表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少年法の壁スピンオフ  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/40

謝る相手が違う

 少年法の壁 後日談


 第19話「謝る相手が違う」


 莉央は、離婚だけはしたくなかった。


「お願い」


 夫の前で、何度も頭を下げた。


「離婚だけはしないで」


「家族だけは壊したくない」


「私、ちゃんと反省するから」


 だが、夫の目は冷たかった。


 怒っているというより、もう信じる力が残っていない目だった。


「反省って、誰に対して?」


 莉央は答えられなかった。


「私たちに謝ってるの?」


「それとも、過去がバレたことに謝ってるの?」


 夫の言葉が胸に刺さる。


 娘は隣で黙っていた。


 だが、その目がすべてを語っていた。


 裏切られた。


 信じていたのに。


 嘘つき。


 莉央は娘に向き直った。


「ごめんね」


 娘は一歩下がった。


「謝る相手が違う」


 莉央は息を呑んだ。


 娘は震える声で続けた。


「私に謝ってどうするの?」


「お母さんが傷つけたのは、私じゃないでしょ」


「伊達理人さんと、美羽さんでしょ」


「その家族でしょ」


 莉央は何も言えなかった。


 夫も静かに言った。


「そうだ。謝る相手が違う」


 莉央は涙を流した。


「でも、今さら……」


 娘の顔がさらに冷たくなった。


「今さらって何?」


 その言葉に、莉央は黙った。


 今さら。


 それは、逃げるための言葉だった。


 遅すぎると分かっている。


 許されないと分かっている。


 だから謝らない。


 そうやって、また逃げようとしていた。


 同じ頃、獅童の家でも同じことが起きていた。


 獅童は妻に縋った。


「離婚だけはやめてくれ」


「頼む」


「子どもたちのためにも」


 妻は静かに言った。


「子どもたちのため?」


 獅童は言葉に詰まった。


 妻は涙をこらえながら続けた。


「あなた、子どもたちに何て言ってきた?」


「弱い人を傷つけるな」


「人を見下すな」


「仲間を大切にしろ」


「全部、どんな顔で言ってたの?」


 獅童は頭を抱えた。


「俺だって後悔してる」


 息子が言った。


「じゃあ、謝ったの?」


 獅童は顔を上げられなかった。


 息子は続けた。


「伊達さんに謝ったの?」


「美羽さんに謝ったの?」


「その家族に謝ったの?」


 沈黙。


 それが答えだった。


 息子は唇を噛んだ。


「最低だよ」


 獅童は叫びそうになった。


 だが叫べなかった。


 ここで怒鳴れば、また同じことになる。


 自分の弱さを、目の前の子どもにぶつけるだけになる。


 こころの家でも、娘は母を見なかった。


 こころは泣きながら言った。


「ごめんなさい」


 娘は言った。


「私に謝られても困る」


 こころは固まった。


 夫が言う。


「君が謝るべき相手は、別にいる」


 こころは震えた。


「でも……会ってもらえるか分からない」


 夫は冷たく言った。


「会ってもらえないかもしれないね」


「許されないかもしれない」


「でも、それは君がしたことの結果だ」


 こころは泣き崩れた。


 どの家庭でも、同じ言葉が突き刺さっていた。


 謝る相手が違う。


 子どもたちは、親を責めたかっただけではなかった。


 親が過去に罪を犯したことだけが許せなかったのでもなかった。


 一番許せなかったのは。


 その過去を隠したまま、正しい親の顔をしていたことだった。


 人を傷つけるな。


 いじめは駄目だ。


 嘘をつくな。


 友達を大切にしろ。


 その言葉を信じて育ってきた。


 なのに、その言葉を語っていた親自身が、かつて誰かを深く傷つけ、逃げ、隠していた。


 子どもたちは、その裏切りに耐えられなかった。


 莉央は、娘の部屋の前に立った。


「少しだけ話せない?」


 中から返事はない。


「お願い」


 ようやく声が聞こえた。


「今は無理」


 その一言だけだった。


 ドアの向こうにいる娘は、泣いているのかもしれない。


 怒っているのかもしれない。


 それすら、莉央には分からなかった。


 分からない距離まで、自分が突き放されたのだ。


 夜。


 莉央はリビングで一人座っていた。


 テーブルの上には、離婚届が置かれていた。


 まだ名前は書かれていない。


 けれど、その紙の存在だけで、家の空気が変わっていた。


 莉央はスマホを開いた。


 検索欄に、震える指で名前を打つ。


 伊達理人。


 伊達美羽。


 秋生光。


 記事が並ぶ。


 オリンピック三連覇。


 教育者。


 指導者。


 講演活動。


 いじめを乗り越えたアスリート。


 莉央は画面を見つめた。


 今さら謝っても、許されないだろう。


 会ってもらえないかもしれない。


 迷惑かもしれない。


 それでも。


 謝る相手が違う。


 娘の言葉が、何度も胸に戻ってくる。


 第19話「謝る相手が違う」。


 莉央たちは、家族を失いたくないと泣いた。


 けれど、失われた信頼は、泣けば戻るものではなかった。


 本当に向き合うべき相手から逃げ続けた者たちに、家族は静かに告げた。


 謝る相手が違う、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ