2話
最初に感じたのは、息が詰まるような重さだった。
なぜ重いのか、どこが重いのか、何も解らないまま、ただ重いと感じた。
白と黒ともつかない停滞した世界の中で、ただ重い。
その重さが薄れたのは、どこかからか聞き慣れた音が届いてからだ。
重さに潰されそうになりながら、自然とその音が機体のアラームであることに七希は気づいた。気づいたら、また少し重さが薄れた。
それでようやく七希は感じているこの重さが、覚醒しようとしている意識にかかっている重さであることを理解した。理解するとまた重さが薄れ、停滞していた白とも黒ともつかない世界に揺らぎが生じた。
「ぐっ……」
瞼を持ち上げ、入ってきた光の強さに思わず瞼を閉じる。けれども今度はそろそろと、伺うようにして瞼を上げる。すると視界に浮かんできたのは、見慣れたモニタだった。
「……あ、れ」
メインモニタ。操縦桿。操作用電子パネル。鳴り響くアラーム。間違いない、ここは機体の操縦室だ。
(確か……そうだ。急に画面が光って)
それからどうしたのだろう。
記憶が途切れているが、まさか気を失っていたのだろうか。見下ろす限りでは自分の体に異常はない。しかしその視線が自分から周囲に移った時、気づいた。
「……って、ゲーム始まってる!?」
モニタに浮かぶ映像を見て七希は驚きの声をあげた。
いつの間にかスタート画面ではなく、プレイ中の画面になっていたのだ。
(しかもここ……水中か!)
搭載されている各種センサとカメラの画像は、アーキヴァイスが今、水中から水面を見上げていることを伝えていた。
なぜこんな場所に沈んでいるのか。まるで思いだせないが、ともかく先ほどから鳴っているアラームの理由を七希は理解する。短時間ならばともかく、アーキヴァイスは長時間潜水していられる機体ではない。
まずは一度水から上がらなくては。七希は操縦桿を握り、推進機を起動。水中を地響きのような音が駆け巡り、推進力を得たアーキヴァイスは水の外へと一気に飛び出した。
「――これは」
水面から飛びあがったアーキヴァイスのモニタに、周囲の景色が浮かぶ。
そこは森の中だった。眼下には湖が広がっている。そこから自分は飛び出したのだと理解するのと同時に、更なる疑念が七希の胸中に渦巻いた。
(見たことのない地形だ……ここがイザヨイの言ってた新規マップか?)
七希は当然CCCの既存のマップを網羅している。それゆえに、モニタに映る光景がその全てと合致しないことに即座に気づいた。
(変な光の後で一時的に気を失って、その際何かしらの手違いでルームに入り、ゲーム開始。ついでに体と一緒に操縦桿も倒してて、スタートと同時に目の前にあった湖に落ちたところで目を覚ました……ってところか?)
記憶が途切れた地点と現在の状況の辻褄を合わせるとしたら、そうなるか。しかし本当にこれで合っているのだろうか。何か、得体の知れない違和感がある。
(頭もまだぼんやりしてるし、一度切断して外に出るか……?)
これが他のゲームならば七希は迷わず中断していだろう。しかしCCCは対人戦が基本となっている。ゲームが始まったということは、対戦相手がフィールドのどこかにいるはずだ。多少体調が悪いとはいえ、その決着をつけずにリタイアすることは、ランカーである七希にとって迷うに値する事柄だった。
辞めるか、続けるか。懊悩は数秒ほどだった。
(……この一戦だけ、即行で片づけて外に出よう)
トップランカーであるという枷と、多少体調が不安でも野良試合ならば遅れをとらないという自負。この二つがその結論に七希を導いた。
方針が決まればもたもたしてはいられない。七希は操縦席の片隅に置いておいたHMD付きのヘッドセットを装着する。無線通信によりすぐさま機体データとリンクし、その光学ガラス素子の上に機体の情報やレーダーが表示された。
「発電機……クリア。蓄電器……クリア。システム……オールクリア」
水に浸かっていた機体に不備がないことを確認したところで、レーダーが高速で移動する存在を捉える。反応からして間違いない、MCだ。
(よし、戦場は向こうか)
敵を探してフィールドをうろうろせずにすみそうだ。七希は即座に操縦桿を動かした。推進機を全開に。木々の頭上を撫でるようにして西へ向かう。
やがて小高い丘の上に差し掛かった時、移動する人型兵器の集団がモニタに映った。七希は一旦丘の上に着地し、頭部のカメラを拡大モードにしてその集団を観察する。
(状況は……二対七か)
逃げるMC二機を、七機のMCが追いかけているという構図のようだ。
逃げてる方は既に機体がボロボロだ。背後から突撃銃によって狙われ、どうにか致命傷を避けつつ距離を取ろうとしているが、撃墜は時間の問題だろう。
対して追っている七機はほとんど損傷もなく、余裕の風情。もはや一方的な状況であることを確信しているのか、わざと追撃の手を緩めて逃げる二機をいたぶっている。
そういうやり方を七希は好まないが――まあ、ゲームのプレイスタイルは人それぞれだ。腹を立てるほどのことではない。むしろ七希にとって気になるところは別にあった。
(……俺、どっちのチームだ?)
いつもならば、友軍の機体がモニタに映ればそれを示すタグが表示される。されるはずなのだが――追っている方にも追われている方にも友軍表示が浮かばない。
やはりこの筺体は故障しているのだろうか。意識が途切れる前も画面が明滅していたことを踏まえれば、可能性は高い。ゲームが終わったら外に出てスタッフに告げるべきだろう。
そんなことを考えていると、追撃していた七体の機体のうち、三体がこちらに向かってきた。アーキヴァイスの存在に気づいたらしい。さらに持っている突撃銃の銃口はぴったりとこちらに向けられている。……どうやら自分は負けそうな方の陣営のようだ。
「いいね、その方が遣り甲斐がある」
七希は四機に追われている二機を見る。追撃者の頭数は減ったが、その分攻撃が厳しくなっている。自分が落ちなければ陣営としては勝利できるとはいえ――可能なら仲間が撃墜される前にクリアしたいところだ。
「行くぞ、アーキヴァイス!」
白銀の機体が動いた。
特製の推進機からなる暴力的なまでの加速。迫る三機の敵MCとの間にあった距離が瞬く間に縮んでいく。
敵MCはその速度に一瞬面食らったようだが、すぐさま我を取り戻す。照準をアーキヴァイスに合わせ発砲。人間ならば掠めるだけで跡形もなくなるような大きさの銃弾が、雨あられとばかりにアーキヴァイスに襲い掛かった。
だが。
「狙いが甘いな!」
七希は素早く機体を操作。最小限の動きで、弾丸と弾丸の間を鋭角に交差して回避する。
横に大きく膨らんで避けるのではなく、弾丸に向かって行きながら避ける。この離れ技に敵MCは動揺を見せ、その隙を七希は見逃さない。背中の機外兵装から突撃銃を取りだし、MC部隊目がけて発砲する。
MC部隊は即座に散開し弾丸を回避。しかしそれこそが七希の狙いだ。分散したうちの一機に狙いを定め加速。敵が動揺から立ち直るよりも早く、左腕のレーザーブレードですれ違いざま胴体を両断した。
「次っ!」
残る敵MCは慌ててアーキヴァイスに照準をつけようとするが、遅い。既に近接攻撃の範囲内だ。この距離まで差しこまれた今、銃器よりもブレードの方が二手三手と先を行く。ろくな抵抗もできず、二機の敵MCはブレードに刺し貫かれて崩れ落ちた。
しかしアーキヴァイスは止まらない。モニタの隅に浮かぶレーダーには背後から急速に接近する四機のMCの姿。脚部の駆動装置をフルに利用し、振り向くことなくその場を飛びのくと、一瞬前に立っていた場所に弾丸の雨が突き刺さった。
(俺を仕留めにきたか……)
着地しながらモニタに敵MCを映す。数は四機。瀕死の獲物は置いてこちらに全力を割くようだ。
良い判断だ、と七希は思った。同時に、追われていた二機から敵を引きはがせたのは、七希にとって狙い通りの展開でもある。
「さあ、アーキヴァイスについて来れるか?」
アーキヴァイスが加速した。噴煙が巻き上がり、白銀の弓矢と化した機体が空気を切り裂いて敵MCに迫る。
迎え撃つのは弾丸の雨。四機のMCからなる弾幕は先ほどよりも密集し、弾丸との間に機体が入りこむ隙間はない。ゆえにアーキヴァイスは横に膨らみながら避ける――と、敵は思っていることだろう。
その推測は正しい。
相手がCCCランキング4位――日高七希でさえなければ。
「この程度、足止めにもならないな!」
左腕のレーザーブレードが閃いた。
迫る弾丸を切り払い、弾幕の中に機体を走らせる活路を作る。さらにその曲芸じみた行動は一度で終わらない。一手間違えるだけで容赦なく弾丸の直撃を浴びる中、二度三度とレーザーブレードで回避の道筋を作り上げていく。
両者の距離が狭まっていく中、遠距離攻撃では埒が明かないと判断したのか、敵MCは突撃銃をしまい、代わりに近接武器を取りだした。
現れたのはチェーンソーだ。高速回転する刃を浴びればMCの装甲といえどただではすまない。その凶器を振りかざし、四機のMCはアーキヴァイスに襲い掛かる。
「遅い遅い!」
先頭のMCが振り下ろしたチェーンソーの一撃を難なく掻い潜り、すれ違いざまにレーザーブレードで胴体を切り払う。その攻撃の隙を狙って一機目の背後から放たれるのは、二機目のチェーンソーの横薙ぎだ。
七希は補助推進機を吹かして跳躍。二機目のMCの頭上を飛び越えてチェーンソーを回避しつつ、そのMCが背負っていた突撃銃を奪い取ると、背後にいた三機目と四機目のMCに対して発砲した。
三機目と四機目が揃って体勢を崩し、二機目のMCが振り向こうとしたところでその胴体をレーザーブレードで両断。さらに立ち直ろうとしていた三機目のMCに向かって跳躍し、頭部にアーキヴァイスの膝を叩きこむ。胴体と繋がる金属フレームが千切れ、敵MCの頭部が砕け散った。
倒れ込む三機目の敵MCだが、七希は素早くその胴体を抱えてアーキヴァイスの盾とする。同時に三機目の胴体に弾丸が叩きこまれた。撃ったのは四機目のMC。仲間を撃ってしまったことに動揺しているのを察知し、七希は三機目のMCを相手に向かって蹴り飛ばした。
迫る仲間の機体。回避か、受け止めるか、構わず撃つか。四機目は逡巡し、それゆえに三機目の胴体ごとアーキヴァイスのレーザーブレードに貫かれた。
「――じゃあな」
崩れ落ちる三機目と四機目からレーザーブレードを引き抜き、跳躍。
アーキヴァイスが距離を取ったところで、敵MCは爆発した。
「殲滅完了。さて……」
立ち上る噴煙をモニタに映しつつ、しばし待つ。
何も変化はない。
「……あれ?」
おかしい。敵を殲滅すればクリアとみなされリザルト画面に移るはずだ。まだ敵チームが残っているのだろうか。あるいはバトルの形式が通常の対戦ではなく、CTFなどの可能性もある。
普段ならばその辺りの情報はモニタの隅に表示されているのだが――どこを探しても見当たらない。やはり機械が故障しているのだろう。
そんなことを考えていると、こちらに接近するMCの反応。それは敵MCに追われていた二機の味方だった。
遠目に確認はしていたものの、やはりかなり損傷している。辛うじて移動はできるようだが、胴体にも弾痕が刻まれ、二機の内一機は片腕を失っていた。
『――か? ――聞こえますか?』
ヘッドセットからノイズ混じりの声。しかも女声だ。
声がクリアになるよう周波数をいじりながら七希は答える。
「ああ、聞こえる。無事なようで何よりだ」
『ありがとうございます。貴方の助力で命を拾うことができました』
命を拾うとは大げさな、と七希が思う中、通信機の向こう側の人物は続けた。
『よろしければ、貴方の所属とお名前を教えて頂けませんか?』
「えっ」
七希は思わず声をあげた。
こう見えて七希はCCCにおいて有名人だ。より正確に言えば七希の使うアーキヴァイスが、である。
それなりにCCCをプレイしている人間ならまず知っているため、改めて名前を問われることなど最近はほとんどなかった。
(……待てよ?)
思えば敵のMCもさほど強い相手ではなかった。上位のプレイヤーということは無いだろう。マッチングレートから考えれば、この味方の二機も同じランク帯のプレイヤーのはずだ。つまり、お互いにゲームを初めて日が浅い可能性が高い。
(……新人プレイヤーが楽しくやってるところに、上位プレイヤーが空気を読まず割り込んで暴れ回る……しかもランク4位……あれ? この件をSNSとかでばら撒かれたら炎上案件では?)
まずい。これは非常にまずい。マッチングレートからして普通そんな格下と対戦などということは起こらないはずだが、今使ってる筺体の調子がおかしいことを思えば十分ありえる。
『どうかし……ああ、申し訳ありません。助けられた身でありながら、礼を失していました。まずはこちらから所属と名前を明かすべきでしたね』
「え? ああいや、そうじゃなくて――」
言いかけた言葉が、止まった。
「…………え?」
――CCCは、リアルなロボットバトルを掲げたゲームである。
MCの質感、挙動は元より、フィールドに生える草の一本に至るまで精緻に描画され、それをMCの指で引き抜くことすら可能だ。
しかしそんなCCCにも、一つだけ存在しない機能がある。
それは、操縦室のハッチを開くという機能。
なぜならばCCCはゲームであり、モニタに映っているのはゲーム画面であり、筺体のハッチを開いた先にあるのはゲームセンターだからだ。
仮にモニタに浮かぶMCのハッチを開いたところで、そこには無人の操縦室しか存在しえない。だからMCのハッチは開かない。
そのはずなのに。
七希が見つめる中で、モニタの中に浮かぶMCの、胴体部分のハッチが開いた。
そして中からゆっくりと、人が現れた。
自分とそう年の変わらないような、一人の少女が。
『失礼しました。こちらはフロノス軍バルト基地所属、ヘルヴィニーナ中尉です』
装着したインカム越しに当たり前のように言葉を紡ぐ少女。
それを見た七希は、何も言えなかった。
何も言うことなく、何か途方もない予感に背中を押されるようにして、自然と外へと繋がるハッチに手をやった。
この先にはゲームセンターがある。あの耳慣れた喧騒がある。そのはずだ。そうでなくてはいけない。そうに決まっている。
そう願うように、縋るように、七希はハッチを開き――
ごう、と風が吹いた。
柔らかな光が降り注ぎ、七希は一瞬目を瞑る。
そして次に瞼を開いた時、彼の目に映ったのは――彼方まで広がる、雄大なる平原だった。
「…………」
とんでもないことが起きている。
自らの身に、何かとんでもないことが起きている。
手が、足が、唇が、意思と関係なく震えを刻む。
「あの、さ」
七希は、残された僅かな気力を振り絞るようにして、その言葉を口にした。
「ここ……どこ?」
けれど問いかけは、少女に、あるいは他の誰にも届くことはなく。
吹き抜ける平原の風に煽られて、蒼穹の中に淡く消えていった。




