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「クエレブレ帝国の寂しい国家予算を鑑みると……航空機を飛ばすだけでも大赤字ですわ……」
てぃえら
ティエラを乗せ、光安が包囲していた病院から逃走した誠次は、ナビゲートの指示通りに、しばし交通規制を守ってブリュンヒルデを走行させていた。七海の咄嗟の機転により、まさか光安もティエラがバイクに乗ってとっくに現場を離れているとは思いもしないだろう。今のうちに、目的地までの300マイルの距離を稼がなくては。
まだここは、周辺に超高層ビルが建ち並ぶ東京の国道である。
「これからどうする気ですの、誠次?」
後ろに座り、左手だけで誠次の腹部を掴みながら、風を浴びるティエラが訊いてくる。ヘルメットも被っていないため、金髪は風に靡き、顔は誠次の背にぴったりと添えたまま。その声音には、若干の不安が含まれているようにも感じた。
「今から君を、明日の朝にかけて大阪にある新国際空港と呼ばれるところまで、このブリュンヒルデで運ぶ。明日の朝にクエレブレ帝国から直通でジェット機が来る。君はそれに乗って、帝国へと帰るんだ」
「航空機ですか? クエレブレ帝国から日本への直通便なんて、聞いたことがありませんわ」
『――君のお父上が本国から飛ばした。その機体はホノルルを経由して、日本へ向かっている』
ブリュンヒルデのシールド部分から、八ノ夜の顔が再び浮かび上がってきて、代わりに返答する。
「貴女は……」
起きている状態で八ノ夜と会うのは初めてのはずなので、背後のティエラはやや戸惑っているようだ。
『私は八ノ夜美里。ヴィザリウス魔法学園の理事長だ』
「そうですか……。申し訳、ありませんわ……」
『そうだな。君には生きて罪を償ってもらうためにも、こうして護送することにした。ゆめゆめ皇女としてもその責務、忘れるな?』
「……はい。今は、クエレブレ帝国に戻る事を考えますわ。それからのことは、そこでじっくりと考えますわ」
『ああ、それでいい』
七海との対話で、ティエラの無謀な自己犠牲の精神は鳴りを潜めてくれたようだった。
八ノ夜も安心したように、ティエラを見ていた。
「七海さんを行かせたのは、これのためですか?」
待機しているはずの七海が飛び出してきたのは、きっと八ノ夜ナビによる影響があったのだろう。結果としてそれは、事態の好転に役立ってくれていたが。
しかし映像の八ノ夜は、首を横に振っている。
『いいや。七海は自分から飛び出していったよ』
「ナギの為にも、私はまだ死ぬわけにはいきません。重ね重ね、感謝いたします誠次、美里さん。私の護衛を、お願いいたしますわ」
「任せてくれ」
早速の隻腕の皇女護送作戦の説明を、ブリュンヒルデを自動運転で走らせながらティエラへ行う。
『さて話を戻そう。クエレブレ帝国を出発した君を輸送するためのジェット機は、どんなに急いでも明日の朝九時になる』
「明日……」
『そうだ。光安は当然、君をくまなく探すだろう。その為、明日まで東京で見つからないように隠れているのは危険だし無理があると判断した。よって、ハネダ空港は使えない』
間もなくティエラがいなくなったことに気付くはずの光安は東京を中心に、ティエラ捕縛の為の警戒網を敷いてくる。そんな中でクエレブレ帝国のジェット機が来るまで東京付近で逃げ続けるのは、高いリスクであった。
よって八ノ夜は、光安の包囲網を攪乱するため、ティエラを大阪の新国際空港まで護送する作戦を計画した。東京から大阪。およそ300マイルの逃避行だ。
「とにかく立ち止まらず、動き続ける必要がある」
『しかし、大阪の新国際空港に着くのに、速すぎても遅すぎてもいけない。ようやく辿り着いた大阪で捕まってしまっては、目も当てられないしな。何よりも、大阪の新国際空港にクエレブレ帝国の航空機が止まる事の許可は愚か、通告もしていない』
誠次に続いて八ノ夜の言葉に、ティエラは殆ど呆気にとられているようだった。
「む、無断で航空機を滑走路に着陸させる気ですの……!?」
「時間を細かく調整し、君を滑走路から航空機へ乗せ、君はそのままクエレブレ帝国に戻るんだ」
『目立つから君の使い魔であるニーズヘッグは使用できない。それに速すぎる。リニア車も網を敷かれたらアウトだ。小回りも効くブリュンヒルデこそが、今回の作戦にもっとも適した乗り物なのだ』
誠次と八ノ夜の阿吽の呼吸の説明合戦に、ティエラは言葉を挟む隙をなくし、ただただ語られていく自身の身の護送作戦の全容を、聞いていた。
『とは言え、休息は必要なはずだ。隙を見てきちんと行うように』
「それがあると良いんですけどね」
信号待ちのために停車しながら、誠次は軽く息を吐いて答える。
「でも先程の貴男は、向かうところ敵無しのようでしたけれど……」
「香月の付加魔法のおかげだ。君も知っての通り、付加魔法状態中は特別な力を使える。ただ、いくら温存しているとは言えこの力は徐々に消耗する。保ってあと数時間といったところか」
まだ香月の付加魔法は続いてくれているが、それがなくなれば、次からは強引な突破も、一方的な戦いも出来ない。今のうちに距離を稼いでおきたかったが、疲れも多少なりとも出て来ていた。初めてバイクを操縦しているのもあるだろう。
『街の中の何処に光安がいてもおかしくない。先程のように私服の光安だっているだろう。いつ襲われるかも分からない以上、常に警戒は怠るな』
「はい」
『目標地点までは300マイル。明日の朝まで、さしずめノーチェは、お姫様と言うわけだ』
「命を懸けても守ります」
八ノ夜の言葉に、誠次は気を引き締め直す。
「……」
そんな誠次の後ろ姿を、ティエラはすぐ後ろからじっと見つめていた。
「先程は申し訳ございません……。もっと早く私が素直になっていれば、余計な時間をとらずに済んだはずです……」
「構わないさ」
申し訳なさそうに気落ちする背中のティエラに、誠次は振り向いてゴーグル下の口元で微笑んでいた
「君の皇女としてのプライドと覚悟、しかと受け取った。俺はそれに応える」
「……貴男に言われましたとおり、死んでしまっては、皇女としての使命も責務も、果たせませんものね……。その中に、私の行いで傷ついた人々への贖罪が含まれているのであれば、死は、安易な逃げ道でしたわ……」
左手だけであるが、その分そこに込める力を強くし、ティエラは誠次の腹部にぎゅっとしがみついていた。
『ノーチェ。君のお父さんだ』
ホログラムの八ノ夜が遠のき、続いて現れたのは、ティエラの父親であるシエロ・エステバン・ノーチェであった。
『ティエラっ!』
「お父上っ!」
しばし、スペイン語で会話をする二人の王族の姿を、ゴーグルを掛けた誠次は見守っていた。
「陛下はなんと?」
「あなたに感謝していると言っておりますわ、誠次。久しぶりに話せて、私も、本当に嬉しかったです……」
心の底から安堵している様子のティエラを見て、誠次も自然と顔が綻ぶのを自覚した。
別件で離れると言った八ノ夜が映像から消えると、目的地を大阪の新国際空港に設定してあるマップナビに切り替わる。
「混んでいますわね」
「夏休み前だ。帰省する家族も多いんだろう。君と同じようなものさ」
「それは少し、違う気がいたします……」
「じ、冗談だ……」
背後のティエラの言葉に、誠次は慎重に答えていた。西へと向かう車の渋滞は、首都圏から続いていた。
やはり、ティエラはまだまだ少し負い目を感じてしまっているようだった。笑ってくれるかと思ったが、上手くいかなかった。
内心でしょんぼりとしながら、信号待ちの間、太ももに挟んだペットボトルの蓋をきゅぴきゅぴと開けていた誠次は、開けてやったペットボトル飲料を、後ろに座るティエラに差し出していた。
「飲めるときに飲んでおいた方がいい。この暑さでは、熱中症も心配だ」
「あ、ありがとうございます、誠次。もう熱中症になるのも、嫌ですもの……」
最初は戸惑いを見せていたティエラは、左手でペットボトルを受け取り、美味しそうに中のスポーツドリンクを飲んでいた。
やがて信号は再び青になり、ブリュンヒルデを再び走らせる。
「その、オオサカ、まではどれくらい掛かりますの?」
「車やバイクでは高速道路を使えばだいたい六時間と言っていた。ただ、先ほど八ノ夜さんが言った通り、早く到着しすぎてもいけない。夜はどこかで休んで、明日の朝にちょうど大阪に着くように上手く調整していかなければならない」
やはり、クエレブレ帝国の航空機が大阪に着くまでの時間に合わせなければならない。現在時刻は昼の二時過ぎ。急ぎすぎたところで意味はない。
「クエレブレ帝国って、どんな感じの国なんだ?」
小休止とばかりに、交通規制に従って走りながら、誠次は尋ねる。
ティエラは、鋼鉄に囲まれた街を、風を浴びながら眺めて、思い出しているようだ。
シールドに内蔵されているバックミラーシステムで、そんな後ろに乗るティエラの美しい顔が見え、誠次は少しだけ胸が高鳴ったのを自覚する。
「中学生の頃までの記憶、ですけれど。ここまで大きなビルがそこら中になんて、建っていませんでしたわ。漁業と酪農が盛んで、首都は食の都、と呼ばれていましてよ」
「食の都、か。なんともそそられる響きだな」
「そうですとも! 海も青くて透明で綺麗で、海外セレブのリゾート地としても有名でしてよ!?」
祖国のことを誇らしげに語るティエラの表情は明るく、声音にも力がある。
自国の良いところを素直に認め、他人に誇る。それが自国を治める君主としての条件の一つではないかと、誠次はしみじみ感じていた。
「私が子供の頃より、民である人々とは良くして頂きましたわ。人も空気も自然も、とても大好きですの」
「そうか。やはり、君はお城に住んでいたのか?」
「いいえ。よくある一軒家ですけど?」
ティエラはきょとんとした面持ちで、答えていた。
「え? お城とか、屋敷とかじゃなくてか?」
「そんなものありませんわ」
首を横に振る、ティエラである。
「そ、そっか。じゃあそこに、メイドさんとか執事さんと一緒に暮らしていたんだな」
「召使いなんてとんでもありません! 雇うお金が勿体ないですわ!」
「は!? 王族の暮らしに召使いをケチったのか!?」
驚くゴーグル姿の誠次が振り向いて問い質すと、ティエラはどこか赤く染まった頬で、俯きかけていた。
「そう言われましても……国家予算の問題で、贅沢なんて出来ませんでしたの……」
「クエレブレ帝国は財政難だったのか!?」
「え、ええ……お恥ずかしながら……。私も節約の為に、近所の市場で常に安いものを探しては比べる始末……」
「な、なんとも庶民的な……」
帝国、と言う響きなど、強大で力強い国と言うイメージがあったのだが、それが次々と崩れ落ちていく。
「ですが、そのお陰で私は庶民……いえ、普通の人の暮らしを骨身に染みて理解していますのよ。料理もそつなくこなせますし、家事だって出来ます。市場のチラシを見比べるのも得意です」
「驚きだな。ルーナとは違った、これもまた現代魔法世界の姫の在り方の一つなのか」
「……それは、私も、召使いと言う存在には憧れます……」
ティエラはそう言って、なぜか左手に込める力を強めてくる。
「奴隷じゃなくて、理想の執事として、一人ぐらいは、欲しいです……」
「? どうした?」
「い、いえ。なんでもありませんわ」
ティエラは首をぶんぶんと横に振っている。
「国家予算に難はありますけれど、観光客には人気ですわよ、クエレブレ帝国の海や料理は」
「地中海の海なんて、一度は行ってみたいものだな。本当に綺麗なのだろうな」
誠次が遥か彼方の空を見上げて言っていると、後ろのティエラは、どこか自信に満ちるような、出会ったばかりのような声を出していた。
「私がクエレブレ帝国に戻って、日本に対して償いを果たしたあかつきには、貴男がたを招待致しますわ。ナギも、一緒に」
「そうか。それを聞けば、ますます力を尽くして、君を帝国へと送り届けなければな」
誠次ははにかみ、ティエラに告げる。
ティエラもまた、にこりと、微笑んでいた。
「約束、ですわよ?」
ティエラはそう言って、誠次の腹部を掴んでいた左手を持ち上げ、小指をこちらに向けて伸ばしてきた。指切りげんまん、だろうか。
「クエレブレにも、指切りの文化があるのか?」
「ええ。大切な約束を交わすときに行うものですの」
日本とクエレブレ帝国。夜を失い、閉鎖的となった世界でも、変なところで繫がるところはあるのだろうかと誠次は思いつつ、差し出した右手の小指をティエラのものと絡ませていた。
「よろしく頼むな、ティエラ」
「ええ。誇り高きクエレブレ帝国皇女の誇りにかけて、このティエラ・エカテリーナ・ノーチェ。約束は違えませんわ!」
約束を交わした騎士と姫は、一路大阪へと向かう。
「そう言えば、もう一つ、確認というわけではありませんが、お聞きしたいことがあります、誠次」
「なんだ? 護送作戦のことについてなら、この後の連携のためにもなんでも聞いてくれ」
「違いますの。バスで必死に私を連れ出そうとしたとき、あなたはこれは自分の心に従った行動だ、と仰っていましたわよね?」
「ああ」
「どうして、ですの……? 先にも行った通り、私はあなたに対して、命を奪う一歩手前のところまでいきましたのに、それを命がけで助けるなんて……」
ぽつりと言うティエラの疑問は、客観的に見れば、当然の事なのだろう。昨日の敵は今日の友、と言った簡単な言葉で片付けることもなく、誠次は真正面方向を見つめて、そっと口を開く。
理由なんてない、などと言った格好の良い言葉も脳裏に浮かんだが、今ではそんな青臭い言葉以上に自分を冷静に見ることが出来た。
「子供の頃……家族を目の前で゛捕食者゛に殺された。おそらくきっと、そのときに俺自身もすでに死んだのだろう」
「あなた、幽霊でしたの……?」
驚いた面持ちで、自分と繋がっている誠次の腹を左手でぎゅっと握ってくるティエラに、誠次は苦笑した。
「違う違う。なんて言えばいいのだろうか……普通の学生として生きるべき普通の男としての自分は、もうその時に゛捕食者゛によって喰われていて、あとに残ったのは魂が抜けた天瀬誠次と言う、親に名前をつけられてこの魔法世界にただ一人残された抜け殻だけだった」
誠次はブリュンヒルデのグリップを握る自分の右手を見つめ、呟く。
「あとは誰が俺をどうするのかも、自由だった。もしかしたら悪い魔法使いに拾われて、悪事を働いていたかもしれない。その点では俺は、まだ運がいい方なのだろう。心は死んで、身体だけがこの魔法世界で彷徨い生きていた俺に、魔女が新たな魂を吹き込んでくれた。それが八ノ夜さんだ」
「先程の女性ですか」
「その通り。魔女は俺に、いつも他人に対して善意を尽くす行動をするようにと言ったおまじないをかけて、新しい魂を授けた。ともすればそれは、普通の人からすれば魔女が人形にかけた呪いのようにも見えるのだろう」
誠次は自嘲するように微笑みながら、言っていた。
「それでも俺は、人に対して常に優しくありたいんだ。それがどんなに酷いことをされても、どんなに俺の生き方を否定されても、それでも人に対して常に善意をもって、善意を尽くす。その考えは決して、間違っていないと思うんだ。俺が憎いのは゛捕食者゛であって、人間なんかではないと」
かつて自分に立ち塞がった敵や、自分の考えを否定した人。そして刃を交えた相手。それらすべての顔を思い出しながら、誠次は言う。
「だから、先程の戦いで急所を避けて人を斬るような難しいことをしていたのも……私を助けたのも……」
「それが俺なりのやり方なんだ。魔法が使えれば、もっと楽な方法はあったと思うけど、俺は魔法が使えないしな。それでも戦うのはやはり、魔法世界の剣術士として俺にしかできないことが、この魔法世界であると思っているからだ。そしてなによりも……――」
「なによりも……?」
ティエラが誠次の耳元で、尋ねる。
左耳に彼女の吐息がかかり、誠次はこそばゆい思いで、身体を身じろぎさせる。
「……誰かの期待に応えたい。たぶん、この感情こそが、俺に残された唯一の、ありのままの感情なんだと思う」
身体の中を何かが駆け抜けていくような虚しい感覚を覚え、自分で言っておきながら誠次はしばし、呆然とした面持ちでいた。
「妙だな……。自分で言っておきながら……確証がないなんて……」
誠次がぽつりと呟くと、後ろに座るティエラは、しばし俯いた後、そっと口を開く。
「その誰かとは、きっとおそらく、あなたの家族だったのでしょうね。それが急にいなくなってしまったから、あなたはきっと、行き場を失った愛情と行動力を、誰に対しても注ごうとする。元々が正義感の強い人であるのならば、なおさらその思いは強くなる」
背後のティエラが、冷静にそんなことを指摘してくる。
「……っ」
もしかしたら、彼女の、ティエラの言うとおりなのかもしれない。妙に納得しかけた身体はふと、ティエラの感触を強くさせたような気がした。
「ルーナやクリシュティナさんに対しても、それ以外の人々に対しても、きっとそうだったのでしょう? 悪い意味で言っているのではありませんわ」
「なるほど……不思議だ……。俺は最初は、ただただ゛捕食者゛を倒したいという漠然な夢しか持ってはいなかった。それがヴィザリウス魔法学園で出会った人によって、いつしかみんなを守りたいという夢に昇華した。俺自身でもその感情は漠然としていて、今までよくわかっていなかった……。人を助けることが当然だと思う心は、ずっと、そうして受け皿を探していたのかもしれない……。誰かを救うことで、俺は無意識のうちに、自分と言う存在を受け止めてくれたり、認めてほしかったのかもしれない……。魔法が使えない、魔法世界の剣術士としての、自分を……」
だからおれは、誰かの為に戦ったり、誰かの笑顔を見たりするのが、好きなのだろうか。
行き場のなかった自分という存在のあり方を、ティエラには指摘された気がし、心臓が鼓動する音が強く、耳に残っては消えていく。
ティエラはやや寂しそうに、長いまつげの目元を伏せる。
「私も、帝国の人に認めてほしくて、一人で海外の魔法学園へと行きましたから、そんな人の期待に応えたい思い自体は、私もあなたも同じだと思います。私は家族を失ってはおりませんが、貴男の思いは、決しては間違ってはいないと思いますわ」
「……ありがとう、ティエラ。やはり俺は、君を守ることは、正しいことだと思う。……単純、かな?」
誠次がそう言って顔を上げると、背後のティエラは、やや間を置いて、慌ててこんなことを言ってきた。
「助けてくれくれたことや、護衛をしてくれることの感謝はしています! で、でも、その! あなたにはすでにルーナがいます。それ以外にも、沢山。ですので……恋愛感情はなしにしましょう? 私の父上が母上以外の女性に浮気したときは、まさしく国がひっくり返るほどの大騒ぎで、もう懲り懲りですもの……」
ティエラは当時の騒動を思い返してか、かなり気落ちした様子で告げていた。国主の浮気で国がひっくり返りかける事態など、想像したくない。
「た、大変そうだったんだな……。平気だ。元より姫は本来、王子と結ばれるべきだ。300マイルの間、今は姫を守護する騎士として、無事に帝国行きの飛行機まで、君を送り届けるよ」
「でも、それで貴男が危険な目に遭ってしまうなんて……」
「心配するなって言っただろ? 何があっても、君のことは守るよ。それに、国家組織が一方的な殺害を行うなんて、あってはならないはずだ……」
こうして自分が戦い続けることで、いつか、向こうがその過ちに気づいてくれれば――。
風に茶色の髪をなびかせて、誠次がそう言うと、ティエラは口を結んで、誠次の腹部に添えている左手に込める力を強めていた。
しばらく穏やかに進んでいけば、いつの間にか、特に包囲網が厳しいはずの東京を越え、誠次とティエラは神奈川県の国道へと入っていた。彼らはまだ、病院付近に二人がいると思っているのか。
右手を再びハンドルに添えた誠次の視線の先で、異変が起きていたことに気付いたのは、約束を交わした後だった。
「光安の無人ヘリだ!」
ひどく見覚えのある、昨年に相対した空を舞う蜂を模したシルエットの航空兵機が、都会の狭まったビルとビルの間を飛行していた。
「ヘリコプターまで……!」
「連中も本気というわけか……!」
それは誠次とティエラの頭上を駆け抜け、後方へ向かってくれたとも思ったが、甘い考えであった。すぐに急旋回をしたヘリコプターは、誠次とティエラの後方にぴったりと着いてくる動きを見せ始める。
「見つかりました!?」
「速度を上げる! しっかり掴まっていてくれ!」
ゴーグルを持ち上げて青い瞳を露わにした誠次は、ブリュンヒルデのスロットルを最大まで上げ、アクセルを全開にする。
光安のヘリコプターは、誠次とティエラの後ろを高速で追従する。そこで上空から読み取ったデータが3Dホログラム化され、リアルタイムで追手たちの車の中のナビへと転送されていく。
「ヘリコプター相手に振り切れますの!?」
「どちらにせよ、やるしかない! 行くぞティエラ、ブリュンヒルデ!」
「はい!」
背中のレヴァテイン・弐を抜刀し、香月の付加魔法能力を発動する用意をし、神奈川県の国道上で誠次はヘリコプターとのドッグファイトを繰り広げる。
後方の映像を映すブリュンヒルデのバックモニターを見ると、黒塗りの車が二台、高速でこちらに接近してきている。それは通常の警察車両とは違い、サイレンも無い、極秘任務を主にする光安の追っ手のものだった。
「空と陸からも……っ!」
ティエラもそれを見て、強張った表情をする。
ブリュンヒルデの最高速度は、彼らの使用する特殊車両の最高速度を凌駕していた。
車両内部にて、妖精を乗せた前方の白いバイクがみるみるうちに遠ざかっていくのを見た光安の魔術師たちは、妖精の守り手がまき散らす青い光を忌々しく見る。
「なんだあのスピードは……!」
「馬鹿め。曲がり切れずにビルに激突するぞ」
所詮はバイクの運転の仕方も知らない素人の学生だ。こちらも車の速度を限界まで上げ、ブリュンヒルデを猛追する。
遥か彼方にあったはずのビルがいよいよ近づいて来た。間違いなく曲がり切れずにビルに突っ込んで行くと思われたブリュンヒルデであったが、その瞬間、青い光が光度を増した。
一瞬だけブリュンヒルデの速度が急停止したかと思えば、まさしく瞬きをしたタイミングで、直角の道路を左に曲がって急発進を行う。物理法則を明らかに無視した動きに、光安らは唖然としていた。
「嘘だろ……。あそこだけ、空間がねじ曲がったのか!?」
「化け物め!」
光安はすぐに車の速度を上げ直し、青い閃光をまき散らすブリュンヒルデを猛追する。
「コマンド。こちら神奈川県の厚木の国道沿いの道路にて、妖精を補足した。現在は横道に逸れ、高速で移動中!」
「この青い光はなんだ!?」
助手席に座る男が驚いている。見れば、車窓から見える神奈川の街並みが、一斉に青く染まっていく。
自分の網膜がおかしくなったのかと思い、サングラスを外すが、やはり自分は青色の世界の中にいる。同じく妖精を追うもう一台の仲間の車も、異常を察知したようだ。
「この微かに漂っている光は……魔素と魔法元素!?」
「ここら付近が青く染まるほど、濃度の濃い魔力が垂れ流されているのか……?」
ハンドルを握る両腕が一気に汗ばむが、妖精追跡の為、車の速度を下げるわけにはいかなかった。
「これは妖精がまき散らす鱗粉だ……。押し通る」
青く染まった世界を忌々しく睨み、光安の車は加速する。
――しかし、彼らは本当は気が付いていなかった。確かに車は加速しているが、すでに剣術士の狩猟場にいるという事を。
前方を走るバイクはいまだ遠く、距離は一向に縮まらない。援軍を呼ぼうと必死になって通信機に声を吹き込んでいると、不意に、車のボンネットに大きな衝撃があった。
驚いて前方を見ると、あり得ない光景があった。
ボンネットの上に、青く光る剣を構えた剣術士が、仁王立ちをしていた。
「剣、術士……っ!」
当初は彼の介入など、まったく想定はしておらず、光安も病院付近の包囲網を突破され、一時的に混乱状態に陥っていた。それは、国家組織としてあってはならない事態であり、彼らは焦燥を感じていた。
――薺紗愛にも、未だ妖精の病院での確保失敗は伝えられていない。なんとしても、失敗を帳消しにしなければならなかったのだが。
「皇女を手渡せ!」
ボンネットの上で立つ剣術士へ向け、窓を開けた助手席の魔術師は、いつでも攻撃が出来るように攻撃魔法の魔法式を向けながら、怒鳴る。
「――断る!」
しかし剣術士は、片手に持った剣を両手で逆手に持ち直し、ボンネットの上で青い光を翻すと、それを車体に容赦なく突き刺した。
車中のシステムが一気にダウンし、何かがショートする電子音が、目の前で発生する。ぱちぱちと、白い火花が舞う中、剣術士は宙返りをしながらその場を離脱、もう一台の車の元へ、瞬間移動を行っていた。
車が走行不能に陥り、青い世界が遠ざかっていき、ようやく正常の世界に戻ったかと思えば、剣術士と仲間の車は、すでに遥か遠くにいた。
「ど、どういうことだ!? 一種の、幻影魔法か……?」
「いいから急いで車を降りろ! 爆発するぞ!」
完全に動力を断ち切られた車体のボンネットの穴からは白い煙と火花が発生しており、車内にいた光安魔術師たちは一斉に車を飛び出した。
誠次は、ブリュンヒルデを自動運転に設定し、ティエラに手を添えるだけで良いと言い残し、単騎で道路に降り立っていた。
首尾よく一台目の車を潰し、もう一台へ。
見れば、もう一台の車はブリュンヒルデの方へと一気に向かっているようだ。
誠次は道路上を走り、高速で移動する車を追い越し、同じく高速で移動するブリュンヒルデと並走する。やがてブリュンヒルデの真横にまで到達した両足を跳ね、誠次は走行中のブリュンヒルデに跨った。
「誠次っ!」
ずっと左手だけでバイクのハンドルを握っていたティエラは、戻ってきた誠次の腹部に左手を回す。
「待たせた! しっかり掴まっていてくれ!」
自動運転にしていた為追いついたブリュンヒルデに向け、車線を無視して横を走る光安の車は体当たりをしようと、一気に接近してきていた。
「自動運転解除!」
誠次はブリュンヒルデを手動運転に切り替え、速度を一瞬で緩め、光安の車の背後につく。
「もう一台か……っ!」
後ろを映すホロモニターを確認すれば、光安の援軍車両がもう一台、後ろから迫って来ている。
誠次とティエラを乗せたブリュンヒルデは、二台の車に挟まれる形となった。
右手に握ったレヴァテイン・弐の光を今一度拡散させ、誠次はブリュンヒルデの速度を上げる。前方を走る車の左側面につき、右腕のレヴァテイン・弐から伸ばした青い魔法の刃を、後輪タイヤに容赦なく突き入れる。魔法の刃は易々とゴムと金属を両方ともを突き斬り、光安の車はバランスを崩し、火花を散らしてレースから脱落していく。
後方の車は走行不能に陥った仲間の車を避け、ブリュンヒルデの猛追を再開する。
それを見た誠次もまた、ブリュンヒルデの上で姿勢を直し、一瞬の加速の後、徐に何もない道路へ向けて、レヴァテイン・弐の魔法の刃を突き刺した。
魔法の青い刃を受け入れた硬いアスファルトが裂け、地面に走った亀裂が次第に拡大していく。誠次が通った後の道路は、まともに車が走行できる状態ではなくなっていた。
これでどうだと、後方の映像を見れば、光安の方は助手席から身を乗り出した男が、地面に向けて破壊魔法を発動していた。
誠次が作り出した瓦礫を吹き飛ばし、車が通る道を無理やりにでも作ってまで、皇女が乗るブリュンヒルデを追う。
「なるほど。やはり、連中もプロと言うわけか。だが……実戦経験はこちらにもある!」
ならばと誠次は、車体の速度を緩めながら傾けて切り返しを行い、逆にこちらから光安の車両に近づいていく。
こちらを猛追する車の助手席から光安の魔術師が身を乗り出して、魔法式を展開。向かってくるブリュンヒルデへ、攻撃魔法を発動した。
それを見た誠次は、攻撃魔法の軌道を見切り、ブリュンヒルデを左右に揺らし、魔法による攻撃を全て躱した。最後の一発でさえ、振りぬいたレヴァテイン・弐の一刀のもと、両断する。
「喰らえっ!」
交錯の瞬間、左腕でハンドルを押さえつけながら、右手に持ったレヴァテイン・弐を一台目と同じくボンネットに直上から突き刺し、車両を破壊する。
鞘を握ったまま開いた手で再びブリュンヒルデのハンドルを取ると、誠次は一気にアクセルを全開にし、大破した光安の車両の横を通過していく。
「やりましたの……?」
追跡車両を全て走行停止に陥らせ、香月の付加魔法が見せる青い世界を終わらせれば、後ろでしがみついているティエラは顔を上げて訊いてくる。
「ああ。だがいくら車両を走行停止させたところで、上から見てくるあのヘリコプターをどうにかしない限りは、追跡の目は躱せない」
未だ上空にて忌々しい羽音を響かせる天空の蜂を横目で睨み、誠次は言う。あの天空の目に見られている限りは、どこへ逃げようと、逐一位置情報が敵に知られる事態となっていることだろう。極秘任務を主にする光安が目立つヘリコプターを使用するなど、特殊魔法治安維持組織反乱事件以来ではないだろうか。
「私のニーズヘッグを使えば……」
ティエラがぼそりと言うが、誠次は首を横に振る。
「駄目だ。空に対する奴らの警戒を強めてはいけない。君を航空機で輸送するための空中回路が遮断されかねない。なにより、今の君の身体では、魔法を発動することすら難しいはずだ」
「申し訳ありません。……私の右手が使えれば、貴男をここからでも援護出来ますのに……」
ティエラは悔しく、動かなくなった自分の右手を見つめていた。
「謝らなくていい。何とかしてみせる!」
「どうする気でして?」
ティエラに問われ、誠次は必死に打開策を考え、周囲を見渡す。
そして、目に入ったとある建造物。それを見た誠次は、頬に一筋の汗を流しながら、口角を上げた。
「あのヘリコプターを、レヴァテイン・弐で斬り墜とす!」
その時、誠次はその自信に満ちた表情の裏で、感じていた。
――まもなく、香月の付加魔法が終了することを。
~弁償のあて先は~
「あれ、おかしいな……」
まさとし
「どうしました、林先生?」
せいじ
「知らねえ引き落としがまたされてやがる……」
まさとし
「酔っぱらってバス会社になんか迷惑かけたのか……?」
まさとし
「林先生……」
せいじ
「ん? どったの剣術士」
まさとし
「今度、酒の席、付き合います。飲みはしませんが、世間話でもしましょう」
せいじ
「だから急にみんな優しくなるのなんで!?」
まさとし
※ちゃんと八ノ夜さんが支払いました。




