す。


「クエレブレ帝国の皇女を確保に行った光安の面々が、突如として姿を現した剣術士の奇襲を受け、妖精シャナを取り逃がしました。現在妖精シャナは剣術士と共にバイクで逃走中です。我々は()()()()であったヘリを用いて追跡しましたが、そのヘリでさえ、剣術士に動力部をやられて追跡不可能となりました……」


 皇女の身柄を確保し、護送すると見せかけての不慮の事故による謀殺。作戦は全て順調にいくはずだった。

 ――彼の、介入があるまでは。


「剣術士、じゃと……?」


 抹茶が入った湯呑みを持つ薺の手が、震えている。

 極秘任務がすでに露呈されており、クエレブレ帝国の皇女搬送を剣術士に阻止された。光安にとっても薺にとってそれは、想定外の出来事であったのは言うまでもなく、動揺も隠せなかった。


「はい……。現在我々は態勢を立て直し、追跡の途中です……」

「……ミサトに情報が流れておったのか……?」


 薺の呟きに、縁側で正座をする光安の男は首を傾げていた。


「現在の状況はどうなっておる? 隠さず申せ」

「ヘリコプター墜落の現場には大勢のマスコミやメディア関係者が詰めかけており、神奈川県各町関係者からも、情報の開示を求められています……」

「なぜ、東京の病院での確保失敗を真っ先に知らせなかった?」


 薺の怒気をはらんだ鋭い声音に、襖の先の影は、びくりと反応する。


「……申し訳、ございません……」

「詫びの言葉を求めているのではない、理由を訊いているのじゃ」

「……任務の失敗は、我々の責任であります……。それを、取り返そうと……」

「女神の加護を受けた剣術士に楽にかなうと思ったか、愚か者めっ!」


 かんと、叫んだ薺が投げた湯呑みが襖の冊子に叩きつけられ、中に残っていた茶が畳にまき散らされる。


「そのほうたちは妖精シャナ確保に失敗し、ヘリをも墜落させられた。そして依然皇女は捕らえられていない。あまつさえ目立つような行為をし、各方面へ誤魔化しの説明をせねばならぬ! これは光安発足以降、これ以上ない失態じゃっ!」

「……申し訳、ございません!」


 ただひたすら項垂れる光安の男に、薺は苛立ちを露わに、怒鳴り出す。


「本当に分かっておるのか!? 任務の失敗は即ちヴァレエフ様のご意向に背くこと。そんなこと、本来はあってはならぬのじゃっ!」

「……重々承知しております……。しかし、光安の性質上、大規模な国内捜査も行えず、妖精シャナを捕らえるのにはまだ時間が掛かりそうです。剣術士が妖精シャナをどこへ連れて行くかも、不明であります」

「ヴィザリウス魔法学園には当然、待ち伏せをしておるのじゃろうな?」

「すでに私服の隊員を数十人規模で派遣しております。しかし、剣術士はヴィザリウス魔法学園から離れて行く動きを見せています」

「剣術士め……。一体どこへ向かうつもりじゃ……。逃げ場などありはせんと言うのに……」


 北海道で出会った若き少年の姿を、今となっては憎悪で歪んだ姿で思い浮かべ、薺は強く歯軋りをする。


「まさか、本当に国にあだなす気なのか剣術士は……」


 ふすまの先から、薺の命を忠実に聞くはずの光安の男が、慎重にこんな事を言い出す。


「……()()()との取引で、法的に剣術士を捕らえることは、事実上不可能に……」

「その男をみすみす取り逃したのがお前たちじゃろうに!」


 朝霞刃生あさかばしょう。昨年のクリスマスの日に告げられた取引の内容を思い出し、薺はますます苛立ちを露わにする。昨日の大阪での抹殺任務も、失敗していた。


「……こうなれば世論の批判を多少は受けてでも、強引にでも奴らを抹殺するのは、いかがでしょうか……。奴の力は仰る通り強大であり、我々の被害も少なからずあるでしょうが、脅威の排除を優先すべきかと」


 それでも、ふすまの先の男は動じることもなく、頭を下げ続けている。

 すぐに我に返った薺は、しかし湧き上がる苛立ちを隠すことは出来ずに、また子供のような無邪気な怒りを露わにして、座布団の上にふんぞり返る。


「それが出来れば、とっくに科連本部でも、その後の病院でも行っている」

「ではなぜですか……? 光安の内部でも、すでに剣術士との交戦により、多くの人員が奴の即時排除を望む声を上げております。追跡班の中には奴に恐怖している者や、奴と戦闘を行わずして安堵をしている者までもいたとの報告があります……」

「あやつにはあやつを守る魔女がおる……。そして、人外の力を与える女神共も……。なによりもあやつは――」


 薺はそこまで言うと、血がにじむほど、下唇を噛み締める。


「一人の身であったヴァレエフ様が本当に愛した、男の子なのじゃ……」


 だが力なく、薺は寂し気に、項垂れた。

 襖の向こうの男は、やや呆気に取られた様子で、しばし声を失っていたようだ。


「し、しかし、剣術士がいる限り、この国の平和は遠ざかるだけです……! 総理、一刻も早いご決断を!」

「決断、じゃと? 妾にあのお方の意思なくして、あの子を殺せと言うのか?」

「それがこの国の平和に繋がるのであれば、たった一人の学生の命など――!」

「それ以上は言うでないっ!」


 薺は再び激高し、襖の先の男に怒鳴り声を出す。


「……その時がくれば、その時は。妾が直々に手を下す……。お主らは当初の計画通り、なんとしてもクエレブレ帝国の皇女を捕らえ、謀殺せよ。あやつの力は強大ではあるが、じきに切れる。よいか? あやつの持つ剣が光輝いているうちは、まともな戦いになるとは思うでない。手を出すのは、その加護が切れた瞬間じゃ」

「……は」


 ふすまの先で男が立ち上がり、足早に去って行く。

 一人残った薺は、畳の上に転がっていた湯呑みを魔法を使って運び、再び手元に戻していた。


何故なぜじゃ剣術士……。何故なのじゃ……。何故お主はあの裏切り者の魔女に従い、ヴァレエフ様のご意志に背くのじゃ……?」


 ぶつぶつと呟き、薺は着崩れた着物を正すこともせず、その幼い身体でじっと、中庭の木の葉が舞う光景を見つめていた。


「クエレブレ……。妖精を守る竜だとでも言う気か………」


         ※


 時刻は午後三時過ぎ。夏の日差しは傾きを見せ始めて来たとは言えまだまだ力強く、とあるコンビニエンスストアに停めてあった白亜のバイクの装甲に照りつける。グリップにだらんとかけてあるゴーグルには、日光が反射していた。

 今のうちにと、誠次は物資補給の為に、市街地から離れた所にあった無人コンビニエンスストアに立ち寄っていた。真夏の外で二人とも汗はぐっしょりとかいており、ドアが開いた瞬間に身体に押し寄せる冷気が心地よい。

 ティエラは七海ななみの夏着姿なので、レヴァテイン・ウルがなければだが、この時代では至って普通の日本の高校生の男女のようである。もっとも、無免許無ヘルメットで大型バイクを運転してやって来た辺り、素行が良いとは決して言えないだろうが。


「――喉も乾いた。ブリュンヒルデのシート下に物は入れられるし、たくさん買っておいても損はない」


 誠次は買い物かごを片手に、広いとは言えない店内を共に歩くティエラに言う。

 ティエラは片手に、水の入ったペットボトルを一つだけ持っていた。


「私はこれで充分ですわ……」


 おずおずとかごにペットボトルを入れようとするティエラであったが、誠次は苦笑する。


「我慢しなくていい。暑いし、アイスでも食べたらどうだ?」

「あ、アイスっ?」


 ほんのりと頬を赤く染め、「あ……」とティエラは頭の中で冷たい甘味の甘美な誘惑を思い浮かべたようだが、すぐにぶんぶんと首を横に振る。


「え、遠慮いたしますわ! 私の我が儘、ですわっ!」

「そうか? 美味いのに。俺は食うけどな」


 のほほんと、誠次は心が躍る思いで、ショーケースのアイス売り場を眺め始める。夏のコンビニでは、外の暑さから解放された涼しい室内で、次の安らぎを求めてどんなアイスを食べようとするのか、想像する時が一番楽しかった。


「……っ」


 ティエラは誠次の横顔をじっと見つめ、もじもじと身体を揺らしていた。


「……っ」


 そして、おもむろに誠次のすぐ隣までやって来る。


「ひ、卑怯ですわ! 貴男のその、横顔!」


 突然、隣にまでやって来たティエラに怒鳴られ、誠次は驚いて後退る。


「はっ!?」

付加魔法エンチャント中とは違って穏やかで……っ。そんな顔をされたら、アイスが食べたくなるに決まっていますわ!」

「アイスが食べたくなる顔ってなんだ!?」


 無茶苦茶な物言いに唖然とする誠次であったが、ティエラは盛大に赤らめた顔でアイスを取ると、それを問答無用でかごに入れていた。

 何だかんだでお姫様も食べたかったんだなと思いながら、誠次も好きな抹茶味のアイスを取り、かごに入れていた。

 セルフレジで会計を終えると、誠次は早速、袋からアイスを取り出して、棒状のそれを口に咥える。

 その後ろ姿を見ていたティエラは、ほんの少しだけ眉根を寄せていた。


「立ちながら食べるなんて、お行儀が悪いのでなくて……?」

「ふはへふほほほはいひは(座れる場所もないしな)」


 緑色の抹茶アイスを口に咥えながらふごふごと誠次は言うと、ティエラのアイスを袋から取り出し、外装を剥がして差し出していた。


「ほら。言っておくけど、さすがに地面に四つん這いになってまでお姫様の椅子にはならないぞ?」

「そ、そんなことさせませんっ! あ、ありがとう、ございます……グラシアス」

「冗談だ」


 アイスをかじりながら微笑む誠次に、ティエラは「冗談が過ぎましてよ……」ともごもごと口籠っていた。


「頂きます……」


 バニラ味の白いアイス棒を受け取り、ティエラはやや顔を赤らめ、結局同じように立ち食いをしていた。

 日差しを避けるコンビニエンスストアの出っ張った屋根の下の壁。日陰で横並びで立つ二人にとっては、つかの間の休息である。


「美味しいですわ……。火照った身体も冷えます」

「なら良かった」


 すぐ隣で誠次は右腕を初めとした切り傷に、ジェルタイプの絆創膏を塗る。そして、そうだと思い出しながら、横に立ってアイスを舐めているティエラには、スプレータイプのとあるものを差し出していた。


「アフターケアタイプの日焼け止めだ。この日差しでは、肌にもダメージがあるだろう」

「あ……お心遣い、感謝します」


 ティエラはそうして誠次から日焼け止めの為の小さなスプレーを受け取ろうとするが、案の定左手はアイスで塞がっていた。


「まあ別にこれは後でも平気だ。アイスを食べ終わった後で使えばいい」

「いえ。申し訳ありませんけれど誠次、お願いがあります」


 ティエラは半分ほどになったアイスを口から離し、誠次に頼みごとをする。


「なんだ?」

「私は右腕が使えませんし……その、その日焼け止め、貴男がしてくださいませんか? 左腕に塗るのは、難しそうで……」


 やや恥ずかしそうに視線を落としかけながら、ティエラは言ってくる。


「わ、わかった……」


 どういう事か理解した誠次もまた、顔をやや赤く染める。アイスを早口に食べ終えたばかりなので身体は冷えており、きっとこれは、夏の暑さによるものではないだろう。


「液を伸ばすために触るけど、問題ないか?」

「問題ありませんわ。お願いします、誠次」


 すっと、ティエラは自分の左腕を差し出してくる。

 頷いた誠次は、内心で高鳴る心臓の鼓動を飲み込み、ティエラの左腕に吹きかけた液状の日焼け止めを、自分の手で伸ばしてやっていた。


「……っ」


 無言は気まずく、しかしなぜかティエラと目が合わせられず、誠次は微妙にはにかみながら、ティエラの肌に触れていく。ロシアでの生活が長かった為か、ティエラの肌は驚くほどきめ細かく、誠次は逆に自分の手がティエラの肌に吸い付くような錯覚を感じていた。


「そう言えば、ロシアって、夏も寒いのか……?」 

「いえ、暑いですわ……。日本とは違って、じめじめとはしていませんが……」


 ティエラもまた、赤く染まった顔で、自分の肌に手を伸ばしていく誠次をじっと見つめていた。


「……はい」

「左腕だけじゃなくて、まだ、ありますわ……」


 左腕だけで終えていた誠次に対し、ティエラは自分の身体の肌が出ている個所をくまなく見つめ、誠次に告げる。


「え、しかし……」

「嫌でしたら、私が自分で行いますが……」


 ティエラはそう言って、誠次を見やる。

 その言い方は卑怯だと、内心で言いながらも、それも些細な抵抗であった。下を向いたまま誠次は「やるよ……」と言いながら、ティエラの前で跪いた。


「誠次……?」

「右腕と足を塗る。足はともかく、右腕は慎重に扱うよ」


 誠次は顔を上げ、目の前に立つティエラの右手にそっと、自分の手を重ねていた。

 自分のすぐ前で跪き、動かない右手を取る誠次をじっと見つめていたティエラは、徐に口を開いていた。


「エドモンド・レイトン、と言うイギリスの画家をご存知でして?」

「いや、知らないな」


 ティエラの右手に噴きかけた日焼け止めの細かな雫を、そっと繊細な手つきで伸ばしていく傍ら、目の前に立つティエラがこのようなことを言いだす。


「百年以上前の画家なのですけれど、その人が描いた作品の中に、゛騎士の叙任゛というものがあります。今の貴男と私の構図が、まさにそのようなのです」

「お姫様に日焼け止めを塗る騎士の絵、か?」


 誠次がティエラを見上げて言うと、ティエラはくすりと微笑んで、顔を横に振る。彼女の遠く後ろの方で覗く太陽と、彼女の笑顔が、輝いて見えた。


「君主であるプリンセサ騎士カバジェロに右手で持った剣を差し出して、その騎士を騎士として任命する式の絵です。レプリカですけれど、私の家にも飾ってありましたわ」


 ティエラはそこまで言うと、誠次の背中と腰に帯刀してあるレヴァテイン・ウルをじっと見つめていた。

 そして、何かを飲み込んだように息を吸って吐くと、誠次を見下ろして、


「……もしかしたらあの絵が示すように遥か古来より、騎士たちに戦う力や理由を与えていたのは、皇女や姫と言ったもの、或いはそれよりももっと漠然とした、女性と言う存在なのかもしれませんね」

「なるほど……一理ある」


 誠次はそう言ってから「失礼する」と前置きをして、ティエラの足にスプレーをかける。

 ティエラはやや驚いたように、もじもじとしたまま、身体を揺すっていた。


「俺が戦うのに女性が与えてくれる魔法ちからが必要ならば、その見方には頷くしかない」

「私も……貴男にとっての力になりたいですわ……」


 ティエラがぼそりと言う間に、誠次はティエラのガーターベルトとスカートの間にある所謂女性の絶対領域と呼ばれる太腿へ、日焼け止めを塗り広げていた。

 これにはさすがのティエラも耐え切れず、羞恥により、「あ……っ」と変な声を上げていた。


「て、ティエラ……」


 思わず手を離した誠次を見下ろし、ティエラは切なそうに、首を横に振る。


「か、構いません……どうか続けて、くださいませ……」


 顎に滴った汗を拭った誠次は頷き、ティエラの肌に再び手を触れていた。

 戦闘訓練もルーナとの一騎打ちの特訓の為に何度も行っていたというティエラの足は健康的な太さで、無駄な肉も一切なく、綺麗なものであった。


「日焼け止めは塗り終わった」


 やがて、誠次はティエラの右手を再び取り、そこに自分の両手を包み込むように、そっと添えていた。


「誠次……?」

「ありきたりな感想ですまないが……とても綺麗な手だった。この手を守れただけでも、あの屋上で君を救うために戦った意義はあったと思う」


 わけもなく、しかし無意味なこととは思わず。誠次はティエラを見つめ上げ、口角を上げた。

 瞳を閉じてゆっくりと頷いたティエラもまた、伸ばした左手で、誠次の手を挟んで重ねていた。


「あ、ありがとう、ございました……。貴男の手も、決して剣を握っているものとは思えない、繊細で、優しい手つきでしたわ」


 自信を持ってティエラにそのようなことを言われ返され、誠次は後ろ髪を髪をかきながら、立ち上がった。


「あ、ありがとう。俺はお手洗いに行ってくるよ」

「え、ええ」

 

 誠次は、(バレバレな)気恥ずかしさを隠しながら、用を足しに無人コンビニエンスストア内のトイレへと向かった。


「私は……」


 一人でぽつんと残ったティエラは、右手を左手でそっと触り、ガラス張りの窓に映る自分の姿を、赤く染まった顔でじっと見つめていた。

 そうして見つめていたガラスに映ったのは、駐車場に年上の男たち二人組が、歩いてやって来る姿であった。


「――お、かっけーバイクある」


 ブリュンヒルデを停めてあるそこで、二人組の男は目立つその乗り物に興味津々のようだ。話し合いながら近付くと、男の一人がなんと勝手にシートの上に跨がり始める。改めて見ても、二人ともその半そで半ズボンの風貌はお世辞にも小綺麗なものではなく、貴金属類のアクセサリーが嫌な目立ち方をしていた。

 勝手に大切なバイクに触られ、腹が立ったのを自覚したティエラは、果敢にも、日陰の外にずんずんと歩き、ブリュンヒルデの元まで向かう。


「失礼。その乗り物はとても大切なものなのです。どうか手をつけないよう、お願いいたしますわ」


 歩み寄りながらティエラは、二人組の男へ声を掛ける。優しめではあるが、引き下がることはしないような、芯に力のある声音で。

 しかし男たちは、ティエラの姿を見ると、口笛を吹いていた。


「jkじゃん。このバイク彼氏の? 凄いねー。夏休み中で嵌め外しちゃった感じ?」


 馴れ馴れしく声を掛けてくるのは、帽子を被り、金色のネックレスを首からぶら下げた風貌の男だった。

 彼氏。その言葉に対し、ティエラは後退するほどの動揺を見せてしまった。


「か、彼氏ではありませんわ! で、でも……!」

「やべー。反応可愛いじゃん。しゃべり方ちょっと変だけど」


 バイクに跨がっていた大柄で、黒いタンクトップ姿の男が、バイクから飛び降りてティエラに近付く。


「近寄らないで下さい!」


 後退りしそうになったティエラは踏ん張り、近付く男にむけ声を張る。

 大柄の男の腹も腕も太く、その気になれば魔法ではなく力づくでだってティエラを押さえ込められそうだ。


「やっべマジ可愛いかも。外国人? 俺たちとちょっと遊ばない?」


 興味の対象を完全にブリュンヒルデからティエラへと変えた大学生かそれ以上風の男二人組は、ティエラへとじりじりと近付いていく。どうやら、ティエラをバイクを使って男とお出掛けするような()()()と思い込んでいるようだった。

 

「調子に乗らないでくださいませんこと? 貴方たちと遊んでいる時間なんて、私にはないのです!」

「なあ、俺マジで可愛いと思ってるんだけど――」

 

 大柄の男の手がティエラの動かない右手に触れる直前。

 店の中から飛び出した誠次が、「ティエラ!?」と大声を出しながら走り、駆け付ける。


「誠次っ!」


 振り向いたティエラだが、立っていた大柄の男が後ろ手を掴み、ティエラの首に汗ばんだ太い腕を回す。

 なんと、咄嗟の行動だったのか、ティエラを後ろから無理やり首絞めしていた。


「やめろ!」


 咄嗟に立ち止まった誠次は、背中のレヴァテインを引き抜き、男らへ向け構える。


「ま、マジっすか先輩っ!?」

「お前は黙ってろ! 子供か!? バイク運転できる歳か!?」


 ティエラの首を締め上げながら誠次をじっくりと見つめる男が、目ざとく言ってくる。

 ティエラはどうにか男の腕を引き剥がそうと、左手だけでも懸命に動かし、抵抗を試みている。


「無理するなティエラ! 今助ける!」

「アイツ、まさか……」


 一方で、ネックレスを付けたもう一人の男は、レヴァテイン・ウルを構える誠次の姿を見た瞬間、青冷めた表情をしていた。


「知ってるのか?」

「はい……。剣術士……。ヴィザリウスで有名だった奴っす……」


 誠次の事を知っていた様子の男は、怯えて後退りをしている。


「ヴィザリウスの先輩ですか!? 彼女を解放してください! 彼女は右腕が使えないんだ!」


 誠次は、こちらを知っていた様子の男へ向け、声を上げる。


「い、いや……」


 鼻先から一粒の汗を落とした大柄の男は、誠次の姿をまじまじと見つめてから、笑いかけてきた。


「暴れられないのは好都合だ。おい! 彼女の命が惜しけりゃ、その剣放り投げてどっか行きな!」

「正気か!?」


 誠次も額に汗を滲ませ、抗議をするが、男はティエラの首を締める力をますます強くしていく。

 涙目のティエラと目が合い、彼女は必死に首を横に振り、男の言いなりとなるこちらの行動を止めようとするが、迷ってはいられなかった。


「剣を捨てれば彼女は解放するんだな!?」

「ああ!」

「わかった。ならば、従う」


 誠次は握っていたレヴァテインを横へ放り投げる。金属のような音を立て、レヴァテインは駐車場の地面の上を転がっていった。


「腰にもあるだろうが! それも捨てろっ!」

「今捨てる。焦るな、落ち着け」

「偉そうにすんじゃねえ!」


 誠次は罵声を浴びせられながらも、慎重に腰の鞘に手を掛け、もう一つのレヴァテインを鞘ごと取り外す。


「……一つだけきたい」


 ベルトごと取り外した鞘を、誠次は身体の横に掲げ、いつでも落とせる構えを見せつつも、男に問い掛ける。


「なんだよ。早く捨てろ!」

「魔術師かどうか、訊きたい」

「はあ!? 魔術師に決まってるだろ――!」


 その言葉の終わり、男の顔面に、誠次が投げ付けた鞘に入ったレヴァテインが直撃する。


「――そうか」


 誠次が右腕だけで投げ付けた鞘に納まったままのレヴァテインは、ティエラを絞め上げていた男の顔面に直撃すると、二人の目の前の地面の上に落ちる。

 拘束が解けたティエラは、咄嗟にしゃがむと、地面に落ちたそれを左手で拾い、誠次に向け投げた。


「誠次っ! 受け取って下さいませ!」


 放られたレヴァテインの柄を誠次はキャッチし、その場ですぐに振りはらえば鞘は外れ、銀色の刀身部が露わになる。

 すでに前へ駆けだしていた誠次は、悲鳴をあげて顔を覆った男の腹部に、レヴァテインの柄を思い切り叩き込んでいた。

 男が更に苦しんだのを見た誠次は、今のうちにティエラの左手をとり、共に下がる。

 ――もしも万が一、敵に捕縛された際の動きを、誠次とティエラは予め打ち合わせしていた。まさかこんなにも早く、それも光安以外に行うことになるとは想定していなかったが。


「形勢は逆転した! 手を引け!」


 そう忠告する誠次であったが、男は魔法式を展開し、それを誠次に向ける。無属性の魔法であった。


「お、おい。ヤバいですって先輩っ!」


 男の仲間が止めようとするが、完全に激昂している様子の大柄の男は、「邪魔すんな!」と叫んで聞かない。

 

「ここで騒ぎを起こしたくはない! やめてくれ!」


 誠次はティエラを左手で抱き抱えつつ、右手に持ったレヴァテインを男に向ける。

 男が発動した攻撃魔法の魔法式は、いよいよ完成を迎えてしまう。


「しゃらくせえ! こうなりゃボコして、女もバイクも頂く!」

「させませんわ!」


 ティエラは攻撃魔法を防ごうと、防御魔法の魔法式を目の前に浮かべるが、左手での構築に不慣れな為か、完成が間に合わない。


「あ……」


 ティエラは自分の左手を見つめ、魔術師としてもその実力を失ってしまったことに、絶望してしまったかのように動けなくなる。


「ティエラ!?」


 そんなティエラを庇うように、誠次は前へと出て、男が放った攻撃魔法をレヴァテインで弾き斬る。


「確りしろ、ティエラ!」

「ご、ごめんなさい……」


 男が、立て続けに二発目の魔法を発動。無属性は効かないが、ティエラを守るためにも、誠次は再びレヴァテインを振るい、男の魔法を難なく弾き斬る。


「無駄だ! 次に攻撃した場合、今度はこちらから行くぞ!」


 これ以上この場に留まり続け、騒動を見た野次馬が特殊魔法治安維持組織シィスティムに通報されたら厄介であった。無駄な斬りはしたくもないが、埒が明かないようであればやむを得ないと、誠次が姿勢を落として突撃をしようとしたが。

 男が構わずに三発目の攻撃魔法を発動する直前、男の真横左から突如飛来した攻撃魔法が、男の手を弾いた。魔法式は中断され、青色の夏の空へと同化するように消えていく。

 驚いたのは男たちも、誠次とティエラもであった。


「――大丈夫、誠次先輩?」

「――フハハハ! 助けに来たぞ、剣術士ソードマン!」


 聞き覚えのある緩やかな少女の声と、高らかな英国紳士の笑い声であった。

 

「ガブリール兄妹!?」


 見れば、コンビニエンスストア前の歩道に乗り上げるようにして停まっていた高級車から、赤いリボンを身につけた制服姿のシア・ガブリールと、私服姿のノア・ガブリールがこちらに手を振っていた。


「なんだ!?」


 慌てる男らであったが、誠次への援軍はまだあった。


「「シュラークっ!」」


 二本の魔法の槍が、男らの足下に突き刺さり、行動を制する。

 ノア・ガブリール元魔法博士が運転する車の後部座席から、とばり兄妹が両側の窓からそれぞれ身を乗り出し、こちらに向けて腕を伸ばしてくれていた。


「助けに来たぜ誠次!」

「……って、なんとか元魔法博士! 車の止め方どうにかなんなかったわけですか!?」

「だからガブリールだと言っているだろう!? なんでシアの名前は覚えられてこの私の名前は敢えて覚えないのだ!? 嫌がらせか歌姫ディーヴァ!?」

「ウタヒメちゃんと私はお友だちだから」

「だからウタヒメ言うなっ!」


 ……四人乗りの歩道に乗り上げた黒塗りの車両から、騒がしくけたたましいやり取りが聞こえてくる。


「な、なんですの……あれは……」


 誠次の後ろのティエラも、唖然としているようだ。

 これには別の意味で冷や汗をかいていた誠次であったが、頼もしい味方に変わりはない。


「みんな、助かった!」


 誠次が言えば、ノアと悠平ゆうへいの二人の兄貴分は、手を掲げて軽く応えてくれた。


「クソっ!」

「ちょっ、先輩!」


 二人組の男は、どさくさに紛れるように、背中を向けて逃げ出していた。


「どうして、ここに?」

『私が召集した。場所も私が教えた』


 タイミングよく答えたのは、ブリュンヒルデに備え付けられてた電子タブレットから飛び出した魔女ナビゲーター、八ノ夜はちのやであった。


『なに、まさかお前一人だけでやらせるつもりはない。マラソンで言う所謂給水所だな』

「……助かりました」

 

 しかし、マラソンと同じようで、応援してくれる友がいてくれるのを実感できるのは、ありがたかった。


「――俺たちも忘れて貰っちゃ困る」


 そう言ってガブリール元魔法博士の運転する車の後ろから、普通のバイクに乗って現れたのは、二人組の先輩、長谷川翔はせがわしょう相村佐代子あいむらさよこである。二人とも、ちゃんとヘルメットは被っており、

 

「翔先輩! 相村先輩!」

「おひさー天瀬くん! ってか、マジでお姫様護衛中って感じじゃん!」


 翔の後ろに座り、相村がピースをしてくる。その姿は、いつものロングポニーテール姿とは違っていて、毛先をばらけさせたウェーブがかったロングヘア―……すなわち、ティエラの髪型と酷似している。髪色も、少し金色に染まっており、ティエラのものを意識しているようだ。


「その髪は……」


 呆気にとられる誠次の目の前に、


「なるほど。それが例のバイクか」


 駐車場に停めてあるブリュンヒルデの真横に自分のバイクを着けた翔は、そこでとある魔法を発動する。 


「《ハルシオン》」


 ブリュンヒルデをじっと観察しながら見つめ、広げた魔法式を自分のバイクへと向けていた。

 するとなんと、翔が乗っていた普通のバイクが、見る見るうちに白い装甲を纏わり付かせ、ブリュンヒルデへと変わっていく。


「ブリュンヒルデを、コピーした!?」


 誠次が驚く。翔の魔法を浴びた彼のバイクは、確かにブリュンヒルデそっくりそのままであった。

 翔どこか得意気に、しかし気恥ずかしそうに、彼らしく遠慮がちに微笑む。


「変性魔法だ。これくらいなら本物と見分けが付かないだろう。もちろん、性能自体は俺が自腹で買った安いバイクそのまんまだけどな」

「これが作戦! ウチと翔ちゃんで、頑張って囮するから!」


 八ノ夜が情報を流したのだろうか、ティエラと同じ服を着た相村が、張り切って言って来てから、翔の背中にぎゅっと抱き着く。

 偽ブリュンヒルデに座る翔は、「う……っ」と呻いて赤面する。


「お二人さんもこれくらいラブラブしてたのー?」

「し、していませんですわっ!」


 赤面したティエラが、何かを誤魔化すように、いち早く否定していた。


「俺は免許持ってるし、あくまで一般の交通規制に従って走るだけだけど、時間は稼げるはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って、なにもおかしくはないだろ?」

「……ありがとうございます、翔先輩。でも、バイクの免許なんて、最近取ったのですか?」


 誠次が問うと、翔はやや恥ずかしそうに、鼻先をかきながら、こう答えていた。


「ま、まあな……。兵頭ひょうどう先輩に、憧れて……」


 そんな誠次の元へ、レヴァテインを両手で持った結衣ゆいがやって来る。持っていたのは、最初に投げた方のレヴァテインであった。


「誠次先輩……どうか、無事でいて……」


 赤い眼鏡の奥から、心配するような真摯な赤い眼差しを向け、レヴァテインを渡してくる。

 その顔はどこか赤く、おまけにおでこには冷えピタまで貼っているようだ。


「結衣? その顔、風邪引いているのか?」

「悪い誠次。俺の管理ミスだった……」


 車の中に座ったまま、悠平が謝罪をしてくるが、結衣と誠次は揃って首を横に振った。


「いいや、ここまで来てくれて本当に助かった。今は傍にいてやれない俺の代わりにも、看病を頼む!」

「任せてくれ。あと、結衣はもう一つ、お前にお届けものがあるそうだ。春から兄妹揃ってお前にお届けものだ、誠次」


 微笑む悠平の言葉に、まさかと誠次は、風邪を引いている状態の結衣を見る。

 結衣はまだ付加魔法エンチャント状態前だと言うのに熱っぽい表情で、誠次を見上げていた。


「誠次先輩。レヴァテイン・ウルを私に向けて……」

「だ、駄目だ! 風邪を引いているんだろう? そんな状態で付加魔法エンチャントをさせるわけには……。身体への負担も、大きいはずだ……」


 二振りの剣をすでに背中と腰に装備し直していた誠次が渋るが、肝心の結衣の方は、桃色のツインテールを左右に振っていた。


「私なら大丈夫。それに、あの冷房も効かない車に乗ってまでここに先輩のところまで追いついた意味も、なくなっちゃうじゃない」

「冷房効かないのかあの車……。って、いやそんな事より。君の身体の方が心配だ、結衣。確かに俺だって頼りにはしたいが、とても付加魔法エンチャントはさせられない……」

「お願い、誠次先輩……。私なら大丈夫だから、信じて! 私、どれだけスタミナあると思ってるんですか? 遠慮しないで下さい!」


 結衣は相変わらず赤い顔のまま、張り切って言っていた。

 

「だがしかし……」

「いつも誠次先輩に助けられてばかりで、私たちにとってみれば、こういう時こそ、誠次先輩を助けられるチャンスなんです!」


 赤い瞳を潤ませ、結衣は誠次に懇願してくる。

 誠次もまた、結衣の言葉を受け、心は動いていた。彼女の付加魔法エンチャントが、この後の戦いに備えて役に立つことも、安易に予想できた。

 誠次は背中のレヴァテイン・ウルを抜き、それを結衣へと向けた。


「すまない助かる。魔法ちからを貸してくれ」

「任せてください!」


 結衣の両手から、緑色の光が発動し、それがレヴァテイン・ウルの片方に纏わり付く。たちまち刃は緑色の光を発生させ、誠次の目も緑に染まる。


「ありがとう桃華とうか、みんなも!」

「頑張りなさいよね、誠次。お姫様を守って、絶対に無事で帰ってくること。この私との約束よ!」


 いつの間にかに眼鏡を外し、天下無敵の歌姫となった桃華は、風邪さえも吹き飛ばす勢いで、誠次へ手を差し伸ばす。


「任せてくれ」


 誠次もまた、軽く頷き、また微笑み、桃華と手を合わせていた。なんだか、お互いに元気になっている気がする。


「女性から、魔法を受け取っている……」

「行こうティエラ。ここからが正念場だ」

「あ……ごめんなさい。少し、お待ちになってくださいませんか、誠次」


 桃華が誠次のレヴァテイン・ウル付加魔法エンチャントをする光景をずっと見守っていたティエラが許可を貰うように、ブリュンヒルデに跨がった誠次を見つめれば、誠次は頷いてやっていた。

 ティエラは前へと歩み出て、助けに来てくれたヴィザリウス魔法学園の魔法生、プラス一人らに、紫色の視線を向けて、深く頭を下げる。


「こんな見ず知らずのはずの私の為に……危険を冒してまでも救援に来てくれた事、感謝の言葉もありません」

「……ん? それって、逆に感謝されてねーってことか?」

「言葉もないとは、一体どう言うつもりだプリンセスっ!?」


 悠平とガブリール元魔法博士が車の中から揃って的外れな事を言い出す。前者はともかく、後者は完全に日本語の言い回しの難しさからきた勘違いだろう。

 

「いや、ちゃんと感謝しているつもりだと思うのだけど……」

「日本語の不思議?」


 ため息を溢す桃華と首をきょとんと傾げるシア。桃華が二人の兄貴分に説明をしている間にも、ティエラは呆気に取られてしまっていた。


「わたくし、何かおかしなことを言ってしまいましたでしょうか……?」

「いいや、大丈夫だ」


 誠次は苦笑しながら、再びティエラへ向けて手を差し伸ばす。


「さあ乗って。戦いはまだまだこれからだ。みんなから力を借りながらも、俺は君を守るよ」

「……ええ。お願いしますわ、誠次」


 ティエラは誠次の手をとり、再び後ろへ跨がる。

 誠次と翔。二人はそれぞれブリュンヒルデと偽ブリュンヒルデに跨り、隣り合わせに、それぞれの守るべき女性を乗せていた。


「気をつけろよ誠次。……まあ、お前はそこら辺でくたばるような玉じゃないのは、俺も知っているけどさ」

「翔先輩こそ、無理はなさらずに。どうかお気をつけて!」

「ああ。()()()()()()()とは違って、安全運転を心がけるさ」

「言ってくれますね、()()()()()()()()()さん?」


 口角を上げ合う誠次と翔は、互いに突き出した拳をこつんと合わせ、気合を入れ合う。


「じゃあねお姫様! 天瀬クンって、守るって言ったものは本当に守ってくれちゃう系男子だから! 安心してねー!」


 二人の様子を温かく見守っていた相村は、軽く息をついてから、いつも通りのお気楽さで、後ろに座るティエラへ向け、そんなことを言っていた。


「こんなにも大勢の方が……本当に、有難うございます……」

「気にしないでってば! じゃ、ガンバ天瀬くん! また格好いいところ、見せちゃってよ!」

「有難うございました、相村先輩! どうかお気をつけて!」


 フルフェイスのヘルメットのバイザーを互いに降ろした翔と相村は、誠次が向かうべき西とは逆方面である東へ向け、囮として先へ出発した。


「では剣術士ソードマン。我々は申し訳ないが、シスターたちを家へと戻さねばならない……」


 続いて、英国産のスーパーカーのハンドルを握るガブリール元魔法博士が、申し訳なさそうに言ってくる。


「構いません。むしろ、ここまで来てくれて、感謝しています」

「あ、大事なこと忘れるところだった誠次先輩。頭ほわほわしてて、危ない危ない」


 後部座席から身を乗り出してきたのは、桃華と同じくおでこに冷えピタを張っていた後輩少女、シアであった。同じく、風邪を引いてしまっているのだろう。


「私の使い魔の蝶々がこれ、調べてくれたんだ」


 シアが差し出して来たのは、一枚の大きな画用紙であった。

 ブリュンヒルデを細かく操縦するところまですでに乗り慣れた誠次は、ハンドルを切り、ガブリール元魔法博士の車のすぐ隣に着く。


「周辺の地図か……? これ、シアが描いたのか?」

「うん。私と、使い魔の蝶々。頑張った」


 そこにあったのは手書きで、しかし恐ろしいほど精巧に描かれた、神奈川県はおろか、東海地方に渡る地図であった。

 そして、地図の至る所には、シアの使い魔である蝶々が付けたと思わしき、鱗粉による点々が、道路上にあった。


「この鱗粉でマークされているのは?」

「これはね、悪い人たちが隠れているところ。空を飛んだ蝶々が見つけて、教えてくれたの。虫の知らせ」

「なるほど。光安が待ち伏せしているところか」

「うん。赤が多くて、青いところが、少ないところだから。そこの道を通っていけば、たぶん簡単だと思う」


 光安もティエラ確保の為の網を、最終目的地である神奈川県に素早く敷いているようであった。

 しかし、シアが託してくれたこの精巧な手書きの地図と蝶々の鱗粉のマークがあれば、想定よりは簡単に突破できるかもしれない。――そして何よりも、給水所で確保した桃華の付加魔法エンチャントもあった。


「ありがとうシア。助かる」

「やったー。誠次先輩の力になれて、私も嬉しい」


 シアは風邪を引いていてもいつも通りの独特な感情の出し方のようで、独特な喜び方をしていた。


「悠平。帰るまで、みんなを頼んだぞ!」


 最後に誠次は、助手席に座っている悠平に声をかけていた。

 悠平はグッドサインを返し、「任せとけって」と声を返す。


「……いやちょっと待て。私はスルーなのか剣術士ソードマン!? ゴーグルの視界に入っているにも関わらずに露骨な無視に元魔法博士結構傷ついちゃうぞ!?」

「勿論、ガブリール元魔法博士も安全運転をお願いします」

「今の君にそれを言われたくはないのだがな……。イギリスでもそれは違法だぞ。まあ、任せたまえ! 無事に東京まで三人とも帰してみせるさ!」


 ガブリール元魔法博士もにやりと微笑み、誠次へ向けて軽く手を挙げる。

 後ろに座るティエラもまた、駆け付けてくれた四人へ向け、頭を下げていた。


「よし。行こうティエラ、ブリュンヒルデ、レヴァテイン!」

「ええ。引き続き宜しくお願い致します、誠次!」


 時刻は午後四時――。

 手を振る四人に見送られ、新たに桃華の付加魔法エンチャントを受け取った誠次とティエラの夕暮れの戦いが、始まった。

~優しくするのはやめて~


「うーん……」

さよこ

       「どうした、さよこ?」

            しょう

「いやちょっと気になって」

さよこ

「あのお姫様、スペインのなんとか帝国に返すんでしょ?」

さよこ

       「地中海に浮かぶ島国、クエレブレ帝国だな」

             しょう

       「少なくとも、また会える可能性は低い」

             しょう

「にも関わらず、天瀬くんのあそこまでの優しさ」

さよこ

「そしてイケメンムーブ」

さよこ

「あれってまさしくあれ、だよね……」

さよこ

       「あれ、とは……?」

             しょう

「彼女と別れる前の変に優しい彼氏ってやつ!」

さよこ

「なーんかぎくしゃくしてる時に」

さよこ

「彼氏が優しくなったらそれっぽいサインだって」

さよこ

「友だちが言ってた!」

さよこ

「怪しい……怪しいぞ……」

さよこ

        (……誠次。男って、辛いな……)

               しょう

「ま、天瀬くんだったら大丈夫そうだけどね!」

さよこ

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