5 ☆
機械の駆動音が延々と鳴り響く、狭く薄暗い密室。イギリスマフィアに捕まり、彼らの所有する潜水艦の一室に押し込められた篠上綾奈、帳結衣、シア・ガブリールの三人は、身を寄せ合うようにして座っていた。
もちろん、不安や恐怖はある。しかし、ただただ怯えて状況を待つことなど、生憎シアと共に捕らえられた少女二人には、出来なかった。
「脱出しましょうっ! どうにかしてここを逃げ出しましょう!」
結衣が声を張り上げ、二人に主張する。
「潜水艦の中から、どうやって? 仮に穴を開けて出ようにも、深海だったらしわしわになって潰れちゃう」
意気込む結衣に、相変わらずね背中の後ろで両手を縛られているシアが首を傾げる。
「シアの魔法でどうにかならない?」
「……手が動かない」
篠上の質問に、シアは悔しそうに答える。
「そうね……。まず、シアの両手をどうにかしない限り、脱出は難しそうね」
篠上は顎に手を添える。
「なにごちゃごちゃ話してるんだ、こいつら……」
時より、日本語がわからない見張りの男が、話し合う三人を睨んでいる。会話の内容が気になるのだろうか。
「私はいいよ。でも、二人は逃がしたい」
「いいえ。絶対に三人で逃げるの」
結衣がきっぱりと言った瞬間。
――ぐーっ。
三人に沈黙が訪れる。誰かのお腹が、鳴った音が響いたのだ。
「……や、嫌だなあ綾奈先輩。お、お腹空いてるんですか? こんな状況で?」
結衣が顔を真っ赤にしながら訊くと、
「な、なによっ! 今のは結衣でしょう!?」
座ったままの篠上がムキになって反論する。
「私からすると、二人から同時に聞こえた」
シアがぼそりと告げ、二人が恥ずかしそうに顔を伏せたことにより、水中の水掛け論は終わる。二人とも弁当を楽しみにしていたため、今日はまともにご飯を食べてはいなかったのだ。
「……私は、お腹がごろごろしてる」
「「それはアイスの食べすぎっ!」」
気持ち悪そうにお腹をさするシアに、二人が大きな声でツッコんでいると、またしても鉄格子のドアが蹴られる。
「うるさいって言ってんだろうが!」
英語で何かを言われても、篠上と結衣には聞き取れない。
そして、長時間湿気の多い密室に入れられた事により、知らずのうちに苛立ちも募っていたのかもしれない。――或いは、彼女が元々持っていた度胸によるものか。
「何よ! 人を誘拐しておいて偉そうね!」
おもむろに立ち上がった結衣が、男へ向け声を張る。
「こっちはお腹減ってるのよ! 食べ物の一つでも寄越しなさい!」
「何言ってるか分かんねえんだよ、チビ!」
「ちんちくりん言うなっ! ……ってあれ、何で今小っちゃいって言われたって、私分かったの……?」
結衣が恐る恐る篠上とシアを見るが、二人とも何とも言えずに首を横に振っていた。
「と、とにかく! 即刻食事を用意しなさい! 女性に対してこんな扱いをするなんて、紳士の国が聞いて呆れるわ!」
小ぶりな胸の前で腕を組み、結衣は先程の失態を揉み消すように、怒鳴り散らす。
「今逆に私は、日本の女性に対する大和撫子なイメージが崩れている……」
本当は怖い相手であるイギリスマフィアに向け勇猛果敢にも声を荒げる結衣を見て、さすがのシアも戦慄している。
「って言うかいっその事もう出しなさいよ!? シアさんだって、アンタたちが無理矢理魔法使わせてるんじゃない! 可哀そうよ! 魔法は金稼ぎの為にあるものじゃないのよ!?」
両親を”捕食者”に殺され、生活が出来なくなった二人の兄妹をマフィアが無理やり保護したと言う話は、結衣も篠上もさきほど聞いていた。
だからシアは、兄であるノアの元を離れようとした。マフィアは本当に必要としているのは自分であって、魔法が不得意な兄ではないと。しかしマフィアは、シアが想像していたほど甘い相手ではなかったのだ。
「うるせえから黙れ! いい加減にしねえと、海に沈めるぞ!?」
「日本語で話しなさいよ! ここは日本よ!」
「さっきからごちゃごちゃ言ってるんじゃねえ、チビ!」
「だからちんちくりん言うなっ! ……って、なんで私そこだけ分かっちゃうのよ!?」
うがーっ、と結衣は、唸り声をあげて、両手で頭を抱える。
さすがに呆れ果てたマフィアの男は、ため息を溢し、再び背中を向けてしまう。
「……っち。苛立たせてドアを開けさせようとしたけど、さすがにアニメみたいに上手くはいかないわね」
舌打ちとため息を溢し、結衣は振り向いていた。
「それにどっちかって言うと結衣の方が苛立っていたわね……」
篠上もとほほ、と肩を落としていた。
篠上のそんな些細な動きでさえ、柔らかそうな感触で動く胸元を見つめ、結衣は思いついたように顔を上げる。
「はっ! そうですよ綾奈先輩! アイツを誘惑してください!」
「絶対に嫌よ!?」
何を言い出すかと思えばこの後輩は、と篠上は腕で自分の身体をぎゅっと抱き締める。
「ここを出るためです! アイツ、絶対綾奈先輩みたいなのが好きなんですよ! 外国人ってみんなそう!」
「偏見っ! あと、みたいなのって馬鹿にしてるでしょっ!」
遂には言い合いを始めてしまった二人を尻目に、シアは鉄格子の窓に近づく。
「すいません。お手洗いに行かせて下さい」
「っち、しょうがねえな」
英語での会話に、男はドアを簡単に開ける。
篠上と結衣は、それを「「えっ」」呆気にとられて見つめる。
「……最初から」「そうすれば良かったじゃん……」
直前まで言い合いをしていた二人は、呼吸を合わせて立ち上がり、ドアへと向かう。
「何!? 魔法が使えないんだぞ!?」
にも関わらずに突っ込むのは、誰かの影響か。篠上と結衣はドアを通り抜けると、驚く男へ足を掛け、男を室内へ向け背中から倒す。悲鳴を上げた男が立ち上がるよりも早く、二人は同時に手を押し、ドアを勢いよく閉める。電子キーのドアランプは赤く光り、外側から鍵が掛かった合図であった。
「しまった! おい!? 逃げ場なんてねえぞ!」
「でかしたわ、シア!」
「わー凄いね。でも私は、本当にお手洗いに行きたかったのだけど」
あくまでマイペースなシアに、篠上と結衣は「「何じゃそりゃ……」」とよろめく。しかし、密室からの脱出には成功した。
「もう魔法使えるみたいですけど、ここからどうします!?」
結衣が手元で魔法式を展開しながら、篠上に尋ねる。おそらく、妨害魔法がかかっていたのは閉じ込められていた部屋のみだったのだろう。
魔法が使える。こうなればもともと気が強い篠上と結衣は、強気になる。
「まずはシアの両手の解放ね!」
思った以上に狭い、しかし長い潜水艦内の通路を見渡して、篠上は言う。通路の間は人が二人どうにか横に並べられる程度のもので、むき出しの天井には傷つけてはいけなそうな大小さまざまなパイプが伸びている。
「でも、どこ目指せば……」
左右に伸びる通路を見て、篠上が判断を迷っていると、
「そうですね。女は黙って右ですよ!」
結衣がそんなことを言い、ずんずんと進んでいく。
「そんなこと聞いたことないんだけど!?」
そうはツッコみつつも、このまま立ち止まってはいられない。依然手を縛られたままのシアを間に、篠上は結衣を追いかけて走る。潜水艦の中の狭い通路で、三つの足音が響いていた。
※
「お疲れ様っ」「お疲れ様です」「お疲れ様」
合わせた三つのグラスに注がれていたジュースが、グラスの中で波を作って踊る。
夕暮れのヴィザリウス魔法学園の女子寮棟の一室では、GWの一日をアルバイトに捧げた三人の魔法生が、仕事の疲れを労っていた。
「やっぱりGWはめっちゃ混んだね。こうちゃんとクリシュティナちゃんがいなかったら絶対やばかった」
ぷはっ、とジュースを飲んだ桜庭莉緒が、お菓子の広がったテーブルを囲むようにして座る二人のクラスメイトに笑顔を振りまく。
販売も行っている喫茶店なので、商品の運搬や袋詰め等で二人の扱う魔法は大いに役に立っていた。
「私こそ、莉緒さんと千絵さんの接客スキルと、詩音さんの技術がなければ、上手くはいきませんでした。見習うべきですね」
クリシュティナは上品にグラスを両手で持ち、ジュースに口をつける。
「余ったケーキも沢山頂いたし、頑張った甲斐があったわ」
香月の手元には、作りすぎで販売期限を過ぎてしまったケーキがあった。しかしそれらは三人で食べるには多すぎな量である。
あと……お腹周りも、気にしなければ。
「我慢、するわ……」
自分のお腹をじっと見つめた香月は、続いてケーキを見つめて、何かの誘惑を断ち切るように首を横に振る。
「抹茶のケーキは天瀬くんにあげるとして、あとは三個あるから、篠上さんに本城さんにルーナさんかしら」
「うん。そうだね!」
桜庭は早速、自分の電子タブレットを私服のポケットから取り出す。
「あたしはほんちゃんに電話するから、こうちゃんはしのちゃんに電話お願い」
「ええ。分かったわ」
香月も自分のウサギのマスコットが付いた電子タブレットを取り出す。
ルーナの分だがと、香月はクリシュティナを見る。
「そう言えば、ルーナさんは好き嫌いはあるのかしら?」
その質問に対し、クリシュティナは何処か嬉しそうに「いえ」と、首を横に振っている。
「ルーナは私の作った料理でしたら、何でも美味しいと言ってくれます。子供の頃にオルティギュアの屋敷で二人でケーキを手作りをしたときは、生クリームの代わりにマヨネーズを使ったケーキを作り上げてしまい、ルーナのご両親に怒られた事もあります」
今は亡き大切な思い出を、クリシュティナは胸に手を添えて思い出すようにして言っていた。
「ま、マヨネーズケーキ……。見ただけでうっ、てなりそう……」
桜庭がお腹を抑える仕草をして、苦笑する。
「ルーナさんらしいわね」
そんなことを言っていると、香月の電子タブレットが、遠く離れた場所にいる篠上の持つ電子タブレットと繋がる。
早速香月は、ホログラムを指でタッチし、篠上との音声通話を試みる。
「……?」
しかし聞こえてきたのは、耳障りなノイズであった。夜も近いというのに、電波が届かないようなところにいるのだろうか。この時代となっては珍しい電波状態の悪さに、乱れるホログラム画面の反対側にいる桜庭とクリシュティナは顔を見合わせる。
「もしもし、篠上さん?」
香月は心配になり、篠上へ呼びかける。
※
その頃、篠上と結衣が囚われている潜水艦の中。
部屋からの脱出を果たしたシアを含めた三人は、潜水艦内の食堂のような場所にたどり着いていた。暑苦しくじめじめした室内だと言うのに、観葉植物まで置いてあるそこでは、微弱ながら電波が通っていた。
「えっ、デンバコが通じる……?」
篠上は振動を感じ、身を潜めながら電子タブレットを取り出す。
「綾奈先輩?」
後ろでしゃがんでいる結衣が、篠上を覗き込む。
壁を一つ越えたすぐ向こうでは、男たちの笑い声と会話が聞こえ、大きな声は出せない状況だ。
「詩音から電話が来てる!」
口元を押さえながら、篠上は明るい表情となる。状態は悪いが、電波が通じるここでなら、助けが呼べるかもしれない。
「もしもし、詩音!?」
『も……し……っ』
やはり声は途切れ途切れで、スムーズな会話は見込めそうにない。
この状況下で、優先すべき事を優先的に伝えなければと、篠上は逸る気持ちを落ち着かせる。
「詩音。今私たちはイギリスのマフィアに捕まって、潜水艦の中にいるの!」
『……全、聞こえ、い……』
「助けを呼んでほしいのと、逃げてる一人が手首に手錠をかけられているの。手首の手錠を簡単に切れるような魔法、何かない!?」
※
『……助け、逃げ、手首、切れ、る……』
酷いノイズの中から聞こえてきた篠上の言葉に、香月は首を傾げていた。向こうがなぜか小声なのも、聞き取りにくい事に拍車をかけている。
「綾奈……?」
クリシュティナもホログラムをじっと見つめて、声を聞き分けようとしている。
ただ、桜庭だけは青冷めた表情をしており、
「助けて……手首を切る。……って、まさかしのちゃん、自分で自分の腕を切ろうとしてる!?」
「あの綾奈が、自傷行為、ですか!?」
桜庭の言葉に、クリシュティナも驚く。
「止めさせないとっ!」
「悩みがあるのなら、相談に乗ります!」
桜庭とクリシュティナの声を受け、香月は真剣な表情で頷く。
「そうね。絶対に止めさせないと」
『聞こえ、る……?』
香月は小さく深呼吸をして、乱れるホログラム画面を見つめる。電波状態が安定してきたのか、先ほどよりは声がクリーンに聞こえている。
「ええ、篠上さん。貴女の声はちゃんと聞こえるわ。だから……どうか早まらないで!」
無表情でクールな香月にしては珍しく、大きな感情を覗かせる声音であった。それは主に誠次や、友だちの身に何かが起きるときに現れる。
『早、まら、ないで……?』
「何か悩みがあるのなら、私たちが相談に乗るわ! 自分で自分を傷つける必要はないのよ!」
『だか、ら。手首……切……る……っ!』
「絶対に駄目よ!」
頑なに手首を切ろうとしている篠上に向け、香月はぴしゃりと言い放つ。
※
『絶対に駄目よ!』
「何で駄目なのよ!?」
……ことさら、篠上には自傷する気など全くないのだが。
『しのちゃん! 悩みがあるんだったら、アタシたちに何でも相談して!?』
「だから今まさに相談してるんだけど!?」
『ここでは話せないような悩みなら綾奈。私がマッサージをしながら個別でお聞きします。ヴェーチェル家に代々伝わる秘技で、ストレスも解消されるかと』
「そんな悠長なことしてる暇ないんだけど!?」
篠上はぐっと大声を堪えて、掠れさせた声で反論する。
向こうの声は鮮明に聞こえるのが、余計にもどかしい。
「あ、これ完全にこっちの声が上手く届いてませんね。私もありましたよ。ホログラムを使った立体映像を駆使したライブで、私の声が一切お客さんに届いてないの。一人でカラオケ熱唱してたみたいで、急に恥ずかしくなるやつですね」
周囲を警戒していた結衣がぼそりと声をかける。
「よく分からない例えをどうも……」
この様子では外との連絡を取り合うことは期待できそうにない。篠上はため息を溢し、電子タブレットの電源を落とそうとするが。
『待って、篠上さん!』
何処か必死な様子の香月が、篠上には珍しく思い、つい会話を続けてしまう。
「詩音? まさか、通じたの?」
篠上は、相変わらず砂嵐状態となっているホログラム画面を見つめる。
『私は、貴女の事を大切な友だちだと思っているわ。たまに貴女のその頑固なところとか、女性として恵まれすぎているスタイルに嫉妬したりしているけれども……貴女はいなくてはならない存在なの! 私や天瀬くんは……そんな貴女が大好きなのよ!』
「し、詩音……っ!」
口元に手を添え、感極まる、篠上である。
結衣はそんな篠上を見つめ、「駄目だこりゃ……」と天を仰ぐ。
『聞いてくれたと思うところで、最後に一つ訊きたいのだけど篠上さん』
「うん……なに?」
ぐすんと、思わず涙ぐんだ目元を篠上は拭う。
『貴女は……イチゴのショートケーキ、好きかしら?』
「そんなの……私だって大好きに決まってるじゃないっ!」
堪えきれず、とうとう篠上は大声を出す。
その篠上のいつも通りの声を聞けた香月は、満足そうに頷いているような溜を作っているのだった。
『なら、美味しい紅茶を淹れて待ってるわ。ケーキも甘くて、とても美味しいわよ。是非……食べに来て頂戴』
「絶対に食べに行ってやるんだからぁーっ!」
当然、船内にいた男たちは篠上の尋常ではない叫び声に反応する。まるで、潜水艦全体が震動しているようで、それらと共に足音も近づいてくる。
「みんな、仲が良さそうで嬉しい。王様も、きっと喜ぶと思う」
シアは相変わらずよくわからないことを呟いていた。
「こうなったら結衣! 私たちだけでも敵を蹴散らすわよ!」
完全にスイッチが入った篠上は、水色の目を凛々と奮わせる。
「シージャックですか……。良いですけど、イチゴのショートケーキ、半分分けて下さいよ、先輩?」
「てっぺんのイチゴは私のものよ?」
「いたぞっ!」
食堂に駆け込んできた男は二人組。
頷きあった篠上と結衣は、同時に攻撃魔法を発動し、苦もなく男たちに命中させる。
「私、パワータイプなんですけどね! 船に穴空いても知りませんよ!?」
結衣は不敵な表情を見せ、狭い通路から重なるようにして来る男たちへ、右手を向ける。そこから浮かんだ魔法式から出現したのは、螺旋の回転をする鋭利な槍であった。
「《シュラーク》!」
結衣が放ったドイツ産の魔法の槍は、通路にいた男たちを瞬く間に薙ぎ倒していく。
「シア、こっち!」
一方、篠上はシアを連れ、食堂内の厨房へと駆け込む。
「あった!」
男だらけの環境下では、決して綺麗とは言えない厨房の中でも、篠上は目当てのものを発見する。
「料理の缶詰開けるときとか、便利だからよくこれ使うのよね」
きょとんとするシアの背中で、篠上は手慣れた様子で缶切りを扱う。
「缶切りで、手錠が切れるの?」
「おばあちゃんが使ってて。魔法が使えない人向けに売られてるんだけど、添えるだけで鉄も切れる性能なの。じっとしてて」
「うん」
結衣が足止めをしている隙に、篠上はシアの手錠を斬り解いてみせる。
未だ両手に輪は付いたままだが、これで手の自由は確保できた。
「ありがとう。今度は私が、二人を逃がしてあげる番だね」
シアは自由になった手首の感触を確かめながら、決意を込めて頷いている。
「シアはこれからどうする気なの……?」
関わってしまった以上、篠上はシアのことが放っておけなかった。
「……お兄さんは私がいない方が、幸せになれる。私は、一人で大丈夫」
「一人でなんて、無茶に決まってる!」
「綾奈先輩の言うとおりですよ!」
厨房まで駆けつけた結衣が、シアに向け、語気を荒くする。
「いくら日本でも、一人でなんか絶対に生きていけない。それともそこら辺での垂れ死にたいわけ!?」
「……ううん」
並々ならぬ思いを見せる結衣に、シアは重い首を横に振る。
「せっかく生き残れたお兄さんがいるのに、何でわざと離れようとするの!?」
「だって、私が魔法が得意だから、お兄さんは利用されてる……。私がいると、お兄さんが苦しむ……」
怒鳴られ、シアは泣きそうにもなってしまっているが、結衣は構わずにシアを睨む。
「だからって、勝手にいなくなったら、お兄さんはもっと悲しむわ!」
「……でも」
「でもでも何でもいい! 絶対に三人でここを脱出して、アンタのお兄さんの所にアンタを連れていく。アイス代は返してもらわないと困るわ!」
結衣がきっぱりと言い放ち、未だに迷うシアの手を取る。
「……どうして、貴女は……」
「暑苦しいと思った? 私にも一応、大切だと思ってるお兄ちゃんがいるから」
結衣は迷うこともなく言う。例え今はまだ兄妹としての付き合いが短くとも、自分を救ってくれた恩は忘れる事もない。
「厨房にいるぞ!」
マフィアの男たちが三人を見つけ、再び捕らえようと迫り来る。
しかし、両手が自由になったシアは、広範囲に及ぶ攻撃魔法を放ち、男たちを次々と倒していった。
逃げ出した三人組の少女の事は、潜水艦の脳みその部分であるブリッジにも届く。普段は光学迷彩で深海の様子が三百六十度見渡せるブリッジも、今は異常事態により、無機質な電子機器が並んだ圧迫感ある光景となっている。
「なぁにぃ!? 捕らえに行った若いやつらが、次々と返り討ちにあってるだとぉ!?」
頭を下げる部下からその知らせを受けたとき、マフィアの首領は、それはそれは大層なご立腹であった。
「早く捕まえろ! この潜水艦は俺たちのアジトなんだぞ!?」
「はっ!」
首領はヴィンテージ物の葉巻を床に落とし、足で踏みつけてねじり回す。そのまま苛立ちから言葉にならない声を叫ぶと、前の方に立つ潜水艦の航海士は、びくりと背筋を震わせていた。
「おのれ……。クスリと金の搬送作業もまだだと言うのに……」
日本で獲得した膨大な資金は、横浜港で夜のうちに回収する予定であった。当然、゛捕食者゛出現の危険性はあるが、同時に目撃者の数もいなくなると言う好都合もある。どちらにせよある程度は危険な道をいかねば、違法な金を首尾よく集めることも出来まい。
何より犠牲になるのは、潜水艦にいる自分ではなく、部下なのだから。
「兄もまだ見付からんとは……。ええい、先にクスリと金の回収を済ませるぞ! 横浜のレンガ港へ急げ!」
「そ、それが、首領……っ」
恐る恐る、横に控えていた部下の男が、口を開く。
「まだなにかあるのか!?」
苛立ちを隠そうともせずに怒鳴る首領に、部下の男はごくりと喉音を立てて、味のしない唾液を飲み干す。
「レンガ港のやつらと、連絡がつきませんのですっ!」
「なぁにぃ!?」
※
日が大海原の彼方へとその姿を隠し始めた、夕暮れの横浜、レンガ港。
倉庫に留まっていたマフィア関係者たちを、ことごとく蹂躙する巨大な白い怪物が、そこで大暴れをしていた。
「行っけーっ! イエティちゃん!」
「ギグゴ!」
幼い身体つきと顔立ちをした少女が操る魔法式から出現した、白い体毛をした雪男たち――イエティが、マフィアの男たちを追いかける。ダッシュで迫り来るゴリラのような魔法の使い魔は、男たちから見れば恐怖が鳴き声を上げて迫り来るようなものだが、イエティからすれば追いかけっこをしているようなものだった。
「な、なんだあの怪物はっ! 新種の゛捕食者゛か!?」
「こ、ここなら安全だ!」
コンテナとコンテナに挟まれた狭い通路に、男が身体を横に向けて入っていく。
息も詰まるような狭い空間から飛び出した先で待っていたのは、黒と赤のマントを翻した青年だった。
「ヒット!」
青年は不得意な魔法を諦め、細長い角材を、それこそ自分たち兄妹の為に協力を約束してくれた少年の剣捌きの様に、振るう。
兜割りのように降り下ろされた角材は、見事にマフィアの男の頭にクリーンヒットし、青年は折れた角材を誇らしげに肩に担ぐ。
「フハハハハッ! これで私も今日から剣術士だ!」
「ううん。せーじはもっと凄いんだから!」
少女は青年に注文を付けていた。
—―当の剣術士は、積まれた赤色のコンテナの上に立ち、イエティから逃げ惑うマフィアの男たちを睨む。
「予想より数が多い……。しかしこうして暴れないと、海坊主も姿を見せはしないだろう」
横浜の潮風を浴びながら、誠次は右手で右目の眼帯にそっと手を添える。瞑った左目も合わされば、暗闇の世界が視界いっぱいに広がる。
時に妄想するとも呼ばれるが、そこでは頭に思い描いた空想の世界をなんでも描くことができる、言ってしまえば人間に与えられた最高の贅沢の場だ。
誠次は、わずかな間しか一緒にいることのできなかった大切な存在を、そこにて思い出す。
「……ああ。ガブリール魔法博士とその妹を助ける。じゃないときっと、今年も貴方たちの墓に面と向かって会いに行けそうにない!」
今となってはもうほとんどイメージで補うしかない家族たちとの会話は、手早く終える。
するべきは、自分が信じる道を貫き、かつて自分が信じた人を救うこと。
「そこを動くなーっ!」
気合いを込めるためにも叫び、コンテナから跳びだし、イエティから逃げ惑う男の目の前へその身を現す。
「潜水艦を呼び寄せろ! 仲間を解放させろ!」
レヴァテインを向け、誠次はガブリール魔法博士から教わった即席の英語を叫ぶ。
男たちは慌てて立ち止まるが、すぐに魔法式を展開する素振りを見せる。
「刃向かうか!」
魔法式を構築する男だが、それよりも速く、天瀬誠次はレヴァテイン・弐を振るい、男の右腕に切り傷を奔らせる。
「き、斬られたっ!」
右腕を抑え込み、流血に怯える男へ向け、これもガブリール魔法博士に教わった拙い英語で誠次は叫ぶ。対魔術師戦においては、この魔法世界で剣術士である自分の戦い方にとって、ある意味一番重要な台詞であった。
「治癒魔法で治療しろ!」
「はっ!? なんだと……!?」
「よくもーっ!」
悲鳴を上げて地面に崩れ落ちる仲間を見たマフィアの男たちが、誠次目掛けて迫り来る。
それを見た誠次は、背後にあったコンテナを確認すると、その鋼鉄の筐体の側面を、振り抜き様にレヴァテインで斬り開く。
英語表記のコンテナには、加工食品と書いてあった筈だが、中に入っていたのはなんと、小麦粉のような大量の白い粉だった。
(まさか、コイツらはこれも運ぼうと……っ!?)
クレーンで搬送待機状態であったそのコンテナの中身の白い粉について、ぴんと思い立った誠次は、さらにレヴァテインを振るい、コンテナの側面を完全に斬り開ける。
すぐさまジャンプをして飛び退けば、中から飛び出した大量の白い粉が、まるで雪山の雪崩のように、男たちに襲いかかっていた。
「げほっ、げほっ!?」
「重要な資金が! ボ、ボスに叱られるっ!」
「アヒャヒャッ! ヒャッホウッ!」
粉に埋まった男たちは、色々な意味で悲鳴を上げていた。
「吸ったらマズいかっ!?」
それらの光景を見ながら、左腕で顔を抑えながら、コンテナの上に飛び乗った誠次。たんっ、と足音が鳴った直後、突如後ろから伸びてきた太い筋肉質な二つの腕が、脇の下を通り抜け、誠次を拘束する。
「捕まえたぞ、日本の剣術士!」
「しまったっ!」
待ち構えていた屈強な体躯のマフィアの男は、じたばたともがく誠次の腕を、圧迫するように締め付ける。
「……っぐ!」
「邪魔しやがって! 腕の骨を折って、海に沈めてやるッ!」
「あの二人を自由にさせろ……! あの二人の魔法は、誰かに命令されて使われるようなものじゃない! 魔法は自由だ!」
「何言ってるか判らねえが、死ねや!」
反撃を試みようと踏ん張る誠次の汗が滴る首に、男が殺意を抱いて噛み付こうと大きく開けた口を近付けた瞬間であった。
「――《シュラーク》っ!」
彼方から放たれた魔法の槍が、誠次を拘束していた男の横っ腹に突き刺さる。
「グハッ!?」
男は悲鳴を上げて腹部を両手で抑え込み、その隙に誠次は男の拘束から逃れ、振り向きながら腹部にレヴァテインの尖端を突き入れる。
「痛くねえ、痛くねえぜ!?」
なんと男は、腹部にレヴァテインを突き刺したまま、直進しようとしてくる。
「っ! クスリで痛みを感じないのか!」
そう直感した誠次は、咄嗟に男からレヴァテインを引き抜くと、男の頭部に回し蹴りを食らわせ、男の体勢を崩す。
「そのまま落ちろーっ!」
「なに!?」
衝撃で怯んだ男の懐まで一気に接近し、よろめく男の身体を押し、すぐ下の港の海まで、男を突き落としていた。
「ハアハア……危なかった!」
決して綺麗とは言えない水飛沫が盛大に飛び交う中、誠次はコンテナの下にいた、こちらを援護してくれた少年の姿を、見つける。
「無事かーっ!?」
「悠平!?」
聞き覚えのある勇ましい声の持ち主は、クラスメイトでありルームメイトであり友人の、帳悠平だった。
「ハアハア! 息がやばくて、腕が震えて、正直お前に当たらないか、冷や冷やしたぜ!」
「安心しろ。無属性は俺には効かない」
「そりゃそうだけどよ。分かっててもやっぱ、友だちは撃ちたくねえよ」
全身から汗をだくだくと流し、膝に両手を添えて荒い呼吸を繰り返す悠平の足元には、地面に横たわりタイヤだけが回転している電動自転車があった。
コンテナの下に飛び降りた誠次は、唖然とする。
「まさか、自転車で東京から横浜まで来たのか!?」
「おうよ。電動自転車を゛人力゛でな。この時間帯なら車も全然ないし、信号無視しまくりだったぜ」
悠平は苦しそうに呼吸を続けながらも、右手を持ち上げてグッドサインを見せつける。夕日に光る汗がまぶしかった。
「なんて奴だ……。助かった、ありがとう」
思わず苦笑した誠次は、悠平に左手を差し出す。
「ハッハッハ……。お前にだけは言われたくないぜ」
やや疲れてしまっている悠平は誠次の手を取ると、呼吸を落ち着かせながら、立ち上がる。
「いたぞ、こっちだ!」
ぞろぞろと集うマフィアの男たちは、瞬く間に誠次と悠平を取り囲む。
「数は多い。油断するな悠平!」
「やっぱドンパチやってんだな。腕が鳴るぜ」
対し、誠次と悠平は背中合わせとなり、お互いの死角をフォローし合う。
「そうだ誠次。忘れ物だ」
背中の悠平が、背負っていた黒い袋を誠次に渡す。それはレヴァテイン・弐にとって、欠けていたパーツの一つだ。
「ありがとう、助かった!」
誠次は黒い視線を周囲へ注意深く向けながら、悠平からもうひとつのレヴァテイン・弐を取り、鞘を手早く腰に取り付ける。
「んで、コイツらか? 俺の大切な妹に手を出した連中は」
悠平もまた、妹を守るためにここまで駆け付けたのだろう。朗らかな印象のある緑色の目は、今や怒りを伴い、男たちへ向けられる。
「ああ。イギリスのマフィアだ。魔法を使って金儲けをしている」
「妹は返してもらう。悪い誠次。力を貸してくれ」
誠次はすぐさま頷く。
「元よりそのつもりだ。そして、ガブリール魔法博士たちをマフィアの呪縛から解き放つ!」
「足はパンパンだけど、魔術師には関係ねえ。家族取り戻すためだ。やってやる!」
意気込む悠平の背後で、頷く誠次もまた、片方のレヴァテイン・弐を左手でいつでも抜刀出来るように右腰に装着し、右手でもう片方のレヴァテイン・弐をしっかりと握り締める。
「俺はみんなを守り、ガブリール兄妹を救う! 二刃一刀流の真髄、とくと味わえ!」
「張り切りすぎて今度はミスるなよ、誠次?」
「お互い様だ、悠平」




