12 ☆
次週より二年目の夏休み期間。この時期に書きたい話がいっぱいありすぎて、今までより長くなってます。
そしていよいよ発売されるあのゲーム。(トレイラーを見るたび泣きそうになる)
私にも早く夏休みを下さいと言いたいところですが、夏休みが七日間で終わってしまった彼を思えば、なにも言えない……。そしてなによりもヒッキー様の歌最高すぎか。
※
2019/01/26 活動報告に報告(?)あり。
見事に暴れる黒竜を落ち着かせた七海が、ティエラの傍に寄り添うようにして倒れる。
「七海っ!?」
その瞬間、ルーナを支えていた誠次は、叫んでいた。
激化すると思っていた戦いが、一人の少女の一夏の勇気により、終息したのだ。
「誠次、ルーナはお任せ下さい」
「頼むクリシュティナ。ルーナ、付加魔法ありがとう」
「ああ……。それよりも、あの娘が」
一旦ルーナをクリシュティナに預け、自身は立ち上がり、まず走って床に投げつけたレヴァテインの元へ。その近くには、真っ二つに折れたリジルもあった。
「……」
誠次はそれを無言で見つめながら、レヴァテインを引き抜き、右腰の鞘に収め、七海とティエラの元でしゃがむ。そして、二人の容態を目視で確認する。
「二人はどうだ……?」
自身も苦しいはずのルーナが心配そうに、誠次に問う。
「……二人とも息はしている。ティエラは、限界以上に体内の魔素を使ってしまっている」
正確には、リジルによって使わされたと言うべきか。魔素酔いに始まる体内魔素は治癒魔法でどうにか出来るものではない。当人の自然回復を待つしかない。失った血液を輸血で補うこととは、わけが違っていた。誰かの体内魔素を誰かへ委譲するなど、今の魔法世界の技術ではまだ不可能である。
「二人とももう息がか細い。一刻も早くダニエル先生を呼ばなければ!」
「誠次。私の付加魔法の能力である、治癒能力であれば、二人の身もどうにかなりませんかでしょうか? 体育館に向かった八ノ夜理事長も、救援の教師を呼んでくださると仰っていましたし、やってみては」
クリシュティナがそんなことを言う。
クリシュティナの付加魔法能力は、誠次を対象とした身体の魔素同一化と、身体の修復とも言うべき高速治療だ。
「確かに、やってみる価値はあるな」
誠次は背中のレヴァテイン・弐だけを引き抜き、それをクリシュティナへ向ける。
クリシュティナはすぐに付加魔法を展開し、誠次に琥珀色の魔素を送り付ける。
目を瞑る誠次の顔の傷は瞬く間に修復されていき、レヴァテインにも琥珀色の光が纏わりつく。
「――ここでこの二人を終わらせはしない!」
すぐさま目を開けた誠次は、手元で回転させ、両手で逆手にして握ったレヴァテインを中央棟の屋上の床の上、倒れている二人の間に突き刺す。
剣に纏わりついていた魔素の光が拡散し、二人の身体に纏わりつく。
「言ったはずだレヴァテイン……。破壊だけがお前の全てではない!」
誠次が剣に命じれば、刃は応え、その力と光を増す。
二人の身の外傷自体は軽微であった為、見かけでの効力は分からない。だが、レヴァテインから発せられた光は間違いなく、誠次のみならず二人をも包み込んでいた。
「みんな無事か!?」
八ノ夜の声がし、誠次は振り向く。リジルの残骸の向こう、自身に剣を渡した魔女が歩いて来ていた。上半身裸の上に白衣を着たダニエルも一緒だ。
「八ノ夜理事長!」
「みんな無事かね!? 今吾輩が見てやろう!」
ダニエルが真っ先に走ってやって来て、私服姿の八ノ夜は周囲を見渡しながら、倒れているティエラと七海の元まで歩み寄る。
レヴァテインの力を終えた誠次は、駆け寄ってきた八ノ夜を見つめ、瞳の色を黒に戻す。
「何があった天瀬?」
「リジルと言う鎌が、ティエラさんの体内魔素を限界以上に無理やり吸い取ったんです。七海さんは、急に倒れて……」
誠次はすでに、リジルの残骸の元でしゃがんでいた。
八ノ夜も歩み寄り、壊れたリジルの刃部分に、そっと手を添える。
「リジル……。神話では竜を討つ武器とされているな」
「そんな武器を竜使いが持つなんて……」
八ノ夜の言葉に、誠次は絶句しかけていた。
「この場は私とダニエルさんに任せろ。お前たちは早く室内へ。高層階と言えども、”捕食者”出現の危険はある」
八ノ夜は「安心しろ」と、口角を上げていた。
「天瀬、手伝えるか?」
「任せて下さい」
誠次も頷いて返事をして、ルーナとクリシュティナの方へ目配せする。
クリシュティナがルーナを支えて立ち上がろうとし、ルーナはゆっくりと立ち上がる。
ダニエルが二人の容態を屋上で確認している間、その手のことには素人の二人は、専門分野であるリジルの残骸の元で立っていた。
誠次は、八ノ夜に事件の詳細を口で説明していた。
「――そして、リジルに付加魔法したティエラさんが、急に苦しみだして……」
思い返しても異様だったティエラの変貌に、誠次はぞっとしながら、説明を終える。
ティエラの容態を確認していた素振りの八ノ夜は、何か思い詰めたような横顔を、こちらへ見せていた。
「八ノ夜さん……」
「何が訊きたいのかは分かる。その為にこうしてお前と二人きりになった」
八ノ夜は黒髪をそっと撫で、誠次を見る。
「リジルは、独自の自我を持っていた。持ち主であるティエラさんの体内魔素を吸い取り、主人を乗っ取ろうとしていたと考えられます」
そう前置きをした誠次は、自身の右腰に帯刀しているレヴァテインをじっと見つめる。
「俺には体内に魔素がないことが分かっています。……もし、もしも俺に魔法を扱う魔素があって、自分自身の手で付加魔法をしていたら、ティエラさんのようにも……」
おれもティエラのように……。もしや、今までおれ自身に影響がさほどなかったのは、周りの人から魔素を貰っていたから、なのか……?
思わず言葉を失った誠次は、瞳を大きく見開く。
「ルーナのグングニールに、そのようなことはなかったと聞いたが?」
一月に起きたルーナとの戦いでは、ルーナは当時の自身の得物であったグングニールに、付加魔法をして性能を上げていた。
それでも、ルーナがグングニールに飲み込まれることはなかった。
「……これはあくまで推測ですが、ルーナのグングニールは元が大人しかったのではないかと思います」
「性格の問題、か。武器に性格があるなんて、お前とよくやっていたゲームの話のようだよ」
八ノ夜は思わず、と言ったように苦く笑う。
「貴女が俺に渡したレヴァテイン。その自我は、弐になってから強くなっている。このままでは俺だけではなく、俺に魔法の力を貸してくれる女性にも、悪い影響が出てしまうかもしれない……」
「では付加魔法で戦うのを止めるのか?」
「……っ」
分かりきった答えであった。ここまで来てしまえば、もう戻ることも退くことも出来ない。
それでも敢えて、八ノ夜はまだ自分に戦う意思を問うてくる。
「今さら迷う気はありません……。俺はもう、前に進み続けることしか出来ない」
止まることが出来るのは、”捕食者”を滅ぼし、人類が再び夜の外に出歩ける日が来たときだ。
「……天瀬。私は、その剣を扱えるのはお前しかいないと見込んでいる。今さら言うのもなんだが、お前以外にはその剣を決して渡してはいなかった」
剣を少年に渡した魔女は、そんなことを言う。
かつて魔女に命を救われ、一つ屋根の下で育てられた少年は、魔女の事を心から信じていた。
――しかし、かつてただがむしゃらに夢を追い続けていた少年は成長し、思慮深い青年へとなりかけている。
勿論、恩義を忘れた覚えはないし、それは大人になるにつれ、深まっていく事でもある。
だから、だからこそ誠次は願っていた。
八ノ夜が自分に与えた剣が、本当に仲間を守るためだけにあることを。
「……」
八ノ夜の言葉にすぐには返答が出来ず、やや気まずい時間が、雷による黒ずんだ焼け跡が残る中央棟の屋上では流れていた。
※
戦いから一夜明けた、朝。
『昨夜の東京に局地的に降った雷、不安に思われた方も多いのではないでしょうか。気象庁も原因不明として頭を悩ませておりますが、幸いにもこの自然災害による死傷者の情報は、まだありません』
ぼやける視界に広がっていたのは、この国へ来た数日前と同じ光景だ。
都内の病院で目を覚ましたティエラ・エカテリーナ・ノーチェは、射し込む光の眩しさに、利き手である右手で顔を覆おうとする。
「――あ、食いまくりのお姉ちゃん起きたっ!」
足下の方で、元気の良い男の子の声がする。
紫色の瞳を向ければ、そこには見知った病衣姿の男の子がいた。
いいや、彼だけじゃない。数日前に病院で知り合った年端もいかない少年少女たちが、心配そうにこちらを見つめていた。
「私、は……。なんてことを……」
彼らの平和を脅かしたのは、紛れもなく自分自身であったのに。それが今や、彼らから心配されている自分がいる。
どうしようもなく申し訳ない思いでいっぱいになり、どうしてあの時、止まることが出来なかったのだろうと、自己嫌悪に陥る。
――その理由は、動かせなくなった自分の右手が、なんとなく教えてくれた気がする。力の代償として、ティエラの右腕は自分の意志ではぴくりとも動かなくなってしまっていた。
「これは……当然の報いなのですわね……」
「食いまくりのお姉ちゃん、どうしたの? なんで泣いてるの?」
子供たちの疑問に、ティエラは口を開く。
「雷を落として、みんなを困らせていたのは、私ですわ……」
「お姉ちゃんスゲーッ! 雷落とせるの!?」
「こらっ、今ははしゃぐところじゃないでしょ!」
「ご、ごめん……」
唯一一人だけ、お調子者の男の子がはしゃぐが、すぐに周囲との反応の差に、バツが悪そうに俯く。
「お姉ちゃんが、雷を鳴らしてたんだ……」
子供たちは皆してどうしていいのか、どんな言葉をかければいいのか分からないようで、困ったようにティエラを見つめ上げている。
「本当にごめんなさいですわ、皆さん……。私はこの罪を、償わなければなりません……」
「無理はするな」
パーテーションの陰から、白銀の髪をしたルーナが、現れる。
「体内の魔素が一時空になっていたんだ。それでも誠次がレヴァテインの力を使って、無理やり魔素を体内に供給した。ただ、魔法医師の話では、右手の体内細胞は滅茶苦茶になっていたらしい」
「……本当ならば良くて植物人間の状態だった、というわけですわね……」
人間が体内の魔素を全て出し尽くした結果のことは、ティエラもよく知っていた。
ぞっとする思いで、ティエラは俯く。
「……ルーナ。ごめんなさい。私は、貴女へ負けた自分が許せなくて、ずっと貴女に勝つことだけを考えていましたわ……。それは意味のなく、勝手な復讐と言われても、違いありません」
「……私も、最後まで最善の方法を考えて君と戦った。君の右腕の件は、すまない」
「いいえ。貴女のせいではありません。言った通り、これは私が受けるべき報いですわ」
ティエラは俯いていた顔を上げ、ルーナを見つめる。
「貴女も、一国の姫であったのですね」
「ああ。言った通り、祖国のことはこの胸の奥に思い出としてまだ残っている。そして私は、誠次と共に歩んでいきたい。いつまでも、ずっと」
「……混濁する意識の中で、二人の声は私にも聞こえてきましたわ。誠次には、謝罪と感謝をしてくださると、助かります……」
ティエラはそこで、もう一つの大切なことを思い出す。
この国に来たばかりのころ、自分の身を助けてくれた女の子。それは昨夜で、二度目の事となった。彼女への感謝と謝罪を伝えないと。あの時、感情任せに友だちではないと言ってしまったことも含めて――。
「ルーナ。ナギは……七海凪さんはどこにおりまして?」
※
ルーナが帰った後、ティエラは、病院内の人々へ謝罪を行う。
まだ休んでいた方が良いと言ったルーナであったが、ティエラは先にこれをしないと気が済まないようであり、歩くことに障がいはないので、看護師の許可の元、出歩くことになった。
「へー。雷降らせるって、魔術師ってやっぱすごいんだね」
「ここはみんな無事だったから良かったけど。お嬢さんこそ、右手大丈夫かい?」
「信じられないけど……まあ、無事だったからなんとも……」
頭を下げて周り、様々な反応をされる。罵声もティエラは覚悟していたが、そんな気配は一切もなかった。
「みんな、お優しいのですね……」
病院の廊下にて、力が入らなくなった右腕を衣服の中で垂らしたまま、ティエラはぽつりと呟く。
「食いまくりのお姉さん。……これからどうするつもりなんですか?」
すぐ真横を歩き、病院内を案内する女の子に問われ、ティエラはしばし、言葉に詰まる。国際魔法教会からの連絡は、先ほどチェックしたが未だない。
国際魔法教会の指令がなければ、結局自分一人では何も出来ない事に気がついたときの惨めさも、今のティエラには重くのし掛かっていた。ギルシュからの連絡もなく、そもそも裏で何かを企んでいた素振りを見せていた彼の消息は不明だ。
「国際魔法教会も、もう信頼するわけにはいきませんわ……」
「お家がないんだったら、私のお家、来る? お父さんもお母さんもきっといいって言ってくれるよ!」
「……駄目ですわ。これ以上、この国と貴女に迷惑をかけるわけにはいきません。泳いででも、クエレブレ帝国に帰ります」
「泳ぐって……。無茶苦茶だよ!?」
これ以上迷惑はかけられない。ティエラの決意は硬かった。
やがてティエラは、一人で病院敷地内の中庭にやって来る。そこでは病衣を来た老若男女たちが、憩いの時を過ごしていた。
「思い詰めて、屋上から落ちるなんて事はしないでね!?」
「……し、しませんわ。もう高いところから落ちるのは勘弁ですわ……」
健診の時間の為にティエラの元を離れる女の子は、最後にそう釘を刺して、ティエラと別れた。
ティエラはふぅと深呼吸をして、中庭の芝を踏む。
「本当に申し訳ございませんでしたわ……」
目に付く人から順々に謝罪するティエラが見つけたのは、木の影に建てられたベンチに腰掛ける、病衣姿の若い青年だった。
紫色の瞳をした少年の真横には、今時見ないような旧式の手押し車椅子が一つあった。
車椅子から降り、ベンチに腰掛けていた青年は、ベンチには座らないでいるティエラに向け、顔を上げていた。
そよ風が通ればなるほど、このベンチは木の葉が影を作ってくれて、居心地が良い場所であることが実感できた。
「――そうだったんだ。昨日の雷は、君がやっていたのか」
「はい。失礼ながら……貴方は、あまり驚かれないのですね」
「一応、魔術師だからね。自然現象じゃなく、魔法による雷だってすぐに分かったよ。まさか、君のような女の子だったとは思わなかったけれども」
青年は魔術師として、それなりに優秀な人のようだった。
「あれほどの威力の雷属性の魔法を連発できる魔術師はそうはいない。もし本当だとしたら、君は優秀な魔術師なんだね」
「……優秀ではありませんわ。私は、魔法で間違った事をしてしまいました……」
胸に手を添え、力なくティエラは言う。
「……」
そんなティエラの悲観する姿を、じっと見つめていた青年は「俺もさ」と、乾いた声で言う。
「え?」
「……俺も昔、魔法に関した馬鹿をした。その結果、この不自由になった両足さ」
ベンチの下で伸ばしっぱなしの自分の両足を見つめ、青年は自嘲する。
「君の右手もそうなんだろう?」
「ええ……」
ティエラは身じろいでいた。
「貴方のは、治るのでして?」
ティエラの問いに、青年は難しい表情を見せていた。
「上は引き剥がしてくれたお陰でこの通り自由だけど、下半身はそうでもなかった。魔術医師によると、足の魔素と細胞が滅茶苦茶になってるって言われた。治るのは簡単じゃない」
「私と同じなのですね……。引き剥がす……?」
「君は知らない方が良い。自業自得の報いだよ」
青年はそう言うと、ベンチの手すりに両手を乗せ、力を込めて立ち上がる。両足は棒のように伸びたままだが、青年は、痛みをぐっと堪えるように歯を食い縛り、車椅子に倒れかかるようにして移る。
「あ……」
手を貸そうかと左手を差し伸ばしかけていたティエラに向け、青年は手の平を見せつけていた。
「大丈夫だよ……っ」
「自動運転の車椅子があるのでは? 最近は階段も上り下り出来るものも普通にありますのに、なんで……」
ティエラの問いに、青年は「よく訊かれるよ」と苦笑して答えてみせる。身体は痛むのか、額には汗が滲んでいるが。
「魔術師なのに魔法を信じず、機械に頼った結果が生んだ結果を、機械に頼って楽するわけにはいかない。それにこうやってリハビリを続ければ、きっと良くなるって信じている。……いや、そうじゃなきゃ失礼だ。彼女にも、あの少年にも……」
朝日を浴びる青年の横顔は、真っ直ぐに前を見据えている。
一切の悲壮感を感じないその横顔をみつめていたティエラもまた、動かなくなった自分の右腕を服の上からそっと触っていた。
「――隼人! お待たせ! 今日もリハビリ一緒に頑張ろうぜいっ!」
元気の良い茶髪のポニーテールの女性が駆け寄ってきたかと思うと、療養の身のはずの青年の背中をパンと叩いていた。彼女が横を通り過ぎると、スイーツ系の甘い香りが漂う。
「千枝……来てくれるのは本当に嬉しいんだけど……。毎度、ここは病院だから、なるべく静かにだな……」
「じゃあ、早く元気になってほしいから、アタシの元気をおすそ分け! これで私も静かになるでしょ?」
「あはは……頑張るよ」
隼人はもう、笑うしかないようだった。
千枝は隼人の後ろに回り、車椅子の補助をする。そこでようやく、ティエラの事に気付いたようだ。
「あ、初めまして。貴女もこれからリハビリを?」
「え……私は……」
ティエラは俯いた視線を、右手へ送る。
かつて過ちを犯したと言う隼人と呼ばれた青年は、その代償を受け入れ、乗り越えようとしている。
「君も諦めなければ、きっと良くなると思うよ。その腕も」
「そうだよね。ウチが保証する!」
「……ありがとう、ございます」
びしっとグッドサインをする千枝と呼ばれた女性を見つめ、ティエラもぎこちなく、微笑んでいた。
その瞬間、そよいだ夏風の温かさを、動かなくなった右腕が微かに感じた気がした。
※
誠次とクリシュティナがお見舞いの為に二人で中庭にやって来たとき、地中海に浮かぶ島国、クエレブレ帝国の皇女は、大樹横のベンチに一人で腰掛けていた。つい先ほどまで、誰かと話していたようだった。
「誠次……と、クリシュティナ、でしたわよね……」
ティエラは二人の姿を見るなり、ベンチから立ち上がろうとしたが、誠次が「座ったままで構わない」と言っていた。
「……申し訳なかったですわ。ルーナに負けたのが悔しくて、どうにかして勝とうと、結局卑怯者の真似をしてしまって」
頭を下げるティエラの謝罪の言葉を、二人は受け止めた。三人の周りでは病院の子供たちが走り回っており、そのただ中では三人の姿は不自然な光景となっている。
「お姉ちゃん髪長いー! リボンおっきい! いつか、私もお姉ちゃんみたいな髪にする!」
「お手入れは中々大変ですよ。けれど、頑張ってくださいね」
クリシュティナが周囲の子供の相手をしていた。
ティエラへは、これから特殊魔法治安維持組織の取り調べが行われることだろう。そうなる前に、誠次には訊きたいことが多くあった。
「ティエラ。訊きたいことが幾つかあるんだ。話してくれるか?」
「ええ。良いですわ」
誠次は立ったまま、ティエラを見下ろして話す。
「右腕は治らなかったのか……」
「その通りですわ。私の右腕はもう、動きませんの……」
「やはり、リジルの影響なのか?」
「おそらくは。あの鎌に付加魔法をしたら、止まらなくなってしまったの……。気付いたときにはもう、屋上の上で倒れていたのですわ……。貴男が私に魔法をかけてくれたことは、おぼろげですが分かりましたわ」
ティエラは自分の右手を、左手で服の上から優しく擦る。紫色の目は、悲しげに潤んでいた。
「皮肉ですわね。ニーズヘッグに乗っているときは気付かなかったのに、倒れているときのおぼろげな意識では気がつけましたわ。この国の天の川なる星空の美しさに……」
そんなティエラの言葉から、戦いの虚しさとやるせなさを感じ、誠次も少しばかり俯く。
「ああなったのは、初めてのことだったのか?」
「ええ。主に国際魔法教会での訓練の時、今まではリジルに何度か付加魔法をしたことはありましたけれども、勝手に魔素を吸い取られることはありませんでしたわ」
ティエラの言葉を聞き、誠次は無意識の範疇で右手を、右腰のレヴァテインが入った鞘を覆う袋に添えていた。
「あの後、ティエラはリジル本体の人格に身体を乗っ取られていた。覚えはないか?」
「……おそらく、そうですわね」
「……そうか」
誠次は軽くため息をつく。
リジルとレヴァテイン。共に特別な武器のはずだ。ティエラの身に起きたことは、留意しなければならないだろう。
(そう言えば、箱根の旅館で一瞬だけ右手の感覚がおかしかったような気が……)
さらに時を戻せば、レヴァテイン・弐を初めて握ったベルナルト戦の時。思えばその時から、レヴァテインは生まれたばかりの子供のように、主人に対して我が儘になっていた気がする。
「お気をつけなさい、剣術士。貴方の振るうその剣も、きっと普通ではないわ」
「……身に染みて心得ているつもりだ。それでも俺はもう、レヴァテインを手放すことは出来ない。レヴァテインがなければ、俺は戦う力がないから」
「もしも貴方が魔法が使えていたら……いえ、そう考えるのは、失礼な事でしたわね」
ティエラは申し訳なさそうに視線を逸らすが、誠次は「平気だ」と呟く。
訊きたいことは、これにて終了した。クリシュティナにも、ティエラはきちんと謝罪をしていた。
「もうルーナへの復讐は諦めたのか?」
「……ええ。無意味なことと、思い知りましたわ。貴男にも言われた通り、私にはあの力を振るう資格がなかったのです」
それに、とティエラは言葉を続ける。
「ルーナは……国を失ってもまだ、変わることが出来た。重ねて感謝致しますわ、誠次。今のルーナがあるのは、きっと貴男のお陰ですわ」
「……皮肉、という意味での感謝じゃないんだよな?」
誠次がややおっかなびっくりに指摘すると、どういう事かやや間を開けて理解した様子のティエラは、頬を紅潮させていた。
「と、当然ですわ! 私もルーナのように、絶対に変わります! それこそ、クエレブレ帝国の皇女の身として恥じないように。この右手も、きっと治して見せますわ!」
ティエラは動かなくなった右手を触っていた左手を持ち上げ、視線の前で握り拳を作っていた。
つまり実質それは変わっていないのではないだろうか、という疑問が浮かんだが、無粋な指摘として心に置いていた。何よりも、彼女が違う意味で明るさを取り戻せたようで、安心できた。
「誠次。私の右腕が治ったその時は、この私にげーむを教えてくださいませんこと? 実技では勝てないですけれど、げーむでなら勝てる気がしますわ!」
「やっぱり根本的なところで変わってない気がする!」
おそらく、自分よりも前に誰かに勇気づけられていたのだろう。
今は、彼女が最悪な決断に至るほど落ち込んではいなかったことを、良かったことだと思い、誠次は北と西の二人の姫にげーむ、を教える約束を交わしていた。
病院からの帰り、通路を歩く誠次とクリシュティナは微笑みあっていた。
「良かったですね誠次。ティエラさんも、元気そうでなによりです」
「ああ。クリシュティナのお陰だ。クリシュティナも……その、俺の為に戦ってくれてありがとうな」
自分の為、というフレーズがどこか恥ずかしく、誠次は言葉に詰まりかけながらもクリシュティナに感謝する。
「ところで、今日こそは私の手料理、召し上がってくださいね。きっと綾奈のものよりも美味しいですよ」
「そこで篠上の名前を出すのか……」
「同じ料理が得意な人同士、綾奈には負けたくありません。あ、好きな食べ物はなんでしょうか、誠次」
「サバの味噌煮」
差し掛かった階段を下りようと通路を横切る寸前のときだった。
目の前の横向きの通路を、松葉杖をつく青年とそれを支える女性が通っていく。二人は助け合い、懸命に声を掛け合いながら、一歩一歩進んでいるようだった。
「ああ。諦めないさ。いつか、みんなが心から笑い合える平和な日が来るまで――」
※
怖い夜が終わり、朝が来る。眠たい身体をゆっくりと起こし、カーテンを開く。夏もいよいよ本番になり、今日も蒸し暑そうだ。
くしくしと片目を擦り、あくびをしながら朝日を浴びると、全身に力が入っていくようだ。ぎゅっと、つま先足で立って伸びをすると、気持ちが良い。
――あ、見つけた。
彼は、今日も朝から二本の剣を背負って走っていた。前へと向く腰に一つ、沢山の人の思いを抱く背中に一つの剣を。その行く先は、一体どこなのだろうか。走り終えた彼がたどり着く場所は、一体……。
一つ年上の少年の姿を目で追いかけた少女は、ベッドから降り、身支度を整える。
なんら変わらない日常も、あと数日でちょっとだけ変わり、長い休みに入る。
「昨日の雷やばかったよな」
「マジびびったわー」
「電気切れて超最悪だったんだけど」
教室につけば、クラスメイトたちがお喋りをしている。
ありふれた光景も、今はとても、大事なもののように思える。そう思っていると、クラスメイトの一人である図書委員の女の子が、自分のところへ慌てた様子で駆け寄ってきていた。
「借りた本、返却予定日過ぎてますよ!?」
――ごめんなさいっ。
頭を下げてぺこぺこ謝ると、目の前に立つ図書委員のしっかり者のクラスメイトは、くすりと微笑む。
「ま、いいですよ。貴女は図書館のお得意様ですから。本、好きなんですよね? 私も好きなんです。作者さんで誰が好きだとか、ありますか?」
笑顔を見せてくれたクラスメイトに、私はあたふたしながらも、一生懸命言葉を返していた。
昨夜起きた原因不明の異常気象は、昼休みにもなればその話題すらも生徒のお喋りには出なくなる。
中庭の七夕用の笹ツリーも、生徒会の手によって撤去作業が行われている。
「――か、かおりんストップっ! それ氷漬けになっちゃうから! みんなのお願い凍っちゃうから!」
「わ!? ご、ごめんわーこ! きゃあっ!?」
巨大だったために、それなりに苦戦しているようだ。
ちょっぴりだけ、悲しくないかと思われれば、それは嘘になる。
自分も少しは、昨夜の活躍について自慢の一つでもしてみたいとも思える。
一年で一度、会いたい人と人とが人知れず、一瞬だけ出会えたたった一日だけの、壮大な冒険劇。本になれば、きっとみんながハラハラドキドキすること間違いなしの、勇気のある人のお話だ。
けれど、私は知っていた。私は決して、物語の主役になれるような勇気も、力も、魔法もない。
これはそんな私が体験した、七夕に至る数日間の、非日常のお話。
横長の階段を走って上り、少女は学園の図書館の大門の前まで来る。
ちょうど中からは、少女が知っていた、一つ上の先輩の友だちである金髪の先輩男子が出てきたところだ。
私は先輩男子に、きちんと会って話をしてみたい人の在り処を尋ねてみた。
「アイツか? 今頃図書館で本読んでるよ。あ、廊下の白いところしか通っちゃいけないゲームでアイツ負けたから、今機嫌悪いと思うぜ?」
私は先輩男子に頭を下げると、今度はどことなく緊張しながら、図書館の中に入った。
彼のお気に入りの場所は、知っている。図書館の片隅の、忘れた場所のような、埃の被った本棚の前。夜を失って、その需要は減少し、ひょっとしたら彼と私以外に読んでいる人はいないのではないかと思える、天文書物の棚の前。
――いた。
私は咄嗟に棚の壁に背中をぴったりとつけ、深呼吸をし、高鳴る呼吸を整える。
彼は今日も、高いところにある本を取ろうと頑張っているようだ。
私は意を決して、本棚の陰から身を出し、彼に再び会っていた。
「任せてください、先輩!」
先輩は少し驚いたような目をこちらに向けたが、すぐに微笑んでくれた。
「頼んだ、後輩」
「はい。あ、あの、良ければお話しませんか? 先輩の事や、この本のこと、いろいろと教えてください」
「勿論。こちらこそ、よろしく頼むよ、七海――」
※
ティエラは自分の病室で、古びた一冊の本を読んでいた。利き腕の右腕が使えなくなった今、電子タブレットも使えず、頑張って左手だけでページを捲っていく。
「とても、面白いですわね……」
「ありがとう。気に入ってくれて、嬉しいな」
ティエラはひとまず本を閉じてベッド横の台座に置き、七海と視線を合わせる。射し込む夕日が今は心地よく、二人を照らしていた。
「今日一日だけで、また多くの事を知れた気分ですわ。なんでも一人で出来ると思っていたけれど、実際には無茶だったのですわ。私もルーナも剣術士も。大切なものを失っても、誰かと助け合えれば、前を向くことが出来る。それはきっと、とても素敵な事だと思いますの」
「うん。私もそう思うよ、ティエラさん」
七海は感極まったように、両手を胸の前で合わせていた。
「……だからナギ。ご迷惑でなければ、その……友だちの貴女を、頼らせてほしいのですわ……」
夕日射す頬を朱に染め、ティエラはおずおずと尋ねてくる。
「つ、つまり、しばらく私の実家に、いてくれるんですか?」
「え、ええ。クエレブレ帝国に帰るまで、この国の病院で治療を続け、私一人でも償いをしなければ。ご迷惑でなければ、嬉しいのですけれど……」
七海は二つ返事をしていた。
「勿論です! えへへ、嬉しいな……」
どうしてティエラさんの使い魔の黒いドラゴンの声が聞こえたのは、私にもティエラさんにも、よくわからなかった。予想として考えられたのは、一緒にいたときに、何かの拍子で、互いの魔素が干渉しあった、ぐらいである。
「そう言えばナギ。とても大切なことを聞きそびれていましたわ」
ティエラはぱたりと、七海が用意してくれた本を閉じ、穏やかな表情を見せる七海を見つめる。
「ルーナと出会う私の夢は叶いましたが、七夕の貴女の夢、実は私、聞き逃しておりましたの。途中で倒れてしまって……。ですので、改めて聞かせて下さいな。貴女の夢を」
七海はそっと、自由に動けるようになった自分の両足に視線を落とす。右腕が使えなくなったティエラであったが、それでも変わらない友情を続けてくれると、約束してくれた。ならば自分は彼女のそばに寄り添い、今は彼女の右腕として、介護をするつもりだ。
――素直に誰かに魔法を使ってもらって、頼ることにするよ。
足りないところは助け合うこと。それこそが、ぎこちなく笑った彼も大切な事だと、話してくれた。
視線を上げた七海は、少しだけ恥ずかしそうにだが、微笑んで答えていた。
「憧れの先輩のように、誰かの為に何かがしたい。……私の夢も、もう叶ったんです――」
商店街の笹ツリーに飾られた、同じ位置に並ぶ二人のお願いが書かれた短冊が、ひらひらと風に舞っていた。それが片付けられれば、いよいよ夏は本番だ。
~おこるお姫様~
「今日はメイド喫茶に行ってみましょう、ティエラさん!」
なぎ
「なぜか行きたくなったんです!」
なぎ
「いいですわね、私もなぜか興味がありましたの!」
てぃえら
「すちゃ」
てぃえら
「サングラス掛けるんですか?」
なぎ
「当然ですわ。私は大国クエレブレの皇女なのですから!」
てぃえら
「い、いらっしゃいませ、お嬢様……」
るーな
「二人でお願いします」
なぎ
「こちらへ、どうぞ……」
るーな
「少し恥ずかしがっているのが可愛らしいですね」
なぎ
「あれ? ティエラさん?」
なぎ
「る、るーな……!?」
てぃえら
「あの凛々しかったルーナが、あんな破廉恥な格好をするなんてっ!」
てぃえら
「やっぱり戦いますわ!」
てぃえら
「また繰り返すのっ!?」
なぎ




