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家族

 ――数日後、ガルデニア城。


 ミディは謁見の間にいた。

 玉座に腰を下ろすアルベロ王は、リコリスの無事な姿を確認し、異常なほど上機嫌になっていた。

だが、その一方で報告を聞くために、この場に来ていたセードル将軍は不安な表情をしていた。

 この場にキルシェの姿がないからだ。


 騎士二名が道中で重症を負い、長時間の移動が困難なため、港町で数日療養し後に帰還すると報告は受けていた。だが、その中にキルシェの名はなかった。なにより、魔導団員であるミディが、見覚えのある剣を持っているのが気にかかっていた。

 言い知れぬ不安を抱きながら、セードル将軍はミディの報告を待っていた。


「さて、今回の任務の報告を聞こうか」


 自分の目的の全てが果たされていると確信のあるアルベロ王は、形だけの素振りで報告を尋ねる。王の心根を知るミディは嫌悪を感じ、煩わしく思いながらも、偽りの主に肩膝を付き深く頭を下げる。そして、この場の空気を乱さぬよう、心を静め報告を行った。


「今回の任務で魔王は討伐できませんでした。傭兵レザンは魔王城にて死亡。白狼騎士団キルシェはリコリス様の身代わりとなり、魔界に残り魔王のもとに向かわれました」


「――――なっ!」


 声を上げたのはセードル将軍だった。

 納得しがたい報告に、声を荒らげ問いただそうとしている。普段、冷静なセードル将軍が取り乱したことに、周囲は驚かされた。それ以上の報告をしようとしないミディに、セードル将軍は食ってかかろうとする。それを、隣に立っていたカクタス将軍が羽交い締めにして止める。

 だが、取り乱すセードル将軍のことなど気にすることもなく、アルベロ王は早々にこの場を締めようとする。


「報告ご苦労。今回、任務に赴いた者には特別賞与を与えることとする。そして、しばし疲れた身体をゆっくりと休ませるといい」


 アルベロ王は簡単に告げると席を立ち、謁見の間から去っていった。

 リコリスを救出するという目的を果たせた報告だったが、なぜか謁見の間には重く息苦し空気が満ちていた。


 アルベロ王が部屋から去ると、この報告を聞くために集まっていた人たちも、次々にこの重い空気を避けるように部屋から出ていった。その誰もが、何かを言いたげだが言葉が見つからない神妙な面持ちだった。

 普段は顔を会わせれば嫌みを口にするカクタス将軍も、陰鬱で思い詰めた表情でセードル将軍の後ろを通り過ぎ、去り際にぐったりと小さくなった彼の肩を叩き去っていった。それが、彼が今できる精一杯の慰めの気持ちだったのかもしれない。

 ほとんどの者が去り、謁見の間には肩を落とし項垂れたセードル将軍と、それを見つめるミディだけが残っていた。

 今のセードルの姿は威厳ある騎士の姿ではなかった。初老という、少し枯れかけた年相応の姿になっていた。


「…………ミディ。キルシェのことは本当なのか?」


 消え入りそうな声でミディに尋ねる。

 王に偽りの報告はできない。ゆえに、キルシェのことも事実。そう頭では理解していても、ミディの報告は信じられなかった。――いや、信じたくなかったのだ。

 しかし、無情だ。ミディは首を縦に振る。


「セードル将軍。これを……」


 ミディはキルシェから預かっていた手紙を差し出す。


「……これは?」


「キルシェ様からの、お手紙です」


 キルシェの名を耳にすると、まだミディの手にあった手紙を乱暴に奪い取り、封を切った。


「――――っ」


 手紙を読むセードル将軍の目が潤む。そして、読み進めるごとに、それは溢れ抑えきれなくなる。

 この手紙は、上司であり養父でもあるセードルと、彼の妻でキルシェにとっての養母に宛てたものだった。

 養父母の願い反し騎士の道を選んだこと、相談も別れの挨拶もせず魔界に残ることを選んだ自分の我が儘に対する謝罪。孤児であった自分を養女とし、我が子同然に育ててくれたことに対する感謝。そして、今の自分の心境などが数枚にわたって綴られていた。


「セードル将軍。キルシェ様も悩んでおられました」


「……しかし、魔界に行くなど……。それは、魔王の生け贄になるのということではないのか?」


 ミディは静かに首を横に振り否定する。


「いいえ、魔王は人間の生け贄なんて求めません。人間にとって魔族は恐怖の対象かもしれません。でも、違います。魔族は人間の敵ではありません。ただ、少し外見の違いや、物の見え方が違うだけです。それに、キルシェ様は魔王に心惹かれておられました。決して魔力で操られたなどではなく、一人の男性として魔王を見て、惹かれておられました」


 しかし、セードルにとってそれは受け入れがたいことだった。必死に頭を振り、ミディの言葉を否定しようとする。何度も薦めていた見合いを断り、騎士としての道を歩み続けていたキルシェの姿を、嫌というほど知っていたからだ。

 それが、出会って間もない魔王に惹かれ、今まで生きてきた騎士の道、人の世界を捨て、自分たちとの決別を決心させたなどと、とうてい信じられるものではなかった。


「キルシェが……そんな……。違う……違う。キルシェは魔王に操られているんだ……」


 セードル将軍は混乱したように呟く。

 養女とはいえ、十年以上我が子同然に愛し育ててきたのだ。その娘が突然いなくなり、二度と会うことができない。セードル将軍の胸には絶望しかなかった。

 だが、この現実が事実であると、僅かに受け入れる気持ちもあった。

 キルシェの手紙は、一文一文丁寧に書かれ、その一文一文に魔王に対する純粋な気持ちが込められていた。文字を見るだけで分かるほどに、この手紙にはキルシェの気持ちが込められていた。


「セードル将軍。これを」


 ミディは預かっていた剣を渡した。


「これは……キルシェの……」


「キルシェ様にセードル将軍に、お渡すよう頼まれました。……これは、決して決別を意味するものではありません。キルシェ様は、この剣に自分のことを忘れないでほしいという願いを込められたのだと思います」


「キルシェ……」


 セードル将軍はキルシェの剣を握り締め、声を殺し涙を流した。



 ◇ ◇ ◇



 ――数年後


「おかあさまー。おかあさまー」


 幼い男の子が母親を探し、高い天井の長い廊下を歩いている。一冊の絵本を大事そうに抱え、辺りをキョロキョロとしている。幼さゆえの無邪気さはあるが、ちょっとした仕種などから、男の子の持つ品の良さが滲み出ている。

 途中、すれ違った人から母親が厨房にいると教えてもらうと、満面の笑みを浮かべ嬉しそうに頭を下げた。

 足取りがスキップするような軽いものになる。楽しそうに跳ねると、夕焼け色の少し癖ッ毛気味の髪も楽しそうに跳ねている。

 ご機嫌な男の子は、鼻歌混じりで母のいる城の厨房へと向かった。


「おかあさま」


 母親の姿を探すために、普段入ることのない厨房の扉の隙間から、ちょこんと顔を覗かせる。

 だが、そこに広がる甘い香りに、男の子は本来の目的を忘れてしまった。表情を最大限まで緩ませ、甘い香りに誘われふらふらと厨房に入って行ってしまう。


「あら、ローレルどうしたの?」


 甘い香りのもとにいたのは、キルシェだった。少し老いは見られるが、その姿は昔よりも穏やかで美しくみえた。


「おかあさま、なにを作っているの?」


 ローレルと呼ばれた男の子は、作業台の上にあるものを見ようと、小さくだか必死に跳び跳ねている。台の上に広がる世界が、自分にとって魅惑的な世界だと分かっているのだ。

 愛らしい王子の仕草に、その場にいる人たちは微笑まずにはいられなかった。もちろん、キルシェもそんな息子の姿を眺め、微笑みを浮かべている。


「お茶の時間に食べるクッキーを作っているのよ。ローレルも一緒に作る?」


 おやつがクッキーだということに喜んだのか、一緒に作れることに喜んだのか、ローレルは大きな蒼い瞳を輝かせ、大きく頷いた。

 ローレルは運んできてもらった小さな台に飛び乗ると、作業台に広がる甘い世界にさらに瞳を輝かせる。そして、初めてする料理の手伝いに大いに興奮していた。もう既に、絵本を読んでもらいたいという、本来の目的は忘れさっている。

 楽しそうに生地を型抜きし、クッキーは鉄板の上に並べられていく。そして、次々とオーブンの中え入れられ焼かれていく。しばらくすると、香ばしく甘い匂いが広がってる。ローレルはオーブンの前に立ち、待ち遠しそうに中を覗いている。

 このオーブンは結構な大きさだ。広いオーブン内には、溢れんばかりの大量のクッキーが焼かれている。当初は城の料理人たちが、魔王一家のためにケーキを作ろうとしていた。だが、そこに偶然来たキルシェと彼女の従者が加わった。少し手伝うくらいのつもりだったが、その過程でケーキはクッキーに変わり、「紅茶風味も良いわね」やら「チョコも美味しいですよね」など、各々が好みの味を言い出し収集がつかなくなったのだ。結果、アイデアの分だけ量が増え、この大きなオーブンにも入りきらず、二度に分けて焼くはめになった。ローレルを誘った香りは、一度目に焼かれたものだ。


 全てのクッキーが焼き上がると、甘い香りはさらに広がる。

 あら熱を取っている最中、ローレルは何度かクッキーに手を伸ばしそうになっていた。その度に頭を振り、ぐっと我慢をしていた。キルシェはといえば、お茶の時間の頃合いを見計らい、お茶用のお湯を沸かし、キッチンワゴンにティーカップや砂糖、ミルクを用意していった。そして、冷めたクッキーを適当に皿に盛りつけ、ローレルと一緒に城の裏にある庭園へと向かった。


 庭園は昔と変わらず、様々な花が綺麗に咲き誇っている。キルシェはその庭に、二人の姿があることを確認すると声をかけた。


「ザカート、ディア。お茶にしましょう」


 花のなかに見え隠れしていた二つの影が、名を呼ばれ姿を現す。

 一人は、昔と全く変わらない姿のザカート。もう一人は、キルシェによく似た少し気の強そうな十五、六歳の少女。

 二人は傍にあった台の上にハサミを置き手袋を外すと、キルシェたちのいるテーブルに向かった。


「うわー。美味しそうな、クッキー」


 ディアが席に着き、おしぼりで手を拭くなり手を伸ばし、一枚取り頬張ると「うん」と、ご満悦の表情を浮かべた。


「おとうさま、おねえさま! このクッキー、ぼくが作ったんだよ」


 ローレルは自慢げに、クッキーをのせた皿をザカートに差し出す。


「そうなのか。では、いただこうかな」


 そう言い、皿から一枚取り口に運んだ。

 ローレルはザカートの食べる姿をじっと見つめ、様子を窺っている。


「うん、旨いな」


 パアッとローレルが表情を輝かせる。ザカートに頭を撫でられ、ローレルははにかみながら嬉しそうにしていた。


「ローレルは料理が好きなのか?」


「うーん。わかんないけど、すっごく楽しかったよ」


「そうか、楽しかったか」


「ふふっ、今度はケーキを焼くのよね」


「うん! あまーいイチゴがいっぱいのったケーキを作るんだぁ」


「それは、楽しみだな」


「ねぇ。おねえさまも、いっしょにケーキつくろうよ」


 一枚一枚の味をじっくりと堪能しながら、次々と口へと運んでいるディアの袖を引っ張りながら、ローレルは次のケーキ作りに誘う。だが、ディアはお茶で喉を潤すと、唇を尖らせた。


「私は、いいよ」


「どうして? ケーキつくろうよ」


「そうよ、一緒に作ったら楽しいわよ」


 ディアの拒否をローレルとキルシェの二人がめげずに誘い続ける。


「だって、私は料理するよりも、お母様に剣を習ったり、お父様とここで花の手入れをしたりする方が好きなんだもん」


「まぁ、ディア。貴方もいい歳なんだから、料理の一つくらいできないとお嫁に行けないわよ」


 引こうとしないキルシェが言った言葉に、何かを思い出したのか、ザカートが思わず吹き出す。


「フフッ、そうだな。キルシェもここに来た頃は、料理が一切できなくて悩んでいたからな」


「ザ、ザカートッ!」


 慌ててザカートの言葉を遮ろうとする。その慌てっぷりを見て、ザカートはさらに肩を震わせる。


「なーんだ。お母様も料理が苦手だったのね」


「……苦手だったわよ。で、でも、今は違うわよ」


 キルシェはザカートにばらされてしまった過去の恥ずかしさを誤魔化すように、ディアが先程見せたのと同じように口を尖らせた。


「おかあさまは、りょうりじょうずだもん!」


 幼いローレルが母を庇い、二人に食ってかかる。


「まあ、お母さんの味方はローレルだけね」


 自分を庇ってくれる幼い我が子の姿に感動を覚え、キルシェは力一杯ローレルを抱きめた。ローレルは母の温もりを全身に感じ、これでもかというほど表情を緩ます。


「……私も、今度は一緒にケーキを作る……」


 仲むつまじい二人を見て羨ましく思ったのか、ディアは少し照れくさげに小さな声で、ケーキ作りに付き合うと言った。

 キルシェはこうなることが分かっていたか、満面の笑みでディアに抱きついた。ディアはそれを照れて嫌がるような素振りをしたが、どこか嬉しそうだった。

 そんな三人の姿をザカートは満足そうに眺め、ゆっくりとカップを口に運んでいた。



 キルシェは心から幸せを感じていた。



 素直で可愛らしい子供たち。

 優しく包み込んでくれる夫。

 温かく、安らげる家庭。


 自然と笑顔でいる時間が多くなり、素直な自分を出せるようになっていた。



 もちろん、祖国ガルデニアを恋しく思い、懐かしくなることはある。

 養父母やリコリスのことを忘れたことなどもない。彼らが、今も元気で暮らしているか、気になることもある。


 けれども、それ引いても、今の生活は十分すぎるほどに満たされていた。騎士として務めていた時にはなかった、心の充実感。


 キルシェは感謝していた。

 自分を変える切っ掛けを与え、こんなにも愛おしく思える家庭を与えてくれたザカートに。

 そして、そんな彼と引き合わせてくれた運命に――



 キルシェは、楽しそうにお茶の時間を過ごす家族を見つめ微笑む。



 今、この時の幸せを胸一杯に感じながら――




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