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婚約者は人間を食べる  作者: 伯灼ろこ
第三章 つぎはぎだらけの弟 
28/43

 9節 寂れた村で

「お腹、すいたな」

 ある集落の近くで、空腹の為に体力の限界に達していたルマン=リヒテが、同じく飢えを感じ始めていたシォハに寄り添い、力無く腰を落としていた。

 確かに、もう1週間もなにも食べていない。人里を警戒し、わざと離れて行動をしていた結果がこれだが、予想されていたことではある。セゥノは木の実などを摂取することができたため、そこまで飢餓にあえぐことはなかった。だが、捕食対象を人間のみとするシォハとルマン=リヒテは――。

「人間、穫ってくるであります」

 体力があるうちに、やらねばならなかった。

「怖いこと言うね」

 シォハは力無く笑う。

「だって、そうしないとシォハとリヒテさんが死んじゃうです」

「僕は人喰鬼だから、死にはしないよ。ただ、とてつもない飢えに苦しみ続けるかな」

 セゥノは、自身にも襲いかかる目眩に負けぬよう、意識を強く持つ。

「人間を騙して連れてくることは、いつもイーヴォちゃんに対してやってあげていたことと同じです。容易いことです」

 シォハとルマン=リヒテが身を隠す木陰から1人離れ、集落へと足を踏み入れる。

(……寂れてるです)

 集落を一言で表すと、それであった。

 建物の数は60ほどあるが、現在も使われているのは半分の30程度。住人の数は100にも満たない。大地は荒れ、緑が育ちにくく、鳥や虫すらも生息していない。自給自足もままならない、枯れた大地だ。

 村人たちの表情には生気が無い。余所者であるセゥノの侵入にすら興味を示さない。人形がただ糸で動かされているようにぎこちなく、意思というものが感ぜられない。

 ――不気味な村。

 次に出た感想は以上のものであり、セゥノはさっさと狩りをしてシォハの元へ戻ろうと気を取り直す。

(でもあんなやつら、食べて美味しいのでしょかね)

 そもそも人間に味の違いなど存在するのかすらわからないが、どうせ食べるなら不気味なものよりも活発な人間が良い。

 セゥノは手近にいる女性に声をかけてみることにした。年齢は40代前半くらい。黒い髪に混じる白い髪を誤魔化すこともせず、自然のままに任せている中年の女性だ。

(設定としては、何日もご飯を食べていない弟を助けてください……で、良いですかね)

 嘘ではない。嘘でも真実でも、とりあえず村の外へ出せたらそれで成功だ。いつもの様にやるだけ。しかしここで想定外のことが起きる。それまで能面のように表情のなかった中年女性が、セゥノの姿を見た途端に歓喜の悲鳴をあげながら両の手を広げたこと――。

「シォハ!!」

 何故その名前を自分へ向けて投げられたのかわからないし、何故女性が懐かしくて愛しいものを見るような目で自分を見るのか――セゥノには全くもって身に覚えのないことだった。

「ああ、ああ、私のシォハ……お帰りなさい、お帰りなさい……!」

 優しく、しかし強く抱きしめられ、涙で濡れた声を聞く。

「もう会えないと思っていた。貴女は赤い髪だから、バルバランの伝承通りに攫われてしまったのだと……諦めていて……同時に、お金が無くて髪を染めてあげられなかったことを後悔して」

「――ちょっと待つであります」

 女性の胸を手のひらでトンと押し、目も合わせずにセゥノは震える唇を開く。

「人違いじゃ」

 言いかけて、これは狩る絶好のチャンスではないかと思い直す。

(このひと、私を生き別れた娘だと勘違いしてるです。利用をしない手はないです)

 セゥノは一度引っこめた両手を再び伸ばし、女性からの抱擁を受け入れた。

「お母さん、ただいま。でも、ごめんなさい。物心つく前に拉致されたから、正直、お母さんのことほとんど覚えていなくて」

 試しに使ってみた台詞だが女性の心を上手く刺激できたようで、声をあげて泣かせるまでを誘導できた。

「これは神の奇跡ね。感謝しなくてはいけないわ。……さ、シォハ、お父さんが待っていますから家へ帰りましょう!」

 涙を拭った女性は、ハウディ・レグットと名乗った。だからセゥノの本当の名前もシォハ・レグットだという。セゥノは馬鹿馬鹿しいと内心嘲笑いながら、生家だと思われる場所へ付いてゆく。

 家を見て、セゥノは「げっ」と言いかけた己の口を慌てて両手で押さえた。

(このまえ泊まった廃屋の方がずっと豪邸です……)

 天井には長年繰り返された雨による穴、亀裂の走った壁、土が剥き出しの床などそのほか指摘しきれないほどの文明の低い暮らしぶりを目の当たりにしたセゥノは、自分は絶対にこんな家に生まれたわけがないと――そう思い込むことで必死だった。

 扉を開いてすぐの場所がリビングで、一応はどこかで購入したと思われるテーブルと椅子が置かれている。その中の一つに腰掛けているのは、やはり知らない中年男性。髪の色は黒いし、自身との接点など僅かにも見つけられない、見つけたくない。

「おい、ハウディ。そのお嬢さんは、もしかして」

 しかしセゥノを見た男性は、あってほしくない反応を見せる。

(もしかしてじゃないですよ)

 驚嘆と、懐かしさと、嬉しさと――入り混ざった男性の表情はとても優しげで、セゥノは下唇を噛む。

(どうせこの人たちの本当の娘はメルローズに拉致され、シォハの一部に移植されてるですよ)

 当然のごとくその結論に至ったセゥノは、しかしある矛盾点に気がつく。

(あれ。そういえば……シォハの肉体が完成して100年後にメルローズは私を拉致したって話でありますよね。私の発見は、赤髪少女狩りを再開する前だと……)

 女性と男性が双方からセゥノを抱きしめ、喜びにむせび泣いている間も、セゥノは暴れ回る自身の思考を止められない。

(つまり)

 セゥノは震える口を押さえ、考えたくはない結論を再提出する。

(私を発見したときから過去100年は狩りを行っていない。それはもちろん、私を発見した後も)

 それは、セゥノがこの夫婦の娘であると証明する事実だった。

「違う……絶対、そんなこと!」

 セゥノは2人を引きはがし、激しく睨みつける。

「シォハ?」

「シォハ、どうしんだ。15年ぶりに再会できたのに」

 困惑し、それでも優しく接しようと決めた腹を譲らない夫婦の顔など記憶に無い。だが再提出した結論と、自分がなぜ弟に「シォハ」という名前を付けたのかという疑問が無意識下に漂う赤子の頃の朧気な思い出を引っ張り出しそうで――。

「お前らの子供はずっと昔に死んでますよ! 伝承なんか関係なくて、拉致なんか関係なくて、ただヨーゼフに食べられただけですよ! ああっ、またはリグリかも! だって私がっ……こんな貧しい村に生まれるわけないですっ……」

 それは、たとえ紛い物ではあっても物心つく頃から上流階級の人間として生きてきたセゥノには認められない事実であった。

「――まったく、親不孝な困った娘だ」

 それまで感涙の極みと困惑の狭間でさまよっていた父親が、人柄が変わったかのように冷めた反応を見せた。

「え……?」

 キョトンとするセゥノに、父親は畳み掛ける。

「え? じゃないぞ、シォハ。せっかく赤い髪で生まれたお前を見世物小屋へ売り払う算段だったのに、行方不明なんぞになりおって」

 父親と同じく顔から表情を消した母親が続ける。

「同時に、伝承は本当だったんだと気付かされたわ。あのときの悔しさったらねぇ……。ねぇシォハ。私たちにはお金が必要なのよ。ほら、そこの壁を見なさい、屋根を見なさい、全てを見なさい。お金が無いと、良い暮らしはできないの」

 一度引き剥がされた4本の手が、獲物を求めて掴みかかる。

「お前はなかなか高そうなドレスを着ているな。拉致をした人喰鬼はそれほど金持ちなのか? 俺たちも同じ家に住まわしてくれるよう、頼んでくれよ」

 指に力がこもり、爪が肩に食い込む。セゥノは顔を歪め、片足を後ろへ下げる。

「嘘、言うなです。お前らは」

「けっ、いっちょまえに証拠を提出しろってのかよ。んなもん無ぇよ。けどな、その髪、その顔、その声、その姿――どう考えてみても俺たちの記憶となって鮮やかに蘇んだよ」

 嘘か誠か――知る術は無いが、セゥノが過去に足を踏み入れた人里でこのような反応をされたことは無い。怯えられ、遠ざけられることは多々あったが。

「ま、どっちでもいいわよ。今からでも遅くはないし、見世物小屋へ行きましょう。なかなか綺麗に成長したようだし、人喰鬼の獲物としての他に色々なことに使えるでしょ」

 ――結果、騙すつもりが騙されることとなったセゥノは、意地悪く笑う母親の顔に懐かしい面影を見ていた。

 身体が自分の意思とは関係なく移動し、家を出る。そのときの風景には一風変わった部分があり、その部分とは、向かいの家の窓から女性がこちらをジッと凝視しているというもの。セゥノはハッと息を飲み込み、脳裏にフラッシュバックする映像の中にこれと同じものを見る。

「ったく、あの家の娘はあの年齢になっても嫁の貰い手がないのか」

 父親は家を出るたびに女性と目が合うことを嫌い、たびたび文句を言いに扉を叩くが、これまで誰も出てきたことがないという。

「見ないようにこちらが努めることが一番です。ふふ、シォハもあの女のことを怖がっていたものねぇ。どう、懐かしい?」

 母親の何気ないその一言が決定打となっていた。セゥノはこれ以上否定し続けられないと踏み、従うことを決めた。

「お父様、お母様、ごめんなさいです」

 両脇を掴まれて宙吊り状態となりながら、セゥノは言う。父親と母親は顔を見合わせ、にっこりと微笑んだ。

「あらあら、”様“を付けてくれるなんて、今までどんな良い暮らしをしてきたの? 私たちにも分けて頂戴な」

「これから分けてもらうだろ」

「そうだったわね!」

 父親と母親は急に軽くなった足で馬小屋へ向かう。見世物小屋というものはこの集落には無いようで、遠く離れた街まで馬を使って運ぶようだ。

「村を出るなら、遠いですが北の門をくぐってくださいです」

 馬車の荷台に乱暴に縛り付けられたセゥノの指示を無視し、父親が南の門をくぐり抜けたときだ。荷台に座っていた母親の首がくるくると弧を描いて宙を舞い、地に落ちたところで車輪に巻き込まれ、卵が割れたような音と共に原型を失った。

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