10節 何度でも
「は……?」
今しがた目の前を飛び、そして轢き潰してしまったものを確認しようと後ろを振り返った父親の胴体が、縦0.3メートル、幅1メートルに開かれた大型獣の口内にて噛み砕かれる。
悲鳴を横切り、静かに横たわっているセゥノの元へ駆けつけた少年は、素早く拘束を解いてゆく。
「なんなの? 今回は悪い人に連れ去られる可哀想な少女を演じてみたわけ?」
困ったように笑う少年――シォハの腕の中に囲われながら、セゥノは自分なりの解釈を述べる。
「窓からこちらを覗いている女の人は、たぶん、人形です」
「は?」
シォハが素っ頓狂な声をあげる背後ではルマン=リヒテが久々の食事に飛びつき、貪っている。
「私、知ってるです。向かいの家に住んでいたのは男性で、奥さんがいました。でも奥さんは死んだです。だから男性は、奥さんを作ったです」
「セゥノ、なにを」
「忘れることができなかったんですよ。奥さんと過ごした日々を。自分にも、誰にも忘れてほしくなかった。だから窓際に奥さんを立たせて、皆がよく見えるように」
シォハはセゥノの頭を軽く叩き、心配そうに覗き込む。
「セゥノ、なにかされたのかい?」
「シォハ」
セゥノはシォハの白い手をギュッと掴み、美しく整った顔を見上げた。
「シォハ、今すぐ結婚しようです」
きょとんとしたシォハが何かを言い返す前にセゥノは続ける。
「いつか、なんて待つことできないです。だって、シォハは人喰鬼です。不老不死です。でも私は、普通の人間です。私は寿命で死んじゃうです。悲しすぎて、シォハが私の人形を作っちゃう前にありったけの思い出をつくるであります!」
視界が歪む。白く濁り、シォハが今どんな顔をしているのかわからない。頬を流れる熱いものが視界に制限をかけているせいだろう。
セゥノは涙を拭うが、拭えば拭うほど涙は止まらなくなってゆく。
ルマン=リヒテがシォハの為に残しておいた母親の両手を口にくわえて差し出す。シォハは己が唯一の食事とする餌の姿を苦々しく見つめる。
「……思い出は、あればあるほど、悲しくなるものなんだよ」
両手を受け取ったシォハはすぐに口にすることをせず、荷台に置く。
「君と僕の決定的な違いは埋められない。そうだね。きっと、僕は君を失ったとき、発狂してしまうかもしれない。その未来がわかっていながらも、君を愛することを止められなかった。今は幸せだよ。すごくね。けど、幸せな思い出が多ければ多いほど僕は……計り知れない悲しみに追い立てられることになる」
セゥノは涙を止めることを諦める。
「それは……私とは、結婚できないって……意味でありますか」
「わからない。でも僕が恐れていることは確かだよ。君がいなくなるこの世界を」
セゥノは目を伏せて口を閉じる。
「まぁ、セゥノが死んでしまったあとに僕を誰かに殺してもらえれば丸く収まるのかな」
瞬間、熱い痛みが走った頬をシォハは庇い、血の繋がっていない姉の顔を見下ろす。
「そーいう未来を防ぎたいのであります! 唯一の打開策は、私も人喰鬼になることです! はい、どうすればいいですか!」
シォハは目を見開き、それを隠すように渇いた笑い声を垂らした。
「やめてよ。こんな苦しみ、セゥノに味合わせたくないんだから」
しばらく笑ったあと、シォハは遠くを見つめて頷く。
「そうだなぁ……君を失ったら、君を探す旅に出ようか。セゥノ・ラトアニェを失ったランス・メルローズじゃないけどさ」
それはほんの気まぐれに出た発言なのか、それともずっと昔から考えていたことなのかはわからない。しかしセゥノはパッと表情を輝かせ、混じり気なく喜ぶ。
「わぁ! じゃあ、私が死んでも、シォハは何回でも私を探しにきてくれるわけですね!」
「そのたびに初めましてから始めないといけないのが面倒だけどね」
「大丈夫ですよー。私、シォハのこと覚えてます。絶対に忘れたりしません」
「本当?」
「本当であります。それに、こっちの方が何回でも結婚できて、お得な気分です!」
「はは。……面倒くせぇ」
「今、なんて言ったでありますか」
――血と体液の臭いが漂う荒野で交わしたこの約束には、まさに今から起きる悲劇を予兆していたかのような、そんな意思さえ孕んでいた。




