17
「フム。また怪我をしたようだな誠次君ッ!」
だにえる
蛍島の山で起きた山火事は、父島に駐在する特殊魔法治安維持組織の魔術師たちの魔法により、朝には鎮火された。
幸いにも火災による死傷者は出ず、火も畑を全て焼くには至らず、最小限の被害で収められた。
漁港に避難していた島の人々は、昼のうちにはそれぞれの自宅に戻ることが出来ていた。
「うわー。見たことない人がすっげーいっぱいおる……」
キックボードを漕いでいた男の子が、山のあたりに群がる警察官たちを眺めて呟く。
ホログラムの規制線に近付くことは出来ず、彼らは山の中を行ったり来たりをして、火災の現場を調べているようだ。
昨夜は木々を揺らすほど強く吹いていた風も、灼熱の炎の色を反射させていた高波も、全てが嘘だったかのように穏やかだった。残ったのは、山の木々と言った遮るものがなくなって冷たく感じる灰の風と、ただ寄せては返すを繰り返す、透明な波水だった。
夜も寝つけないほどうるさかった虫や鳥の音はいっさい聞こえなくなり、波の音だけが、耳を澄ませば聞こえてくるだけだ。火は人以外の多くの命を奪い、燃やし尽くした。新たな命も、すでに死の直前にあった命も、関係などなく。
焦げ臭い臭いに思わず鼻を抑え、男の子はキックボードを押して走り出す。
夏休みはまだまだ中盤。夏休みの宿題はまだ終わっていないけど、何とかなるだろう。
――今はそんなことよりも、きっと今のうちにしか出来なくて、やり残したらきっと後悔するような事を、しておかないと。
すっかり浴び慣れた潮風を身体中に受けながら、男の子は、同じ小学校に通う女の子の家へと急いで向かう。
「あ、やっぱりうじゃうじゃいるよなー」
すぐ近くを流れる川のほとりでは、蛍たちが今日も元気よく天を飛んでいる。彼らは大火を生き延びたのか、それとも今日初めて天を飛んだのか。
いずれにしても、それらは人間に比べたら短すぎる命だ。たった一週間。その僅かな命の間に、彼らは生涯の相手を見つけ、ずっと続くであろう未来へと自身の夢を託す。
大袈裟なのかもしれないけれど、それはきっと、人間だって同じはずだ。
「夏休み終わる前に、伝えないと!」
地面を蹴り、坂道で加速をして、男の子は蛍島の道路を駆けていた。胸の中は、どきどきと鳴る心臓の音でいっぱいだった。
※
父島からやって来た医療設備を備えた小型船が、蛍島の漁港に停泊している。身体の不自由なお年寄りや、怪我をした人がそこで治癒魔術師たちの手当を受ける中、個室には一人の老婆がいた。
船窓から射し込む朝日が、ベッドの上に座る篠上朱梨を優しく包み込む。
まるで天から迎えが来たようであるが、そうはならないことは、七〇年以上を生きても尚、軽やかに動く身体が教えてくれた。
右手を動かそうとすれば、ずきりとした痛みが身体に走る。
治癒魔法で身体は修繕されたため、外見では何もなっていないように見えるむき出しであった右肩をそっと眺め、朱梨は上着を羽織る。
部屋の反対側にあったもう一つのベッドには、激戦を繰り広げた男が、寝かされている。
多くの血を失ったのだろう、輸血用のチューブや点滴の管が、そのベットの横には取り付けられている。
自分が寝ていたベットから立ち上がり、朱梨は無言で、その隣のベッドで眠る男の子の元へ近付いた。
気配を察したのか、包帯を巻かれた男の子は、ゆっくりと目を開けた。
「身体は痛むか? 天瀬誠次」
「ええ……。麻酔をかけられているのでしょうけど、それでも痛む……」
誠次は朱梨を黒い瞳で見つめると、力なく声を返す。
「愚かだな……。そうまでして戦うとは……。私がこの機器を止めれば、そなたは死ぬ。治癒魔術師たちは、私とそなたが争っていたなど夢にも思わず、同室にしたようだが」
「それでも……俺は貴女の事を助けたかった……。その点では、俺は貴女には勝ったようですよ……。実力は、圧倒的に貴女が上でしたが……貴女を救うことは、出来たと思いますから……」
誠次は薄らと笑いかけていた。
朱梨はそっと視線を逸らして、仰向けで寝る誠次の足の方を見た。
そこでは、赤い髪をポニーテールで束ねた愛しい孫娘、篠上綾奈が、誠次の左足に腕を添えて、すやすやと眠っている。束ねてはいるが、ぼさぼさになっている髪を見るに、夜通しの看病をしていたのだろう。
そうして、そこからも視線を逸らした朱梨は、一夜にして激しい炎に焼かれた自身の生まれた島の姿を、船窓から見た。
「……どうやら私は、取り返しもつかないことをしてしまったようだ……」
変わり果てた生まれ故郷の姿を見つめ終え、朱梨は俯く。
「救う……か。私には、もうなにも――」
残されてはいないと言いかけた口を噤んだのは、誠次の足元で眠る綾奈が、寝返りをうったから。
そうして、幸せそうな寝顔を見せる彼女が呟いた言葉を聞いたとき、朱梨もようやく、気がついた。
「誠次……大好き……」
「……」
そんな彼女の寝言を、麻酔による影響かすでに目を閉じていた誠次は、聞くことが出来たのだろうか。ただ、閉じた瞳の端から流れ落ちた水の雫が、どちらかだったのかを物語っていた。
数日もすれば、父島に駐在している警察も引き上げを行い、蛍山への通行規制は解除される。出火原因は篠上家で起きた火の不始末として、刑事事件として立件されることはなかった。
草木が焼け落ち、生き物の気配もしなくなった蛍山の山頂。焼けた大地には、今も無数の人々が眠る。
そこに一人佇んでいた朱梨は、未だ灰の臭いがする周囲を見渡していた。
「――ここにいましたか」
灰を運ぶ夏の温かい風が吹く中、朱梨は山頂までやって来た一人の女性に、声をかけられる。火村の母親だった。
朱梨は少々驚いたように、瞳を見開いた。
「どうして、ここへ……」
「ごめんなさい。……貴女には、謝らなければいけないんです」
火村の母親はそう言って、朱梨の頭の上で日よけの傘をさす。
「私は貴女の大切な子を見捨ててまでして生きてしまった、愚かな女です。貴女には恨まれて当然のことをした……」
「楓を失ったことは、貴女一人のせいでもありません……。私は、悲しみと怒りを収めることが出来ずに、貴女一人に押しつけて、貴女をこの島にずっと縛り付けてしまっていた。だから、本当に、ごめんなさい……」
火村の母親は震える声でそう言うと、袴姿の朱梨にそっと近づき、頭を深く下げていた。
「取り返しのつかないことを、私は……っ」
ぽたぽたと落ちる涙の粒が、死んでいった木の葉の灰の上に落ちていく。
「私こそ、多くの命を奪い、取り返しのつかぬことをしてしまった。私も貴女も、ずっと過去を背負って生きてしまっていた。それらは同時に重く、振り払えず、前を向くことも出来ないでいた……」
朱梨は火村の母親にそっと両手を伸ばし、罪悪感により震える両手を、自身の皺の寄った手で包んだ。
「それが……この島にやって来た男の子がたった一週間と言う短い時間で、変えてくれた。分からせてくれた。よもやこの歳になってまで、学ぶことがまだあったとは、思わなかったんだよ……」
気付けば、自分にも目頭に熱いものが込み上げているのを感じた。それは久しく、流すことのなかった涙だ。確か最後に流したのは……そう、わたしが、生涯でただ一人愛した異性である、秋穂と楓が死んだ日以来である、
「教えてくれませんか……あの夜、なにがあったのか……?」
涙でくしゃくしゃになった顔を持ち上げて、火村の母親は聞いてくる。
その顔を優しくさすってやりながら、朱梨は口を開いた。
「三人で、蛍の光を見に行った。そうしたら、そこに”捕食者”が現れてな……。楓が捕まり、それを助けようとした秋穂も……もうどうにもならなかった。残された遺品は、秋穂の剣だったんだ。私もどうにか二人を助けようとした。でも、魔法は使えずに、どうにもならなかった……。本当に、申し訳ない……」
「ああ……そんな……。貴女のせいじゃないわ、篠上さん……」
今度は火村の母親が、口惜しそうにくちびるを噛み締める朱梨の両腕を支えてやっていた。
「火村紅葉……。あの子は強く育ってくれたようだ。それが、私にとってもの救いだよ……」
「私は、あの子に厳しく当たっていた……。せめて楓の分までもって、躍起になっていたんだわ……。あの子にもっと愛情を……」
自責の念にかられる火村の母親の肩に、朱梨は手を添える。
「どうかこれ以上自分を責めないでくれ。あの子はちゃんと生きている。これからだって、きっと昔より良い関係を築くことは出来るはずさ」
「……はい。篠上さんこそ」
涙を手で拭った火村の母親は、朱梨を真っ直ぐ見つめる。
「篠上綾奈さん。あの娘は、きっと立派な魔術師になってくれるわ……。あんなに芯がある娘は、きっと貴女がいるお陰です」
「……ありがとう。綾奈は、私の誇りだよ。意地の悪い事を言っても、あの子は自分の愛と献身を貫いた。その結果で私がこうして生かされてしまっては、もうなにも言えないよ」
あの夜、天を飛んで見えた光景は、今でもはっきりと覚えている。
――いつか、島の外へ出よう。どうやってだって? 空を飛べば簡単じゃ!
あの件以降、建てた最愛の人の墓を見つめ、脳裏に思い返せたのは、若き日々の記憶。ちょうど今の綾奈と同い年の、二人で蛍島の遠く、地平線の彼方に沈む夕焼けを眺めて、突拍子もなく言っていた気がする。
機会はいくらでもあったが、結局は二人とも、この生まれ育った蛍の住まう島を愛し、離れることはなかった。そうして叶わなかった願いが、まさか孫娘が愛した男の子の手によって叶えられるとは。
それも、自身が孫娘を愛するあまりに、憎しみさえ抱いた男の子に、だ。
「……きっとあの二人は、これからも私の想像を絶するような困難な道を歩むのだろう。けれども、同時に。……きっとあの子なら、乗り越えられると信じることにするよ……。そうですよね、貴男?」
遺骨無き墓に語りかけた朱梨の目の前で、一匹の蛍が舞う。それを細めた目でじっと見つめた朱梨は、微かに微笑んでいた。
「……港町の新しい家の家具搬入、もうすぐで終わるそうです。送ります、篠上さん。貴女を新しい家に」
「助かるよ。島の人にも、私から全てを説明するつもりだ。夜の外出も、きっとすぐには受け入れてはくれぬだろうが、時間をかけて説得しよう」
「お手伝いします。貴女にも私にも、まだまだ時間はたっぷりありますから、亡くなった人の分まで、きちんと前を向いて生きましょう、私も……」
そう言って二人は、墓に深くお辞儀をし、振り返る。
灰に包まれた山の中でも、僅かに残った緑の木々たちは、その色を少しづつ鮮やかな黄色と赤に変えていく。吹き寄せる風は優しく木の葉たちを撫で、新たな命を芽吹かせる。灰の山の中では、強く逞しく生きる新たな命たちが、次々と生まれていた。
山頂からそれらを見守るのは、蛍火の女傑が愛した篠上秋穂の墓と、その横に建てられたもう一つの、小さな墓だった。風に揺れ飛んできた楓の葉が、小さな墓に供えられていた黒いランドセルにそっと乗っかっていた。
※
魔法学園で過ごす二度目の夏休みは、まだまだ中盤に差し掛かったばかりだ。
夏の暑さは、一週間を過ごしたあの遠く離れた自然豊かな島でも、鋼鉄の建物が立ち並ぶ大都会の中でも似たようなものだ。
その点では、水泳部というのは恵まれているのかもしれない。なんて言ったって、暑い夏でもプールに入り放題だし、暑さも感じない。
「――テイクユアマークス!」
遠くで、水泳部顧問である祭田の声がゴーグルを装着した顔の耳に届く。
眼下に広がる透明な水を睨み、腰を曲げてスタート台に手を添える。
スタート前の一瞬の静寂こそ、緊張が最大限に達する瞬間だ。やり直しは効かない。だからこそ、この一瞬に全てを懸ける。
「セット!」
鳴り響いた笛の音を背に、水に向かって飛び込む。
腕と頭部に衝撃を感じたのも少々。そんな痛覚は思考の片隅に置き去りにし、今はただ、前へ前へと水中を突き進む。
ゴール地点は、あっという間だった。いつの間にかに到着したような気がし、それほどまでに自分の泳ぎに夢中になったのは、随分と久し振りな気がする。
ぷはっ、と水面から顔を上げると、自分のレーンの上から、祭田が手を伸ばしてくれていた。
水面から伸ばした濡れた手を祭田が引っ張り上げ、自分もプールサイドに上がる。そしてすぐにスイムキャップを取り、ゴーグルを首元まで下ろす。
「……コーチ」
「及第点ね。まだまだ全盛期の貴女じゃないけれど、また戻ってきて、こうやって私の前で泳いだ努力は認めるわ」
手元で広げたホログラム画面を閉じ、祭田はにこりと微笑む。
「でも前も言ったとおり、大会のメンバーからは外す。……今は自分のしなくちゃいけないこと、分かるわよね?」
「はい」
「なら頑張って。夏が終わって秋になったら、また戻ってきて頂戴」
鬼のような彼女の口から出た言葉に、秋を待ち侘びる火村紅葉は当然、彼女の後ろに集まっていた水泳部の部活仲間たちも歓声を上げていた。
「本当に良かったです! 紅葉ちゃんさんっ!」
そう言って、先程まで隣のレーンを泳いでいた千尋が、紅葉の両手を握ってくる。
「……ウチ、一応アンタのことライバルだと思ってんだけど……」
「光栄です! でもライバルの前に、大切なお仲間ではありませんか!?」
「お仲間って……はあ、まあ、そうね……」
のほほんと、ライバル相手に喜ぶ千尋を前に、紅葉はなにも言えなくなってしまい、苦笑した。
「僕も、また紅葉ちゃんの調子が上がってきてくれて嬉しいよ」
「ありがとうございます、部長!」
一つ年上の女子水泳部部長からも声をかけられ、紅葉はにこりと微笑んだ。
その他にも、夏の大会前の大事な練習中だというのに、喜び合う女子水泳部員たち。
当然、そんなお気楽な様子を、鬼のような彼女が黙って見守っているわけもなく――、
「あんたたち? 火村さんが大会に出られない分まで頑張らないと、全員出禁にするわよ?」
「「「いやーっ!」」」
それを聞き、悲鳴をあげて一斉に散開する白と青の競泳水着の少女たち。
「ほんと、ウチの分まで頑張らないと、承知しないけん!」
彼女たちの背を見送った火村の両手には、千尋に握られた際の熱がやる気となって籠もっていた。
(ウチ、ちゃんと頑張るから。……見ててね、兄ちゃん)
そうして握り締めた両手の拳を、紅葉はそっと開く。大きく育った自分の手に、まだ紅葉のように小さな手が、そっと添えられているような気がした。
アルゲイル魔法学園との弁論会は、夏休みも終わりの八月の末に行われる。
今年の開催地は順番によりヴィザリウス魔法学園。大阪から多くの魔法生を迎え入れる為の準備が、ヴィザリウス魔法学園の生徒会執行部主導のもと、行われていた。
「あー皆さん! ヴィザリウス魔法学園の生徒諸君! 今年もこの季節がやって来ました弁論会! 寮室の掃除はきちんと丁寧に! 私物置きっぱなしだと私が貰ってやるぞー! 特に女子のっ!」
旧式のメガホンを片手に、夏服を着た生徒会副会長、渡嶋美結が女子寮棟と男子寮棟を遠慮無しに行ったり来たり。
そのすぐ隣を、気乗りしない様子で会計の水木チカがついてきていた。
「こう言う声を張る作業は、私の専門外です……」
「甘いぞチカ会計クン! 女の子がちゃんと部屋を片付けたか、私たち生徒会は逐一細かくチェックする必要があるのだ!」
……弁論会の準備期間から全体的に見て、渡嶋は今日が一番張り切っている気がするのは、きっと気のせいではないのだろう。
「置き忘れた娘の自己責任では……」
「ううん。優しい優しい私たちが最後にきちんとチェックしてあげることで、女の子のあんなものやこんなものの置き忘れを、防げるのよ? ふふ」
「最後の笑顔にどす黒いなにかが漂っていました、副会長」
「男は知らんっ! パンツでも置いて、後で先生に全校集会の前でこのパンツ誰のだー? ……と恥を晒されるがいい!」
「辛辣ですね」
一週間と言う期間ではなく、長期に渡って里帰りをしている生徒を除き、ヴィザリウス魔法学園の魔法生たちは二日間に渡って行われる二大魔法学園弁論会の為に寮室を移動する。一部の生徒たちに取ってみれば迷惑かもしれない話だが、それ以上に、まだ見ぬ大阪の魔法生との出会いに期待する事の方が、多かった。
電子タブレットでのやり取りを終え、同時に綾奈は赤いポニーテールを縛り終える。お気に入りの黄色いリボンで束ねた髪からそっと手を離し、電子タブレットをロッカーの中へとしまう。軽く深呼吸をしてから、弓道場へと向かい、お辞儀をして中へ。
「あ、おはようございます、綾奈先輩っ!」
先輩や同級生や後輩たちと挨拶を交わす中、とびきり一番の声で挨拶をしてくるのは、後輩の夏木であった。
自分に憧れていると堂々と公言し、茶色の髪をポニーテールで束ね、にこりとした笑顔を見せてくる。
「おはよう夏木さん」
「聞いて下さいよー綾奈先輩っ。彼ったら酷いんですよ。この間のデートなんて、無理やり家に来ようとして。こっちは準備もなにも出来てないってのに」
弓道場内のベンチに座るなり、ぶつぶつと文句を言う夏木。休みの日には同級生の彼氏と、どこかへ出掛けていたようだ。
「そう。それは大変ね」
夏木の愚痴を一通り聞き終えた綾奈は、ベンチから立ち上がり、畳の上へと向かう。
和弓を携え、夏木も綾奈の後ろをついて行った。
「綾奈先輩はどうでした? 夏休みの休暇は、剣術士先輩と一緒に過ごしたんですよね?」
そばかすの顔を綻ばせ、興味津々そうに夏木は尋ねてくる。
その時にはすでに綾奈は矢をつがえ、遠くの的へ向け弦を引き絞っていた。すっと、全ての動作は洗礼されており、そこで夏木は思わず息を呑む。自他共に認めるお喋りな性格の自分でも、この瞬間だけは、なにも言えなくなる。弓矢を構える綾奈の姿は、ちょうど一年前の夏……いやその時以上の凛々しさを漂わせ、見る者を魅了した。
それは決して、たった一年だけ歳を重ねたことによるものだけではないことは、夏木にも分かった。
研ぎ澄まされた綾奈の青い瞳が、迷いなくその時を直感したようだ。
真剣な表情をした夏木が見守る中、綾奈は矢を放つ。放たれた矢は、風を切る音を響かせ、遠く離れた的の中心に突き刺さる。
残心を終え、ふぅとひと息ついた綾奈は、腰に手を添えて、いつも通り、得意気な表情を夏木に見せつけていた。
「ええそうよ。最高のパートナーであり、世界で一番大好きな相方と、たっぷり一週間過ごしたんだから!」
※
僅かな命を燃やし尽くした蝉の死骸が、道の真ん中でひっくり返ってしまっている。
夏休みを満喫する子どもたちは、無邪気にもそれを手に取ろうとして、まだその命が潰えていなかったことに驚き、悲鳴を上げて逃げていく。
東京の都会。何百年と言う長い歳月をかけて作られたこの街並みは、四方八方をビルで囲まれた鋼鉄のジャングルだ。降り注ぐ夏の日射しが熱気を溜め込み、今日も猛暑の曜日が続く。
都会の街ですっかり聞き慣れた蝉の鳴き声も、熱中症に注意するようにとの自治体のアナウンスの声も、今となっては久し振りに聞いたような気がする。
一週間に渡る遠く離れた、偽りの平和の島での暮らし。一週間のうち一日も、あの日々を忘れることはないのだろう。あの日の叫びも、あの日の悔しさも、あの日彼女が見せてくれた、とびきりの笑顔と喜んだ顔も。
そして、また一人……。例えたった一人だったとしても、誰かが救われたような時に見せる、穏やかな顔も――。
「難儀なものだな……。そなたの生き方は」
「俺はそうは思いません。今もこうやって、誰かの笑顔を見ることが出来る。それが俺の幸せなのです」
「……それが難儀だと言っているのさ」
「ならば、それはお互い様でしょう。俺も貴女も、どうしても消えてくれることはない過去を背負ったまま生きている。それはきっと、すでにその重荷を降ろすことは出来ないところまで来てしまっている。だから俺は、それを背負って前を向いていくと決めたのです。最終的に貴女は、俺に荷物を降ろさせることが出来なかった」
「……私の負けだよ。そなたの強情さには、まるで歯が立たん」
丸一日をかけて島から本州へと渡った老婆の手には、焦げつき、焼けた鞘に納まった一振りの刀があった。
夏の公園の中、話をする二人は、子どもたちが遊んでいる噴水の広場を眺めていた。体感でも、そこは涼しく感じるものだ。
「お身体の具合は、どうでしょうか?」
「そうだな。少なくともこうして本州へと渡ってくるだけの体力もある。そして、まだ見たこともないものを知ろうとする欲だって、私にはある」
「なによりです」
誠次が顔を上げると、水と水の切れ間から見える、赤いポニーテール姿の少女の姿があった。
彼女はこちらに手を振ると、笑顔で駆け寄ってくる。
「蛍島の皆は私を許してくれた。そして、私もまた港町で住むようになった。復興は滞りなく進んでいる。もしそなたがよければ、また来年の夏にでも来てくれ。その時には、蛍たちも新たな命を宿して天を舞っているはずだ」
「ぜひ行きたいです。貴女にも、弓道を教わりたい」
「言ってはなんだが剣術士。そなたには弓術の才能がまるでない。弓道の道は諦めるのだ」
老婆がそうほくそ笑むと、誠次は「そ、そうですか……」とがっくしと項垂れる。
そんな誠次の反応を静かに見守った老婆は、遠くからやって来る健やかに育った愛しの孫娘の姿とを交互に見ると、そっと口を開いて、こんなことを言う。
「だからそなたは、そなたの道を行くが良い。そしてその過程で、綾奈の事を、どうか頼む。我が孫娘ながら我が儘で意地っ張りではあるが、芯は強いと思うからな。そなたを男と見込んだ」
「はい……任せて下さい。綾奈さんを、必ず幸せにしてみせます」
「……その幸せとは……。……まあ、良いか」
そうして朱梨はそっと目を瞑り、風を感じてみる。
ああ、やはり自分は生まれ育った島の潮風の方が幾分か好きである。ここは少し五月蝿すぎるし、あの人の気配もない。
「――お待たせ、誠次! お祖母ちゃんっ!」
それでもあの娘の声を近くで聞くだけで、私はまだまだ今日も強く生きねばと思ってしまう。
「待っていたよ……綾奈」
朱梨は目を開け、笑顔で綾奈を迎えていた。
だから貴男……美しい蛍の光のようだった愛しの貴男。もう少しだけ、そちらで待っていて下さい。あの日の通り、楓の遊び相手をしてやって下さい。
わたしは、もう少しだけ、この魔法世界の行く末を、私たちが愛した孫娘の成長を、見守りたいと思いますから――。
公園にそよいだ風が、木の葉を舞い落とす。変な虫見つけたー! と、幼い子どもが母親に告げていた。
近くにやって来た母親は、少しばかり驚いた様子で、その子が見つけた虫を見つめていた。
「ここにも蛍がいるなんて、珍しいわ」
「蛍ってなにー?」
「夜になるときらきら光る、綺麗な虫よ。まあ凄い、二匹も……。お祖父さんの話じゃ、ここら辺じゃすっかりいなくなったって聞いてたけど……」
母親が首を傾げていると、蛍は逃げるように、その場から飛んで行ってしまう。
子どもは少しだけ寂しそうに、天へと昇って見えなくなっていく蛍の姿を、探し続けていた
「あー蛍行っちゃった……」
「うふふ。じゃあ早くお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのところに行きましょうか?」
「あ、うんっ!」
手を繋いだ母親と子どもの間の笑顔は、夏が終わっても、いつまでも絶えることはなかった。
~コウヤ・ハザードRE2~
「ただいま」
そうや
「……壁一面に俳優のポスター?」
そうや
「そして大量のうちわ……」
そうや
「寮室で一体何が……!?」
そうや
「お、帰って来たか夕島!」
ゆうへい
「帳。これはいったい……!?」
そうや
「知らないのか? 大垣耕哉くんを――」
ゆうへい
「ただいまです」
まこと
「「「「お帰り、小野寺……」」」」
せいじ そうすけ ゆうへい そうや
「へ、み、みなさん……?」
まこと
「目つきが怖……きゃーっ!?」
まこと




