3話
その日、ヘルヴィニーナ・リオクスは悩んでいた。
より正確にいえば、その日も悩んでいた。
なにせここ最近、ヘルヴィニーナには悩みが尽きない。
ヘルヴィニーナはフロノスという国の軍人であり、バルト基地のMC部隊を預かる隊長でもある。
部下との訓練や作戦指揮は当然として、上官との会議や報告書の作成、さらに言えば配属されているバルト基地は人手不足のため、物資の手配に駆り出されることまである。
考えることは毎日山のようにあり、素知らぬ顔をして進んでいく時計の針を恨みがましい目で睨みつけたことなど数えきれない。
しかし今、執務室にてヘルヴィニーナは時計を睨むことすら忘れて悩んでいた。
その理由はつい先日出会った、ある人物が原因である。
「……どうしたものでしょうか」
むう、と腕を組んで唸っていると、扉をノックする音が届いた。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋に入ってきたのは軍服を纏う壮年の男性だ。いかにも叩き上げという風体で、顔にはいくつもの傷跡がある。
彼の名はウェイン・アルバレスト。ヘルヴィニーナより一回りも年上だが、彼女の部下である。
「例の機体について、調査の経過報告が上がってきました。こちらになります」
ウェインは持っていた書類をヘルヴィニーナに手渡し、彼女は素早く書面に目を通した。
「……確認しますが、これは間違いありませんか?」
「後日改めて詳細な報告が上がってくると思いますが、概ね記述通りのようです」
ヘルヴィニーナは眉根を抑えて椅子の背もたれを軋ませた。
「まさかこんなところで【黄金期】の機体が新たに発見されるとは……」
「彼が敵に回らなかったのは、不幸中の幸いですな」
「同感です。が、彼が完全にこちらの味方になったわけではありません。彼の扱いについて慎重に考えなくてはいけませんね……」
ヘルヴィニーナは続けた。
「それで、当人の様子はどうです?」
「大人しく過ごしています。ただ、日中は格納庫の例の機体のところに居ることが多いようです」
「境遇を考えれば当然ですね。自らの生命線なわけですから、妙な仕掛けなどされないよう注意しているのでしょう」
「仰る通りですが、それ以外の意図もあるようです」
「というと?」
「例の機体に抱き付いたり頬ずりして過ごしています」
「えぇ……」
なにそれ、という年相応の表情になるヘルヴィニーナに、ウェインは苦笑を漏らした。
「それだけ機体に愛着があるということでしょう。気持ちは解らないでもありません」
「そういうものですか? ……ともあれ、私の方もようやく時間ができました。今後について彼と話し合うべきですね」
「では今から呼んでまいります」
「いえ、彼は客人です。私の方から出向くのが礼儀というものでしょう。ウェイン少尉、案内を」
「了解しました」
ヘルヴィニーナは立ち上がり、ウェインと共に部屋を出た。
――――
その日、日高七希は悩んでいた。
より正確にいえば、その日も悩んでいた。
なにせここ数日、七希には悩みが尽きない。
七希は日本に住むごく一般的な高校生だ。ゆえに悩みといえば、日本に住むごく一般的な高校生が抱えているような、勉強がどうたら、友人関係がどうたら、将来の漠然とした不安がどうたら、そんなものだ。
そんなもの――だった。数日前までは。
今、七希が抱えている悩みは、数日前までのそれを吹っ飛ばすかのように強烈で、鮮烈で、意味不明なものである。
「異世界……か」
七希の口から洩れたその呟きこそが、、ここ数日、悩みに悩みぬいて導き出した結論だった。
フロノス国。それが今、自分のいる国の名前らしい。
当然そんな国、聞いたことがない。他にもアギオ、ランケアッドといった国があるらしいが、そちらも同様だ。
もちろん、七希は地球上のすべての国の名前を知っているわけではないし、普通ならたとえ突然見知らぬ地に立っていたとはいえ、そこが異世界とは考えない。せいぜい外国の辺境か何かか、と結論を出すのが関の山だ。
しかしこの世界には、ここが地球ではないと証明する存在があった。
七希は開かれたハッチから外を見上げる。
視界に映ったのは白銀の装甲を纏う巨人――アーキヴァイスの頭部。
そう、この世界にはMCが存在しているのだ。
「夢じゃないよなぁ……」
七希がいる場所はMC用の格納庫であり、そしてアーキヴァイスの操縦室だった。
格納庫を見渡せばアーキヴァイス以外にも、十機を超えるMCが格納庫に納められている。
居並ぶMCの全長はどれも10メートル超。七希の知る科学技術を駆使すれば、これらと同じ外観の物を作ることは可能だろう。しかしそれもあくまで外観のみの話だ。
このMC達はゲームさながらに動く。跳ぶことも走ることも物を掴むこともできる。嘘ではない。なにせ自分自身でアーキヴァイスを操縦したのだ。この大きさでそれを可能とする科学技術は、七希の知る世界には存在しない。
だからこそ導き出されたのが異世界という結論なのだが――仮にそうだとすると、また別の疑問が生まれる。すなわち、自分はなぜ、どうやって、アーキヴァイスと一緒に異世界にきてしまったのか、という疑問である。
(この世界には、アーキヴァイス以外にも人型兵器が存在する……)
真っ先に思ったことは――我ながら馬鹿げてると思う推測だが――もしやCCCの世界に入ったのか、ということだ。それならばアーキヴァイスと他のMCの存在に納得できないこともない。
しかしこれはすぐさま打ち消された。CCCはアーケードゲームだが、その世界観や設定などは公式でも発表されており、七希も熟知している。CCCは荒廃した世界で覇権を得ようとする勢力同士が争う世界という設定であり、そこにはフロノスやらアギオやらの名前はなく、またここ数日で見て回った周囲の光景も荒廃しているとは言い難い。
(そうなると、たまたまMCみたいな人型兵器のある異世界ってのが妥当……だけど、じゃあこれは何なのか、ってことになる)
これ、とはすなわちアーキヴァイスである。
CCCにおける七希の愛機であり、その姿はCCCの中で設定したアーキヴァイスと完全に一致している。
また内部機能や兵装を調べたところ、いくつか見慣れない機能が追加されていたものの、こちらも概ねCCCにおけるアーキヴァイスと言って差し支えない。
この世界がCCCの世界と関わりがないのなら、なぜCCCの愛機であるアーキヴァイスがこうして存在しているのか。
(……解らん)
身もふたもないが、今のところそうとしか言いようがなかった。
なにせこんな状況に放り込まれてまだ数日だ。知らないこと、疑問に思うことは山ほどある。ここは恐らく異世界だろう、と自分を納得させるだけで現状は精一杯である。
(まあ、地道に調べるしかないか)
幸いにも肉体的な消耗は少なく、精神的にもまだ余裕がある。
もちろん見知らぬ土地、見知らぬ世界に放り出されたのだから不安はあるが――アーキヴァイスが傍にいるという事実が、驚くほど七希の心を支えていた。
(まさか本物に乗れる日がくるなんてな)
アーキヴァイス。パーツのカスタマイズも可能なCCCではMCの外見は千差万別であり、まさに七希だけの機体である。
もちろんゲーム開始当初からこの形になったわけではない。ゲームを続ける中で自らのプレイスタイルを確立し、さらにその途中で様々なパーツを入手し、思い浮かべる理想の機体を目指して試行錯誤を繰り返した結果が、このアーキヴァイスだ。
白銀に輝く装甲。シャープな輪郭。それでいてひ弱さを感じさせない佇まい。現実でアーキヴァイスに乗れたらと思ったことは一度や二度ではない。
その夢が叶った。自分の隣に本物のアーキヴァイスがいる。七希にとってはそれだけで大樹の下にいるかのような安心感を抱けるのだ。
(イザヨイとかが聞いたらめっちゃ羨ましがるだろうな……)
などとアーキヴァイスの装甲をさすりながら考えている時だ。
コンコンとアーキヴァイスの装甲を叩く音が聞こえ、七希がそちらに目を向けた。
「――あっ」
ヘルヴィニーナ・リオクス。
すぐ傍にある高所用通路に、その少女が立っていた。
彼女は七希がこの世界で一番最初に会った人間である。フロノス国の軍人と聞いているが――綺麗な女の子だ、と思う。長く滑らかな金髪の髪と、宝石のような赤い瞳。端正な顔立ちも相まって人形のようだが、動作の端々に生気が溢れ、その佇まいからは凛とした芯の強さを感じさせる。
さらによく見れば、彼女から一歩下がった位置にウェイン・アルバレストも立っていた。見るからに屈強そうな軍人であり、七希が助けた二機目のMCに乗っていた人物である。
「二人とも、どうし――」
言いかけた七希をヘルヴィニーナは手で遮った。
それから口を開くことなく、自分の耳元を叩くような動作をする。
「っと、そうだった」
七希は慌てて操縦室に目をやると、そこに置いてあったヘッドセットを手に取って装着した。それから改めて二人に向き直る。
「これで聞こえる?」
「――はい、聞こえます」
にっこりとヘルヴィニーナは微笑んだ。
「相変わらず便利ですね、その装置は」
「おかげで助かってるよ」
七希はこの世界の人々と会話ができる。
だがもちろん、異世界の言語が日本語なわけではない。付け足すのならば英語でもない。かといって僅か数日で異なる言語を覚えたわけでもない。
ならばいかにしてその無茶を成し遂げているのかといえば、七希が装着したヘッドセットに理由はある。
そもそも七希のヘッドセットは三つの要素で構成されている。
一つは目元を覆う透明なディスプレイ。次に相手からの通信を受け取るヘッドフォン。最後に喉の振動で声を伝える声帯マイクだ。
そして本来は相手からの通信を受け取るヘッドフォンだが、どうやらこれには相手の言葉を翻訳する機能があるらしく、外した状態で聞くとまるで意味の解らないこの世界の言葉が、装着していると日本語に聞こえるのだ。
さらに翻訳機能は声帯マイクの方にもあるらしい。七希が発した声を即座に翻訳し、搭載されているスピーカーから七希の声に被せるようにして、そっくりな合成音声を異世界の言葉で発しているのである。
ちなみにディスプレイの方にも翻訳機能があり、これをつけていると異世界の文字が日本語に翻訳表示される。たまたまつけたまま文字を見た時、ディスプレイに解読中などと表示された時は何事かと驚いたものだ。
(助かってるけど、謎なんだよなこれも)
異世界に来る前のヘッドセットには、こんな機能はついていなかった。このヘッドセットの中にどんなテクノロジーが詰まっているのか興味はあるが、分解して戻せなくなったら死活問題だ。今は壊さないよう大事に使うしかない。
「それでええっと、二人ともどうかした?」
「はい。ようやく私の方で纏まった時間が用意できましたので、ナナキさんと今後についてお話ししたいと思いまして」
ついに来たか、と七希は内心で緊張を抱いた。このバルト基地に連れてこられた当初、ヘルヴィニーナは軍務に忙殺され、七希もまた現状を受け入れるのに時間が必要だったため、そういった話はしてこなかった。しかし互いに落ち着いた今、それを避ける理由は無い。
「ですので、これから少しお時間よろしいでしょうか?」
「もちろん構わないよ」
「ありがとうございます。それではこちらへ。部屋を用意してあります」
ヘルヴィニーナに促され、七希は操縦室から高所用通路に飛び移った。
そして二人に先導される形でついていきながら、振り向き、自らの愛機を見る。
(今必要なのは情報と生活基盤だ。特に俺にはアーキヴァイスがある)
アーキヴァイスは七希にとって最大の武器であり、同時に枷でもある。これほど大きな存在を隠して動き回るのは不可能なことに加え、維持するだけでも費用がかかるはずだ。かといってアーキヴァイスを手放すことなど選択肢としてすらありえない。
(この話し合いでその辺りが多少なりとも片付くといいんだけどな……)
そんな淡い期待を抱きながら、七希はヘルヴィニーナと共に営舎へ向かった。