桂木桜のその後
夢を見た。
私はやわらかな光に包まれていた。
まるで水の中をたゆたうような感覚だ。
私はこの光を知っていた。
「イシス様?」
私は問いかける。
すると小さな光が頬に触れた。くすぐったくて思わず笑う。
「お別れを言いにきてくれたんですね」
ふわりふわりと小さな光が増える。
私は彼女と話した事はないけれど、祈りを捧げた時には感覚の共有ができていた。
だから分かる。彼女は私にお礼とお別れを言いに来たのだ。
私が最後に捧げた祈りや、ハルとマリーがしてくれた事にありがとうと言っている。
そして、さよならを告げている。
だから私もそれに答えた。
「私こそありがとうございました。イシス様に逢えて本当に良かった。さようなら」
光に揺られながら私は両手を広げて光を抱きしめた。
孤独な女神をこれからたくさんの人が支えていってほしいと心から願いながら。
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泣き疲れた桜が目を覚ますと、驚く事に一日が経過していた。
どうやら桜は20時時間以上寝ていたらしい。
父の真司は苦笑しながら「気が緩んだんだろう」と言っていた。
因みに桜を送り届けたハルは再会でごちゃごちゃになっている中、真司に軽い一礼して去ったそうだ。
桜は後日改めてハルを訪ねようと決めた。
桜はその後しばらくは穏やかに過ごしたが、その間は少し精神が安定していなかった。
ふとした事で泣いてしまうし、家族がいるとくっついてしまう。
母の雅は「前よりも甘えん坊になったのねえ」と笑った。それが嬉しくてまた泣いてしまうのだ。
二つ下の弟の薫は桜がひっつくと困り果てていた。
最後に会ったとき、彼はまだ13歳だった。17歳になった薫の背は伸びて、見上げるほどになっていた。
幼かった顔も声も精悍になっており、身内の欲目を抜きにしても男前だ。
とは言っても思春期だ。帰ってきた姉がしきりに寄れば戸惑いもする。
桜もわかっているのだがやめられなかった。
3人にはこの4年に何があったのか詳しく話したし、桜もまた3人の話を聞いた。
空白の時間を埋めるように、本当にたくさんの話をした。
そうして帰還して2週間は殆どは家から出ずに過ごした。
だが一度だけ両親と一緒にハルがアルバイトしていた探偵事務所を訪ねた。支払いとお礼のためだ。
真司も雅も何度も事務所にいた青年とハルに頭を下げた。ハルは「これが私達の仕事ですから」と苦笑した。
両親が支払いをしている間、桜がハルにこれまでのお礼を言えば、
「世の中の女性を助けるのは紳士として当然ですから」
と相変わらずの様子で返される。
イシスからの思いを伝えた時も同様に「女性であれば見えなくても助けるのは当然ですから」と笑う。本当に謎の女子高生である。
このちょっと変わった女子高生と会えないのが寂しくて連絡先を聞けば、快く教えてくれた。
因みにマリーは普段一緒にはいないらしく、桜とイシスからのお礼は「今度会ったら伝えておきます」との事だった。会えないのは残念だったが、きまぐれ魔女なので仕方ないのだろう。
そうして過ごすうちに、桜の中にこれからの事を考えなければ、という気持ちが芽生えていた。
真司からは
「うちには桜を一生養えるくらいの蓄えはあるからね。ゆっくりでいい」
と言われているが、一生はさすがに抵抗がある。
桂木家はかつて日本4大財閥と呼ばれた横井財閥の創業者の一族だ。戦後に解体されたが、今現在も横井グループとして数十社の企業グループを経営している。
真司はその企業グループのいくつかの会社の社長を兼任していた。祖父の桂木真一はそれらを束ねる会長だ。
日本有数の名家である桂木家は資産だけでなく影響力も強い。
4年前、大々的にメディアで桜の失踪事件を取り扱っており、本来ならば帰還をした現在は大きく話題になるものだが、驚くほど桜の周囲は静かだった。
自宅周りの警護の強化もしているのだろうが、メディア規制を桂木家ーーつまりは横井グループがしいているのは間違いない。
孫バカの真一が祖母の明子と訪ねて来た時には泣きながら「周りはみんなワシが黙らせておくから今はゆっくり休むといい」と恐ろしい事を呟いていた。
ちなみに「桜は失踪の間の記憶が無い」という事で押し通す事が決まっている。
だから桜は実に恵まれた状況下で生活を取り戻す事ができていた。
そして一月経った頃、桜はそろそろ動き出そうと決めていた。
高校は無理だ。だが大検なら取れる。
来年入学したいのなら、勉強を始めなければならない。
両親に相談すれば、意欲的な桜を心配しながらも喜んで協力してくれた。
聖女教育と王妃教育を乗り越えた自分ならできると、桜は自信をもって勉強に勤しんだ。
実際、優秀な家庭教師を数人つけて4年分の勉強を始めれば、桜はあっという間に知識を吸収していった。これには家庭教師も驚いていた。
そうして翌年、桜は希望した大学に進学した。
メディア規制はしていたが、一般人の噂を止める事はできない。
記憶のない少女の失踪事件、と言うと下世話な想像をする人間もいたが、桜の立ち振る舞いがそれを否定した。
聖女としての所作、王妃としての所作。
優雅で威厳のある動きが桜に身に付いていた事で「清廉なお嬢様」のイメージが勝ったのだ。
そして僅かに聖女としての力を残していた桜はどこか浮世離れしており、桂木家という事も架見して、影で「天女さま」「女神様」と呼ばれ、いつしか噂も薄らいだ。
それに加えて、家柄も気にせず桜の人となりを好んでくれる人達がいた。
一緒にお昼を食べて、勉強もして、お出かけもした。
ごく当たり前の日常が、桜にはたまらなく嬉しかった。
どの世界も同じで、いい事もあれば嫌な事もある。
好きな人間がいれば苦手な人間がいる。
それは本当に、どこにいても変わらない。
それでも愛する家族や友人がこの世界にはたくさんいる。だから強くなれるのだろう。
桜はたまに月を見上げる。
月の形はあの世界と同じだったから、見上げると残してきた人達を思い出す。
そして未来に思いを馳せた。
友達ともっと遊びたい。
勉強して、会社の後を継ぐ弟を手助けしたい。
両親の支えになりたい。
いつかはまた、恋もしたい。
結婚して子供も産みたい。
やりたい事があふれだす。
楽しいばかりではないけれど、愛が溢れるこの世界が桜は好きだった。
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「ママ、なにかおはなしして」
かわいい娘をベットに寝かせて優しく髪をすいていると、大きな瞳がこちらを見つめた。
いつものかわいいおねだりだ。絵本が大好きな娘はたくさんのお話を聞きたがる。
「そうねえ。なにがいいかしら」
「あのおはなしがききたい! ママのおはなし!」
たくさんのお話の中で娘が気に入っている一つが、不思議な世界に連れて行かれた少女と変わったヒーローの話だ。
ただのお伽話として聞かせたが、私の名前を入れた事ですっかり「ママのおはなし」になってしまった。
「昔々、あるところに桜と言う名前の女の子がいました。そんな桜はある日、不思議な世界に飛ばされてしまいますーー」
現実よりはもっと優しく簡単に、それでも時には悲しく物語を紡ぐ。
家族と会いたくて帰りたいと少女が願うくだりでは、いつも娘は泣いてしまう。
けれど風変わりな1人と1匹のヒーローが出てくれば、瞳を輝かせてはしゃぐのだ。
「女の子は言いました。「ねえお姫様、私が君を連れ去ってあげようか?」」
「はやく、はやくたすけてあげて!」
何度も聞いているのに娘はいつももどかしそうに体を揺らした。
それが可愛らしくて私もいつも笑ってしまう。
娘が特にお気に入りなのは復活祭のシーンだ。
闇の神が少女を連れ去る時には両手をパチパチと叩いて喜んだ。
「ハルもマリーもかっこいい! コハルもヒーローになる! それでママをたすけるの!」
「すごいわね、小春。頼りにしてるわね」
「うん!!」
ここまで大抵娘は元気なのだが、少女が家に帰れた瞬間から瞳がとろんとし始める。これもいつもの事だ。
「ーーそして桜は大好きな家族のもとに帰りましたとさ」
お話を終えるとスースーと娘が寝息を立てていた。
私は娘の胸をぽんぽんと撫でる。
「桜はその後、大好きな人と出会い、世界で一番かわいい娘と出会う事ができました。おしまい」
娘が大きくなった時、この話が本当だと言ったら何て言うだろう?
笑い飛ばされるかもしれない。
変な目で見られるかもしれない。
信じるかもしれない。
それが楽しみだ。
だから元気で優しく育ってね。
「おやすみなさい」
私はそう願って娘のおでこにキスをした。
この話で後日談もラストです。拙い文章ではありましたが、ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。今後は新しい小説を更新していく予定です。




