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まるで中世の西洋城のような佇まいを見せるラビットキャッスルの入り口付近にも、大勢の避難者たちが詰め寄って来ているようだ。大きな建物、と言うことで、安全だと判断した人が大勢いるのだろう。事実、スタッフもここへの避難を、放送を使って呼びかけている。
誠次と相村の二人は、他の避難者と同じように、ラビットキャッスルの敷地内へとたどり着く。
「近くで見上げるとヤバい高いね」
「パーク全体を見渡せられるように作られているらしいですからね」
城を見上げてぼう然と呟く相村に、パンフレットやネットで情報を走りながら集めていた誠次は答える。
「どうする剣術士くん? このままじゃ、ウチたちもただ避難してきたって思われちゃう」
現地スタッフの指示によって誘導される人々の列に、誠次と相村はいる。前も後ろも横もぎゅうぎゅうで、迂闊に動けない。
「隙を見て列から離脱しましょう。この混乱です。スタッフも気にも留めないでしょう」
誠次の言葉に、隣の相村は誠次の横顔を見つめ、目を見開く。
「えっ、入っちゃいけないところ入るの?」
「どこかで列から抜けて、上層階にたどり着かなければ。ここでちまちま待っていても、二人が力尽きてしまいます」
誠次が「覚悟はいいですね?」と黒い瞳を向けると、相村はもちろん、と頷いていた。
「絶対に翔ちゃんと千尋ちゃんは守るんだから!」
相村は胸元でVサインを作り、誠次にだけ見せつける。
やや緊張していた誠次は、それにより微笑んでしまう。
「さすがは、元生徒会メンバーでしょうか」
「でしょ? 大切なヴィザ学の友だちの為だったら、ウチのやる気半端ないから!」
魔法学園生徒会元書記の相村は、いつも通りの明るい笑顔で、誠次の肩を軽く小突いていた。
不思議と、それに気合いを入れられたようで、誠次は早鐘を打つ胸を落ち着かせる。
「急ぎましょう。攻撃魔法を止めます!」
「うん! 頑張っちゃおうよ剣術士くん!」
まずはこの大名行列状態の人の群れから、抜け出さなければ。
なにかいい案はないかと考える誠次の隣で、相村ががさごそと、自分の手提げ鞄から何かを取り出している。
「相村先輩?」
「じゃーん」
相村が取り出したのは、昔ながらのトランプカードのセットだった。
「本当は今日の夜四人で遊ぶように持ってきたんだけど、ここで使っちゃうね」
「どうする気です?」
「こうするのっ!」
相村は天に向け、トランプカードの束を投げる。すぐさま右手を掲げ、風属性の汎用魔法を発動。
円形の魔法式から巻き起こった突風が、トランプカードをあたり一面にまき散らした。
「ママ! トランプが飛んでる!」
「見て! すごーい!」
子供が多いこの場では、空をひらひらと舞うトランプにも、多くの視線が集まった。
「どーよっ?」
どや顔の相村に、誠次は「ナイスです!」と頷いていた。
誠次と相村は、スタッフたちの目を盗み、ラビットキャッスルの内層へと侵入する。外観に違わず、内部も城に相応しい作りであった。廊下に敷かれた赤い絨毯に、豪華絢爛な調度品や、ウサギたちが描かれた絵画の数々。お金を払って見学できるツアーもあるようで、それに相応しい綺麗な内装であった。
「静かですね」
中庭の忙しさとはうって変わった静寂の通路を、誠次と相村は走る。
「この中に人はいなかったってこと?」
相村がやや前を走る誠次に訊こうと、誠次の背を見た瞬間だった。
「……」
不意に立ち止まった誠次が、左手を横に伸ばし、進路を塞いで相村の足を止める。
「きゃっ」
驚く相村のすぐ隣で、誠次は右手で背中のレヴァテイン・弐を抜刀していた。
「突然どうしたの剣術士くん?」
「……いる」
通路の先を睨む誠次は、ぼそりと告げる。
黒い双眸が睨む先に、二人組の男が立っているのだ。それは、外の非常事態に関わらず、あまりにも冷静な佇まいで。
「あのお方の言う通りだ。ウサギを追いかけてここまで来るとは」
「不思議の国へようこそ」
二人組の男は若く、それでいて同じような黒い服を着ている。松明を模した安全な城の照明が近付く彼らの顔を鮮明にさせた時、誠次はレヴァテイン・弐の片割れを持つ右手に力を込める。
「目的はなんだ!? 攻撃を即刻中止させろ!」
誠次がレヴァテインを二人の男に向けて怒鳴るが、距離がある二人はあざ嗤う。
「驚いた。城に剣を持った騎士様が現れた」
「銃刀法違反って言葉、知ってるか?」
「舐めるな!」
誠次が叫び返すが、向こうからの返答は、攻撃魔法によるものだった。
「《フェルド》」
片方の男が組み立てた赤い魔法式が完成し、円の中心から火炎を放射する。人が直撃すれば、たちまち火だるまになるであろう凶悪な魔法だ。
「《プロト》!」
そんな火炎から誠次を守ったのは、背後にいた相村が発動した防御魔法だった。
目の前で火炎が弾け、火花が舞う。足下の赤い絨毯は防御魔法を型どった半円のラインを引いて黒焦げとなり、たちまち周囲を焦げ臭さと熱気が支配する。
「感謝します、先輩!」
「こんな狭いところで魔法戦するの、初めてなんだけど!」
口でそう言いながら、相村は必死に次の攻撃魔法の魔法式を展開し、指先で構築する。
「《ライトニング》!」
相村が放った魔法を、向こうも防御魔法を発動して上手く防いでいた。青白い雷撃が弾け、城の通路を閃光で蹂躙する。思わず目を塞ぎたくなるフラッシュの中、誠次は姿勢を低く保ち、男たちへ一気に接近する。
「喰らえ!」
振りかぶった刃は、狭い通路の為、手首を捻る最小限の動きで繰り出される。
誠次が振り抜いた一撃は、片方の男の腹部を横に切り裂いた。
「ぐはっ!?」
「おい!?」
悲鳴を上げて倒れ込んだ男は、立ちはだかる誠次を見上げる。
「時間がない! 邪魔をするな!」
「マジかこいつっ!」
無傷の片方の男は、腹部を斬られた男を引きずり、逃げようと、誠次へ背を向ける。
「敵に背を向けるか!」
誠次は狙いを定め、男の背を貫こうと、レヴァテインを構える。刃が肉に突き刺さる直前、男は誠次を振り向く。
「っ?」
その時、誠次には分からなかった。男がなぜ、誠次を見てほくそ笑んでいたのか。そして、腹部を斬られた男もまた、誠次を見つめて笑っている。
「――様の、言うとおりに!」
「なに!?」
男が何かを口走った瞬間、誠次の真横の壁が、ありえない形でせり上がる。それは、接近した誠次を潰そうと、城の内壁が迫り来るようだった。
「馬鹿なっ!」
誠次は咄嗟に身を引き、壁によるプレスを寸でのところで回避する。バックステップで躱した誠次の元へ、何発もの風属性の攻撃魔法が襲いかかってきたのは、その直後だった。
「け、剣術士くんっ!?」
相村の悲鳴が背後から聞こえる中、誠次は咄嗟にレヴァテインを振るい、具現化して迫り来る風の刃を斬り躱す。
「誘い込まれたのか!?」
焦る誠次は一時撤退をし、相村の元まで駆け寄る。
「だ、大丈夫、剣術士くん!?」
「はい。しかし、これは……!」
レヴァテイン・弐を構える誠次が細めた視線の先、
「仕留め損なったか」
迫り上がった壁を破壊し、現れたのは大柄の男であった。
「すごい身のこなしだったねー。人間じゃないみたい」
大柄の男の横から現れたのは、年端もいかないようなあどけない顔立ちをした、少年だった。二人とも先ほどの二人組と同じように、黒いローブのような服を着ている。
「おねーさん! こっち来なよ!? 僕と遊ぼ!」
「はあ!? 行くわけないでしょ!」
少年が無邪気な笑顔を見せ、相村に声をかけるが、相村は拒絶する。
「剣術士。本物を見れるとはな」
大柄の男はこちらを知っているようであり、誠次を見つめてにやりと嗤う。
「俺を剣術士と知って戦いを挑むか!」
「勿論だ。対人戦闘など、滅多に出来るものではない。ましてや、お前のような存在が相手ならば、こちらも腕が鳴る」
「……時間がない!」
歯軋りをする誠次は、レヴァテインを両手で握り、新たな二人組の男に向ける。
「僕はおねーさんと遊びたいんだけどなー。おねーさん遊ぼうよー」
誠次にはあまり興味がないような少年は、相村を見つめて目を輝かせている。
「なんなの、こいつら!」
相村も誠次の隣に立ち、攻撃魔法の魔法式を向ける。
「俺たちの仲間が魔法を発動している階へたどり着くには、この先へ進む必要がある」
崩壊した壁であった瓦礫を踏み、大柄の男がそんなことを教えてくる。
「ただで突破はさせないと言うことか」
「ご名答、剣術士」
ががが、と男の足下で何かを引きずる音がする。金属と金属が干渉する不愉快な金属音の発生源は、男が掲げた得物によるものであった。
「っ。斧、か」
誠次は息を呑み、男を睨む。
刃渡りの大きい両刀刃の大斧を、男は片手で持ち上げていた。
「こんなものを遠慮なく振り回せるなんて、いい時代になったもんだ」
男は嬉々としてはにかみ、豪快に大斧を振り回す。
「ちょ、なんなのよあいつ……斧術士?」
「立ちはだかるのならば突破する! 相村先輩は俺の後ろへ!」
目に見える凶器を前に、怯える相村の前に出て、誠次は剣を構える。
「じゃあ、おねーさんは僕と遊ぼ!?」
「だから、遊ばないって言ってんじゃん! この状況、ヤバいって思わないの!?」
「あはは、変なこと言ってる。ここは不思議の国だよ? なにしたっていいんだよ?」
少年は無邪気な笑顔を絶やさず、相村に告げる。
「おかしい……」
ぼそりと呟いた相村は、次には表情を引き締め、少年に向け魔法式を展開していた。
「みんな楽しんでたのに、魔法でこんなことするなんておかしい!」
戦闘開始の合図は、相村が放った無属性攻撃魔法から。魔法と共に誠次は前へと飛び出し、男へ斬りかかる。
「フン!」
男は小さな虫を蹴散らすかのように、大きな斧を横薙ぎに振り抜く。狭い通路の壁は更に砕け飛ばし、鋭利な刃は誠次の胴体へ。
「甘い!」
誠次は男の目の前で高く跳躍し、通路の装飾品であるシャンデリアを左手で掴み、男の攻撃を回避する。勢いを殺さぬまま、誠次はシャンデリアから手を離し、男へ向け上空から強襲する。
「ほう」
しかし、男が焦ることはない。振り回していた斧の柄の尖端を、誠次へ向け鋭く突き出す。
「っ!?」
誠次はレヴァテインを顔の近くへ引き寄せ、向けられた斧の柄に刃を接触させる。
レヴァテインの刃は火花を散らし、誠次の目元で火花を散らした。
「そこも刃か!」
「隙などない!」
床の上に着地した誠次の頭上に、影が作られる。照明を隠すほどの大きな刃が、誠次の頭部をかち割ろうと、振り下ろされていたのだ。
「ぐおっ!」
誠次は横に転げるようにして、斧による薪割り攻撃をかわす。直後、赤い床に到達した刃は、城の通路もろとも両断する。床が中央に向け傾いたかと思うと、壁に掛けられていた絵画が落下してきて、誠次の頭上に落ちてくる。
誠次はすぐにその場から飛び退き、絵画の直撃を回避する。
しかし飛び退いた先では、男が斧を構えて待ち受けており、誠次は繰り出したレヴァテインで、斧による一撃をまともに受け止める。
(焦るな……落ち着け……!)
今も外で攻撃を受けているであろう二人の身を案じれば、自然と焦りが生まれ、誠次は歯ぎしりをする。
衝撃で弾かれたレヴァテインは、誠次の意に反して頭上へと掲げられてしまう。その一瞬を好機と見た男が、斧を逆方向に振り抜き、戻りの刃で誠次の胴体を両断しようとする。
「貰った!」
「間に合わないっ!?」
そうと直感した誠次は、衝撃で吹き飛んだレヴァテインを潔く両手から離す。誠次の手を離れたレヴァテインは、通路の天井に突き刺さる。
「得物を手放したな!」
手持ち無沙汰となった誠次めがけて、男が斧を振り下ろすが、
「まだだ!」
咄嗟に右腰に手を伸ばした誠次は、もう一つのレヴァテインを腰から抜刀し、斧による攻撃を防ぎきる。あと少しでも判断が遅れていたのならば、自分の胴体は真っ二つにされていたことだろう。
「もう一つあるのか……!」
「喰らえ!」
誠次は手元で素早くレヴァテインを取り回すと、男の腹部へ向け尖端を突き出す。
しかし、男は巨体には似合わない素早い身のこなしで、レヴァテインの攻撃を柄で器用に受け止め、次々と弾き返す。
「焦りが見えるな。外で戦うお姫様の身が心配か?」
「何だと?」
「本城千尋。魔法執行省大臣の一人娘」
斧を両手に、ニヤリと笑いかける男に、
「貴様っ!」
激昂した誠次が思い切り振り抜いた一撃でさえ、男には躱され、レヴァテインの切れ味の良さが仇となり、刃が壁に突き刺さる。
「しまった!」
焦りから、力任せに剣を振るった誠次が見せた隙に、
「貰った!」
好機と判断し、男が伸ばした片手が、誠次の頭を鷲掴みにし、それを勢いよく壁に押しつける。
視界が真っ暗になったかと思えば、瞬時に頭蓋骨に鈍い音と激しい衝撃が走り、壁に押し込まれるようにぶつけられた頭は、重度の脳震盪を引き起こした。
「そして、相村佐代子。貿易会社の社長令嬢」
「ぐうっ!?」
壁に押しつけられた頭を無理やり引き剥がすが、視界はぼやけ、足は平衡感覚を失ってふらつく。モザイクにも見える男の姿に赤みが混じったのは、自分が頭部から出血したという事なのだろう。
「なぜ、その二人の事を……知っているっ!?」
ふらつきながら片手で頭を押さえつけ、誠次は男へ右手のレヴァテインを向ける。流血が口端に達し、血の味がする口は多くの酸素を取り込もうと、必死に荒い呼吸を繰り返していた。
「知りたくば俺を倒せ!」
男はふらつく誠次へ向け、容赦なく斧を振り下ろす。
誠次はすぐにレヴァテインを掲げ、焦点も定まらぬまま、男の一撃を受け止める。
「っ!?」
ずるりと、ぼやける視界が急に縦に移動した。
先に限界を迎えたのは、誠次が立つ床であった。斧による一撃で傷ついていた床は、衝撃を受け止めきれず、とうとう損壊する。
まるで奈落の底に引きずり込まれるように、誠次は床の崩落に巻き込まれ、一つ下の階層に落ちていく。
「剣術士くんっ!?」
相村の悲鳴が遠くなる。
瓦礫と共に落下した誠次は、綺麗であった絨毯の床に強く全身を打ち付けられ、小さな悲鳴を上げた。
「床が崩れた!? くっそ……っ!」
すぐに起き上がる誠次であったが、脳震盪は想像以上に深刻だったようだ。視界は一向に定まらず、ぼやけきった視界は全身の感覚を狂わせる。
「今助けるから!」
頭上から相村の叫び声が、キーンと鳴る耳に聞こえてくる。
「相村、先輩……っ。狙いは貴女だ、逃げ、て……!」
「おねーさんは僕と遊ぶのっ!」
「離せ! 離せってばっ!」
「そのまま連れて行け」
「はーい」
「やめ、ろ……!」
ようやく視界がハッキリとし始め、誠次は数度顔を左右に振り、天井を見上げる。ぱらぱらと瓦礫が粉を吹く中、誠次は山のように積まれていた床だったものを飛び越え、上階へ飛び出す。
「ぬ!? 何という身体能力か」
こちらに背を向けていた男は、誠次の接近を感じ、驚いたようだ。奥では相村が、もう一人の少年の扱う拘束魔法に捕まり、気を失っている。
「相村先輩っ!」
叫びながら誠次は、手持ちのレヴァテインを男に向け振り下ろす構えを見せる。
「一辺倒な事を。もう一度潰してやる!」
対し、男は斧を横薙ぎに振るい、誠次を弾き返す算段だ。
「貴様こそ、考えが甘い!」
男がそう来ることを読んでいた誠次は、斧の分厚い刃を踏み台にするように靴底で踏みつけ、更に高く跳躍する。そして、男の奥。相村を捕らえていた少年へ向け、手持ちのレヴァテインを高高度から投げ付けた。
「うわっ!? びっくりした!」
少年が、飛来する剣に驚き、身を屈める。
誠次が投げ付けたレヴァテインは、少年の目の前の拘束魔法の紐を切り裂き、相村を解放しながら床に突き刺さる。
「彼女を、離せーっ!」
飛び上がった誠次は、天井に突き刺さっていた一つ目のレヴァテインを両手で掴み、引き抜く。あとは重力に身を任せ、地面に急降下をし、瓦礫が飛び散る床に着地する。
咄嗟に持ち上げた刃は、斧を振るう男の胸元へ。しかし同時に、男の持つ斧の柄の先が、誠次の首筋に添えられ、互いに硬直する。
「もう剣はあるまい?」
「……っち」
視線を真横に向けると、誠次の後方で地面に突き刺さるもう片方のレヴァテインがある。
しかし、それを迂闊に拾い上げようとでもすれば、首筋に突き立てられた斧の刃が、自分の喉に空洞を作る事は明白だった。
「先ほどの言葉を一つ訂正しておこう剣術士。我々の目的に今は魔法執行省大臣の身柄は必要ない」
「そうそう。ラビットパークだけに、二兎を追う者は一兎をも得ずだよ? おにーさん」
格好良いねぇ、と呟きながら、背中の方で少年が床に突き刺さっていたもう片方のレヴァテインを引き抜く。
何か、何か打つ手はないのか……!?
頭痛と血を流す頭で必死に考える誠次だが、斧の刃がこちらの首筋に添えられている以上、迂闊な真似は出来なかった。
「――やめたまえ」
その男の低い声は、通路の闇の先の方から、前触れもなく聞こえた。
城の通路を歩いてやって来たのは、スーツ姿の大人の男性だった。白髪混じりの頭髪に、鬚を蓄えた険しい顔つきをしている。
「佐代子は取り戻した。もうここに用はない」
悠然と歩み寄った男性は、気を失っている相村を抱き抱え、お姫様抱っこの要領で持ち上げる。
「貴様は……」
呆然とする誠次を、相村を抱き抱える男は一瞥する。
「貴様、とはずいぶんな物言いだな。私は相村博文。相村佐代子の父親だ」
「っ!?」
貿易会社の社長と言っていた相村の父親が、どうしてここに……!? ごくりと息を呑んだ誠次の黒い瞳は、自分の娘を抱える博文を凝視する。
「少年。君はヴィザリウス魔法学園の生徒か?」
「……はい」
「ならば手を引きたまえ。これは親と子の問題だ」
「相村佐代子先輩は、ヴィザリウス魔法学園にいることを望んでいます!」
首筋の冷たい感触にも負けじと、誠次は喉仏を震わせる。
「……聞こえなかったのか? これは親と子の問題だ。部外者の君が手を出すなど、無礼な真似だとは思わないのかね」
「しかし……!」
誠次が声を振り絞ろうとするが、首筋に当てられた刃の感触が、いよいよ強くなる。博文が目配せしたのを見る限り、斧の男は博文の部下なのだろう。
「相村先輩を、どうするつもりですか!?」
「佐代子は私の子だ。親が子をどうしようと、親の勝手であろう」
迷う間もなくそう言い切る博文に、誠次はくちびるを噛みしめる。
「……相村先輩を攫うためだけに、ラビットパークでこんな大事件を引き起こしたのですか!?」
「特殊魔法治安維持組織や警察に通報をしても無駄なことだ。我々が根回しをすれば、証拠などいくらでも揉み消せる。それ故、外の彼らの怪我は不運な事故だった」
「貴様……!」
誠次が動こうとすれば、今度は博文の前に立つ少年が、攻撃魔法の魔法式を誠次に向け展開する。
「君も大人しく普通の学生としての日々を過ごしたまえ。佐代子のことは、忘れるんだ。放蕩娘が迷惑をかけたのならば、謝罪しよう」
「こんな騒ぎを起こしておいて、忘れろだと!?」
怒鳴り返す誠次であったが、次の一手は出ず、
「佐代子の身柄さえ確保できれば、我々もこの攻撃を止める。たった一人の女のために、数百の人間の命を危険に晒すか?」
「娘を人質にするのか!? 卑怯な……っ!」
実の父親を前に、ついに身体は、動かなかった。
「引き上げるぞ。迷惑を掛けさせて……全く」
誠次から興味を無くしたように振り向いた博文の言葉を受け、誠次に斧の刃を添えていた男も、魔法式を向けていた少年も、歩き出した博文の後に続く。
「あ、そーだおにーさん。これ、返すよ。僕が持っていると重くて疲れちゃうから。また今度会ったら遊んでね!」
少年がくるりと振り向いて放り投げたレヴァテインが、一、二度、床の上を回転して、立ち尽くす誠次の足下に当たる。
「――……しょう」
こつこつと、遠ざかっていく足音を聞き、俯く誠次は歯ぎしりをする。彼らの背を、追いかけることが出来なかった。
「ちくしょうっ! ちくしょうっ!」
レヴァテインと斧による無数の切り傷が残る壁を無我夢中で叩きつけ、誠次は叫び声を、激戦の後の城内で散らしていた。
城からの攻撃は、相村佐代子が攫われた事により、それが合図のように瞬く間に止まっていた。
松明の明かりがパチパチと音を立てる中、通路で項垂れる誠次の目の前を、屋上からやって来た無数の黒の群れが通り過ぎていく。
「あっれー? 頭痛そうだけど、大丈夫か?」
「俺も胸を斬られた。お互い様だな?」
その中には、ここで最初に接敵した二人組の男もいた。
「……」
戦う意味を亡くし、誠次は俯いたまま、黒い衣装に身を包んだ異様な者たちが通り過ぎるのを待つ。
細長かった人の列が急に丸みを帯びたかと思えば、その中心にいた女性が、誠次の目の前で立ち止まる。
「気に病む必要はありませんよ、剣術士。貴方は充分、頑張ったのですから」
「……っ!」
収まりきらない怒りを孕んだ身体は、目の前に立つ女性を睨みつける。
誠次の眼光を受け、周囲の青年たちが驚いた様子を見せるが、女性には大して効いていなかった。その女性は、艶やかな黒いドレスを身に纏った、いくらか年上のようだった。
「ですがこれは、親とその子の問題。貴方が介入できる余地は、もうないのです」
それとも、と女性は意気消沈する誠次へ向け、微笑する。
「もしかして、貴方が彼女の恋人でしたか?」
「……違います。でも相村先輩には……あの人には大切な人がいるんですっ!」
声を荒げた誠次であったが、多くの仲間を引き連れる女性を前に、彼らが再び一般人への無差別攻撃を行う危険性がある以上、何も手出しができない。
そして、目の前に立つ女性には圧倒的な余裕があるように、微動だにせず
「そうですか。ではその人にこうお伝えください。相村佐代子はもう帰ってこない、と」
女性はゆったりと笑いかけ、誠次の前で軽くお辞儀をし、人の列の中に入っていく。
列が通り過ぎるのを見送った誠次は、通路にて瓦礫に混じり、何かが光っているのを見つける。おもむろに駆け寄り、瓦礫を手ではらい、それを手に取る。
「相村、先輩……。俺は、ずっと助けを求めていた貴女を……見捨てたという事になるのか……?」
彼女の屈託のない笑顔を思い出し、誠次はくちびるを噛み締める。
瓦礫の中から見つけたのは、デコレーションがふんだんに施された、相村の電子タブレットだった。戦闘中か担がれた時に、落としたのだろう。華やかなデコレーションも埃を被り、汚れてしまっている。
誠次が城から出てきたとき、すでに天候は崩れ始めていた。身体を冷やす細い雨が、ぽつりぽつりと落ちてきている。
「誠次くん!?」
城の外で待っていたのか、すぐに千尋が駆け寄ってきた。怪我もしておらず、無事なようだった。
「特殊魔法治安維持組織が来てくれた。もう安全だ」
その後ろから、長谷川も駆け寄ってくる。
誠次は、彼の顔を直視することが出来ずに、思わず俯いてしまう。
「……誠次くん?」
何やら様子がおかしいことに気付いた千尋が、心配そうに誠次を見つめる。
「相村は?」
長谷川が誠次に尋ねる。
「……申し訳、ありません。俺が、いながら……」
「っ!? 天瀬、それって、どういうことだ……」
雨に打たれ、頭を下げる誠次に、長谷川はただひたすら戸惑っていた。
「と、取りあえず、ホテルに移動しませんか? 何があったのか、お話はそこでいたしましょう」
梅雨の雨の下、力なく立ち尽くす二人の男子へ、千尋が交互に声をかけていた。
~サヨコ・イン・ワンダーランド~
「ラビットキャッスルの入り口はこっちのようです!」
せいじ
「急ぐよ剣術士くん!」
さよこ
「みんな、無事か!?」
???
「あれ、剣術士くん?」
さよこ
「ケンジュツシ?」
???
「俺は鉄郎だ」
てつろう
「鉄郎?」
さよこ
「ああ、ラビパのキャラクターの一人だよね」
さよこ
「でも、元は人間の世界で生きていたんだ」
てつろう
「そして俺はみんなを守るために、この不思議な世界にやってきたんだ!」
てつろう
「へー」
さよこ
「今このウサギの王国は、謎の怪物によって陥落の危機に陥っている!」
てつろう
「そこで俺は、ウサギの人参パワーで怪物をやっつけるんだ!」
てつろう
「人参パワー?」
さよこ
「ああ。使うと目がキラキラ光って強くなるんだ!」
てつろう
「そうなんだー」
さよこ
「そして俺には、ウサギのハーレムがある!」
てつろう
「そりゃまた」
さよこ
「三十歳になるまで、俺はみんなを守ってみせる! いろいろな意味で!」
てつろう
「深くは訊かないけど、頑張れ! 鉄郎!」
さよこ
「よければ君も、俺に守らせてくれないか?」
てつろう
「みんなを守ることこそが、この世界で俺の使命なんだ」
てつろう
「ううん」
さよこ
「ウチはもう、ちゃんと好きな人いるから」
さよこ
「その人といつまでも一緒にいるよ!」
さよこ
「そっか。なら俺は、君の幸せを望むよ」
てつろう
「はっ!?」
てつろう
「またどこかで魔法を使って悪巧みをしている輩がいるな!」
てつろう
「まったく、俺が行くとこ来るとこ必ず何かが起こるな。やれやれだ」
てつろう
「でも、みんなの笑顔のため、俺が行かないと! とおーっ!」
てつろう
「……ずいぶんと格好つけて、行っちゃった」
さよこ
「頑張れ鉄郎! ウチも、大事な人ちゃんと守らないと!」
さよこ




