香月詩音によるなんと素敵な日常(小話) ☆
それは、テストとGW前のとある日。ヴィザリウス魔法学園の教室にて、香月詩音は、はっとなって顔を上げる。
「……あれ、居眠りしてたのかしら……」
窓際の席の窓から零れる日差しにやられ、一瞬だけ寝てしまっていたようだ。テスト勉強のしすぎ、と言うわけでもなく、急に睡魔が襲いかかってきた。
平日の授業中、今まではこんな事一度もなかったのに。幸いにも周囲の人には居眠りを気付かれておらず、公民の授業を行っている社会科の教師にも見られてはいなかったようだ。
「随分と昔の授業をしているのね……」
緑色の黒板に白いチョークで書かれていたのは、かなり昔の時代の歴史の事だ。歴史の授業ならともかく、今は公民の授業だったはずだが。それに、教室の雰囲気も妙な違和感を感じる。具体的に何がおかしいのか、自分にもハッキリとは分からないが、変なのだ。
「よく寝たはずなのに……おかしいわ……」
頭に手を添える香月の姿を、今度は社会科の教師は見ていたようだ。
「どうした香月? 勉強のしすぎで頭が熱くなったか?」
……おかしい。社会科担当の教師は確かものすごくおじいちゃん先生だったはずなのに、今はフレッシュな男性教師となっている。しかし何処か、おじいちゃん先生の面影を感じるような感じないような……。
「え……?」
得体の知れない気持ち悪さを感じ、香月は自分の身を抑えていた。
「おい、本当に大丈夫か? 保健室に行くか?」
「い、いえ……平気です」
「無理はするな。そうだ天瀬、連れて行ってやれ」
「はい」
社会科の教師に言われ、立ち上がったのは中央の席に座る見知った男子生徒だった。
誠次は香月の元まで歩み寄る。
「立てるか香月?」
「ええ。ごめんなさい」
「構わない。ほら、一緒に保健室に行こう」
誠次が右手を差し出し、香月はそれを掴んで支えに立ち上がる。思ったほど身体はだるくはないが、倦怠感がないかと訊かれれば嘘になる。奇妙な感じだ。
二人は教室を出て、学園の保健室へと向かう。
「ありがとう、天瀬くん」
「気にするなよ。それに先生、俺が香月の彼氏だからって指名したに違いない。顔が笑ってたし」
隣でブツブツと文句を垂れるようにして言う誠次に、香月は紫色の瞳を大きく見開く。
「ち、ちょっと待って天瀬くん。今、なんて……?」
「先生が俺を指名した時顔が笑ってたんだって。きっと、俺と香月の事を知ってるからに違いない。学園でも結構有名だし」
「有名って……いえそれよりも、私と貴方の事って?」
「だから、彼氏と彼女だって……って、何度も言わせるな恥ずかしい」
誠次はやや顔を赤らめて、そっぽを向いていた。
「私とあなたが、付き合ってる……? 堂々と?」
「別に堂々とはしてないだろ……」
「じゃあ、学園公認と言うこと?」
「なんかやだなそんなカップルっ!」
顎に手を添える香月に、誠次はツッコんでいた。
とくんとくんと高鳴る胸に手を添え、香月は自然と上がってしまった口角を誤魔化そうと、俯く。
「どうしたんだ香月。やっぱり様子がおかしい。彼氏として心配だ」
「ちょっと、その……彼氏とか、あんまり言わないで……」
「なんだよ。もしかして、照れてるのか? 今更だな」
にんまりと笑う誠次に、香月はこほんと咳払いをする。何だか、いつもの彼らしくないと言うか……。それとも、彼氏と彼女の関係性になれば、自然とこうなるのだろうか。
お陰様で熱っぽい頭の中でぼんやりと考える香月の隣で「心配なのは本当だから、ちゃんと保健室まで送るよ」と誠次は何気なく呟いていた。
「ところでその……。さっきから何を弄くっているのかしら?」
「? スマホだけど」
「すまほ?」
随分と気の抜けるような名前のデバイスを、彼氏は手元で操作していた。四角い形で、ホログラムも出力されておらず、どこか操作し辛そうだ。
「見てるのはサッカーだ。今、世界的な大会が開かれているんだ。俺は日本代表を応援している」
誠次は張り切って言うと、平たい画面を見せつけてくる。画面が小さくて分かりづらいが、確かにサッカーのゲームのハイライトを見ていたようだ。
「サッカーね。私にはいまいち面白さが分からないわ」
「そうだろうか。まあ香月は基本的に運動苦手だしな」
「苦手で悪かったわね。でもそれで困ったことは一度もないわ」
むすっとし、香月は淡々と言い放つ。そんな態度を示しても、誠次はこちらと歩く歩幅を合わせてくれるのだ。
「見てみるとはまるかも知れないぞ」
「第一、なんで手を使ってはいけないの? 彼らは手を使わないことによって、自分への枷を与えてスポーツをしているようなものよ?」
「あ、相変わらず理性的な考え方だな……」
誠次がおっかなびっくりにツッコむ。そして次には、顎に手を添えていた。
「でも確かに。なんでフィールドプレーヤーは手を使ってはいけないんだろうか。改めて言われると、不思議だな」
「その内、魔法サッカーなんてものが出来たりするかも知れないわね。もっと世界が平和になったら」
「魔法か。香月にしては、ひどく現実味のない言葉だな。そう言うの、一番信じなさそうなのに」
「え?」
後ろ髪をかいて微笑む誠次に、香月はきょとんとして首を傾げる。
「私が魔法を信じないって、どういう事……?」
「だって香月っていっつも現実味のある言葉ばかり言ってるから。でも何だか、魔法って言った今の香月、上手く言えないけど、似合ってるって思う」
「似合う?」
「いっつも無表情の香月が少し微笑んでるように見えたから。得意な科学よりも、ファンタジーな話、興味あるんだなって思って」
「興味もなにも、私は魔法が使えて……」
思わずむきになって言う香月を、誠次は心配そうに見つめる。
「……やっぱり、きちんと保健室に行こう香月。俺は心配だ」
「ちょっと待って天瀬くん……。私、おかしくないわ」
「いや絶対におかしい……。あの化学実験で摩訶不思議な化学反応を前にしても無表情でいつも満点を取る香月が、魔法の存在を信じているなんて」
「凄まじいわね、化学実験の私……」
端から見れば変な女性なのだろう、想像した自分の姿に驚愕する香月の前で、やはり誠次も驚愕している。
保健室のベッドに寝かされた香月は、教室に戻る誠次の後ろ姿を見つめていた。
「じゃあ、岡崎先生。あとは香月のこと、お願いします。俺は教室に戻ります」
「ええ、任せて頂戴」
岡崎と言う綺麗な女性の先生に後を任せ、出て行ってしまう誠次の姿を見送っていたとき、無性に心細くなってしまうのと同時に、決定的な違和感にも気付く。
「どうして彼、レヴァテイン持っていないのかしら……?」
「どうしたの香月さん? いつも真面目な貴女が……やっぱり、変よ?」
岡崎先生が心配そうに香月を見つめているが、変なのはこの何の変哲もない世界だと、言ってしまいたい。
※
香月を保健室に送り届けた誠次は、頭の中に思うことがあった。
「魔法信じてた香月、ちょっと、可愛かった……」
……いや、そうではないっ。
「どうして、サッカーってキーパー以外に手を使ってはいけないのか……」
目下、誠次の悩み事とは、それなのである。
早速、次の休み時間中に、誠次はクラスメイトのサッカー部の男子の元へ向かう。
「北久保、少し訊きたいことがあるんだ」
「どうしたんだい、天瀬くん?」
誠次の目の前に立つ男子の名は北久保。サッカー部のエースストライカーで、頭も良い。彼なら何か、きっと知っているだろう。
「なんでサッカーって、キーパー以外手を使ってはいけないんだ?」
「随分と単純明快な質問だな。そんなことを訊きに、休み時間をペットのグッピーと一緒に過ごす僕に訊きに来たのかい?」
北久保の机の上には、水槽と一匹のグッピーがいた。いくら何でもグッピー一匹の大きさに対して水槽が大きすぎる気がするが、彼はそんなことが気にならないくらい、頭がいいのである。
「教えてくれないか?」
「いいだろう天瀬。キーパー以外のフィールドプレーヤーが手を使ってはいけない理由はただ一つ」
北久保は人差し指を突き上げ、得意そうに語る。
「手が汚れるからだ」
「へー」
誠次は口を半開きにして、得意気に語る北久保に相づちをうつ。
「サッカーは紳士のスポーツでもある」
「それゴルフじゃないのか?」
「いいやサッカーだ。みっともないだろう? 手がボールで汚れてしまっていては。だからキーパーは、グローブをしているんだ」
あと、と北久保はほくそ笑む。
「キーパーはお得だ。寒い冬でも、グローブで暖かい」
「別にそこはフィールドプレーヤーも手袋をすればいいんじゃないのか?」
「なんか格好悪いだろう?」
「そう言うものか?」
「そう言うものだ」
まあ、現役サッカー部のエースストライカーがそう言うのならば間違いはないのだろう。
誠次は早速、仕入れた情報を香月に伝えに行った。具合が悪いようだから、彼女が大好きな紅茶もついでに、持って行ってやろう。
しばらくすると、誠次が香月の元に戻ってくる。
「ねえ、やっぱり変よ天瀬くん」
「はいはい。香月の将来の夢は、魔法使いになることだろ?」
「そうだけどそうじゃないのっ。私、魔法が使えるのよ!」
布団をぱたぱた叩きながらそう主張する香月を、誠次は苦笑して見つめる。
「ならば、見せて貰おうじゃないか。魔法使いさん?」
「馬鹿にしてるわね……。いいわ、見せてあげる」
香月は右手を持ち上げ、それを誠次の鼻先に向ける。
誠次はやれやれと肩を竦めて、椅子の上に座っていた。
「そうだ香月。お腹と喉が渇いてると思って、お菓子と紅茶買ってきたぞ」
「あ、ありがとう……」
きゅんとなり、思わず魔法の発動を中止してしまいそうになる香月であったが、ここは心を鬼にしなければ。
「それでどうやって魔法が出来るんだ?」
ベッドの横に座る天瀬くんには、無属性の魔法は効かないはず。
だからと香月は、雷属性の魔法を発動する。
「《ライトニング》」
目の前で浮かんだ黄色い魔法式に、魔法文字を打ち込む。
呆気にとられる誠次へ、魔法の雷は放たれた。
「ぎゃあああっ!?」
「ほらどう? 私、魔術師なのよ?」
ぷすぷすと焦げ臭い臭いが漂う中、香月はどや顔を浮かべる。
椅子から転げ落ちた誠次は、身体中に電流を走らせて、ピクピク動いていた。
「って、天瀬くん? ちょっとっ、大丈夫!?」
ベッドから慌てて飛び起きる香月であったが、時すでに遅かった。
誠次はもう、事切れる寸前であった。
「ほ、本当に、魔術師だったんだな……香月……」
「え、ええ。とくと味わったでしょう、天瀬くん。だから起きてっ! 眠っちゃ駄目っ!」
「いいや。俺はもう、ここまでのようだ」
黒焦げの誠次の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。
「最期に、一つだけ、香月に伝えたい事があるんだ……」
誠次は、ぷるぷると手を伸ばし、香月の顔を触ろうとするが、届かない。
「サッカーで手を使わない理由は……手が、汚れるからだ、そうだ……」
そうして、誠次は目を瞑った。
「最期に伝えたい言葉がそれでいいの!? 駄目よ天瀬くん! 死んじゃダメーっ!」
誠次を抱き抱える香月は、呆然となって叫んでいた。
※
「――と言う夢を見たのよ」
「俺に何か恨みでもあるのか!?」
ヴィザリウス魔法学園の2―A教室にて、香月は昨日見た夢の話を誠次に告げる。
「絶対違うだろ! サッカーで手を使ってはいけない理由! そもそも北久保がおかしいしっ!」
「気になるのはそこなのかしら……」
誠次が主張するが、香月も自分でどうしてあんなヘンテコな夢を見てしまったのだろうかと、悩ましげにおでこに手を添える。
「どちらにせよ夢は夢よ。忘れた方がいいわ」
「自分で言ってきておいて、忘れられるわけないだろう……」
「でもまあ、一部は本当の事になって欲しいけれど……」
小声でぼそりと、香月は呟いていた。
そもそも何故香月がそんなことを一々伝えに来たのか、誠次は訝しんで香月を見ていた。
「でもまあ、サッカー日本代表が勝って欲しいのは俺も本当のことだな。ささやかだけど、応援できればいいな」
「ええ。厳しい戦いになるのは間違いないけれど、頑張って欲しいわ。ミーハーかも知れないけれども、私も、日本代表の応援は出来るから」
「天瀬! 香月! 俺のゴッフィー岡本がまた逃げちまったんだ!」
クラスメイトのサッカー部補欠の北久保が、泣き顔でこちらまでやって来る。北久保は結局、どこの世界でも北久保だったようだ。
誠次と香月は苦笑して、顔を見合わせていた。
「それじゃあ手分けして探しましょう。私の魔法で頑張って見つけるわ」
「ここは魔法世界だ。魔法の力で何にでもなる! やっぱり魔法は夢を叶えるものだからな」
「さっすが天瀬と香月! 半端ないぜ!」




