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魔法世界の剣術士 中  作者: 相會応
ミルキーウェイで会いましょう
34/189

1 ☆

 常に最適な室温を自動でしてくれる冷房設備が施された室内で、銀髪の少女は枕から目覚める。

 

「……祖国の夢を見るなんて……」


 キャミソール姿から覗く白い肌が眩しい腕で、寝ぼけ眼を擦り、ルーナはあくびをする。


「また目覚まし前に起きてしまうとは」


 枕横の電子タブレットから、省エネモードで浮かんでいるホログラムの画像を見つめて呟く。

 ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイト。朝は得意だった。


「クリシィ」


 幅を開けて横に並ぶベッドに寝ている同郷の生まれの友人は、対照的に朝がそれほど得意ではなく、髪を解かしたまますやすやと寝息を立てたままだ。

 クリシュティナ・ラン・ヴェーチェル。仮にも元姫に仕える元メイドとして、それは克服したい弱点であると当人は過去も言っていたが、何度聞いたか分からない。

 別に構いはしない。何よりも今は、同い年の親友であり、日本の東京に建つヴィザリウス魔法学園の魔法生同士なのだから。


「……行ってくる」


 鏡の前で自分の身支度を整え、黄色い髪留めを添え、頬を軽く叩く。最近また肉が付いてしまったようだと、やや焦る気持ちを抑え、ルーナは早朝の外へと出掛ける。

 女子寮棟と外を繋ぐ通路にある魔法障壁は、ルーナよりも早く起きたか、徹夜でもした魔法科教師によってすでに解除されている。


「んーっ。いい朝だ」


 ビルの彼方から射し込んだ、煌めく朝日を浴び、ルーナは伸びをして微笑む。


「見えるかファフニール。とても綺麗な花だ」


 年中雪が積もっていた祖国では珍しいものであった色とりどりの花も、魔法学園の中庭ではいつでも見られる。

 が、ファフニールはまだ眠っているのか、返事はなかった。


「まったく。よく寝るのは、竜とは言っても()()ということか?」


 大きな胸の割には細い腰に手を添え、ルーナはぶつぶつと文句を言うように呟く。

 端から見れば早朝の中庭で独り言を呟いている変な人にも見えかねない行為であるが、ルーナは気にしていなかった。


「――ハアハア。朝早いな、ルーナ」


 偶然にも、ランニングをしている最中の誠次せいじと遭遇し、ルーナは小さく驚く。

 立ち止まった誠次の足下はふらふらしているが、それもそのはずだったか。ランニングウェア姿にレヴァテイン・ウルを装備しているのだから。


「せ、誠次。なぜレヴァテインを背負ってこんな朝早くから走っているのだ?」

「ハアハア、実戦を想定した特訓だ……。これでも、なかなか体力が上がらないな……」


 顎先から滴る汗を腕で拭い、誠次は首を傾げる。


「むしろ逆効果では……」


 ルーナはくすりと微笑む。

 花を背景にしたその笑顔だけで、なんだか疲れが取れたような気がし、誠次はようやく呼吸を落ち着かせる。


「いつもはこんなに早起きなのに、行事になるとどうして君は寝坊をするんだ?」


 ルーナはそれがおかしいようで、相変わらずくすくすと微笑んでいる。

 誠次は決まりが悪く、後ろ髪をかいていた。


「行事ごとは前日の夜から楽しみで、つい眠れないんだ。……そう考えると、本当はこんな特訓なんて俺はしたくないのかもな」

「どうか無茶だけはしないでくれ誠次。君のことは私やクリシィ、この学園のみんなが大切だと思っている」

「ありがとう。ルーナの空中も使う立体的な戦い方は、いいアクセントになっている。横浜と千葉スタジアムでの戦いでも、それが役に立った。俺は魔術師のように魔法を使って戦えないから、試行錯誤しながら自分の()()ではなく()()を極めていかないとな」

「そうか。君の力になれているようで嬉しいよ」


 ルーナは、竜の尾のように伸ばして束ねた銀髪を揺らし、微笑む。


「また放課後にいつも通り特訓するんだろう?」

「ああ。よろしく頼むルーナ」


 体内魔素マナの半分以上は魔素マナを持っていくレヴァテインへの付加魔法エンチャントのため、授業などで魔法を使う可能性があり、もっぱら付加魔法エンチャントの特訓は放課後になる。

 一見すればハイリスクな事だが、それでも少女たちは誠次を信頼し、魔法の力を貸してくれるのだ。


「っと、シャワー浴びたいし、ランニングを終わらせないと。もう七月ですっかり夏だし、暑さには注意した方がいいぞ、ルーナ。極北育ちならなおさらだ」

「心得ている。……日本で迎える初めての夏は、私にとって厳しい戦いになるだろうな……」


 ごくりと息を呑んで身構えるルーナを見て、今度は誠次が笑っていた。


「じゃあ、また教室で」


 手を掲げ再びランニングに戻ろうとする誠次に、ルーナは名残惜しげに片手を伸ばす。

 しかし、すぐに手を引っ込め、代わりの言葉を放つのだった。


「ヤ ティビャー リュブリュー」

「? ろ、ロシア語? 急だな……」


 誠次は首を傾げる。いくら幼少期はロシアで過ごしていたとはいえ、今となっては全くもって聞き取れない。英語も苦手なので、尚のこと。


「意味は……察してくれ……」


 赤く染まった顔でもじもじと言うルーナに、誠次はランニングのせいではなく、胸の鼓動を速くする。


「も、もう一度言ってくれないか? デンバコの翻訳機能を使って……」

「そ、それは駄目だ卑怯者っ!」

「卑怯どうこうの問題なのか!?」

「そ、そうだ! 君は私の言った言葉を永遠に理解できず、悶々とした思いのまま、朝日に向かって走るがいい!」

「横暴な元姫様だなっ」

()()()愛が足りない! ロシア愛が!」


 何かを誤魔化すように両目を閉じてうんうんと言い切るルーナに、誠次は苦笑していた


「ロシア愛か……」


しかし、変なところで察しの良い誠次は、その言葉をぶつぶつと呟きながらランニングを再開するのであった。


            ※


 ――一年前。ロシア、サンクトペテルブルクのガンダルヴル魔法学園。

 広大な面積を誇る屋外運動場にて、銀髪の少女が繰り出した魔法が、私に襲いかかる。

 後退しながら、防御魔法を展開するのだが、相手の銀髪の少女が放った攻撃魔法はそれさえも貫く。

 攻撃魔法が着弾した瞬間、全身に凄まじい痛みが走り、私は悲鳴をあげていた。


『勝者、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイト!』


 月と夜明けを名に宿す銀髪の少女は、もう立てない私を、見下ろしていた。そのコバルトブルーの美しい瞳には同情も、蔑みも、勝利の余韻も感じない。ただ勝つべくして、勝っただけ。そう伝えてくるようだった。

 ルーナと呼ばれた少女は、私の目の前でくるりと振り向くと、長い銀髪を揺らして、歩いて行ってしまう。


「待って……」


 私が必死に伸ばした手は、竜を身に宿した少女に届くことはなかった。

 

          ※


 ティエラ・エカテリーナ・ノーチェ。それが、ルーナに魔法戦で敗れた少女の名前だ。ティエラとは、スペイン語で大地の意味。ノーチェはロシア語で夜の意味を持つ。

 ティエラにとって、ガンダルヴル魔法学園の一学年生のあの魔法戦の日までは、全てが順風満帆な人生だったと言っても過言ではない。文武両道で、素行も優秀。モデル顔負けの容姿すら端麗だ。


「当然です。私は、大国クエレブレの皇女なのですから!」


 ティエラは自分の才を褒められた時、ことあるごとに胸を張って語る。

 地中海に浮かぶスペイン領の島国。それが、ティエラの父親が皇帝を務める、クエレブレ帝国だ。一国の皇女が地中海から遠く離れたロシアの魔法学園に通うのも、クエレブレ帝国の威光を世界へ広めるため。何よりも、魔法世界の世界情勢を自分が深く知り得るため。今やアメリカと並び魔法世界の中心国家となっているロシアへの留学へ、何ら迷いや恐れもなかった。

 高校進学と同時に始まったロシアでの新生活。当初は年中肌寒い気候に苦難したものの、上手く極北の地での生活に打ち解けて来た頃の事だった。


「失礼。私の名前はティエラと申します。貴女は?」


 ガンダルヴル魔法学園の通路で、ファーストコンタクトがあった。目の前をすれ違うときに、思わず声をかけたのだ。彼女、彼女らにはそうするべきと言う妙な雰囲気が、今思えばあったからだと思う。


「ルーナだ」

「クリシュティナです」


 ルーナは、いつも友だちらしき同じ魔法生、クリシュティナと言う少女と一緒にいた。もっと言えば、この二人が別の人と仲良く話していると言う姿も見たことがない。学園の中では、いつも二人で行動していた気がする。

 軽く礼をして答える二人の洗礼された動作は、強い既視感を感じるものであった。

 運命の魔法戦。それは、学園での授業で行われた事だった。魔法の扱いにも確かな自信を持っていたティエラは、為す術もなくルーナに敗れた。

 自分よりも遙か圧倒的に強く、気高き存在。それは魔法戦だけではなく、座学の成績もティエラを圧倒し、ガンダルヴル魔法学園で首位の成績に居座った。


「負けられない……」


 だからティエラは、努力した。私は、一国を担う皇女。あんなどこの馬の骨かも分からない同い年の少女になど、遅れを取ってはいけないと。

 魔法戦の特訓に始まり、座学、果ては美容まで。血の滲むような努力を、ルーナに勝つために影で行ってきたティエラだった。全ては、クエレブレ帝国の為。

 そして――国際魔法教会ニブルヘイムの為。


「先生! 最近、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトを見かけないのですが!」


 準備は整った。いざ、再戦を申し込もうと思った矢先のことだった。

 年を越え、ロシアのクリスマスシーズンの真っ只中。魔法学園内にある教会の聖堂にて、ティエラは担任教師の魔術師に、そんなことを尋ねる。昨年の年末から年明けにかけて、宿敵の少女の姿を全くもって見掛けないのだ。元々クラスメイトとあまり交流もしていない様子だったので、ルーナとクリシュティナを見かけなくなった事には気付いてはいても、なにをしているのか詳しく知る生徒は誰もいなかった。


「ああ、あの二人なら、今は日本ヤポーニャにいるはずだ」

「日本!? 何故ですっ!?」


 宿命のライバルが極東の島国にいると聞かされ、ティエラは机に手をついて身を乗り出すほどにまで、教師に迫っていた。


国際魔法教会ニブルヘイムからの達しが来た。詳細は私たち教師陣にも、知らされてはいない」

「……それはきっと、あの二人が優秀な魔法生だからなのですね……」


 ティエラは悔しくくちびるを噛みしめ、俯く。


「ティエラ。君も充分すぎるほど優秀な魔法生だ。そう悲観するな」

「ですが、私はルーナに負けていました。私はクエレブレ帝国の為、常に最高の成績を収めなければいけないのです!」


 誇りを胸に、ティエラは顔を上げる。


「こうなれば先生! 私も、日本へ行かせて下さい! ルーナに会いに行きます!」

「待てティエラ。……落ち着け」


 捲し立てる勢いのティエラに、冷静なはずの魔法学園の教師も、思わず後退する。


「落ち着いていられますかっ! 宿敵がこの私になにも告げずに、学園から忽然と姿を消しているのですよ!?」

「言ってはなんだが……向こうはそうとは思ってはいなかったような気が……」

「私がそう思っているのですっ! お願いします先生! 私を日本へ送って下さいっ!」

「しかし君は皇女と言う身分だ。まずはお父上と国際魔法教会ニブルヘイムの承諾を得る必要がある」


 教師の言う通りではあった。

 ティエラは悶々とした思いのまま、まずは父上に書簡を届け、国際魔法教会ニブルヘイムの受諾を待つことになる。


「おのれルーナ……。このままでは私の不戦勝になるわよ……。……いえ、私は誇り高きノーチェ一族の娘。そんな方法で勝ったとしても、意味がないわ!」


 寮室のベッドの上で、逃げた宿敵の存在を思い、ごろごろと寝返りを繰り返す。


「そうだわ! 日本に行くことになるかもしれないのだから、日本語の勉強をしなければ」


 ベッドからがばっと起き上がり、ティエラは電子タブレットと向き合う。


「日本語は難しそうですね……。せっかくだから、お上品な日本語を学びたいです。ライバルのルーナには負けられないわ」


 日本語を高貴、上品、と言う言葉遣いに絞って学習しだすティエラであった。

 数日後、国際魔法教会ニブルヘイムから返答はあった。それが、二月中の事だ。


「許可できない……」


 日本へ向かうことを認めてはくれなかった国際魔法教会ニブルヘイムの決定は、ある意味当然のことではあった。

 

国際魔法教会ニブルヘイムがそう言うのなら、仕方がないでしょう……」


 教師伝いにそう聞かされたティエラは、がっかりと肩を落とす。


「ではルーナは、いつ帰ってくるのでしょう?」


 相手がロシアまで戻って来るのを待てばいいと、この時ティエラは思っていた。

 そんなティエラの質問に対し、ガンダルヴル魔法学園の教師は、分かりやすく不機嫌そうに顔をしかめていた。


「先日のことだ。国際魔法教会ニブルヘイムから通達があった。ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトとクリシュティナ・ラン・ヴェーチェルの二人を除籍処分にせよと」

「じ、除籍処分!?」


 ティエラは耳を疑っていたが、信じたくないのは教師の方もだったようだ。成績トップクラスの二人が揃って日本へ行き、帰ってこぬままの除籍処分。ガンダルヴル魔法学園側にとっても、それは優秀な魔術師を二人も失うという事態となる。しかし、国際魔法教会ニブルヘイムの命令は絶対であった。


「二人はこれから、どうなるのでしょうか!?」

「日本のヴィザリウス魔法学園と言うところに在学するらしい。ティエラ。君ももう、ルーナの事は忘れなさい。ルーナがいなくなれば、この学園でトップは君だ」

「そんな勝ち方、この私の誇りが許しませんっ!」


 また一歩、ライバルから遠ざかってしまった気がした。


(ルーナ……。私は絶対に、貴女を超える!)


 それからと言うもの、ティエラはより一層の努力を続けた。

 いつか必ず、ルーナと再戦をするために。そして今度こそ、自分が勝利するために。

 状況が一変したのは、進級を目前に控えた三月の終わりのとある日だった。春休みをロシアで優雅に過ごしていたティエラの元へ、国際魔法教会ニブルヘイムから通達があったのだ。


「日本行きを、許可して下さると?」

「正直何故このタイミングでかは分からないが、急に達しが来てな。まずはモスクワにある国際魔法教会ニブルヘイム支部で、指令を受け取るんだ」

「指令、ですか。それは一体?」

「内容は我々教師陣にも詳しく知らされてはいない。ティエラ。そこまでして日本に行きたいのか?」


 ティエラは迷うことなく、頷いていた。


「はい。ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトは、私を負かした唯一の存在です。彼女に勝てないようであれば、私はクエレブレ帝国皇女失格です!」

「……君のご両親の意見を、最終的な判断として聞いておこう。君の身分は、とても軽々しく扱えるものではないからな」

「きっとすぐに許可して下さると思います」


 一時は遠い夢に思えた宿敵との再会は、予想外の展開を見せようとしている。どうして急に国際魔法教会の決定が変わったのか、よくは分からないが、ティエラは自信に満ちていた。


(待っていなさい、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイト!)


 かつて自分を倒した最大のライバルの凛々しい姿を思い出し、ティエラは握り拳を強く締める。

 きっと彼女もまた、日本の地であの時と同じく、他を寄せ付けぬ覇気と、ただただ純粋に勝利を掴み取るための強さを発揮しているのだろうと、夢想して。


         ※


 燦々とした日差しが降り注ぐ日本の首都東京。そこに建てられた日本のヴィザリウス魔法学園の体育館では、2ーAの女子生徒たちによる体育授業が行われている。

 冷房は効いている館内であるが、極北生まれ極北育ちの二人にとっては、試練の月日が続いていた。


「――なあクリシィ……」


 体操着にガーターベルトと言ったアンバランスな格好をした、銀髪ロングヘアーの少女が、そのうちの一人。体操着姿となってそのスタイルの良さを惜しげもなく披露しており、今はいないが男子生徒の目の毒になりそうだ。


「何でしょうか、ルーナ……」


 もう一人は、長い茶髪を束ねた可愛らしい容姿をした少女だった。極北生まれだが、どちらかと言えば東洋風の容姿をしている彼女もまた、共にストレッチを行う相方の少女と同じく、浮かない表情をしている。


「どうしてこの国の夏は……こうも、暑いんだ……?」


 冷房は確かに効いている。効いているのだが、ルーナとクリシュティナの二人には、どうにも不十分であったようで。


「日本の四季とは、美しいものであるのと同時に、残酷なものなのですね……」


 クリシュティナも苦しそうに呟いている。

 室内だと言うのに、生まれて初めて味わう夏の陽気に、龍虎はしなしなに干からびようとしていた。


「オルティギュアの雪が、こうも恋しくなるとは……。……運んでくるか?」

「確実に溶けますね」

「そうか……」


 雪に覆われた祖国の銀世界の光景を思い出し、ルーナは滲む顔の汗を袖で拭う。 


「外の男子は、またランニングでしょうか。地獄でしょうね……」

「彼らの悲鳴が、耳に聞こえてくるようだ……。私たちが、彼らの分も頑張らなければな……」


 ストレッチが終わり、のろのろとした動きのまま、ルーナはランニングを開始する。


(……姫。余リニ遅クハナイカ……?)


 ランニングの足……ではなく手を抜いていたことが、使い魔であるファフニールにはばれてしまった。

 ぎくりとしたルーナは、つんとそっぽを向き、変わらないペースで走り続ける。


「暑いのがいけないんだ」

(ワガママヲ言ウデハナイ。基礎体力ノ向上ナクシテ、身体能力ノ向上ハ見込メヌゾ?)


 ファフニールはまるで父親のようなお小言を、こうやってルーナに言って来たりする。もちろん、ルーナの全てを四六時中見ていると言うわけでもない。ファフニールも、ドラゴン界ではもうかなりの年寄りの部類だそうだ。


「……分かった。ちゃんと走る」


 汗をかくのは嫌だが、妥協するのも嫌だった。常に勝利を望むスタンスに変わりはないが、その過程を今は変えていた。

 すなわちそれはどういう事かと言うと、


「クリシィ。ついて来れそうか?」

「もちろんです。ルーナこそ、私に追い抜かれないように気をつけて下さいね?」

「言ってくれるな。なら、全力で行く!」


 苦笑するルーナがペースを速め、クリシュティナも後に続く。

 大切な友だちと、自分の正体を知っても受け入れてくれたクラスメイトたちと、あと……剣を持った勇敢な少年と共に、ルーナはヴィザリウス魔法学園の魔法生としての日々を()()()()過ごしていた。


          ※


「あ、暑いですわ……」


 日焼け止めを塗った腕で顔を覆い、ティエラは快晴の空を忌々しく睨む。話には聞いていたが、まさかここまで暑いとは思わなかった。

 ここは日本のハネダ。国際魔法教会ニブルヘイムが用意したジェット機での渡航を終え、空港から出た途端、照り付ける日差しにティエラはやられていた。



「な、なんて暑さですの……」


 覚えた日本語で呟き、ティエラはのろのろと歩き出す。このままでは、ルーナと会う前に自分がやられてしまう。


「ようやく海を越え、極東のこの島国に来ることが出来ましたのに……。待っていなさい、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイト!」


 春の前にロシアの国際魔法教会ニブルヘイム支部に召集され、そこから更に、血の滲むような努力を重ね、ようやくこの時期に日本へ向かうことが許されたのだ。

 強くなった自分を、自分を倒した相手に見せつけるために。


「でも、こんなにじめじめしてて暑いのは聞いていませんわーっ!」


 ティエラは叫び散らす。

 連れ添いと言うことで共に来日する国際魔法教会ニブルヘイムの幹部とは、後日合流する事になっている。彼らには、とある特別な荷物を輸送する必要があったからだ。


「とにかく、まずはヴィザリウス魔法学園に向かいませんと……」


 ティエラはタクシーに乗り込み、ヴィザリウス魔法学園へと向かう。当然、タクシーは冷房が効いており、どろどろに溶けかけていたティエラは見事に復帰する。


「海外の方ですか?」


 高速道路の途中、タクシーの運転手は、自動運転に任せた車のハンドルは握らずに、リラックスした様子で声を掛けてくる。


「ええそうですわ。ロシアから参りましたの」


 お父様には民とは日頃から仲良く接しなさいと言い聞かせられてきたっけ、と思い出しつつ、ティエラは答える。


「そりゃあまた。どんなご用で?」

「決闘をしに来たのです!」

「……へ?」


 運転手の男性は、上手く聞き取れていなかったようで、バックミラーでティエラを見つめる。


「私、どうしても成さねばならない使命があるのです!」


 後部座席にて、胸に手を添えるティエラは、ハッキリと言う。


「は、はあ……そりゃあまた……頑張って……」

「決闘を申し込んで勝つことで、クエレブレ帝国の皇女としての意地と尊厳を取り戻さなければならないのですわ!」

「食い倒れ帝国?」

「クエレブレっ、ですわ!」


 誇り高き祖国、クエレブレ帝国。しかしこの国ではあまり知名度は高くないようであった。

 やがてティエラを乗せたただのタクシーは、ヴィザリウス魔法学園近くの商店街まで到着する。

 アーケード商店街に降り立ったティエラを再び待ち受けていたのは、異常なまでの暑さであった。直射日光こそ屋根のお陰で遮られているが、暑さは変わらず、ティエラの身体を蝕んでいく。


「笹と竹が沢山飾り付けられておりますわね。何か、お祭りのような雰囲気を感じますわ」


 見上げば、天井のホログラム映像には綺麗な星空が広がっており、流星が時よりきらめく。それらを囲うように竹と笹の濃い緑の葉が装飾されており、そこから更に何かがぶら下がっている。


「日本語で何か文字が書いてありますわね」


 細長い長方形の色つき紙を手に取り、ティエラは紫色の瞳でじっと見つめる。子供が書いた文字で、どうやら、おもちゃを買って欲しいお願い事が書いてあるようだ。

 少なくとも祖国でもロシアでも見たことがない光景に、ティエラは興味津々であった。この地方独自のお祭りか何かだろうか。


「――こんにちは! 今、七夕祭りをしているんですよ!」


 急に横から女性に声を掛けられ、ティエラは驚いて顔を上げる。


「たな、ばた?」


 ティエラははて、と首を傾げる。


「ご存知ありませんか? 七月七日に行う、お願い事を書いた短冊を飾る行事なんですよ」


 ちなみに、と女性はにこりと微笑む。


「この商店街の短冊、お願い事が叶うって結構有名なんです。テレビでも紹介されたり、この日の為に遠くから来る人もいるぐらいなんですよ」

「そうなのですか?」

「よろしければ貴女も一枚、どうぞ」


 女性がそう言って手渡してきたのは、黄色い短冊であった。

 ティエラは戸惑いながらも、女性から短冊を受け取っていた。


「商店街の中心にある笹ツリーが、一番人気です」


 手で案内された方を向けば、商店街のちょうど半分の地点で、笹を纏めて作り上げた巨大なツリーが立っている。


しょうちゃん何書いたのー?」

「さ、佐代子さよこには見せない」

「えー。気になるんですけどー」


 ちょうど今、同い年ほどの若い男女のカップルが、ツリーの上の方へ魔法を使って短冊を飾っていたところだ。ティエラの横を通り過ぎ、カップルはそのまま仲良さそうに、腕を組んで歩いて行ってしまう。


「私も、何か書かなければいけませんわね」


 別に強要されているというわけでもないが、ティエラは引き寄せられるように笹をツリーの前まで歩み寄り、根元のところにあった台でペンを取る。せっかくの機会でもあるので、勉強した日本語でお願いを書こうかと思っていたところ、隣に別の少女がやって来る。

 

「……」


 こちらも同い年ほどの彼女も、何かお願い事を短冊に書こうとしているようで、並々ならぬ決意を覗かせる横顔を見せている。


「……」


 七夕とやらの参考のするために、ティエラは少女の手元を、じっと凝視する。


「あの……」

「じー……」

「あのっ!」


 気付けば、隣に立つ少女は顔を盛大に赤らめて、ティエラを睨んでいた。


「な、何ですの?」

「人のお願い事を、勝手に見ないで下さい……」

「ご、ごめんなさい、ですわ」


 ぎゅっと短冊を握り締めた少女に、自身の過ちに気が付いたティエラは謝罪する。

 少女はティエラの事を訝しんで見つめていたが、すぐに合わせた目線を逸らしていた。


「あの、私はティエラ・エカテリーナ・ノーチェと申します。さきほどは申し訳ありませんわ」

 

 ティエラは自己紹介を、少女に向けてしていた。短冊へのお願いごとについて、決まり事がないか、聞くためにだった。


「……七海凪ななみなぎ、です……」


 七海はティエラの名前を聞いたとき、呆気にとられたような表情をしていたが、すぐに自信がなさそうに俯いてしまう。


「ナギ。私は海外から来て、初めて七夕と言う行事を目の当たりにしています」


 ティエラは胸に手を添え、ハキハキと喋る。


「……やっぱり、外国人さんなんですね……すごい綺麗……」

「ありがとう。ティエラと呼んで、構いませんわ」

「……凄いな、初対面の人と、こんなに話そうとするなんて……。私だったら、緊張して気絶しちゃいそうなのに……」


 七海はぼそりと、ティエラには聞こえない声量で、呟いていた。


「それでナギ。短冊にはどのようなお願いを書けばいいのですの?」

「お願いなんて、自分の好きなものでいいと思います……」

「それは本当に叶うものなのですわね?」

「そんな……普通は叶いませんよ。だからお願いなんですよ」


 七海は俯きながら答え、そよいだ風で揺れる自分の短冊をじっと見つめていた。


「普通は叶わない……と言うことは、普通でなければ叶うと言うわけですわね!?」

「えっ? い、いえ、そう言うわけでは……」

「私の夢は、運命の人に会いに行くことですの!」

「運命の人って、織姫と彦星さんみたいですね」


 ティエラの目を見ることは出来ない七海は、そんなことを言っていた。


「オリ、ヒメとヒコ、ボシ?」

「知らないんですか? 天の川が出来る七月七日だけに出会えるっているお話。……海外の方なら、ベガとアルタイルと言うべきでしょうか」

「そのような星座は聞いたことがありますわ」


 ティエラはうんうんと頷いてみせる。俗に言う、夏の大三角形と言うやつだろう。名前ぐらいは、ティエラも聞いたことがあった。


「運命の人に会えるといいですね。少なくとも、私なんかの夢よりは叶うと思います」

「何故自分の夢が叶わないと決めつけるのです? それとも貴女は、叶わないと思いながら七夕に夢をお願いしにきたのですか?」

「……」


 ティエラの悪気なき質問は、正論となり、七海の反論を封じ込めているようだった。


「……私だって、自分の夢が叶えばいいなとは思います……」


 でも、と七海は首を左右に振る。


「絶対に無理なんです。こんな私じゃ……」


 やはり自信なさげに、少女は掠れるような声で言っていた。


「お聞かせなさい、ナギ。貴女の夢を、この私に」


 ティエラは七海に右手を伸ばし、手のひらを差し向けていた。


「え……?」

「お父様とお母様の言いつけです。困った民にはまず手を差し伸べること。クエレブレ帝国の皇女として、見過ごせませんわ」

「ご、ごめんなさい。その、そう言うアニメの話とか、私よく分からなくて……」

「き、極東の島国が誇るあ、アニメーションではありませんわっ! 現実の事ですのよ!? クエレブレ帝国はありますわ!」


 困惑する七海に、ティエラは手をぶんぶんと振っていた。


「そ、そうなんですね……。ティエラさんは、そのクエレブレ帝国と言うところの、皇女さんなんですね……?」

「その通りですわ! 私はクエレブレ帝国の皇女、ティエラ・エカテリーナ・ノーチェ。因みにティエラは大地。ノーチェは夜を意味しますわ」

「凄い名前ですね……。ティエラさんが大地なら、じゃあ私は海ですね」


 くすりと、七海は微笑んでいた。

 微笑めば可愛らしい顔立ちをしている少女に、ティエラもつられて微笑んでいた。


(……あれ?)


 ふと、急に目の前の光景が、七海ごと真っ白に染まったような気がし、ティエラはおでこに手を添える。手足に痺れも感じ、身体がふらつく。


「私の夢は――」


 小さな声の七海の言葉が頭の中で響いた瞬間、ティエラの意識は日本の夏日によって、飛ばされていた。


挿絵(By みてみん)


~モチベーションは大切~


「ふぅ、今日もランニング終わったな!」

せいじ

            「お疲れ様です、天瀬さん」

                   まこと

小野寺おのでらこそ、陸上部お疲れさん」

せいじ

「しかし、俺みたいな個人での運動ならともかく」

せいじ

「部活や行事で長距離を走るのは拷問だな……」

せいじ

「走りながら音楽を聴くこともできないだろう?」

せいじ

              「確かにそうですね」

                    まこと

     「ですが、友だちと一緒に走るのもいいものですよ」

                    まこと

     「ペースも合わせられますし、苦しさも共有できます」

                    まこと

     「負けられないって、モチベーションにもなりますからね」

                    まこと

「なるほど」

せいじ

「モチベーションという点で言えば、俺にもランニング中はあるぞ」

せいじ

      「そうですか、一体なんでしょうか?」

                   まこと

「女子寮棟の前をさりげなく走る時だ!」

せいじ

       「……」

              まこと

「男として、一生懸命走っている姿を見られているかもしれないというこのワクワク感、分かるだろうか!?」

せいじ

       「天瀬さんの場合、剣を持った状態で走っているので」

                   まこと

       「悪目立ち、していると思うのですが……」

                   まこと

「よし明日から剣は外して走る」

せいじ

                                  

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